第14話

14.そしてゴールへ


 「先頭は30㎞を通過しました。これから日比谷の交差点を左に曲がり、品川方面に向かっていきます。ペースメーカーがここで外れました。先頭は優勝候補、ケニアのアモンディーと、エチオピアのソロモンです。20m離れてエチオピアのハイレマリアム、日本の伊沢が並んで追いかけます。この差はどうなのか?そして片岡はちょっと遅れました。先頭とは50mの差がついています。解説の金さん、先頭の2人はスパートしていますかね」

「意識的にはスパートしていないと思います。ラップをみても、30㎞から31㎞は3分ちょうどと、やや落ちています。どちらかというと伊沢君とハイレマリアムが、ややペースを落としたと見るべきでしょう」

「現在先頭はアモンディーとソロモンのアフリカ勢です。いずれも優勝候補の実力者、優勝争いは、アモンディー、ソロモンに絞られるのか。それでは第2中継車どうぞ」


 30㎞を通過してペースメーカーが外れる。颯太は、

「Thank you, I was helped. (ありがとう、助かったよ)」

と、ペースメーカーにお礼を言った。30㎞まで颯太たちを引っ張ったペースメーカーは疲労困憊で、沿道に外れていった。

「なんなんだ、あいつは。あんなのが日本にいたのか・・」

目の前を涼しそうに走り抜ける颯太を見て、ペースメーカーはそうつぶやいた。

「第2中継車です。先ほど天津颯太が30㎞を通過しました。29㎞から30㎞のラップタイムは2分55秒、相変わらず3分を切る早いタイムで走っています。30㎞地点での先頭との差は50秒、距離にして300mくらいの差があります。ここからどこまで追いかけていけるでしょうか。天津から5秒遅れて佐藤卓と江口勝が30㎞を通過していきました。こちらも1㎞を、3分を切るペースで走っています。大学時代の同級生、ずーとライバルだった初マラソンの2人が並走しています。この2人の戦いにも注目です」

31㎞を過ぎたところで、大野は颯太と江口の様子を見ていた。予定よりも早く、21㎞過ぎからペースを上げたことは心配だ。しかし日本人を含む先頭グループのペースが落ちなかったことを考えると、やむを得ない決断であっただろう。

「これが最後にあだにならなければいいが」

大野は少し弱気になってそうつぶやいた。天津や江口は以前の彼らとは違う。30㎞くらいで体力がつきる練習はしていないという確信はあった。しかし、今日のレースは序盤もまあまあなペースで走っている。これから先の展開は大野も読めなかった。あとは天津と江口の力を信じるしかない。大野は、颯太が目の前を通り過ぎるとき、「どうだ?」と短く声をかけた。颯太は軽く右手を挙げて、そのまま走っていく。

「コーチ、42㎞もつ、腹筋と背筋を作ったんだろ。信用しろよ」颯太はそうつぶやいた。

大野の前を江口も通り過ぎた。まだ余裕はありそうだが、これ以上のペースアップは難しいようだ。

「オーケー。江口、慌てるな。落ち着いて行け」大野は江口に短くアドバイスした。

「わかってますがな、コーチ。とりあえず、わてはこいつには勝ちよりますから」

江口は、自分の後方についた佐藤にちらりと目配せしてつぶやいた。江口は佐藤に関して、大学時代に忘れられない出来事があった。


 江口勝はO大学、佐藤卓はJ大学の卒業で、どちらも陸上、駅伝では有名校であり、箱根駅伝などで何度も優勝をしている。大学生の大会で、世間一般に知られているのはなんと言っても箱根駅伝、その次は出雲駅伝や全日本大学駅伝であろう。駅伝の大会はテレビ報道などがあり、世間の注目も集まるが、日本学生陸上競技対校選手権大会(インカレ陸上)は学生にとっては重要な大会にもかかわらず、世間一般には知られていない。陸上総合ナンバーワンは、大学の対抗戦でもあるインカレ陸上を制した大学に付与される。しかし競技者はともかく世間的には知られておらず、それがニュースになることはほとんどない。したがって大学でも、とにかく駅伝に勝てば世間に注目されることができるので、自ずと注力されることになる。江口と佐藤の2人は同級生であり、インカレの長距離、10月の出雲駅伝、11月の全国大学駅伝(愛知県の熱田神宮から三重県の伊勢神宮までの間で争われる)、1月の箱根駅伝などでは互いにしのぎを削ってきた。いや、結果的には世間では佐藤が圧倒したと言われている。しかしそれはたった1回のレースで言われてしまった感がある。


