第2話

「た、助けなきゃ!」


 その女性を認めた直後、東郷は自信の身体の不調が嘘のような確りとした足取りで彼女へと駆け寄った。


「こっ…こう言うときは…こ、呼吸を確認して……人工呼吸??」


 駆け寄ったは良いが、そこから先何をして良いのかが分からなくなる。

嘗ての学校教育で、救命処置を学んだ筈であったがその詳しい手順は最早忘却の彼方。

人工呼吸が息を吹き込むこと、心臓マッサージは一定の感覚で胸部を圧迫すること。

そんなふんわりとした事しか思い浮かべられない。


「…ぅうん……」


 東郷がおろおろしていると、女性が唐突に身動ぎする。

彼女はやおら目を開けると、鋭い動作で立ち上がり、腰からナイフを抜くと東郷に対して構えた。


「ひぃっ、ま、待って下さい!べ、別に怪しいものじゃ…」


 東郷は女性に対して咄嗟に弁明するが、彼女の視線が下がるにつれて自分の格好を思い出した。

靴と靴下ジャケット装備の全裸野郎。

怪しさ大爆発。

ナイフを向けられても文句は言えなかった。


「……」


無言で羽織ったジャケットを、腰簑の様に身につけ、局部を隠す。


「待って下さい、俺は怪しい者じゃありません。」


 東郷は非常識な状況の中、非常に冷静に仕切り直しを図った。


「…いや、テメェ、無理があんだろ。」


そう、女性にツッコまれた。

現実は非情であった。


「いやいや、こ、この格好には深い訳がありましてですね!?自分としてもしたくてこんな格好してる訳じゃなくてですね!!??っぁ…ふぁれ??」


 突如、東郷はふらつき、倒れてしまう。

もう体力的にギリギリだった所で興奮し、遂に彼の身体は限界を超えてしまう。

やがて、視界も暗くなってゆき、彼に呼び掛ける女性の声も遠くなったところで、東郷は意識を手放した。




「う、うぅん…?」


 どれ程の間意識を失っていたのか。

東郷が目覚めたときには、すっかり夜になっていた。


「…これは?」


 彼の身体には、年季の入った黒いジュストコールがかけてあった。


「よう、目が覚めたか?」


 声のする方へ顔を向ければ、そこにはあの女性が居た。


「悪ぃが、少し分けてもらったぞ。」


 そう言って、彼女は東郷のペットボトルを投げて寄越した。

満タンになっていた中身の、4分の1程が減っている。


「はぁ、いえ、お気になさらず…」


 反射的に返事をする東郷。

それに対して女性は小さく鼻を鳴らし、何かを取り出した。


「代わりと言っちゃぁ何だが、ホレ。全部は食うなよ?」


 女性から何かが投げ渡される。

東郷はわたわたと、慌ただしくそれをキャッチした。

月明かりの中で見たそれは、恐ろしく硬いパンの様であった。


「あ、ありがとうございます。」


 東郷は礼を言い、そのパンを千切ろうとするが、あまりの硬さに上手くいかない。

それを見かねた女性は、ため息をついて東郷に近付き、ナイフでパンを二口分程切り取って東郷に渡した。

その時、初めて女性の姿をはっきりと認識した。


 スッと通った鼻梁、鋭い目付きに涼やかな口元、日に焼けた肌は健康的と言うよりも野性的という印象を抱かせる。

それに対して頭のうしろで一つに束ねられた肩まである金色の髪は星明かりの中でキラキラ、サラサラと輝き上品な、或いは高貴と言って差し支えない美しさを湛えていた。

アンティークな雰囲気の服に身を包んでいるが、すらりと伸びた四肢とその胸は暴力的な迄に女性を主張している。

これ程までに魅力的な女性を、東郷は見たことが無かった。

とはいえ、彼も酸いも甘いも噛み分けた社会人の端くれである。

女性に対して不躾な視線を投げることは…少ししか無かった。


「えっと…貴女は…」

「アイリーン。アイリーン・ライトランドだ。アイリーンで良い。」

「えっと…アイリーンさんはどうしてここに?」


 キツい塩味の恐ろしく硬いパンを平らげて一息ついた所で、東郷は女性に話しかけた。


「ギルドの依頼でな。海ゴブリンの討伐に出たんだが…」

「ちょ、ちょっと待って下さい?海ゴブリンって何です??」

「あん?海ゴブリンも知らねぇのか?子供くらいの大きさで、緑色で…」


 ココまでは、東郷が知る(勿論実物など見たことはないが)ゴブリン像であった。


「で、水掻きがあって、頭に皿が…」

「河童かな?」

「カッパ??まぁそう呼ぶ所もあんのか。で、討伐は無事に終わったんだが帰りに嵐にあってな。そこに嵐で興奮した大トビウオに体当たりを喰らって、船から投げ出された訳だ。」

「おおとびうお…」

「何だ、大トビウオも知らねぇのかよ。何だ?お前さん…一体何処から来たんだよ?」


 海ゴブリンなる推定河童が居て、大トビウオなる人に体当たりをかまして船から落とすメガサイズのトビウオが居る。

この時点で、東郷は嫌な予感がしていた。

ひょっとして、ここは自分の居た世界とは別の場所なのではないか?と。


「ええと、日本の東京です。」

「聞いたことねぇな?」

「えっと、ジャパンのトーキ…いや、東京は東京だ。」

「…いや、ジャパンとやらも知らねぇ。」

「……アイリーンさん、この辺りって何で呼ばれてます?どの国の辺りです?」

「あぁん?この海域の事か?それならロタリア海だ。国ってぇと…多分1番近いのはアルド諸島王国か?ここが何処かはっきりしねぇから、間違ってるかもしれねぇけどよ。」


 それを聞いて、東郷は頭を抱える。

何せロタリア海も、アルド諸島王国も全く知らない単語なのだ。


(ここは…ひょっとして、異世界的なアレじゃな?いや、アイリーンさんが南の孤島でコスプレと妄想に勤しむ猛者の可能性が…いや、有り得なさはどっちも変わらねー)


「なぁ。」


東郷がウンウン唸っていると、アイリーンが彼に声を掛けた。


「お前は一体何者だ?」

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