カプチーノ・ファミリー(3)


 街の警備ロボットにつかまった智恵は、アルテミス市警に保護された。警察は少女の名を聞きだすと、すみやかに児童養護施設と連携し、彼女を『月うさぎ』へ送りとどけた。


「智恵ちゃん!」


 深夜になっていたが、『月うさぎ』のロビーは煌々と明るかった。子ども達と一緒に待っていた安藤夫人は、駆け寄って智恵を抱きしめると、警察の人に深々と頭を下げた。智恵は大人達のやりとりを後目しりめに黙って階段をのぼり、自室へ入った。

 智恵が着替えもせずベッドに突っ伏していると、ノックの音がした。憂鬱な気持ちで扉を開く。

 幹男ミッキーがいた。仏頂面ぶっちょうづらをした少年は、両手に持ったトレイを彼女の前につき出した。


「なに……?」


 甘い香りに不意をつかれ、智恵は戸惑った。トレイには、ブルーベリー・ソースのかかったチーズケーキとカフェ・オレが乗っている。優しい湯気に頬を撫でられて口の中に唾がわき、少女は空腹だったことをおもいだした。


「気が済んだのか?」


 智恵がおずおずトレイを受け取ると、幹男が言った。これまで彼と殆ど話したことのなかった智恵は、呼吸を止めた。

 少年はじろりと彼女を睨み、低い声で続けた。


「お前の親がどんな奴だったか知らないが、今のお前が自分を傷つけていい理由にはならない」

「……怒らないの?」

「怒っている」


 幹男は彼女から視線をそらした。


「おばさんは、本当に心配していたんだ。交通事故に遭ったんじゃないか、道に迷って帰れないんじゃないかって。……おれとアニーも怒っている。子どもを狙うは大勢いるんだ。そんな奴に連れ去られたら、助けられない」

「捜した、の?」


 智恵は、彼が昼間と同じ服装でいることに気づいた。幹男は踵を返しながら顎を振った。


「おれ達はいい。おばさんに謝っておけよ。それを食べた後でいいから」


 そう言うと、彼は去って行った。智恵はチーズケーキを見下ろして、しばらく考えた。




「ねえ、母さん。あの子、施設に帰した方が良くない?」


 智恵がトレイを手に食堂へ入ると、安藤夫人は四人の子ども達とテーブルを囲んでいた。マーサが安藤夫人の隣にすわり、養母を慰めている。


「智恵ちゃんは、私たちと暮らしたくないみたい……」

「そうね。それがあの子の本心なら、仕方がないかもね」


 安藤夫人はぐすっと洟をすすり、うなずいた。


「マーサ。里親制度はね、私たちがあの子の社会性を試すためにあるんじゃないのよ。智恵ちゃんが私たちを試すの……信用できる人間か、安心できる相手か。同じ家に住んで生命を預けるに足る人物か、ということを」

「…………」

「だから、智恵ちゃんが私たちを信頼できないなら、仕方がないのよ」


 智恵が気まずい思いで立っていると、アンソニーが気づいた。続いて幹男も。アンソニーは智恵に近づき彼女のトレイを預かると、テーブルへと促した。安藤夫人が立って迎える。

 トレイがアンソニーの手から幹男へ渡るのを横目に見ながら、智恵は口ごもった。


「あの……信じていないわけじゃないの。ただ、その……。心配させて、ごめんなさい」


 安藤夫人は首を振り、智恵の前にしゃがんで少女と目を合わせた。


「智恵ちゃん。おばさんとゲームをしてくれない?」

「ゲーム?」

「そう……。おばさんは、智恵ちゃんの本当のお母さんにはなれないわ。誰も、本当の家族には。だからゲーム、劇でも遊びでもいい。ここにいる皆で、家族のふりをするのよ」


 智恵は、ぐるりと子ども達を眺めた。マーサ、洋二、アンソニー、幹男を順にみて、安藤夫人に向きなおった。


「メリットは? あたしがそれに参加したら、何かいいことある?」


 少女が意地悪くたずねると、安藤夫人は微笑んだ。


「そうねえ。みきちゃんの作るお菓子を、毎日食べられるわ」


 智恵が思わず振りかえると、幹男は自分をゆびさし「えっ、おれっ?」と呟いた。隣のアンソニーが、もごもごと申し出る。


「いじめられたら、俺が学校にのりこんでやるぞ」

「宿題なら教えられるよ……僕で良ければ、だけど」


 洋二が気弱そうに告げた。

 マーサはすうっと息を吸い込み、両手を体の後ろにまわした。もじもじと肩を揺らし、やや頬を赤らめた。


「お化粧したり、服を交換したり。ショッピングや映画やライブに、一緒に行ってくれる妹、私、欲しかったんだけどなあ」

「……いいわよ」


 智恵は、くすりと笑った。


「つきあってあげる。でも、飽きたらやめるからね」



               ◇



《いつもご利用下さりありがとうございます。本機は間もなくDIANAダイアナSTATIONステイションに到着します。お降りのお客様は、御忘れ物のないようご注意下さい。降り口は右側、第十五番ホームに到着します。停車時間は二十分です》