 江口勝は、大阪の高校を卒業。高校時代から長距離界では有名な選手で、「なにわのスピードスター」と呼ばれていた。高校時代は、大阪の大会でも近畿の大会でも、出る種目はぶっちぎりで優勝していた。鳴り物入りでO大学に入り、大学1年生から箱根駅伝の選手に抜擢されるほど、当時から実力のある選手であった。1年の時は、箱根の1区を走って区間5位であったが、その後も順調に力をつけて2年生ではチームのエースとなり、その後も出場選手全体でも注目される選手の1人であった。一方、佐藤卓も高校時代から注目され、「東の佐藤、西の江口」と高校陸上界の関係者は呼んでいた。佐藤もJ大学で、1年生の時から実力を発揮した。高校時代は江口と佐藤はそれほど差が無い、あるいは江口が上と思われていた。と言うのも、高校インターハイの5000m決勝では江口が佐藤に勝って優勝していたからである。しかし大学に入ってからの佐藤の伸びは驚異的であった。駅伝でレギュラーに抜擢されてから、自信もつけて、以後は常にレギュラーに定着した。大学の監督との相性も良かったのだろう。佐藤はトラックでも10000mのタイムを伸ばし続け、持ちタイムは同学年で常にトップであった。世間はこの2人の駅伝での対決を見たがったが、不思議と箱根駅伝のみならず、他の駅伝でも2人の直接対決はなかった。しかし、ついに2人が直接対決をするときがやってくる。お互いに4年生で最後の箱根、その3区が2人の最初で最後の直接対決になった。世間も注目したその対決は、江口にとって生涯忘れられないものになったレースである。


 この日は江口のいるO大学のチームは好調で、1区では3位、2区は外国人ランナーが区間1位の快走を見せた。ここでトップに立ったO大学は、チームの理想どおり、3区の江口にトップでたすきを繋いだ。箱根の3区は戸塚中継所から平塚中継所の21.4㎞で、前半3分の1が下り、その後は平坦な道が続く区間である。箱根駅伝では、後半に坂道もあり距離の長い2区が長い間エース区間とされ、「華の2区」などと呼ばれている。箱根の山を登る名物の5区とともに、この2つが長い間、勝負を決定する区間とされてきた。それに対して3区はつなぎの区間と言われ、余り重要とされてはいなかった。しかし、最近では3区がレースの流れを決める区間であると考えられ、意外とタイムの差が付きやすく、エースをこの区間に持ってくる大学も多くなった。江口は文字通りキャプテンで、チームのエースだ。佐藤も当然J大学のエースであり、奇しくもO大学、J大学ともに、エースを3区において勝負をかけたというかたちになった。トップでたすきをもらった江口には、当然このままトップでたすきを4区の仲間に渡すことが求められている。3区のたすきリレーの時に、2位との差は55秒、ライバルのJ大学、佐藤卓との差は1分43秒と告げられた。

「よっしゃ、この差なら大丈夫や」

江口は、佐藤との差が1分43秒と監督の乗る車から告げられ、これなら逃げ切れるとふんで、あせって自滅しないように走って行く。特に3区は海に出るまでの下り坂で、スピードを上げすぎると、その後は平坦な道路でもスピードが上がらないで苦しむことがある。それを頭に入れて江口は、前半は飛ばしすぎず、後半は失速しないように注意した。それでも常に1㎞を、3分を切るペースで走ることは忘れない。江口はチームのキャプテンとして、区間賞も自分の成績も捨てて、確実にトップでタスキをつなぐことだけを目標にしたのである。江口はこの日好調で、設定したペースで快調に走り、狙いどおりのレースをしていた。いや、していたはずだった。想定外のことが起こるまでは・・

