第3幕 マイルール

 〈リリーズガーデン〉でのバイトが始まって二週間が経った。今日もまた放課後のシフトに入って働いている。

 わたしにとっては初めての飲食店でのお仕事。それでも、このお店が普通とは少し違うところは目についた。

 まず、このお店のアルバイトは、わたしを入れて三人しかいない。つまり、初日に出会った亜実ちゃんと遊衣さんが同僚のすべてだ。マスター……もとい、店長を入れても四人。

 なぜそれがわかるかというと、これはわたしの好きな〝小さな変化〟にも関わりがある。

 最初わたしたちは事務室にあたる部屋で着替えをしていたのだが、店長が部屋を使いたいときに待ってもらったり、着替え中のプレートを用意したりと少し面倒だった。

 そこで店長は、二階の空き室の一部を改装して、簡易の更衣室を作ってくれたのだ。その部屋は鍵もかかるので安心感も増した。……別に伊佐屋さんが覗いたりはしないと思うけど。

 更衣室にはロッカーも用意された。で、そのロッカーが三つだけだったというわけである。ちなみにロッカーのネームプレートもローマ字だ。これがくるくるっと尾を引いたおしゃれなフォントで、ちょっと可愛い。

 そこで、三人のアルバイトで喫茶店の業務が回せるのか、という素朴な疑問が浮かぶ。

 なんと〈リリーズガーデン〉は、〝メイドサン〟のシフトがない日は営業しない。つまり、営業できるかどうかはわたしたちの予定次第なのである。こんなお店は他にないのではないだろうか。まぁ確かに、メイドカフェを謳っておきながら、男性店長ひとりが接客してたら詐欺のような気もするけど。

 スタッフのメイドが一人の日もあれば、三人が揃う日もある。それは本当にわたしたちが働けるかどうかの偶然性に依存している。一人の日に病気で休んだらどうなるのか、店長に訊いてみたら「休業する」と素っ気ない言葉が返ってきた。なんとも奇妙な「メイド第一主義」が徹底されている。

 そんなことで利益が出せるかどうかはわからないが、そういう気まぐれ的、隠れ家的な雰囲気が早くも評判を呼び、それなりにお客さんが入るようになっていた。

 ただ、表の通りで様子を見ながら、入る勇気がない人もいるのでもったいない気もするが、一般的なメイド喫茶がやっている呼び込みなどをするつもりもなく、淡々と来る人待ちの営業を続けている。

 ちなみに今日は亜実ちゃんとふたりのシフト。彼女は遊衣さんよりも早めに仲良くなったバイト仲間だ。

「ええと、アッサムティー、ミルクでふたつ。それとレーズンバターサンドひとつです」

 このお店でのメニュー伝達は、カウンター裏から小声で行う。普通の喫茶店のように威勢よく行うと、初日の遊衣さんのように伊佐屋さんに怒られてしまう。それ以外にも、店の中で走らない、頷くのは一度だけ、必要以上に頭を下げない、無闇に笑わない、などなど細かい注意事項が山ほどある。

 そのため、普通のメイドカフェだと思って来店した人はちょっとびっくりするかもしれない。

「いらっしゃいませー」

 ドアがカラン、と鳴って新しいお客さんが入ってきた。てくてくと背筋を伸ばして歩き、一度しっかりとお辞儀してからテーブルに案内する。ちなみに「カーテシー」というやつではなく、普通のお辞儀だ。あとで調べたら、カーテシーはご主人様に対する最上級の挨拶なのだとか。

 メガネ姿のひょろっと背の高いお客さんが、辺りを落ち着きなく見回しながら席に着く。大きなショルダーバッグをかけていたので、わたしはそれを預かって机の下のかごに入れた。他にも、上着を脱いだりするのを手伝うこともある。その辺はかなりメイドっぽい仕事だと思う。

 そうそう、〈リリーズガーデン〉ではお客さんのことを「ご主人様」とは呼ばない。だから、来客時の挨拶も「お帰りなさいませ」ではないのだ。

 無表情を努めてメニューを渡し、注文をあとから聞いた方がいいか訊ねたが、この人は返事をしなかった。まぁ、そういう人もけっこう多い。

 このお客さんも、風貌からしていわゆるテンプレートなメイド喫茶を期待してきた人らしい。メニューを一通り眺めて、写真撮影だとかお声がけサービスだとか、定番のオムライスだとかがないとわかると、軽く首をひねっていた。

