2章 3.僕は保健室で、堕天使に触れる。

 ほら、いるし……、やっぱりいるし……! 

 僕は大丈夫だって言ったのに……!

 そして、なんで二人っきりなんだ……!!


 『最上さいじょうまこ』のミカエルスマイルならぬ、堕天使『ルシファースマイル』を食らった僕は、椅子から派手に転倒し、それを心配した先生が「お前、顔が真っ青だぞ。お前も保険室へ行って来い」と言われたのだ。もちろん拒否したさ。しまくったのに! なのに、どうしてこうなった……。


 クラスの男子からは「俺も気分が悪いです!」なんて次々に手が上がり、女子からは獣を見るような目で見られ、とんでもないカオス状態になったってことは、この目の前の『最上まこ』は知らないのだろう。


 僕の顔からは血の気が引いているのが自分でも分かるぐらいだ。なのに目の前の堕天使『最上まこ』は、なぜかまた不敵な笑みを浮かべている。


「お前も来たのか。さっきはすまんな、まさか椅子から落ちるなんて思わなくてな!」


 がははっと豪快に笑う彼女を目の前で見た時、色んな意味で意識が飛びそうになったって言ったらこの気持ちは伝わるだろうか。


「おい、手、ケガしてるぞ」

「あ……」


 今気が付いた。さっき椅子から落ちた瞬間、手をどこかでぶつけたのか、かすり傷を作っていた。


「ほら、消毒だ!」


 いきなり左腕をがしっと掴まれ引っ張られたかと思うと、保健室の机に並べてある薬剤を彼女は勝手に使いだし、僕の左手の甲へ慣れた手つきで消毒液を塗り始めた。


「ひっ……こ、こんな、傷、放置でなおっ……」

「ちゃんと治療しておかないと! まさかあんなに豪快に転ぶとはな~、申し訳ない!」


 今、堕天使ルシファーな『最上まこ』が僕の手を乱暴に掴み、ガサツな笑顔で治療してくれている。


 ……だけど、彼女の手はとても暖かかった。


絆創膏ばんそうこう、絆創膏~。弟や妹によく貼ってやったこと思い出すな~」


 堕天使ルシファーな『最上まこ』は、よく喋る、ということをこの時初めて知った。

 だっていつも学校では誰とも喋っていないし、テレビで見る彼女もどちらかというと口数は少ないほうだからだ。


「きょう、だい、がいるんですか……?」

「ああ! 可愛い弟と妹がいるぞ! 弟はもう中2だけどな! アイツは思春期ってのがまだ分かってなくてさ~、それに妹はまだ小1で目に入れても痛くないっていうか~……」


 堕天使『最上まこ』はマシンガンのような勢いでとても嬉しそうに弟や妹の話を始めた。僕は彼女のてきぱきとした治療と、心地よい声にいつの間にかぼーっとしながら彼女を見つめていた。


 ――


「おっしゃ! 出来た!」


 僕はその一声にはっと我に返り、自分の左手を見つめた。


 なんだこれは。僕はいつの間にか骨折でもしたのだろうか。さっき確か絆創膏って言っていた気がするんだけども。なぜこんなにも包帯ぐるぐるになっているんだ? それにどう見ても不自然に膨れ上がり、巻き過ぎている……!


「あの、これは……」

「どうだ! ばっちりだろ!!」

「いや、あの……」

「はーー楽しかった! 今日の私は超ミラクルスーパーご機嫌なんだ! それにほら、私ってこんなんだからさ、学校じゃストレス溜まりまくってな!! 話聞いてくれてありがとな! 立石!」


 堕天使ルシファーな『最上まこ』が屈託くったくのない豪快スマイルをこちらに向けて僕の名前を言っている。


「お前の顔色って器用だな」


 どうやら、僕の顔が青から赤に変わったことを察知したようだ。意地悪な顔を少し浮かべ、下を向いた僕を覗くように笑いかけてくる。


 ……大天使ミカエルな『最上まこ』を時々混ぜるのはやめてくれ……!!


「私、先に戻るわ。じゃ、またな!」


 まるで竜巻でも過ぎ去ったかのように彼女は教室へ戻っていった。


 僕はシーンと静まり返った荒れた保健室でポツンと一人佇んでいた。


 はっきりシンプルに言おう。


 ……幸せだった。



 その直後、戻ってきた先生に僕だけすっごく怒られたということを除いては。

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