区間も後半になって、もう4㎞足らずで中継点という時、後方から歓声が迫ってくる。ぎょっとして少し振り返ると、佐藤が猛然と迫ってきていた。

「そんなあほな。ありえへんやろ・・・」

江口には現実が信じられなかった。自分のペースは決して遅くない。むしろ理想的な走りをしてきたはずだ。佐藤が自分に追いつくには、江口のペースより1㎞あたり6秒近く速いペースが必要である。1㎞、2㎞だけなら可能性があるが、17㎞以上もそのペースを続けてここまで来たのか。

江口の動揺は明らかだった。駅伝ではチームの勝利が第一である。これではいけないとスパートする。しかし予定にないペースアップは長く続かず、あっという間に佐藤に並ばれ、前に出られてしまった。その後、佐藤も疲れたため、佐藤の方もそれほどスピードアップはできなかったが、中継点では15秒の差をつけられ首位を逆転されてしまった。佐藤は、この3区の区間記録を大幅に更新する区間新記録を打ち立てた。

佐藤の活躍で首位に躍り出たJ大学は、そのまま勢いに乗り、往路優勝を果たす。江口はこの区間全体の2位であったが、エース対決で負け、トップを守るというキャプテンとしての責任も果たせなかった。まさに屈辱の2位であった。


 「佐藤・・・わては義理堅い男や、そやさかい、借りたものは忘れへんで。今日それをきっちり返したるからなー」

闘志に火をつけた江口は、またレースに集中した。


 天津さやかも30km過ぎの地点で応援していた。銀座のあたりは人が多すぎて、とても選手の様子は見られない。そこで、もう少し先の日比谷まで来たのだが、ここでも多くの観衆がいる。

「こんなに人がいたのでは、颯太は私のことが分からないだろうな」

あまりの人の多さにため息まで出たが、仕方ないのでここで頑張って応援をすることにした。

 大歓声とともに先頭の外国人2人が通り過ぎる。何というスピードなのか。本当に自分の力だけで走っているのか?と思ったが、すぐに後続のグループがやってくる。そして颯太がやってきた。素人のさやかの目にも分かる、軽やかな走りだ。他の選手が必死に走っているのに、颯太だけ楽に走っているように見える。顔は真剣だが、「楽しそうだな」と思った。

「颯太―。がんばれー」

力の限り叫んだが、周りの大歓声にかき消されて、おそらく聞こえてはいないだろう。

「気持ちだけは送ったからね」

前日に30kmあたりと、ゴール付近で応援すると言っておいた。このあたりで応援していることは分かっているので、自分がこのあたりのどこかにいるとは思っているのだろう。

「悔いのないように、あなたの力を出し切って!」

これから先の厳しい戦いに、少しでも力になればと、さやかは祈った。


 前を行く片岡に、颯太の履くウイングオブフットが迫る。あっという間に横に並んだ。片岡もついていこうと、ペースを上げたが、すぐにおいていかれた。これで颯太は5位に上がる。日本人としては伊沢に次いで2位だ。しかし、いまや誰もが颯太の快走がここで終わるとは思っていなかった。それは観衆の反応が一番よく物語っていた。

「天津―、まだいけるぞー。頑張れー」

「負けるなー。いけー」

沿道から大声援が飛ぶ。

「天津颯太の快進撃が続きます。31㎞から32㎞のラップは2分54秒。ペースは全く落ちません。前を行くエチオピアのハイレマリアムと、日本の伊沢の背中が見えてきました。明らかに差は詰まっています。沿道の大声援を受けて天津が快走しています。さあ、天津、この2人もかわしてトップまで迫れるか。ゴールまであと10㎞足らずの勝負となりました」

「さて、ここで、天津と江口の神奈川電産コンビが履いているシューズについて、視聴者の皆様から「あのシューズは何だ」と当局に問い合わせが殺到していまして、番組としまして急遽、神奈川電産に問い合わせをしました。彼らが履いている青いシューズは、Aスピード社の「ウイングオブフット」というものだそうです。Aスピード社の「ウイングオブフット」です。詳細が分かればまたお伝えします。ウイングオブフォット、足の翼ということでしょうか。天津颯太、まさに翼が生えたような走りです」