 眠っていた智恵は、車内アナウンスを聞いて目覚めた。時計を確認して欠伸をかみころす。バッグの中身をたしかめ、記憶を整理する。

 あれから十年――


 大人になった今、智恵は理解している。父は優しかったわけでも、立派でもなかった。母の病気が近所の住人に知られることをおそれ、医療スタッフの介入を拒否していた。訪問看護やリハビリテーションなど、母のためにできることは沢山あったのに。家事ロボットやAIなど、自分と智恵の負担を減らす方法を全く選択せず、抱えこんだ挙句にぜんぶ投げ棄てた。何より――これを考えると智恵の心は凍るのだが、認めないわけにいかない。――『精神疾患にかかった女の産んだ娘』を、父親として守らなかった。

 養子縁組についても、後で知ったことがある。養子として望まれるのは三歳以下の乳幼児が殆どで、智恵のように十三歳という難しい年齢の女子を迎えてくれるケースは珍しいと。


 十年の間にマーサと洋二は結婚し、安藤夫人を継いでホテルの経営を始めた。アンソニーは家業を手伝っている。智恵はジュニアスクールを卒業すると、銀河連合のアストロノウツ特別訓練校へ進学し、第三軍へ所属した。幹男ミックと同じ進路だ。

 ミックに対して淡い恋心を抱いた時期もあったが、智恵は告げなかった。


(あたし達は、家族ゲームをしているんだから。兄妹のゲームを……)


 安藤夫人は、智恵のあとも数人の子どもを養子にした。ラウル星人と地球人の混血のイリスに続き、麻美と芳美の双子を迎えたときには、智恵はさすがに忠告した。


「無理しないでよ、おばさん。もう若くないんだから」


 安藤夫人は照れたように笑った。結局、智恵の兄弟は十二人になった。


(あたし達は、今もゲームを続けている)


 

 数か月ぶりに『月うさぎ』の前に立った智恵は、ライトアップされた建物を見上げて肩をすくめた。相変わらず、まっしろでふわふわで、マシュマロみたいに甘い。ロビーで群れるウサギのように。


「Hi ! アニー」

「おかえり、トモ」


 フロントの前を通り際に声をかけると、アンソニーはにっこり笑って片手を挙げた。智恵はそのまま二階を目指す。自分の部屋にもどる前に食堂へ顔を出すと、洋二とマーサが気づいた。


「あら、智恵。いつ帰ったの?」

「今よ、マーサ。おばさんは?」

「子ども達を寝かしつけているわ」


 ショルダーバッグをぷらぷら揺らす智恵をみて、洋二は悪戯っぽく笑った。


「さては、また振られたな? 智恵」

「失礼ね。振ってやったのよ」

「母さん、寂しがってるわよ。失恋したときしか帰ってこないんだから」

「マーサまで。もう、放っておいてよ」


 言いながら、この程度の会話は心地よいと感じるのだ。

 椅子にすわって脚を組み、無煙タバコをくわえていると、


「おかえり、とも


 やわらかな声とともに、智恵の前にカップが置かれた。細かく泡立てられたミルクとエスプレッソの香りがここちよい。ラテアートは動物の絵だ。


(人のために何かするなんて、意味がないのに……。でも、)


 智恵はタバコをテーブルに置いた。スプーンを使って泡をすくいあげる。砂糖を入れないカプチーノは、まっしろでふわふわで、ちょっとビター。


「ただいま、ミック」





~『カプチーノ・ファミリー』・了~


智恵:   「ところで、ミック。これ、犬の絵?」

ミッキー:「ウサギだよ。うちは『月うさぎ』だろ」

洋二:   「ええ? ……犬かブタにしかみえないんだけど」

ミッキー:「ウサギ」

マーサ: 「無理ね。もうちょっと練習しなさいよ。これじゃあ、お客様に出せないわ」

ミッキー:「…………」

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カプチーノ・ファミリー 石燈 梓 @Azurite-mysticvalley

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