金魚

Dogs Fighter

 -- 金魚 --

 青空。夏の青ほどではないが暑いのは苦手な私には丁度良い。湿度も低いし、今だけは歩くだけで気が軽くなる。呼吸するだけで気持ちが軽くなる。

 ただただ白くて四角い、特徴のない研究棟。古いはずなのだが定期的に外装のメンテナンスも施され小奇麗。両に開く自動ドアも開放感があってよいのだが、正面玄関からの利用者は少ない。部外者は基本的には来ないし、関係者は他の口から入る。でも無駄な設備とは言わない、私が気に入ってるから。これは私のための設備のようじゃないか。

 自然を演出するために、無駄に整然と木々が植えられている。これはこれで特別感がある。

 正面玄関の周りは木々に隠れて、こじんまりと見えるが、実はそこそこ大きい施設なのだ。これは狙った演出なのだろうか。


 建物の中に入ると左手にはパステル基調の多目的ホールが広がる。そこには複数人で囲める丸テーブルと十分な椅子が置かれている。今は無人だが時間によってはコンビニ弁当を空けてる若い子たちを見掛けることもある。

 もう片方は展示スペースなのだが、半ば資材置き場と化している。

 そこを通り抜け突き当りの無駄に大きいスライドドアを開けると。途端に薄暗く灰色な通路になる。

 外から見えないここは、昔から照明を絞っている。節電なのだろうか。床が灰色なので外光が刺し強調されるコントラストの中、陰が暗さを増す。暗闇に何かがあるような気がして、つまずいたら危ないと、いつもつま先に集中する。

 固い床材がヒールを響かせる。直ぐに数歩先のドアがゆっくり開くと、警備員が表情無く顔を出す、「ご苦労様です」と言葉を交わし、そのまま通りすぎる。


 この時間帯はうろつく学生もいなくてよい。

 二基あるエレベーターの片方は万年『故障中』、もう一基には、環境のためなるべく階段を利用しましょうと張り紙がある。

 乗る必要もない。そのまま奥へと進む。


 少し進み何度か曲がる。ここからは床はリノリウム、壁も天井も真っ白の廊下、まともな蛍光灯もある。窓も大きく空も見える。

 ここは学生も出入りする実験や研究のための部屋が並ぶ。暑いのかドアストップを挟んでる部屋からは、カードゲームで遊ぶ学生の声がした。実験の結果が出るまで、時間を潰してるのか、ただ遊んでいるのか。

 ドアをノックでもすれば、響けば慌てて片付けるのかもしれないが。


 増設を繰り返して、曲がりくねった建物。正面から見れば小さく見えるが、上からみるなら、幾つかに首の分かれたヒドラのようだろうか。

 建物の外側に、相当に大きな実験装置があるとかで、ここからは窓もない廊下が続く。敷地に無理やり押し込んだためか、無駄に廊下が長い。学生らには奥地と呼ばれる。狭いところが苦手というわけでもないはずだが、ここは苦手だ。