実況の小田アナウンサーが続ける。

「天津颯太は、2年目の別府大分毎日マラソンで10位に終わり、MGC本線の出場も逃しました。それから国内外の本格的なマラソンのレースは走っていません。最近のハーフマラソンの大会では比較的好成績を上げていましたが、この東京マラソンでまさに不死鳥のように復活してきました。金さん、天津のここまでの走りについてですが、その秘密は新しいシューズなのでしょうか?」

「まあ、そういう事も少しはあるかもしれませんが、シューズを変えたからといって、これだけの走りはできません。もともと天津君は、無駄のないきれいなフォームでしたが、今日はそれに安定感と、力強いしなやかさが加わっていますね。後半になっても全くぶれないフォームにそれが表れています。おそらくそれを可能にする肉体改造、走り込みなどのトレーニングをしてきたんじゃあないかと思います。こうして、他のランナーと比較すると、まるで天津君の周りだけ重力が弱まっているかのような走りですね」


 ここ新宿区信濃町は、マラソンコースでもないので、今日は比較的静かであった。「ヤマダスポーツ信濃町店」は、比較的以前からあるスポーツ店である。このところのランニングブームで、神宮外苑などをランニングする市民ランナーたちが多くなったため、彼らが帰りにこの店に立ち寄ることも多い。彼らは主にランニング用のシューズやウエアーなどを買いに来るので、最近はランニング用グッズを多く取りそろえるようにしていた。東京マラソンは今頃先頭がゴールした頃かな?みんなテレビとかで見ているだろうから、今日はマラソンが終わるまでは市民ランナーの客は来ないだろうな。ヤマダスポーツ店員の今西は、10時に開けた店のグッズを整理しながらそんなことを考えていた。すると店の電話が鳴った。

「はい、ヤマダスポーツ、信濃町店です。あ、はい。Aスピードの、「ウイングオブフット」ですか?・・・それはありますが、サイズは?あ、はい。ちょっと確認してきます」

「えーと、そのサイズはありますが・・・夕方までに買いに来るから取っておいて欲しい。わかりました。すみませんがお名前を伺います」

電話を切って一息ついたとたん、また電話が鳴った。

「はい、ヤマダスポーツ、信濃町店。はい、Aスピードの、「ウイングオブフット」ですね。サイズをお聞きしてもいいですか」

その客の注文を聞いて、電話を切った後も、立て続けに電話が鳴った。


 江口勝と佐藤卓は、32㎞の地点で激しく争っていた。30㎞から32㎞は1㎞を3分5秒前後と、これまでよりややペースを落としたものの、周りのランナーと比較すれば、この後半に来てかなり速いペースである。30㎞からの2㎞はどちらが前に出るわけでもなく、お互いに並んで走っていた。風よけの事とか、相手の様子をうかがって走るには、後ろについて走った方が有利である。そんなことは2人ともわかっていたが、お互いに意地でも前に出させまいと張り合っていたのである。こうなると下がった方が精神的に負けである。

「くそー、佐藤のやつめ、しぶといやないか」

江口は、ここにきて息苦しさを感じていた。まだ10㎞近くもある。心拍数は跳ね上がり、酸素が取り込みにくくなっている。「またしてもこいつに負けるのか」という気持ちがよぎった。追い詰められそうになったその時、江口は隣の佐藤を見た。

佐藤は大きく口を開け、首も若干揺れている。今までにはなかったことだ。

、佐藤。おんどれも、いっぱいいっぱいなんやな」

佐藤も余裕がないと思った江口は、少し冷静になった。今の状況は、佐藤も苦しいが、かといって自分も余裕があるわけではない。

「そういえば、天津さん。どう言とったかなー。最小限の力で楽に走る方法は・・・そや、まず手は赤ん坊の手を握るように、優しくふぁっと握るんや。肩と肘は力を入れず自然な角度で。足は、けつで地面を蹴るイメージやったかな」

これが気分転換になる。フォームを取り戻した江口は少し楽になった。佐藤より1m前に出る。江口はスピードを緩めない。3m前に出た。5mに広がった。佐藤に追いつく気力はもうなかった。

