第33話 再戦

「いるね――」

 と、ドリューも呟く。


 彼ら二人は、メイビーの言い訳に返事をしなかったのではなく、それ以前にメイビーの言い訳を聞いていなかったのだ。メイビーが言い訳をすることになってしまったきっかけは、最後だからと思って、せっかくだからと再び見つめた、湖のような水溜まりである。

 当然、メイビーのことを守っている二人としては、彼女の視線を追わないわけにもいかない。

 同じように広がる湖を見て、そこで、違和感に気づいたのだった。


 メイビーが違和感に気づいて湖を見たのか、と彼らは思っているが、現実は違う――彼らからしてみれば、なんだ、と腰が抜けてしまうような理由であるが、ともかく。

 そのメイビーの動きによって、彼らは気づくことができた。


 脅威に。


 迫る、機械音に。


 懐かしい――しかし、とは言え、数日前のことである。この機械音と同じような機械音を聞いたのは、たったの数日前であった。その機械音は水中から聞こえ、音が、やがて膨らんでいく。

 音と共に水面も膨らんでいき、まるで破裂しそうな風船の形になっている。

 機械音よりも水の音が激しくなり、滝のように落ちてくる水によって、飛沫が、彼ら三人の顔を叩いてくる。そして、隠密性の欠片もなく音の発信源である機械――、兵器が姿を現した。


 ――アメンボ。


 六本足の怪物は、今度は無人ではなかった。

 人が入れるかどうか曖昧な、薄過ぎる円盤のような、足が生えている部分――、

 以前のものとは形が違い、ドームのようになっている。

 ガラスなのか、透明な素材で中が見えている――、操縦者がきちんと見えている。



『……お疲れ様です、メイビー様』



 操縦者の男がそう言った。

 そう言って、見下すように、表情を歪めた。


 ―― ――


 メイビー・ストラヘッジは前・世界王のたった一人の娘だった。

 彼女が生まれてからすぐに、母親は死に、父親のみの片親での生活――、だが世界王という地位のおかげで、娘を育てることに支障という支障はなく、だが、それでもやはり母親の不在というのは、娘であるメイビーの心に、大きな穴を一つ、開けてしまう結果になってしまった。


 世界王の周りには、様々な人間が集まっている。もちろん国民はそうだが、共に生活するという面において、一番にはずされる存在である。

 なら逆に、共に生活するという面で見れば、メイドや執事、世話係――、家庭教師など、世界王専用の側室などがいるように、メイビー専用の母親代わりという存在もいる。

 世界王も多忙で、付きっきりで娘と一緒にいられるわけではない――。赤ん坊の頃ならばできたかもしれないが、成長してしまえば、ある程度のことならば世界王自身が干渉しなくとも、問題はない。逆に、干渉しない方が良いこともあるのだ。


 だから成長したメイビーが、世界王である父親と会って話すことはあまりなく、一週間に一度や二度程度のものだった。だからと言って、関心がなくなるということはない。父親と会うのを毎週、楽しみにしていたし、彼女専用の授業を抜け出して、父親に会いに行ったりもした。

 家族の絆は途切れることはなく、ずっと、繋がっていたのだ。


 父親の存在に勝ることはなかったが、母親代わりということで、世話係がメイビーについたのは、早い時期だった。メイビーからすれば、気づけば自分の面倒を見ていた、というような存在である。無意識に信じることができる――大きな存在だ。


 母親代わりではあるが、性別は合わせられなかったらしく、世話係は男だった――。女の子であるメイビーとは生活面で合わないと言われていたが、メイビーも細かいことは気にしないし、基本的に世話係である男の言いつけを守っていた。

 彼の指示にも従っていたし、彼が正しいと思っていたのだ。

 だから生活面で支障が出てくるのは、随分と後になってからで、その時にはもう既に、メイビーの女としての感覚は、もう消えているも同然だった。


 男勝りの性格になったのは、男と共に生活をしていたから――ではないかと、前世界王は予想を立てて少し後悔もしたが、しかし、男勝りの性格は、男が近寄って来ない……つまり自分から娘が離れていかない可能性が高いというメリットを考えて、これで良かったと思えた。

 もちろん、良いわけはなく、いずれメイビーだって女性としての義務を果たすことになるのだろう――その前に世界王が死ぬことができたのは、彼にとっては良かったのではないだろうか。


 実際のところは分からないが。


 前世界王は、あと二十年以上は確実に生きられるような年齢だった。

 体を蝕む特殊な病気がなければ、世界王が変わることはなかったし、メイビーがスライドで世界王候補になることも、反対されることも、サバイバルレースに出場することもなかった。

 思えば、今ここ、レース上にいるのは父親が死んだせい――、父親が、病気になったせいである。なぜ病気になったのか、などと問うのは馬鹿馬鹿しく、理由なんて追究したところで、理由など全然、見えてこない類のものである。なるようになった――、運命とも言える現象なのだ。


