雛鳥の殻破り 3

 一言しか言葉を発していないというのに、たったそれだけでひばりの言っていた”小物”だということがわかった。そんな人は無視していいと言われたが、さすがに一対一の状況で無視ができるほど森岡の肝は据わっていない。しかし言い返していいのか、とりあえず笑ってやり過ごせば良いのかわからない。だが、箱守家の名前が出ている手前、ことを荒立てないようにすることがこの場での最優先事項であるということはすぐに理解できた。


「取り入ろうとするっていうのは、どういう意味でしょう」

 ――しまった。思わず聞き返しちゃったけど、これちょっと喧嘩腰に聞こえてない? うぅ、失敗したかも。

「ふん、そのままの意味だ。箱守家ほどの名家であれば取り入りたくなる気持ちもわからんでもない。ノクターン協会が直接支持する”十賢族じっけんぞく”の一つだからな。一度入ってしまえば甘い蜜も吸い放題だとでも思っているんだろう」

「はぁ、あまり詳しくは知りませんが、箱守家がすごい家だというのはよくわかりました」

 ――なんだか漫画の悪役みたいなことを言う人だな。甘い蜜なんて言葉、日常会話の中で使うことはほとんど無いだろうなー。今度使ってみよう。


 真面目に聞いていると苛立ってしまいそうだったので、森岡はできるだけ男性の言葉を真に受けないように適当にあしらうことにした。

「……君はあの家の事情を知っているのかな? ほとんど状況をわかっていないような口ぶりだが」

「事情ですか。そりゃそれぞれ家庭の事情はあるでしょうねぇ」

「愚かな……。あの次期当主と呼ばれている娘も、先代がどこからか拾ってきた素性の知れない娘だと言うじゃないか。名家の血も途切れてしまっては、いよいよ落ち目やもしれんな。どうだ雛鳥、そんな後の無い家などやめて、うちの養子にならないか」

 たぷんと肉厚な顎を擦りながら得意げな顔で語る男性の顔は、悪意が満ち溢れているように森岡の目には映った。森岡は自分がどんどん冷静になっていくのを感じる。

「あの、それは――」

「雛鳥よ。あの娘の体質を知っていて近づいたのか? 寄ってくる人間全てを蠱惑こわくすると言う話だが、他人を意のままに操ろうとするとは、まったく卑劣な娘だ」

「お言葉ですが、ひばりさんはそんな人じゃありません」

 森岡は震える手をキュッときつく握りしめ、飛び出してしまいそうな怒りの感情を必死で抑えた。貼り付けた笑顔をぶち破ってしまいたい気持ちがこみ上げる。

「おや可哀想に。君もあの魔性の女の毒牙に惑わされているんだな。そうやって協会の上層部にも取り入っているんだろう。汚いメス猫だ」

「さっきから黙って聞いていれば――」


「モーリーさん、お待たせしてごめんなさい」

「ひばりさん!」

 優雅にこちらに向かって歩いてきたひばりに心の底から安心した森岡だったが、ひばりの顔を見た瞬間に息が止まった。爽やかな笑顔をたたえているが、その目は全く笑っていない。弓の様に曲げた目の輪郭の奥から、相手を射殺さんばかりの切れ味のある視線を中年男性に向けている。

「ご機嫌よう。私の雛鳥に何か御用でして?」

「い、いやなに、箱守家で庇護する程の人物とはどれほどの者なのか、一度見てみたかったのですよ。もし箱守家にふさわしくない者であれば、次期当主のお手を煩わせてはいけない、と、こちらで引き取ろうと思いましてな。ははは」

「あら、そうでしたの」

 ひばりの登場に目に見えて狼狽える男性は先ほどの嫌味な態度を一転させ、口から出るに任せて言い逃れようとしている。それを見た森岡は腹立たしさを抑えるために唇をきつく噛んでいた。

 ひばりは森岡の前に立ち、森岡の唇にそっと人指し指を当てた。そして、やんわりと首を振る。森岡は噛み締めた唇を解き、ギュッと目を瞑った。自分を救い、憧れたひばりをあれほど非道く言われ、悔しさで涙が零れそうになるのを精一杯堪える。

「それで、どうでしたの? 雛鳥が貴方の目にはどう映って?」

 ひばりはカツカツとピンヒールを鳴らし、男性の前へ歩み出る。

「それは……」

「あら、お答えいただけないのですか?」

 カツンと一際大きく音を立て、ひばりは遠慮なく男性と体が触れそうなほど間近に立ち、男性の豊満な顎を掴みぐいっと自分の視線に強引に引き下げた。


「ところで貴方、どちら様?」


 冷たく言い放ったひばりの言葉に、男性はみるみる顔を赤くしていく。

「ねぇ、どちら様?」

「あ、畦地あぜちでございます」

「畦地……存じ上げませんね」

「くっ――」

 この場面で相手の名前を知らないと言うことは、格差を示唆し、相手の立場を貶める最高で最低の文句である。それはこの世界をほとんど知らない森岡にでもわかることだった。あの優美で穏やかなひばりの口から出てきた言葉だとはとても考えにくいことだったが、そういえば、と森岡は記憶の引き出しを探った。

