生まれ変わった、世界にて

柿咲三造

第1話 目覚めは、森の中にて

 風が、吹いていた。

 少し肌寒いが、なぜか気にならない。そうだ、暖かな光がなでているおかげだと、赤毛の少年は、手を伸ばす。

 暖房のスイッチを、切ろうと。

 すると、何か湿気って、ごつごつしたものが手を触れた。と言うよりも、地面に腹ばいになっていたと、ようやく目を開けた。


「ここは………」


 森の中だ。

 それは、わかる。木の根っこの密度と、真っ暗ではない程度の暗闇が教えてくれた。それでも、理解の助けにはならないのだ。

 森の中なのは分かるが、だが、どこだと。

 そもそも、自分は誰だ?


「っ………頭を、どこかにぶつけた――」


 言葉は、途中でさえぎられた。

 自分の声ではないと、思わず、その口をふさいだ。そして、もう片方の手には、水晶が握られていた。

 少年の手にちょうど納まる程度の、光り輝く………その光は消えつつあった。

 改めて、水晶を見つめる。


「そうだ、この水晶に願ったんだ。オレたちは………」


 右手の水晶を、水晶に映る自分を見つめて、しばし時間は停滞する。その様子は、珍しいものを見つめる好奇心が旺盛おうせいな、少年の姿だ。

 だが、その姿に違和感を覚える人物が、ここにいた。

 少年、自身だ。


「ユーメル先生、オレ、生まれ変わったみたいです………」


 その原因である水晶と、水晶に映る、見知らぬ少年になった自分と、見詰め合う。

 どれほど、そうしていたのだろう。少年の耳に、心を落ち着かせる、せせらぎの音が聞こえてきた。

 喉が、渇きを訴える。

 己の腰から水筒が下がっていたなどと、知りようもない。自分の体では、なかったのだから。よろよろと、本能の命じるままに、水辺へと向かう。

 寒いくらいだと思っていたが、どうやら暑いらしい。ぽたぽたと、水辺にしゃがんだとたんに、頬から汗が滴り落ちていた。

 この季節にかぶる、わらで編まれた幅広の帽子も、今は蒸し暑い。

 外そうとしても、くくりつけられたひもは、片腕ではうまく外せない。思い通りにいかないと、苛立ちが募る。

 水晶を置けばいいものを、思いつかないほど、手にしっかりとへばりついていた。

 そして、落ちた。

 バランスを崩し、緩やかなせせらぎに、落ちてしまった。

 冷たい刺激が心地よく、喉にしぶきがふっと優しく触れただけで、どれほどの幸福を味わえたのか。

 すぐに、もう十分だと、両手を伸ばして暴れだす。

 そこへ、救いの声がもたらされた。


「………サイルーク、おまえ、何やってんだ?」


 救いと言うか、あきれたという、少年の声だった。

 髪の毛はブラウンのぼさぼさで、いかにも元気いっぱいと言う見た目の少年が、あきれて、何をやっているのかとたずねているのだ。


「ゴボ………ゴボゴボッボボッ………ゴボボっ!」


 必死に訴えるが、同時に発せられた言葉は、水を飲み、苦しくなるばかり。

 それでも思う。

 通りすがりであっても、もう少しこちらの苦境を理解してくれと。

 おぼれているのだ。

 コツンと、かかとやこぶしが地面に当たる。川の底なので、川底だ。小石に、じゃりっとした感触があり、こすれて痛かった。

 冷静に考えれば、分かったはずだ。川底に当たっているのだから、すぐにでも、起き上がれると。気付かないのは、おぼれている証である。

 気付くのは、見守っている少年であった。


「サイルーク………とりあえず座っとけ」


 マヌケな友人を、じっとりと眺めるような物言いであった。

 そのマヌケな友人とは、間違いなく自分のことだと、赤毛の少年は思った。おぼれながら、激しい違和感も、付きまとう。

 サイルークとは、誰のことだと。

 水晶を握り締めたこぶしが、暴れた勢いで、強く、水底を殴った。手の指が川底をこすって、痛みが走る。

 だが、少しだけ呼吸が楽になった。バランスが取り戻されて、上半身をゆっくりと起こす。

 そう、腰までお湯を張ったバスタブに横になっただけの………


「ゴボ………ごほっ、ごほっ………」


 少年は、咳き込みながらも、水面から上半身を起こす。

 どっしりと水底に座れば、あれほど顔を上げることに苦労していた川の水面は、お腹の位置にあった。


「ごほっ………けほっ」


 赤毛の少年は、わざとらしく咳き込んだ。

 ひざまでという浅い川といっても、危険である。洗面器の水でも、人は溺れ死ぬことが出来るという。

 すでにその心配はない、腰を川底に落ち着け、川の流れに逆らっていた。

 ゆらゆら、くるくると翻弄され続けているものの、命の危機は消え去った。今はただ、体面を保つために、咳き込んでいた。


「あぁ~あ………そんなにびしょぬれになっちまって………今度は親父さんたちに、なんて言い訳をする気だ?」


 言い訳?

 親父さんたち?

 いったい何の話なのだろうか、今の状況を改めて理解しようとして、激しく動揺することになる。

 水面に移った己の顔から、水晶玉へと視線を移す。


「願いをかなえる力………あれから、どうなったんだ」


 水晶に映る少年の姿に、かつての自分の姿が重なった。戦いに敗れ、死を待つばかりだった自分達の姿が………

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る