 仕方のないことなのだ。


 父親が死んで、メイビーの味方は、いなくなったも同然だった。

 確かにメイビーを世話してくれる者はいるにはいるし、家庭教師だって、メイドだって、執事だって、きちんといるのだ――だが、入れ替え制なので、毎年毎年、人物は変わり、関係が続いている者なんて、極一部である。

 現在、王宮の中でメイビーの味方と言える者は、数人程度しかいない。


 数なんて、数えたくもない程の少数である――、

 一人を残して、味方だと思っていた人物は全員、直接、口には出さないが、メイビーの世界王継承を反対していた。脅されたのかもしれないし、命令されたのかもしれないが、彼、彼女達は反対を示す時、必ずメイビーから目を逸らすのだ。

 やましいことがあるような目を、逸らすのだ。


 それならば自信満々に、反対意見を堂々と主張してくれた方が良い。

 その方が気持ち良いし、彼、彼女達の気持ちも分かる。自分がどういう考えでいればいいか、ヒントになるかもしれないのに――。

 そういう態度を取られたら、ただただ、悲しいだけである。

 なにも、得られるものがないままなのだ。


 だから、というわけではないが――、

 メイビーは反対された世界王の継承を、意地でも貫き通したくなった。


 自分のことを見捨てたような態度を取る者達を見返したい、という気持ちはあれど、しかしそれはついででしかない。

 それよりも強く思っている、世界王になりたい理由は、一つしかなかった。 


 父親の座っている椅子に、他の誰かが座るのは、がまんできなかった。


 それだけだった。たったそれだけの感情で、メイビーは世界王になりたいと、世界中の人間の上に立ちたいと、そう思ったのだ。

 世界には人々がたくさんいて、様々な思考を持つ者がいて、だからメイビーのその動機に、ふざけるな、と思う者もいるかもしれないが、しかしメイビーは、その反対の声を聞いても、意志を曲げることはなく、聞き捨てていた。


 ここは男勝りの性格が良い効果を出したのだろう。強気のその性格は、国民の声を抑えつける程の力があった――力強さがあった。

 世界王として、人々の上に立つ素質があったのだ。


 世界王の娘である。

 拾ったわけではない純血の子なのだから、素質はあって当然だ――あるべきなのだ。


 それでもやはり、反対意見は多かった――。

 だからこそ平等な意見として、サバイバルレース、この【世界王継承戦】が提案され、そしてメイビーの一言で、次の世界王がどこの誰になるのか、分からない状況になった。


 メイビーとしては認められて世界王になれる、一番良い舞台だった。

 しかし、サバイバルという言葉を聞いてしまうと、やはり男勝りであっても女の子である――恐くないわけがない。がくがくと体は震えるし、死ぬかもしれない恐怖が、心臓を上手く操ってくれない。どくんどくんと、過剰に反応して動く心臓が、まるで寿命を縮めるかのように、まるで、父親を追いかけるように――そんな錯覚に支配される。


 レース直前は死にそうな気持ちだった――死んだ方が楽なのではないか……、未来を捨てて現在を永久に停滞させてしまえばいい、という思考が働く。

 いっそのこと死んでしまおうかと、実際に行動したこともあった。


 それでも、そんなメイビーが今、レースを続けていられるのは――、

 気づいたら隣にいてくれた、いつも味方でいてくれた、反対なんてしなかった、賛成してくれて、褒めてくれて、怒ってくれて、色々なことを教えてくれて、遠慮がなくて、自分のことを思ってくれて、一番に、考えてくれて――、父親に一番、信頼されていて。

 メイビーも信頼している、世話係の男のおかげだった。


 彼は不安で押し潰されそうなメイビーの手を握り、


『大丈夫です、メイビー様。

 私は、いつだってメイビー様の味方ですから』


 そう言って、にこりと微笑んでくれる。


 それに救われた。いつだって、どんな時だって、その微笑みを見れば、心の中がすっと軽くなって、なんでもできるような、どうにでもなってしまうような、そんな気がしてくるのだ。


 メイビーにとっての支えだった。


 それが――、その微笑みは今だって、いつもと同じように目の前にあるのに。


 なのにあの微笑みは、貼り付けた微笑みだと分かってしまう。

 不気味な、自分を下に見て、陥れようとしている表情だと分かってしまう。


 味方が敵だと分かってしまった瞬間というのは、馬鹿にしていたけど、これ程にまで、心に穴が開いて、絶望的なのか。


 メイビーの足が震える。

 バランスが取れなくなり、膝が地面に着いてしまう。

 脱力した体は、思った通りに動かなかった。


 アメンボの操縦席にいる男は――、幼い頃から一緒にいた、世話係の男だった。



「どうして……、ナスカ、どう、して……?」

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