 突き当りを左に進む。窓の無い廊下。ヒールの音が反響し、いくつもの足がついてきてる様に聞こえる。

 正直気味の悪い場所、一般的に必要が無ければ来ることもない場所だが、仕方ない。

 次の突き当りを左に。向こうに奥地の主の部屋がある。

 ちらつく蛍光灯、点かなくなった蛍光灯が放置されてる。ここも薄暗い。ドアの下から漏れる光が見えるくらいに。

 明滅する蛍光灯の音が苦手だ。


 ドアの向こうからは、くぐもった音が、漏れている。

 ここは奥地の主と共同研究者の私ぐらいしか来ない、故に、蛍光灯も放置されている。

 共同研究者なんていっても、やらかして飛ばされてきた私には彼の研究のことはよくわからない。

 そのうち戻れるだろうと考え手はいるが、今は彼の研究の手伝いという名目の、監視役をさせられている。

 彼の研究は幾つか、少し問題があるのだ。


 ドアノブに手を伸ばしたとき。奥地の主の独り言がぼそぼそ聞こえてきた。

  ・・・ここで元に戻ってしまう。どう修正したらいいんだ・・・

 別な声が聞こえた気がした。しかし、来客があるとは思えない、そのための場所だ。


軽くノックしてみる。少ししてどうぞと言われ、ドアを開けながら、客がいるのかなと覗き込む。

 やはり誰もいない。


 この研究室は二人の机と機材で窮屈になる程度に狭い。そして微かに生臭い、理由は奥にある幅60㎝の水槽。ここに一匹の金魚が飼われている。

 何の飾りもない水槽、からっぽというか、水だけの中をシュワシュワと細かな泡がカーテン状にゆらゆらと登り、その空気は水槽の縁を乗り越えて部屋に溢れる。

 蛍光灯の光が降るだけのこの部屋は全体的に白く乾いている、この部屋の魚体の赤は目をひく。

 

 水槽の手前に事務用のテーブルを置き、キーボードに手を置きながら目の前のモニターを凝視してるのが、ここの主の小林さん。

 こちらからは背面しか見えないから、ほんとに凝視してるのかはわからないが。


 「おはようございます、声がしたので来客かと思ったのですがAIと話してたんですか?」


 水槽の向こうの壁は、床から天井まで金属ラックでしめられている、ここで使われた歴代のパソコンが壁を埋める勢いで納められている。パーツをとられてカバーもきちんと閉じられてないようなものから、現役でLEDをちかちかさせながら、時折何かしらの小さいモーター音を出すものまで。

 デスクトップやらノートPC、パーツ、etc。役目を終えたものは捨てたらどうかといったのだが、古いのしか使えないものがあるとか、ケースはまだ使えるとか、適当にはぐらかされる。


 小林は、背を向けたまま体を少しこちらに傾けたが、目はモニターに向けたまま答える。


 「おはよう。今はこちらからは何も送ってないし、そもそもこれは会話をするようなものではないよ。少し時間が経つと時間が少し戻るようになり、同じところを繰り返すようになってね。その原因を調べてるんだ」


 モニターの画質はあまり良くないが、若者がひとり映っているのは判別できた。

 椅子に座り、何も乗ってない机を眺め考え事をしてるのか結局何もせず、立ち上がり奥に歩いて行った。

 今見ただけでは繰り返しは確認できなかった。秒単位でしてるのではないのかもしれない。


 初めてここの金魚を見たときは非常に珍しい面白い見た目の品種だと思った。まるで、頭部にふさふさと毛の生えたような見た目だったのだから。

 近くでよく見ようとして上から覗き込んで勘違いに気が付く、そんな奇妙な見た目の品種のがいたら話題にならないわけがない。

 それは髪などではなかった、とても細い糸なのか、ワイヤーなのか何かで体が動かないように固定され、頭部に髪の毛より細い電極がすごい数刺し込まれたものだった。その電極が背面のパソコン類に繋がれ、そこから本館のスーパーコンピューターに繋がれ、演算処理されまた戻され、送られを繰り返した後のその結果がこのモニターに表示されていた。


 彼の研究は、生体の脳とAIを連動させようというものであった。


私の主な役割は小林の成果をまとめて報告すること。

 「小林先生、今の進捗を報告書にまとめたいので、お願いします」

 「・・・ああ」モニターが気になるようだが、ごそごそとノートやら何だかごちゃごちゃと書かれたメモやらを私のテーブルにどさどさ載せながら、カラカラ鳴らしながら椅子を引いてくる、目はモニターをチラチラ見ている。


 小林の研究は表向きはありきたりな人工知能の研究となっているが、実際は生体の脳をCPUと連動させAIにメタ認知をさせるというもの、施設の生体利用の倫理規定に関わるとかで、内々で進められている。


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「音声出さないんですか?」

 「出さない。無声映画に適当に効果音あてたみたいな適当な音がするから、声も人の声とは違うから」


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 「上が納得しそうな成果何かありましたか」

 「上が何に納得するかは君の方が詳しいだろ、説明するからうまくやっつけてくれ」


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 「中の人って何歳でしたっけ、19?」

 「何歳だろう、そのくらいだとは思うが・・・時間の進みが現実よりだいぶ早い上に、一定でも無いから、まぁ20前後だろう」

 「金魚は二歳?」

 「そう」


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 「人間型に設定してこうなったんですよね、偶然では無理ですし、環境も人に合わせた家具などが揃ってる部屋になってますし、そうなるとコンピューターの方に人間の雛型みたいな設定があるってことですか?」