 以前ひばりの親友である純から学生時代の話を聞いたことがあった。その中で、いじめっ子に颯爽と一人で立ち向かい、相手を言葉巧みに丸め込んだというエピソードがあったことを思い出し、森岡は一人納得してしまった。箱守家次期当主、案外気性が荒いのかも知れない。むしろ今この場では、ひばりの方が相手をいじめているようにさえ見えてくる。

 ひばりは男性の顔を離しクルッと身を翻すと、ぽかんと口を開けた森岡の手を取った。


「行きましょうモーリーさん。地下で担当の方が待っているそうですから」

「あ、は、はい!」

 顔を真赤にした畦地をその場に放置し歩き出そうとしたが、ひばりはピタッと足を止め、畦地のいる方向に向き直した。

「そうそう畦地さん、一つだけ訂正させていただきたいのですけど」

 畦地はギクッと肩を震わせ、引き攣った笑顔でひばりに顔を向ける。

「私、この体質の力を制御できるようになりましたの。だから誰彼構わずってわけじゃないんですよ」

「は、はぁ」

「メス猫にだって誘惑する相手を選ぶ権利はありますもの。それでは、さようなら」


 *


「ひばりさん、最後の最後にトドメを刺しにいきましたね」

「あら、なんのことでしょう」

「ひばりさんが敵に回しちゃいけない人だっていうのはよぉくわかりました」


 二人は魔力を検知する魔術具を潜り、地下にあるという応接室に向かっていた。廊下は入り組んでいて、次に一人で来るようなことがあったとしても絶対に覚えていない自信が森岡にはあった。

「望んでもいないのに、ひばりさんの……箱守家の事情を聞かされました」

「そうですか……」

「嫌ですねぇ、人の家の事情をペラペラと周りに話すなんて。なんですか、この世界はゴシップがご挨拶なんですか、そんなにお暇なんですか」

「残念ながら、この世界は家柄や血縁で優劣を付ける文化があるのは事実です。魔女の歴史上、仕方の無いところでもあります。最近はあそこまで言う人も減ってきたと思っていたんですけどね。私自身、家のことを持ち出すことはあまりしたくないのですけど、先程のような方には非常に有効的なんです」

「へぇ、そういうものなんですね」

「……モーリーさんは、その、嫌になりましたか?」

「へ?」

 ひばりは歩みを止め、その場でうつむいている。

「私のこと。この体質のことお聞きになったんでしょう?」

 ひばりは先程の畦地のやりとりの時の殊勝な態度とは正反対に、悄然しょうぜんとした表情で森岡を見つめている。これまで憧れの対象であったひばりが初めて歳相応の表情を見せた。その顔が酷く寂しそうで、森岡はぐっと胸が苦しくなる。

 その時森岡は、これまでひばりがこのような場面に何度も出くわしたであろうことを察した。凛とした強さの影には、沢山の苦難があるのだ。

 特殊な体質のせいで知らず知らずのうちに敵を作り、蔑まれ、そして離れて行った人もいたはずだ。その度にひばりは傷つき、立ち直り、それを繰り返すことで、どんどん心は鍛錬され洗練され、強くなっていったのだろう。

 森岡は自分より背の低いひばりに合わせるように、少しだけ屈んで顔を覗き込んだ。

「私は、蠱惑……? でしたっけ? されていても構いませんよ」

「え?」

「だってそれもひばりさんの魅力の一つでしょう? 素晴らしい力じゃないですか」

 森岡はひばりにニカっと笑ってみせた。

 ひばりは、予想外ではあったものの森岡らしい返答にぐっと溢れるものを堪え、ふふっと花が咲くような笑顔を浮かべた。

「それはモーリーさんの意志とは関係ないのかもしれませんよ?」

「それでもしっかり魅了されているんですから仕方ありません」

「私が意のままに操ってるだけかもしれませんよ?」

「ひばりさんに操られるなら本望です~」

 両手を口元に手を当て、まるでぶりっ子のようにくねくねする森岡に、ひばりはたまらず吹き出した。

「あははっ、もう、モーリーさん、ふふ、リヒト並に気持ち悪いです」

「えぇ! ちょっと心外なんですけど……」

「くふふ、ふふ」


 二人はじゃれ合いながらずんずんと進み、目的地へ辿り着いた。どっしりとした造りの応接室の扉の前に立ち、ひばりが一歩前に踏み出す。

「あ、どうしよう、また緊張してきた」

「大丈夫ですよ。何があっても、必ず私が守ります」

「心強すぎますひばりさん……」

 そしてひばりはノックをし、中で待つ人の返答を合図に扉を開けた。

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