冒険者の店「アーダ」

 ――“エリリサル王国は空と共にある”


 クルペアはリベア領出身の詩人、リクアンキの大げさな詩の冒頭だ。

 平地ばかりのリベア領の生まれであれば、その心情もわからないではないが、いかにも熱に浮かされたまま書き殴ったような――詩とは、そもそもそうやって編まれるものであるかもしれないが。

 “エリリサル王国は空と隣人である”

 自分なら、こう編んだことだろう。

 空がエリリサルと共に歩むことはなく、空がエリリサルを助けるわけではない。

 まさに隣人のような距離感だと思う。

 所謂、冒険者の店「アーダ」の店主であるエルキは、真四角な看板を店の壁ときっちりと平行に並べ、そんなとりとめも無いことを考えながら、良く晴れた空を確認する。

 ベイファスの山肌に形成されたこの街では、比喩でも何でも無く隣に空があるのだ。

 その空に背を向けるようにして、店の前を軽く掃除。店の横の通用口がある空き地――搬入のための空き地なので店の敷地ではあるが――に積まれた樽を見て眉をひそめる。

 注意すべき相手の姿を探して、思わず向けた視線の先。

 そこには剣を引きずるようにして歩く男の姿があった。


                  ※


(なんだ? ディゲィム?)

 トゥハットもほとんど同時にエルキの存在に気づいていた。

 針と見間違えるほどの細い身体。藍色の軽くカールした髪。そしてこの距離からでもわかる整った顔立ち。

 この美形ディゲィムどもはクルペアの蝶月領ムカバに引きこもっているはずだが。

 確か今のクルペア王家もディゲィムだったはずだが、さすがにこれは関係ないだろう。

 稀に変わり者が領の外に出てくるとも聞いていたが、その稀なケースに遭遇したということか。

「おはようございます」

 訝しんでいる間に向こうから挨拶された。

「あ、ああ、おはよう」

 “おはよう”はそろそろ失効しそうな時間のはずだが、こんにちは、と返すわけにもいかない。

「ご旅行……ではないようですね。どうです? 一休みされては?」

 続けてかけられた言葉に、男が立っている場所、足下に立てかけられた木製の看板、そして軒先につり下げられた青銅製の看板をトゥハットは確認する。

「あ、ああ。えっと……その店の?」

「そうですよ。ちょうど開けたところです。ここで細々とやってます」

「じゃあ休むにも金が掛かるんだな?」

「でもお酒も出せますよ」

「酒……」

 この昼間から酒。

 トゥハットの中の倫理観が邪魔をする。本能的には、間違いなくアルコールを求めているが、ここは我慢するべきだ。

 そんな葛藤を見て取ったのだろう。

 店主――エルキは嫉妬しそうなほどの爽やかな笑みを浮かべて、

「“冒険者”とお見受けしましたが、おかしな方ですね。昼間から酒を嗜むのは冒険者の特権の一つでしょうに。水でよろしければごちそうしますよ。もちろん店内でね」

 と、穏やかに告げた。

 それを拒む理由はトゥハットにはなく、また積極的にこの店に関わるべき理由もある。

「じゃあ、お願いする――ああ、俺はトゥハット。トゥハット・レフティア」

「これはご丁寧に。僕はエルキ。エルキ・ナイランダー」

 エルキは自ら店の扉を押し開けると、トゥハットを誘った。


                 ※


 外から見た限りでは、二階建てのこぢんまりとした店構えだった。

 しかし中に入ってみると、その意外なほどの広さに驚く。

(というか、明らかに中の方が広い。これがベイファスの洞窟住居ケーブハウスか)

 そもそもはベイファスの山肌に人が住み着き始めたときの原始的な住居。

 岩山であることが幸いしてか、それでも問題は無かったようだが国としての体裁ができあがっていくと同時に、住居の方も体裁を整えてきた結果、こういうだまし絵のような家屋が建ち並ぶこととなったわけである。