「なるほど~。そっち系かァ……」

 そんな風に呟いて、ストレートティーを注文する。わたしはちょっとおかしくて、心の中で「そうです、うちは〝そっち系〟なんです」と応えたりした。そのニヤニヤが顔に出てしまったのか、カウンターの中で伊佐屋さんが睨んでいる。

 やばい、と顔を引き締め、注文を伝えに行く時に亜実ちゃんがすれ違った。亜実ちゃんは、禁止されているにも関わらずパタパタっと走っていた。

「あ、そちらはご遠慮いただいてますぅ!」

 振り返ると、さっきの背の高いお客さんが、〈リリーさん〉をスマホで撮影しようとしているところだった。〈リリーさん〉とはもちろん、メイドの少女を描いた、例の肖像画のことである。

「は、すす、すいません」

 よっぽど慌てたのか、必要以上に萎縮するお客さんを見て、少し気の毒になってしまった。とにもかくにも、〈リリーさん〉は撮影禁止。これはこの店の大きなルールだ。ただしどこにもその注意書きはないけれど。

「紅茶とお菓子の撮影は大丈夫です。店内の内装のみ、撮影はご遠慮させてもらってます」

 てきぱきとそう告げると、亜実ちゃんはため息をぐっと堪えながらこちらに戻ってきた。アイコンタクトをして、お互い微笑む。こういう注意を何度したことか。しかし、伊佐屋さんは頑なに張り紙をしようとしない。




「たぶんですねー、〝あの子〟は店長にとって生きてるんですよ。ほら、うちってメイドさんも撮影禁止でしょ? それと同じことを求めてるんだと思うんです」

 その日の仕事が終わったあと、亜実ちゃんとの着替えの中でそんな話になった。ロッカールームトークは単調な仕事のあとの最大のお楽しみのひとつだ。ただしわたしは口下手なので、よく喋ってくれる彼女の存在はありがたい。

「謎多き存在ですよね~。店長もリリーさんも」

「うん……」

「そこであたしはふたつの仮説を立てました。ご披露してもよろしいでしょうか」

 亜実ちゃんは制服のプリーツスカートをはいたあと、ピースサインをわたしに向けた。

 亜実ちゃんはわたしよりひとつ年下の十六歳。隣の市の共学の高校に通っており、メイドになって働くのが憧れだったという変わった子だ。

マンガやアニメが好きらしく、わたしも当然好きなので話を合わせたら、とんでもなくマニアックな方向に進んでしまい閉口したことがある。亜実ちゃんにとってアニメというのはディズニーやジブリではなく、人が寝静まったあとに放送されている深夜アニメやネット配信されているもののことらしい。あと、マンガもいわゆる少女マンガではなく、聞いたこともない月刊誌のものが中心だった。

 そんな彼女の独特な語り口はわたしも嫌いじゃなかった。なんだかんだで丁寧語をやめないのも、キャラクターに合っているので嫌みじゃないし。

「説その一。ずばり、花嫁探しです」

「ふむ……」

 なんのことかよくわからないので、わたしは適当に相槌を打った。

「店長のあの身のこなし、紅茶やお菓子に対する知識の豊富さ、そして異常なまでのメイドへのこだわり。外国帰りなことからも、相当の教養を積んだ貴族に違いありません」

「あはは……」

 違いありません、と言われても根拠は全くないのである。

「バイトが三人だけというのもおかしいし、なにより収益を求めた営業じゃないですよね、ここ。これはきっとアレですよ、アレが来たんです」

「なにが?」

「わたしたちの中から、結婚相手を捜そうとしてるんですよ!」

 鼻息荒く亜実ちゃんは断言した。どうせそんなことだろうと思っていたが、反論するのも申し訳ないので黙って聞くことにした。ただ、会話を盛り上げるためにも肝心なことは質問しなくては。