 「家具とか服とかデータベースがある、AIがそれを修正してうまい事折り合いを付けてるようだ、正直追い切れてないけど、いまの追い切れてないは書かないでくれ」

 「人のベースはどうなってるんです」

 「・・・」

 「普通の金魚なんですよね」


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 「いま入ってきて話してた人って何ですか」

 「書類見てた。妹かな、親や友人もいるよ」

 「他に金魚いないですよね」

 「金魚が人間になっているわけじゃないよ、脳とコンピューターでやり取りし、世界全てを作ってる」


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 「妹とかデータベースのプログラムってことですか」

 「この人と同じように考えて行動してるから違うな」

 「金魚から生まれた世界に幾つもの独立した人がいるんですか?」

 「勝手に発生したんだよ・・・容量大きいんだこいつら」


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 「この世界ってこの部屋だけじゃないんですか」

 「今は外もあるよ、最初はどこまでも部屋とドアだけだったり、床だけの世界だったりしたけど、十分な法則と、あるべき結果を与えると自分で法則を読み取り、生成する事が分かった」

 「部屋の外には何があるんですか」

 「山とか川とか・・・道路とか・・・見たほうが早いか」


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 「上からの視点にすれば、今は空も山も川もある」

 「これは普通に山脈ですね、道路や町はないんですか」

 「道路などは中の人が外出する時とか、必要になれば出るみたいだが、今はないみたいだな。これから山に寄って行くのでみててくれ」

 「はい・・・木も普通に生えてますね・・・葉も・・・」

 「更に寄ると・・・」

 「葉脈・・・・細胞・・・ほんとですかこれ」


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 「見ての通りだ」

 「あの山々の全てに細胞まで設定するとか処理ができるわけがないですよ」

 「それが面白いところで、私が切り取った範囲に影響のある場所をその都度処理してるようなんだ。つまりほかの場所を同じようにズームアップするとそこには同じように細胞があるのだが、それを見ている時は、すでにさっきまでの場所の細胞もほかの場所の木々も山も全て消えるのだ」

 「・・・見ている場所だけが存在する?」

 「呑み込みが早いな。少し引くともう細胞は存在せず、枝葉揺らす風の処理が始まり、更に下がると山脈や川の生成が行われる。山や川も無限に続く、地形はメモリースティックに入る程度のシンプルなプログラムでできてるようだ」

 「これは上も認めますね」

 「よろしく頼むよ」


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 「想定してない事だった、新たに発生した妹や両親のデータの増加が気になる、最近は安定しているのだが、安定しすぎてるのもよくない」

 「妹たちも彼と同じように独自に考え行動してるなら、相乗効果が凄そうですね、データ容量的にも」

「一時期は妹や両親が近接するだけで、部屋の中に色々な物が発生したり消えたり、場合によっては部屋の数やサイズが変わることもあったのだ、無くなった物が目の前に現れたり、存在しなかった部屋が突然現れても、本人らが見落としや勘違いと辻褄を合わせ現状を優先し納得し始め、それに合わせて環境も補充される。そして、何もかもが当然のように回り出す。

 途中から発生した彼らも、発生以前からの歴史を持っているし、共有されている、彼の家族は彼より後から発生したのに彼より前の記憶すら持つ」


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「容量の圧迫は均衡を保っているのだが、目立つ変化がなくなってきていて、これといった成果がない。そのため妹を殺すことにした」

「・・・・物騒ですね。消すって事ですよね。外で話したら誤解されて通報されそう」

「消すだけでは駄目なようだ、次の瞬間には元通りになる即座に、。どうやら彼以外の人は影のようなもので、どこかにというか、無数の破片のようなのがデータとして有機的に連携を保ちながら全体に漂っているようなんだ、ここの報告は把握できてないと受け取られないように後で調整しよう」