 今ではエリリサル独自の文化として一般に公開してる住居もあるぐらいだ。

 この店も入り口は狭く奥に行くほど広い。今は色術灯のシェードを下ろしているらしく、奥は薄暗いが、かなり大きな丸テーブルが余裕を持って五つは配置されていた。

 もちろん岩石をくりぬいたような粗野な造りではなく、板戸で設えられたきちんとした壁に、防寒の役目もあるのか大きなタペストリーが掲げられている。

 織られている意匠はエリリサル王国の紋章でもなく、トゥハットには見覚えのない意匠だった。

 それ自体にはあまり意味が無いのかもしれない。

 その他の内装もきちんと揃っており、清掃も行き届いているようだ。

 外の光が差し込んでくる狭い入り口部分にはカウンター。狭いとは言っても奥に比べてという比較の結果だ。

 大の男二人が並んで通れるほどの余裕はある。

 エルキはカウンターの中に潜り込むと壁に設置された樽から、木製のコップに水を注ぐ。

 そのままカウンターの中程にそれをおいた。そこに座れということだろう。

 トゥハットは素直にそれに従おうと、背もたれの無い丸椅子を引き――引けない。

 床にがっちりと固定されている。不便さを感じつつ軽く周囲を見渡すと、その整理された佇まい……というよりも整理されすぎた状態に改めて気付く。

 どこにも隙は無く、初見であるのにあるべきものがあるべきところに収まっているのがよくわかる。カウンターにつきものの酒瓶が並べられた棚。同じ種類の酒瓶が綺麗に並べられているまでは当たり前で、中身の減り具合によってその順番も定められているらしい。中身が多い順に左か右へと綺麗に陳列されている。

 注文が入ったときはどうなるのだろうか? と思いながらも改めてここが酒場のような施設があることが確認できた。

 話に聞く「冒険者の店」の特徴を備えている。

(そういえば――)

 脳裏の端に引っかかった光景を確かめるために思わず振り向くトゥハット。

 そこにあるのはコルクボード。筆跡は様々だが多くの覚え書きがメモに書かれて貼り付けられている。

 しかし、そのメモの大きさが綺麗にそろえられていた。しかも正方形。

 もちろん貼り付け方も乱雑さがまったく感じられない、日付ごとに整理されているのは当たり前。メモの重ね方で時刻すらも表しているらしい。

(……そ、想像とちょっと違うか)

 ちょっとどころか大分違うのだが、指定された店はここで間違いないはずだ。 

「どうかしました?」

「今更なんだけど、この店の名前は?」

 くるりと身体を戻しながら尋ねると、笑顔のまま逆に尋ね返された。

「看板をご覧にならなかったんですか?」

「確認する前に客引きあんたに連れ込まれた」

「なるほど。この店は“アーダ”と言います」

「アーダ?」

 あまりにあっさりした名前に、オウム返しに聞き返してしまう。

「酒場には女性の名前をつけるのが一般的でしょう?」

 追撃が来た。

 トゥハットがそれに上手く答えられない間に、エルキは色術用のカードを二枚取り出すと、さっとコップの上で手を振った。

 とたん、コップの表面に露が浮かび上がる。

 薄暗い店内だったからハッキリと見えたわけでは無いが、取り出したカードの色は、赤と青だった。

 熱を表す“赤”を“青”で否定する。ごく当たり前の色術の一つで「クール」とも呼ばれている。

 だがこれは温度調節が難しい。

 特に水を飲める温度まで適当に冷やすなどという、調節を片手間に行うなど……

 トゥハットはコップの水を呷る。

(旨い)

 程よく冷やされた水が疲れた身体に染み込んでいく。

「美味しいでしょう。ベイファスの雪解け水は絶品です」

「そうだな」

 と、応じておきながらトゥハットは改めてエルキの色術の腕に感心してしまう。

 さすがはディゲィム、といったところだろう。

 ディゲィムは眉目秀麗であることのみならず、色術を使わせればどの種族よりも高い特性を示す。

 さすがと言うべきなのだろうが、トゥハットにはその方法自体に違和感を感じた。

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