雛鳥の殻破り 4

「失礼いたします。箱守ひばりとその雛鳥、森岡でございます」

 視線を落とし、左手は胸に、右手ではスカートを軽く抓み、右足を半歩引いた体制でわずかに膝を曲げながら優雅に挨拶をするひばりの斜め後ろで、見様見真似で同じように礼をする森岡。緊張のあまりバランスを崩しそうになるが、さすがにこんな大事な場面でずっこけるわけにはいかない、と根性で耐えた。


「よお、ひばり」


 入室早々、フランクに声を掛けて来たのはひばりと同年代の若い男性だった。漆黒の長髪は後頭部で一つにまとめられ、切れ長の奥二重がキリッとした印象を与える。黒いシャツを肘までたくし上げ、針金のように細く長い腕でひらひらと手を振っている。俗に言う”塩顔”というジャンルの顔立ちなのだろうが、和風な顔面とは異なり、英国紳士のような品を感じられる立ち居振る舞いに森岡は思わず目を奪われた。

西にし君!」

「久しぶりだなぁ。何年ぶりだ?」

「3年ぶりかしら。お元気そうで何より」

「そちらもな」

 どうやら二人は顔見知りらしい。はっはと朗らかに笑う西に、森岡の緊張が解けていく。

 ――貫禄はあるけど優しそうな人。よかった、面談の相手が怖い人だったらどうしようかと思った。


 西と呼ばれた男性は森岡の方へ向き直し胸に手を当て軽く会釈をした。

「遠路はるばるご足労いただきありがとうございます。ようこそ。ノクターン協会魔術師管理部門所属の西琳太郎にし りんたろうと申します」

「始めまして。森岡と申します」


「西君、協会でお勤めされているのね」

「ああ。留学から帰ってきてそのまま入職したんだ。本当は魔研に入りたかったんだけどな。まぁなんだかんだ楽しくやってるよ。ひばりはフラン・フルールを継いだんだろ?」

「もちろん。店も家業のうちですから」

「変わらないな」

 古くからの友人らしい二人は互いを懐かしみながら微笑み合っている。


 ひばりは先ほど畦地と一悶着あったとは思えない物柔らかな微笑みだ。あまりにいつも通りなものだから、森岡は余計にひばりにやるせない気持ちを抱いた。あること無いこと、嫌味や妬みを言いわれることに馴れてしまっているのだろう。それを物ともせず、背筋を伸ばし続けることがひばりにとっては当たり前で、またその姿を見た周りの者からの歪んだ視線や嫉妬心に対する抵抗こそが、ひばりを名家である箱守家の次期当主たらしめているのかもしれない。

 ひばりの本心は、一体どこにあるのか。純や森岡、魔道具や家族に見せる茶目っ気と激しさと、時折見せる孤独の感情を孕んだ顔が本来のひばりの姿であるならば、今は見事に鳴りを潜めている。

 そんなことをぼんやりと考えていると、西がすっと部屋の奥へと歩き出した。


「早速で悪いが、雛鳥を連れてこちらへ来てくれないか。先に蜀魂ほととぎすに会わせたい」

「ほととぎすって鳥の? 鳴かぬなら〜ってやつですか?」

「間違ってはいませんが、正解でもありません。さぁ、こちらの部屋へ」

 西は応接室の一番奥にある扉の前に立ち、一度チラリと二人を見た後ドアノブに触れた。そのまま扉を開けると思いきや、ドアノブに触れたまま西はその場でじっとしている。どうしたのかと覗き込もうとする森岡をひばりが肘でつんと突き、やんわりと首を横に振って制止した。こういった扉には必ずと言っていいほど仕掛けが施されているので、そういうつもりがなくとも詮索するような真似はマナー違反にあたる。

 よく見ると、扉には繊細な彫刻が刻まれている。草花が円を描くように掘られ、その中心には羽を広げた鳥が描かれていた。

 見たところ西は扉に魔力を流し込んでいるらしい。少しずつドアノブを伝って草花の模様をなぞるように、深緑色の液体のようなものが走り始めた。その液体が中央に描かれた鳥まで到達すると、キイという音を立てて自然と扉が開いた。


「中へ」


 西に促され、二人は奥の部屋へ立ち入った。壁も天井も黒く、窓のない狭い空間の真ん中に、脚付きの鳥籠が置かれている。部屋の造りは工房の奥にあった魔術を行う小部屋に似ているが、漂う空気や雰囲気がどことなく冷たく、思わず祈りを捧げたくなってしまうような神聖さを森岡は感じていた。

 一歩進み出ると、鳥籠の中には黒に近い灰色の羽を持った鳥が一羽、ブランコに止まりゆらゆらと揺れている。


「この子が蜀魂ですか?」

「正確には蜀魂の分身体のようなものです。本体はロンドンにあるノクターン協会本部にいます」

「へぇ。ロンドンに本部があるんですか」

 呑気な顔で気の抜けた相槌を打つ森岡にひばりが背後で笑ってしまいそうになるが、西がおごそかに進行をしようとしているものだから、腹筋に力を込めて耐えている。

「雛鳥、こちらへ」

 森岡は段々と”雛鳥”と呼ばれることに馴れ、西が指した立ち位置に自然と歩み寄った。鳥籠の正面に立つと、蜀魂が森岡をじっと見ていることに気づいた。その目は黄色く、宝石のように透き通り輝いている。部屋の四隅に置かれた蝋燭の火が映り込んでいるため、瞳そのものが燃えているかのようだ。