「存在を消しても、バックアップが起動する感じですか」

「最初から本体ですらない。本体は世界そのもののに溶けていて、それが人のようなものを作って、人のようにふるまっている。いなくなれば即座に同じものが置き換わる。

 彼にPADを与えて、それと現実の情報を繋ぎ、向こうの世界を変化させる切っ掛けを与えつつ、同時に、死の概念も流し込み、そのうえで妹を殺す」

「なんか、可哀想とうか非情というか・・・」

「・・・変化がしなくなってしまったからな、研究上必要なことだし、見た目はどうあれ実際はただのデータだ」

「・・・妹というのはデータベースにあるんじゃないんですか」

「人に関するデーターはそこそこ大きいからあったんだろうな。でも辞書に載ってるものと大差ない。どこから具体的な人物像を作ったのかその辺曖昧だが・・・とりあえず交通事故でいいか」

「交通事故は上の人で身内が・・・印象が悪いですね」

「そうなのか・・・じゃあ・・・隕石で」


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「PAD熱心に見てますね」

「机の上に置いておいたら、親の古い物を貰ったことになったようだ」

「妹も一緒に見てますね」


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「二人とも熱心に見てますね・・・部屋の中が夕方の様になったり、青くなったり・・・煙のような人のようなものが動き回ったり、棚や机の物が増えたり減ったり・・・・。何が起きてるんですか?」

「・・・今PADを通して得た知識から、何か世界に創造しかけたけど、そこに存在する理由が整わないために、存在しなかったことにされた影。その幻想の連続が、我々の認識やモニターの処理速度を超えているために、残像となって見えてる・・・というのはどうだろう」

「・・・どうだろう・・・といわれましても」

「それっぽいんじゃないか。あと、なんでもかんでも与えるのも危険かと思い、創造できる物、名前と機能はわかるけど仕組みはわからなくて作れないもの、名前だけ分かるものなど、獲得できる情報に制限をかけてみた、これで仕組みはわからないけど使える道具をこちらからだけ発生させるとかが、し易くなる、例えば車とか、PADもそう、視野や行動範囲の制限はデータの増加の制御に必要となるからね」


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「PADにはどのように情報が載っているのですか」

「我々の世界の、小説に近い、物語の中に出てきた新しい言葉が『制限のない情報』だとしたら機能、仕組みもセットで流し込まれ、『知ってた』となる。他は名前と使い方は知ってるけど仕組みは知らないとか、名前しか知らないとか、まぁそれぞれになる。しかし本人的には、特に問題無く読めてるはずだ、初めて知る言葉だらけの小説をよく知ってる日常使ってる言葉として読んでいく」

「簡単に言うと」

「前から知ってる言葉で書かれた文章だと思って、滑らかに読んではいるけれど、実は今の一瞬で理解した言葉で大部分が書かれているものを読んでいる。それの連続」

「すこしわかりずらいです。感覚的に」


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「何も家族の目の前で、しかも食事中に・・・」

「移動しなくて、全員に死を確認させるにはこの全員揃ってる時がベストなんだよ」

「・・・隕石って言うからもっと巨大なものを想像してました、野球ボールぐらいですか」

「もう少し小さいかな、移動する妹に自動で落ちる隕石は設定ができなくて消えてしまう。追尾する隕石とかこの世界の法則に合わないからね。でも、あの椅子のある位置に落ちて来てた隕石を上空に設定することはできる。」

「すでに法則と死の概念を学習していた彼らと世界は隕石の落下には逆らえない。この世界のルールが優先されないと、世界が否定されるから・・・でも、せめてもう少し綺麗に終わらせてあげれたらよかったのに」

「ベストだったんだよ仕方ない・・・変なこと聞くけど、君さっきからそこにいたよね?」


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「・・・どういう意味です、さっきからいましたけど」

「そうだよね・・・話してたし、いたよね・・・」

「モニター見てください、彼動き出しましたよ、親は黒い煙みたいになりましたね・・・。今気が付いたんですけど、隣の部屋からするテクノミュージックっぽいのなんなんですかね、うるさすぎないですか」

「彼、頭抱えてるな、しゃがんで・・・よく見えないな・・・。まるで人間みたいだ・・・。急になんだが、よかったら今度ご飯行かないか」

「珍しいお誘いですね。この状況でっていうのはありますけど、いいですよ、行きましょう。・・・彼、部屋の中ぐるぐる歩きまわって・・・。部屋に戻って、座って動かなくなりましたね・・・。それにしても、このダフトパンクっぽいのうるさすぎ!壁や床まで振動して全体から聞こえる!」