「感謝するで、佐藤。おんどれのおかげで、限界を超えることができるわ」

チームペガサスのもう一つの星が躍動していた。


 一方颯太は伊沢とハイレマリアムの3位グループをとらえていた。

「さあ、天津颯太。ハイレマリアムと伊沢をとらえました。その差は2秒、現在33㎞すぎの地点です。さあ天津並んだ、そして一息つくこともなく前へ出ます。離されまいと伊沢がついていきます。ハイレマリアムは・・・つけません。2m離れました。天津と伊沢、今日本人2人が3位争いをしています。天津、積極的に前へ出ます。伊沢はピタリとその後方につきました。さあ、後方集団から、すい星のごとく駆け上がってきた天津と、常に先頭グループにいた伊沢、日本人2人が3位争いをしています。これは単なる3位争いではありません。この東京マラソンでは世界陸上の切符がかかっています。この大会で日本人1位は自動的に世界陸上の切符を手にすることになるのです。したがって、どちらも負けられません。さあこのあとどういったレース展開になるのでしょうか。東京マラソンは全く分からなくなりました」

天津が伊沢に追いついた時、天津は伊沢につぶやいた。ほとんど声にしてないので聞こえはしないだろうが、その言葉は伊沢に伝わった。

「伊沢、待たせたな。ようやく追いついたぞ」

「天津、日本人の中で俺の前に立ちはだかるやつがいるとすれば、おまえだとレース前に思ったよ。勝負はこれからだ。俺はまだあきらめないぞ」


 「伊沢はついてきたか。さすがだな」颯太はそうつぶやいた。伊沢たちを一旦抜いてからこの1km、離れずに後方についてきている。伊沢もまだ余力を残していたということだ。おそらく今は無理をせず、折を見てスパートする考えのようだ。颯太が隙を見せれば一気に襲いかかってくるだろう。

 しかし颯太は冷静だった。どうしても伊沢を振り切りたいとペースを急に上げることはしなかった。また仮に伊沢が突然スパートしても、このペースは変えないつもりだ。しかし颯太は一瞬横に並んだ時の伊沢の表情、足の運び具合などから、伊沢がこのスピード以上にスパートはしてこないと確信していた。

「俺がかなり無理をしてペースを上げているとみて、どこかで俺が息切れするのを待っているんだろうな・・・しかし残念だったな、伊沢、俺はまだトップギアではないぜ」

颯太のスピードは全く落ちない。極端には上げようとしないが、1㎞を正確に2分55秒前後で刻む。34㎞から35㎞まではさらにペースを上げてきた。

「天津のペースは落ちそうにない。これはスパートではないんだ」

近くで走っている伊沢は、その走りや息づかいなどから分かった。やがて伊沢は次第に後方へ離れていった。

「あいつは化け物か?この2年で何があったというのだ」伊沢はそうつぶやくしかなかった。


 先頭グループは日比谷通りを南下し、徳川家の菩提寺として有名な増上寺の前を通って、JR田町駅前を通過した。そして高輪ゲートウエイ駅の手前あたりが35km地点である。

「さあ、先頭は35kmを通過しました。先頭はケニアのアモンディー。1時間42分49秒、この5kmは14分58秒かかっています。第2位はエチオピアのソロモン、1時間42分58秒。アモンディーとの差はおよそ50mです。そして、そして、日本の天津颯太。今35kmを通過しました。1時間43分11秒。アモンディーとの差は22秒、距離にして120mほどです。天津、この5kmでもさらに差を詰めました。レース後半の、この5kmを14分31秒と驚異的なペースで走っています。ソロモンをとらえるのは時間の問題か。果たしてトップのアモンディーに追いつけるのか。しかし、アモンディーのペースもそれほど落ちてはいません。レースはまだ7㎞あります。さあ、苦しいのはどっちだ。金さん、天津の走りはどうですか」

「はい、ここに来て信じられないスピードです。さすがにここまでハイペースで走ってきて、疲れがないことはないでしょう。しかし、天津君ストライドはまだ伸びています。それに、このままいくと、とんでもない日本記録が出そうですよ」

