青栖池の悪夢 3

 イスリルもどきがひばりの魔力を取り込み、先程よりも更に煌々と青い光を放ち続けている青栖池の淵に、名取の姿があった。


 ゆったりとした動作で池の中を覗き込み、ひばりの姿を探す。ひばりは、イスリルもどきの蔦に全身を包まれ、繭のような状態で水の中に沈んでいた。

 幸いなことに、繭の中は空洞になっているだろう、ひばりの呼吸のリズムでぷくぷくと空気が少しずつ漏れ出している。


「これじゃひばりが生き餌になってるみたいだな」

 困ったように微笑みながらそう言うと、名取は拳程の大きさをした瑪瑙めのうを額に当て、目を閉じ、躊躇無く魔力を流し込んだ。魔力で満たされた瑪瑙は、仄かに熱を持ち、淡く光を帯びている。名取は池のちょうど真ん中あたりにその瑪瑙を放り込むと、首に下げたループタイを僅かに弛め、池の様子を静観した。

 遊園地の閉園時間のように、瑪瑙が沈んだ場所を中心に、みるみる光が失せていく。繭から漏れ出していた空気も止まり、青栖池は静寂に包まれた。


 しばらくすると、ずず……という、地鳴りに似た音が響き、一つ瞬きをするようなほんの一瞬、池全体がフラッシュを焚いたように、びかっと光った。

すると、ゆるゆると水中で蠢いていたイスリルもどきは一気に膨張し、水面を押し上げながら肥大していく。池の水は溢れ、周囲に流れ出し、そしてイスリルもどきは、大きな破裂音とともに四方八方へ飛び散っていった。

 他の鉱物に比べ多くの魔力を蓄えることのできる瑪瑙に、限界まで魔力を詰め込み池に放ったことで、その魔力を捕食しようと絡みついたイスリルもどきは、過分に魔力を吸い込み自身の許容を超え爆散してしまったのだった。


 水面を見ると、イスリルもどきの蔓から開放されたひばりの体がゆっくりと浮上し、ゆらゆらと漂っていた。

 名取はばしゃばしゃと水に入り、脇に腕を通しずるずると淵へと引き上げると、胡座をかいた自分の左腿にひばりの頭を乗せた。口元に手をかざし呼吸を確認すると、微かに吐息を感じる。


「息はある。でもまだ魔力が残っているな」

 名取はすぐ足元に落ちていたイスリルもどきの一部を手に取ると、横たわったひばりの額にそっと置いた。精魂が尽きたかと思われたイスリルもどきの破片は、ぐにぐにと動き、ひばりから残りの魔力を吸い上げている。意識を失っているひばりは、ぐっと苦しそうな表情を浮かべたが、程なくして、まるっきり動かなくなった。

 今、ひばりの生命いのちを取り留めているのは、浅い呼吸と、小鳥のように小さく打つ鼓動だけだった。

「悪いなひばり。……死ぬなよ」

 名取はひばりからイスリルもどきを引き剥がし、蔓の端をライターで焙って完全に消滅させると、今度は自分の首にかかっていたループタイを外し、ひばりの胸元に置いた。だらんと垂れ下がったひばりの両手をループタイに乗せ、自分の左手を重ねる。そして目を閉じ、静かに精神を集中させた。


 静寂に包まれた青栖池は、ただそこに佇む二人を夜暗に隠し、幾許かの時間が流れた頃、ひばりの双眸がぱちりと音を立てて開いた。しかしその目は虚ろで、焦点が合わずに空をくるくると彷徨っている。

 そしてゆっくり目を閉じ、もう一度しっかりと見開くと、その視線の先に名取を捉えた。

そして、ひばりがあまり見せない”にんまり”とした微笑を浮かべる。

「お目覚めですか、我が敬愛なる主、マルスリーヌ様」

 名取は恍惚とした表情で、ひばりに向かって「マルスリーヌ」と呼びかけた。


「体が動かせぬな。なんだ、不完全体なのかこの娘は」

 眉間に深い谷を作りながら、ひどくつまらなさそうに吐き捨てた。

「申し訳ございません。器としての能力は至高ですが、未熟な上、何やらこの者の体内にはマルスリーヌ様の魂幹こんかんが在ることを阻害する何かがあるようです」

 名取もまた、虚ろな目をしている。右手を自らの胸に当て、恭順を示すように頭を垂れた。

「おや、この魔力……お前、アマデューか」

「貴女様がこの世にお戻りになられるのを心よりお待ち申しておりました、マルスリーヌ様。大変遅ればせながらこのアマデュー、ようやくこの世へ顕現し、貴女様の器を探して参りました」

「そう、ご苦労様」

「もったいないお言葉でございます」

「ふん、本当にもったいない。こんな不完全体じゃお茶も美味しくいただけぬ」

「恐れながら、現在のマルスリーヌ様の魔力は未だ微弱故、器の簒奪さんだつも難しいかと……」

「仕方がない。私は本来、常夜とこよにあるべき者だ。精霊王も生命の環から私を外してしまった。僅かに残された魔力の欠片だけが未練がましく居続けてしまった死霊に過ぎない」

「主……」

「だがな、せっかくお前がこうして呼び戻してくれたのだ。再びこの世を謳歌しようではないか」

 マルスリーヌはひばりの顔で口端を高く吊り上げ、高らかに笑い声を響かせた。


「私はしばらく眠るよ。この体は心地がいい。まるで生前の私の体だ。もう少し育ててからでも遅くはない。ところでアマデュー、お前、随分いい男に憑いているな。次に……私が、目覚める……まで……そのままで――」

「主の望むままに」


 

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