「綺麗……」


「これより蜀魂による精察を初めます」


 どこからともなく、リン……という透き通ったベルの音が鳴る。


「雛鳥は籠の横の取っ手を握ってください」

 森岡は言われた通り、両サイドにある木製の取っ手を握り込んだ。取っ手の端には蜀魂の目と同じ色をした石がついている。

「私が質問をしますが、全て目の前の蜀魂へ回答してください。嘘偽りがあったとしても蜀魂は全てを見破りますので、正直に答えた方が手間がありません」

「わかりました」

「それと、ここからは蜀魂と目を合わせ、決して逸らさないようにしてください。あ、瞬きはしてもらってかまいません。もし体調が悪くなるようなことがあれば、思いっきり目を瞑ってください」

「が、頑張ります」

 森岡は深く息を吸い込んだ後「ふっ」と短く息を吐き、蜀魂の黄色い瞳に焦点を合わせる。これから何を行うのかよくわかっていないが、まるで絶叫系アトラクションのスタート前に気合を入れて安全バーを握るように、取っ手を強く握りしめた。

 西はガラス製のベルを右手に持ち、チリン…と1度鳴らすと、質問を始めた。


「まずは名前を」

「森岡千鶴です」

「モーリーさん、千鶴さんっておっしゃるのね」

「しっ。静かにしろひばり」

 西は眉間に皺を寄せ軽くひばりを睨む。これまで黙って西と森岡のやり取りを見ていたひばりは、ついこの時まで森岡の下の名前を知らなかったことに驚いていた。ひばりは口に手を当て「うふふ」と誤魔化すと、一歩下がり森岡の様子を見守る。

 西はもう一度ベルを鳴らす。透き通った高い音が部屋中に反響していく。


「誕生日を答えてください」

「2月16日生まれです」

「時間帯はわかりますか?」

「日付が変わって間もなくだったと聞いたことがあります」

「家族構成を」

「父と母、二つ歳下の弟が1人。あ、祖母は存命ですが現在は叔母の家族と暮らしています」

「出身地を教えてください」

「東京都練馬区」

「好きな食べ物は?」

「チョコレート」

「苦手なものは?」

「怪談話」

「得意なことは?」

「料理」

「好きな場所は?」

「フラン・フルール」

 他愛も無い質問にリズム良く答えていた森岡だったが、だんたんと声が小さくなり瞼が下がってきている。ひとつ答える度に次の質問を促すようにベルが鳴る。その音が脳内で反響し、森岡の思考はぼんやりとしていく。質問に応える言葉も反射的に単語を発するだけになり、催眠術にかかるとこんなかんじなのかな、と、ふわふわした感覚を覚えていた。


「雛鳥、目を閉じてはいけません。蜀魂から視線を外さないで」

 眠いわけでも無いのに、森岡の目はどんどん細まってしまう。ひばりは固唾を呑んで森岡の背中を見つめていた。妙な緊張感から、握った手のひらがじんわりと汗ばんでいる。


「あなたが今までで一番影響を受けた人は」

「ひばりさん」


「あなたが一番大切にしているものは」

「弟」


「あなたが1番怖いと思うものは」

「……雷」


 答えた瞬間、森岡の視界に閃光が走った。思わず目を閉じそうになってしまったのをぐっと堪え、蜀魂を両目で捉える。しかし閃光の影響なのか、視界は白濁し、蜀魂の輪郭が滲んでいるように見えた。頭の中がぐるぐると回り、まるでフラン・フルールで初めてガラジを見た時のような目眩が森岡を襲う。いや、それ以上だった。天井と床がぐにゃんぐにゃんと動き、膝から下の力が抜けそうになる。


 吐き気を覚えるほどに脳が揺れたかと思うと、今度は走馬灯のように生まれてからの記憶が土石流の如く一気に流れこんでいく。弟と手を繋いで走った公園。同級生と喧嘩をして怪我をさせ、初めて母に引っ叩かれた小学生の自分。告白もしていない初恋の相手に、何故か振られてしまった自分を慰める友達の顔。弟の部屋で見つけてしまった自分の下着。うまく質問に答えられず泣きながら脱ぎ捨てたリクルートスーツ。初めて作ったまかないを美味しいと言って喜んでくれたシェフの笑顔。工房の隅で試験管を持って妖艶に微笑むひばり。

 これまで経験した記憶が一気に流れ、様々な感情が溢れ出す。完全に足元の力が抜け、よろけた瞬間にもう一度閃光が走り正気を取り戻した。

 薄い霧がかかった先で光を放ち続ける蜀魂の黄色い瞳を必死に凝視すると、肩をぽんと叩かれた。


「森岡千鶴さん、あなたの殻は見事破かれました。これにて蜀魂による精察を終了します」

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