「そうなんです。そうなんです。優勝争いもさることながら、日本新記録の期待も大きく膨らんできました。現在の日本新記録は伊沢隼人がこの東京マラソンでつくりました2時間5分12秒です。その伊沢を置き去りにして、現在天津颯太、日本記録を上回るタイムで走っています。しかも35㎞を超えて、現在のところ、天津颯太、1㎞をどの選手よりも早いラップで走っています。さあ、この東京マラソンで5年ぶりの日本人優勝者はでるのか?そして日本新記録は出るのか?あと7㎞の戦いです」

35㎞を過ぎ、第一京浜を品川駅手前で折り返す。これから再び、芝、日比谷などを通って、フィニッシュ地点の東京駅に向かう。さすがに颯太も疲れを感じてきた。なにしろ21㎞くらいから、想定を超えるハイスピードで走ってきて、ここまで来たのだ。しかし、まだ足は動く。それにこの大声援が背中を押す。ゴール付近にはコーチや、さやかが待っているはずだ。颯太は集中した。ここで気負ってはいけない。余計なことを考えると無駄な力が入り、体力を消耗する。ここは、むしろ力を抜いて、流れのまま走るのが良い。苦しいと思うな、しっかり呼吸をすれば大丈夫だ。そう言い聞かせて、給水を取り気分転換をする。

「まだ大丈夫、リラックスだ」

おそらくすべてのスポーツにおいて、いわゆる力むことは失敗につながる。陸上競技においても、たとえ100mの短距離走にしても、力任せに走ってもタイムが出ない。運動は筋肉の収縮と弛緩の繰り返しによってなされ、それがスムーズに移行しなければ最大の力が出ない。水泳などがわかりやすいが、上級者がゆっくり泳いでいるようで、実は速いということが起きるのだ。

コーチの大野が言っていた。

「天津、苦しくなったら、早く走ろうと焦ってピッチを上げてはいけない。力を入れて無理に足を動かそうとしても速くは走れないんだ。そんな時はむしろ足をゆっくり動かせ。苦しいときほど無駄な力は一切抜いて走れ。そうすれば、スピードが落ちることはない」

颯太は、コーチの言葉を思い出し、いつも走っているフォームを崩さないことだけを意識した。あとはこの体幹とウイングオブフットが足を運んでくれる。

「レースは38kmを過ぎました。天津がソロモンをとらえます。その差は5秒、横から一気に追いつき、並びました。ソロモン、ついて行くか?いやいけません。天津、前へ出た。前へ出ました。そのまま引き離しにかかります。5m離した。天津、ついに単独2位に上がりました。前にいるのは先頭のアモンディーだけです。そのアモンディーとの差も徐々に詰めていきます。さあ、追いつけるか。勝負はあと4kmほどになりました」

単独2位となった颯太は、ペースをほとんど落とすことなく疾走する。


 39㎞過ぎ、トップを走るデイビッド・アモンディーは、勝利を確信していた。ここまでの走りで、めぼしいライバルは蹴落とした。もう追ってくる者はいないだろう。あとは着実に走ってゴールまで駆け抜ければよい。残り2㎞は多少手を抜いてもいいだろう。

「後は優勝賞金をがっぽりもらって、今夜はうまいもんでも食うか。日本はおいしい物がたくさんある。レース前は我慢していたが、今日はいいだろう。そして明日は東京見物としゃれこむかな」

そう考えていた時、不意に後ろから歓声が聞こえてきた。しかもどんどん大きくなる。自分にかけられた歓声ではない。ということは、自分に誰かが迫ってきているということだ。

「ばかな、ソロモンは振り切ったはずだ。俺が極端にペースダウンしない限り追いついてくるはずはない。・・・だったら、日本の伊沢か?」

アモンディーは、迫りくる歓声に、たまらず後ろを振り返った。自分を追ってくる選手が見えた。ソロモンでも伊沢でもない。アモンディーは驚きに目を見張った。

「だれだ、あいつは。あんな奴トップグループにはいなかったぞ」

アモンディーには、突然現れた颯太がまるで冥界からやってきた悪魔か死神のように見えた。確実だったはずの自分の勝利を奪わんと、迫りくる男。楽勝ムードは一気に吹っ飛んでしまった。優勝賞金も東京見物も、今はそれどころではない。何もかも奪い去る魔物が自分の背後に迫っているのだ。