「その説に、リリーさんは関係あるの?」

「……」

 押し黙ったあと、亜実ちゃんはぱっと思いついたように顔を上げた。

「リリーさんへの執着は強いですからね、店長。あれだ! リリーさんは正妻です。わたしたちは側室候補なんですよ!」

 そう言って目を輝かせる亜実ちゃん。女性として自尊心を傷つけられるような仮説だったわけだが、どうしてこの子はこんなに興奮しているのだろう。

「おそらくですが、リリーさんは店長のお屋敷で働いていたメイドさんなんです。それを見初めて自分の女にした、と。それに飽きたらず、遠い異国でお妾候補を捜しにきたんだ。これですべて説明がつきます!」

 いやいや無理があるだろー……とも言えず、わたしはニコニコして話を聞いていた。

 まぁ、自分がその貴族の立場なら、お屋敷に雇ったメイドからお妾を選べばいいだけの話で、わざわざ日本に来てやることじゃないと思う。確かに伊佐屋さんは(国籍はともかく)日本人に見えるけど、肝心のリリーさんが日本人じゃない。

 仮にその貴族だとして、日本人のメイドが好みという特殊な性癖ならつじつまは合うが、ちょっと飛躍しすぎた想像だと思った。

「で、説その二は?」

「ああ、そっちはあんまり面白くないです。要するに、ここが牧場だってオチです」

「牧場?」

 でもわたしにはそっちの話の方が面白そうな予感がした。

「はい。店長って、本物っぽいメイドにこだわるし、教える内容もやたら細かいですよね。このお仕事、喫茶店の経営というより、もはやメイドの教育現場だと思うんですよ。でもって、お客さんのことをご主人様と呼ばない。本当のご主人様はどこにいるのかって話ですよ」

「ああ、そう言えば伊佐屋さんのこと、マスターって呼ばせないのも変だね」

「そうですね。だから、ご主人様マスターはまだいないんです。そのうち現れるんです」

「?」

 次の瞬間、亜実ちゃんはニヤリと唇の端を持ち上げた。メガネの奥で瞳が光る。

「ここは、メイド候補生を育てて、どこかの国のお金持ちに売るための教育機関なんです。きっと世界には、訓練されたメイドたちを囲って、奉仕させる変態がいっぱいいるんです。もちろん、もちろんですよ、ぐふふふ……。夜のイケナイご奉仕もさせるんですよ。今はただの給仕だけだけど、そのうちわたしたちは一人ずつ部屋に呼ばれて――その予行練習を……。にゅ、にゅふふふふふふ!!」

「あ、あみちゃん?」

 亜実ちゃんは極度に興奮すると独特の笑い方をする。ということに気づいた記念すべき最初の日だった。

 しかし亜実ちゃんは面白くないと言ったけど、そっちの方が現実味があるような気がしてちょっと怖くなった。そう考えると、意外にもこのお店の奇妙な特徴がすべて当てはまるように思えたのだ。

 そういえばなにかのドキュメンタリーで、アジアの少女たちが人身売買され、違法な性風俗で働かされているという特集をしていたのを思い出す。そしてその番組の最後には、恐怖を煽るようにこんなナレーションが挿入される。


『いま、闇世界の人身売買ブローカーの間で、日本人少女の需要が急速に高まっている。東南アジアで起こっているこの出来事が、明日わが国の繁華街で起きないとは限らないのだ』


コンコンコン!

 いきなり扉がノックされた。わたしと亜実ちゃんは飛び上がるほど驚いて、ヘビに睨まれた小動物のように硬直した。亜実ちゃんの話に夢中になってたので、わたしは下半身がメイド服用のペチコート姿。そして間違いなく、ドアを叩いたのは伊佐屋さんなわけで……。

「いつまで着替えてるんだ。早く帰りなさい」

 そう言ったあと、階段を降りていく足音が聞こえた。

 わたしは亜実ちゃんの方を見た。彼女はスリップの胸元を手で押さえながら、福笑いのような変顔を引きつらせている。そのおかげでサーッと緊張が抜けていった。

「あ、あはははは」

「早く帰りましょ、いのりん!」

 そう。大切なことを忘れていた。亜実ちゃんはわたしのことを「いのりん」と呼ぶのだ。特に否定もしていなかったから定着してしまったが、こういう状況で言われるとなんだか恥ずかしい。

 しかしこの日なにげなく亜実ちゃんが話した「人間牧場説」。それを後日、わたしは思い出すことになるのである。

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