第10話 毒 其の参

 サトがこの町を、きな臭いと思ったのは、町の入り口の門をくぐったときだった。


 もわ、と鼻に触れる、こもったような臭い。すぐに慣れはしたし、死人を見たあとは、死体が腐った臭いなのだろうと思っていた。


 だが、隼人と町人らしき人々とのいさかいが気になり丘の麓に来たときに確信した。この町には、水路がない。水路がなければ育てるのが難しい作物が植えられ、案の定枯れている。


 隣町との間を隔てる山には、湧水があった。そこで水を汲みもした。それなのに、この町にはなぜ水が来ないのか。


 山の前に、不自然に存在する小さな丘と、そこからに矢を射掛けてきた武者と老人。もしその丘が、人工物であったなら。この町は、水をめぐる争いに負けたのだろう。


 水が枯らされ、衛生環境が悪くなって、たちまち疫病が流行ったのだろう。気になるのは、隣町の対応だった。


 この辺りは、同じ領主の勢力圏のはずである。小さいとはいえ農村が一つ廃村になれば、年貢という収入が減る。困るのは領主である。


「あんたらの家族、危ないんちゃうの? まだこのことが、領主さまにバレたらマズイやろ?」


 病が流行ることまで、彼らの想定内だったかどうかはわからない。ただ、領主の知らないところで、水面下での勢力争いが行われているとしたら。


 さすがのサトも、手に汗を握る。大きな賭けだ。確証を持てないままに立てたぼんやりとした輪郭の予測が、当たっていなければ、確実にこちらに敵意を向けており、圧倒的な力の差がある彼らに敵わない。


 ふん、と老爺が笑った。嘲笑を含み鼻で笑ったーーように見せかけて、顔にほのかに赤みがかかる。心の臓が、ドクドクと高鳴っているに違いない。言葉は誤魔化せても、肉体は正直だ。


「物語を作るのが得意なようだな。宮に仕える楽人にでもなったらどうだ、才能があるぞ……まぁ、お前のような下賤のものでは宮に近づくのも憚られよう」


 声がうわずっている。そして、動揺は後ろにも伝播した。


「おいーー俺たちの妻子は無事なんだろうな」


「味方になれば土地をやると言ったが、こいつが本当に領主を廃することができれば、の話だ。こんな小娘に見破られて、大丈夫なのか」


 こそこそと隣り合う者たちが小さな声で話し合っている。その全てがサトに聞こえたわけではないが、少なくとも「当たらずとも遠からず」ということは把握できた。


 反乱や下克上は、する方にも相当の勇気がいる。いままでその土地を統治してきた一族に勝る、権力の正統性が必要だ。反乱者は系譜をでっち上げてでも正統性を欲しがるが、本人の人心掌握が十分でなければすぐに計画は頓挫する。味方に背中を斬られるのだ。


 サトは、都において、そんな人々を多数見てきた。そのたびに家を追われ、火に焼かれる庶民たちも。争いは迷惑極まりないーーが、自分たちに向けられた敵意を逸らすには、敵に内部分裂してもらった方が都合がいい。


「ええい! なにを狼狽している。不当に奪われた地を私の手に取り戻さねばならぬ」


「いや、あなたに土地を安堵してもらわなくても、俺たちは今の領主から領地を得ている」


「私があやつから力を取り戻したら、より多くの土地をやると……」


 口論が始まった。武器を持つ人の集まりだ、すぐに人死にが出るだろう。そんな場所からはとっとと離れるに限る。


 権力をというからには、元々この一帯を治めていた人間なのだろう。正統性に関しては申し分ない。それでも、人は危険を伴うよりは、不満はあれど現在の安寧が続くのを願う。あの老爺もまた、敗者なのだ。


 サトは振り返った。


 ーー隼人が、いなくなっていた。

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