アモンディーは混乱していた。アモンディー自身は、前半よりもややペースは落ちたものの、1㎞を、3分前後のペースで走っているのだ。

「なぜ追いつかれたのだ?あいつはどこからやって来たんだ」

その答えはいくら考えても分からなかったが、現実にすぐ後ろから迫ってくる敵に対して、アモンディーは予定にはなかった最後の戦いに覚悟を決めた。


 アモンディーはケニアにある小さな村で、6人兄弟の4番目として生まれた。ケニアは首都ナイロビでは比較的裕福な市民も多いが、地方に行くとまともな教育どころか、必要な栄養も十分に摂取できない子供も多い。アモンディーの家庭もその例にたがわず貧しかった。一家は食べるものもままならず、アモンディーは10歳を過ぎると、学校に行く時間も削られて働きに出さされた。15歳になると、アモンディーの父親は息子を陸上のキャンプに入れた。ケニアの陸上キャンプは、いわば陸上のプロを目指す寄宿舎で、ケニア全土に100以上もある。そこに数千人という若者がプロ選手を目指して殺到する。ここ最近ケニアは、陸上の中長距離界を席巻し、国際大会での優勝や、多数のオリンピックのメダルを取っている。その多くが、こういったキャンプの出身者である。しかしそういう光の部分もあるが、影の部分はより大きい。まず、毎年数千人の若者がキャンプにやってくるものの、お金を稼げるのは、ほんの一握りである。残りのものは一定の期間が過ぎれば、無名のまま去っていく。さらに、キャンプ自体も、有力なスポンサーが運営している所であれば、設備や食事などが整っているが、そうでなければ、その日の食事も十分でないことも多いのである。

アモンディーの父親は、「チャンスをやる」と言ってアモンディーを送り出したが、実のところは、博打のようなものだった。彼はアモンディーに陸上の才能があるかどうかもよく知らなかったのである。万一アモンディーが陸上の才能を開花させ、ヨーロッパなどの国際陸上大会で優勝するようなことになれば、莫大な賞金が手に入る。アモンディーの父親は、当然自分もその賞金のいくらかをもらえる権利があると思っていた。息子の才能は知らないが、賭けに勝てば大儲け、負けたらまた自分の村で働いて、キャンプに入れるためにかかった金を返してもらえばよい。当のアモンディーは、それでもこれは自分の人生の中での数少ないチャンスと考えていた。狭き門ではあるが、成功すればいい生活ができる。失敗したらもとの貧困生活に戻るのだが、挑戦しなくても貧困生活から抜け出せることはほとんどない。なら絶対やるべきだ。

アモンディーはケニアの田舎町の、舗装もされていない石ころだらけの道を、来る日も来る日も必死で走った。初めは食事やトレーニング施設の環境はひどいものであったが、徐々に実力が認められ、設備の整ったキャンプに移ることができた。そして運よくヨーロッパのダイヤモンドリーグへ参加させてくれるスポンサーが現れたのである。その大会の10000mで2位に入ると、そこからは大小の大会で何度か10000mやマラソンで優勝をすることができた。アモンディーは、まさに自ら道を切り開き貧困から抜け出したのである。

「子供の時からぬくぬくと育てられた日本人なんかに負けていられるか」

アモンディーは、一瞬でも油断してしまったことを反省し、自分を奮い立たせた。


 東京タワーを左手に見ながら、西新橋の40㎞地点に向かって選手はひた走る。向かい側は一般ランナーが品川の折り返しに向かって走っているので、その応援も多い。しかし今一番の大声援を浴びているのは、他ならぬ颯太だ。「いけー」「天津―」など声援が途切れることなく続く。アモンディーの背中は捕らえられた。ここからが本当の勝負だ。

「大歓声の中、今アモンディーが先頭で40㎞を通過しました。天津との差はどうか。5秒差です。天津颯太、ついに、ついに先頭を捕らえました。天津は、前半は第2グループにいました。中間点でのアモンディーとの差は200m以上ありました。しかし中間点付近からペースを上げ、その後1㎞を2分55秒前後の驚異的なハイペースで押し通すという、日本のマラソンの常識を覆す走りをしてここまできました。ゴールまであと2㎞、先頭のアモンディーは目の前です」


