トゥハットとフィヴァ

「それって先に樽ごと冷やしておいて、それを維持しておいた方が手間が省けるんじゃないか?」

 この構想において要求される色術のレベルは、かなり高い物だろう。だがエルキであれば、問題なくこなせる――トゥハットはそう考えた。

 エルキはそのトゥハットの言葉に、少しだけ首をかしげる。

「レフティアさんはキェルセンの方だったんですね」

「なんでわか……ああ、そうか」

 とっさに身構えたがトゥハットだったが、すぐに自分で答えにたどり着く。

 今の自分の提案は、あまりにも“キェルセン”的だったと。

「いや……生まれはクルペアなんだ。育ちは確かにキェルセンなんだがな」

「それにしても、キェルセンで生活されておられた方がわざわざ冒険者に?」

 今度はトゥハットが首をかしげた。

 冒険者が特殊すぎる将来設計であるのは理解していたが、なぜキェルセンだと特別視されるのか。

「クルペアよりもキェルセンでは色々な職業を選びやすいですし、チャンスも多いでしょう?」

「そうでもないぞ」

「あくまで、クルペアと比べての話ですよ」

 繰り返し言われては、確かに頷かざるを得ない。

 クルペアはなんだかんだ言っても階級社会だ。生まれで将来はほとんど決定してしまう。

 トゥハットにしてもキェルセンで育ったとはいえ、クルペアの商家の生まれであることは、変化しなかっただろう――冒険者になるまでは。

「じゃあ、冒険者でキェルセン出身は珍しいのか?」

「珍しいという程でも無いとは思いますが、キェルセン出身でベイファスに来ていきなり冒険者志望というのは……ちょっと思いつきませんね」

「ちょっと待て」

 トゥハットが少しばかり乱暴にドン、とコップをカウンターに置いてエルキの言葉を遮った。しかしエルキは口を止める様子もなく、

「ここまで何度かご覧になったであろう乗り合いの術車。あれは無料ですよ」

「む……無料?」

 流れるようにとどめを刺した。

 トゥハットはもちろん、何故いきなり自分が冒険者志願なのがわかったのか? ――を問いただしたかった。

 だが、乗り合いの術車が無料ある事を知らない以上――苦心惨憺、ここまで登ってきている――“お上りさん”である事は明白だ。

「ええ。エリリサルは観光立国ですから。なので観光客には基本的に優しいんですよ」

「……あいつか」

 そして、入国の時にそれが告げられなかったことも、トゥハットが苦労した原因になるだろう。所詮、オランタムはオランタム。

 もっともトゥハットも観光目的でこの国に来たわけではないから、いまいち文句を言うべき相手も言葉も狙いが定まらない。

「それで苦労してここまで登ってこられたのは、何か目的が?」

「も、目的って――」

 言いかけた、トゥハットの思考が立ち止まる。

 何を口にして良いのか?

 何を秘匿すべきか?

「伝手がないのであれば、うちの店を根城にしている方々を紹介してもよろしいのですが」

「そ、それは助かる」

 立ち止まってしまった思考の合間を突くようにエルキから伸ばされた救いの手を、トゥハットは反射的につかんでしまった。

 考え無しの自分の行動に後悔が滲み始めるが、再検討しても今のところ想定から大幅にずれた部分はない。

「ただ……少し問題が」

「確かに全くの新人は問題があるとは思うが、それを言い出したら――」

「いえ、問題はレフティアさんでなく――」

 

 ドンドンドン!


 お互いの言葉が交差しかけたところに、さらなる異音が追い打ちを掛けてきた。

 トゥハットが思わず身構えて、音の元を探るとカウンターの横の壁が震えている。

「はいはい」

 途端、エルキは橙色のカードを取り出してさっと手を振る。

 すると何もなかったかのように見えた壁がスライドして、奥から無精髭を伸ばした野性味あふれる壮年の男性がのっそりと出てきた。

 袖無しの麻のシャツに、縄で絞った粗末の綿のズボン。

 人前に出るような出で立ちではないが、その違和感を押しつぶす程の分厚い筋肉をその身にまとっている。

 その筋肉の隙間から階段が見える。どうやら上の階の部屋から降りてきたらしい。

 上が宿泊施設になっているからこその、このラフすぎる出で立ちなのだろう。そこは上手くピースが挟まるのだが、わからないのはドアを開ける手順だ。

 なぜ店主がわざわざ色術を行使しないと開かない仕様になっているのか。

 まるで監禁のようだ、というよりも、監禁そのものにしか見えない。

「ほらよ」

 と、続けて男は両腕を広げてみせる。エルキはそこからしばらく男の身体を観察していたが、やがて深くうなずくと、

「結構でしょう」

 と、厳かに宣言して見せた。

 すると男は、トゥハットに一瞥もくれずに店を出て行く。

 男は明らかに職業・冒険者の印象だっただけに、このまま紹介の流れかと身構えていたトゥハットは精神的に蹈鞴を踏んだ。

 そしてまったくの八つ当たりと自覚しながらも、エルキに恨めがましい目を向ける。

 エルキは、その目を柔らかな笑みで受け流し、首を振った。

「今はいけません。現状では一文無しですから。理性的な話は無理です」

「一文無し?」

「昨晩、仕事を済ませて帰ってきたんですが、その時は換金が出来なかったらしいんですよ。当然、宿泊はお断りするべきだったんですが……」

 もっともなことを言っているように聞こえたが、素直に相づちを打てない。

「一応は長い付き合いなので、そこは妥協してしまいました」

「あ~~~~」

 どうも冒険者と店主との間に、一種の疑似家族のような雰囲気を期待してはいけないらしい。互いに信用していない……トゥハットが聞いていた冒険者とは違うようだ。

 ただこれがベイファスでのスタンダードなのか、この店の流儀なのかは……

「何だ? ああ、新顔か?」

 再び「アーダ」に何者かが現れた。

 茶色の髪、大きな緑の瞳。どうやらヴィフレーンのようではあるが、逆光の中で尚、快活そうな笑みが浮かんでいる。

 牙のような犬歯の持ち主のようだが、その剣呑さが笑顔で中和されていた。

「是非とも、この店を使ってやってくれよ。そして飲むのは安い酒さ! それだと俺にも旨味があるって話でね」

 男の傍らには腰の高さほどの樽。どうやら店まで樽を転がして来たようだ。

 そして白黒ブチの中型犬を連れている。

 まだ随分と若いように見えるから、酒屋の雇われか、あるいはこういった小間使いを請けおっているのか。

「――俺はフィヴァ・ランカサデ。よろしく」

 ヒラヒラと手を振るフィヴァ。それにつれて、革製のチョッキもまたヒラヒラと揺れていた。

 

 ――それがトゥハットとフィヴァとの出会いであった。

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