「前にも一緒に行った店で、豚肉専門店でね・・・」


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「前にもですか・・・誰かと勘違いしてますね・・・あーうるさすぎ!先生は平気なんですかこの音!」

「豚肉専門店の・・・そうそう、豚社畜だ」

「やっぱり行ったことないですね。私この音が大きすぎて頭痛がしてきました。空間がびりびりして金魚にもよくないですし!ちょっと音の出所探して文句言ってきます!」

「あそこの食べ放題が傑作で、食べ放題なのに一皿しか出ない、但し毎日定時に行くと行く限り毎日一皿・・・。変なこと聞くけど君さっきからここにいたよね」

「いましたよ!先生!私自分の声も聞こえないくらいなのに!なぜか先生の声ちゃんと聞こえるんですけどなんでしょうこれ!バンド練習かなんか知らないけど文句行ってきます!」


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 灰色の壁なのか床なのか。目の前の物を理解するのに一瞬の混乱があった。

 椅子から立ち上がろうとして、手を伸ばして、机の縁を掴んだのは確かだ。

 だが、豆腐にでも指を刺し込むように、するりと抜けた感触があった。

 椅子から落ちた感覚・・・騒音に耳を塞いで座った。次の時、真っ暗になり床がなくなって落ちたのだと思った。


 そして今ここにいる。

 頭上でカチカチと音がする。古くなった蛍光灯が明滅している。

 一応周りを見回す。誰もいない廊下。今朝歩いてきた廊下だ。

 排気ダクトだろうか、微かにブーンとモーター音のようなものが聞こえる。


 私はいつ外に出た。

 私は研究室のドアノブを握っているが、入ろうとしているのか、出てきたとこなのか。記憶が繋がっていない。

 

 部屋から出た記憶がない。

 あの騒音はどこへ、何故記憶がない。


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  排気ダクトが故障していたとしたら、どこかの実験室から一酸化炭素かなんかが流れてきたりして、部屋にたまりガス中毒からの幻覚の可能性はあるだろうか。

 それだとしたら、今も頭痛やら続いてそう・・・。

 今は騒音も止まっている。

 

 順に思い出してみよう。

 朝に車で駐車場について。天気は良かった。

 車・・・。どこに止めたんだっけ・・・。疲れてるのかな。

 正面玄関から入って、警備員の人に挨拶し、学生の話し声を横にいつもの廊下を進んだ。

 窓も外に見える木々も木の葉も、差し込む日の光まで正確に覚えている。

 曲がりくねる、薄気味の悪い廊下を通り、薄暗い研究所の前に


 バチッと廊下の先で音がした。

 冬の静電気の放電のような音。


 急な音に顔を向けても白い廊下の先には誰もいない、音の場所にも何も落ちてはいなかった。


 そうだ、何もなかった。なにか大事なことを忘れているような気がして、考えていたけど、いつも通り、ただ廊下が薄暗くてなんとなく不安になっただけだった。

 どっかで聞いて耳にこびりついて、頭の中でずっと鳴ってるダフト・パンクのような曲も良くない。

 どこだったか、急に大音量で流れてきた。「カエセ!カエレ!モドセ!カエレ!ズチャズチャ」みたいなフレーズがループしている。あまりのうるささに耳を塞いで丁度聞き取れた。

 耳塞いでるくらいだから車のラジオじゃないだろうし・・・。

 どこだったか思い出せないと落ち着かない。思い出せなくて困るようなものでもないのだが、気になりだすと切りがない。でも今は目の前の事に気持ちを向けるとき。


 今の報告書一本出来上がったら一日休みを調整し連休にしよう。

 ゆっくり何もしない日を入れよう。

 腕もなんか震えてきて、いまいち力が入らないし、しっかり休まないと。

 かすかなもの、ドアノブを回せないというほどではない、休めば元に戻る。

 開けたドアの隙間から奥地の主、小林先生の声がする。


「・・・ここで元に戻ってしまう。どう修正したらいいんだ・・・」

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