 東京マラソンのフィニッシュは東京駅前の通りを左に曲がり、御幸通りを皇居のほうに100mほど行ったところである。その曲がり角のところに大野春馬はいた。ラストの単距離勝負にもつれたときに、声をかけようと思ったからである。しかし、万一ここまで切羽詰まったのなら、何のアドバイスが送れるか分からなかったし、おそらく大歓声で選手には何も聞こえまい。

「もう天津を信じるしかないな。1位でも2位でも十分だ。おまえは素晴らしい走りをした」

しばらくして、遠くのほうから「うおー」という大歓声とともに先頭の選手が近づいてきた。だんだん姿が大きくなる。あの姿は・・・

神奈川電産のユニフォーム!!青いウイングオブフットが上下する。

「天津だ!天津だ!天津だ!」大野は叫んだ。

悲鳴に近い大歓声とともに、どよめきが起こる。トップランナーのスピードは、初めて見る人には想像以上に速いものだ。それに、多くの観衆は優勝候補にも挙がらなかった天津颯太がトップで来るとは思っていなかったのだろう。

「後続は?」大野は颯太の後ろを探した。

「来ない!」

この2㎞でアモンディーを抜き、引き離したのだ。アモンディーとの差は、30mはある。

「天津う―。いけー。いけー」

必死で叫ぶ大野に気付いたのか、颯太は通り過ぎるときに小さくガッツポーズをした。

「コーチ。周りの観客と言ってることが同じだぜ。最後くらいは気のきいたセリフを考えといてくれよ」

最後のカーブを曲がって、後は100mほどだ。颯太は2度ほど右手を突き上げた。

「間違いない。日本記録で優勝だ。あそこからなら俺が走っても日本記録だ」

大野は自分でも「何わけの分からないことを考えてんだ」と思った。しかしそれは30年近く前、大学生の時、インカレの800m決勝で転倒し、競技者としての夢が断たれたのを、今天津が代わりに晴らしてくれていると思ってしまったということなのか。そして大野は颯太の後ろ姿を見て言った。

「それにしても、何という軽やかで、美しい走りだ。あれが42㎞走った人間の走りか?・・・まさにのようだな」

急に大野の視界がぼやけた。涙があふれて、颯太がゴールする瞬間は見えなかった。でもひときわ大きい歓声がゴール付近であがった。花火もあがった。ゴール付近には神奈川電算陸上部総監督の吉田健二、シューズを開発してくれた橘弘幸、中村聡子。それに天津の奥さんの天津さやかもいるはずだ。そうそう、奥さんも「チームペガサス」に入れとかなきゃな。練習以外で天津を支えてくれたのだから。


 それからまもなくして、江口勝がやってきた。全体では5位、日本人では天津、伊沢についで3位の堂々たる成績である。しかもフィニッシュタイムは2時間7分台だろう。目標の2時間10分より2分以上速いタイムだ。もしかすると初マラソンの歴代1位かもしれない。江口も、大野の前で大きく手を挙げ、ガッツポーズを作った。

「江口。よくやったー。いけー」

大歓声の中、大野の声は届いたであろうか。このわずかな時間で急成長を遂げた江口の背中を見つめて、ふと大野は思った。

「もしかしたら次のオリンピックの、日本のエースはあいつなのかもしれないな」

そして大野はあふれる涙をぬぐいながら、走り出した。しかし、人が多すぎてなかなか進めない。人垣をかき分け、「すみません、すみません」と泣きながら進む。ゴールで待っている愛弟子である男たちのもとへ急ぐ。いや、今やそのうち一人は自分の愛弟子どころではなく、日本のヒーローになってしまった。

「でも、俺はあいつらのコーチであり、友なんだ」

大野は、ゴールでチームペガサスのメンバーや、報道陣にもみくちゃにされているであろう男たちのもとへ、ゆっくりと駆け寄っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

チーム「ペガサス」 神山 竜一 @chocolat1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