第32話 出口、ひとつ

「っ、――うう!」


 肘に痛みが走り、運転席から自力で出られなかった――しかし肘の痛みのせいで自力で出れないだけで、肘の痛みをがまんすれば、自力で出ることができる……。

 なので深い溜息を吐いて、歯噛みしてから、痛みの原因である、肘がある方の腕を、あえて体を運転席から剥がすための、押し棒として使用した。


 痛みもある一線を越えれば、神経が許容できなくなり、痛みも感じなくなるだろうと勝手に思って行動してみたが――、

 思いのほか、痛みはさらに酷くなる一方だ。全然、和らぐことはない。

 当然か。冷た過ぎて麻痺するのとは違うのだから。


 それでも、嫌な汗が流れているのも構わず実行し続け、目をぎゅっとつぶり、さらに力を込めようとする。だがその時、体がいきなり軽くなった。

 自分で、自分の体重を支えていない感じだった。目を開けてみれば、自分の体は浮いていて――、いや、誰かの腕の中にすっぽりと、埋まっていた。


「な、な――なにをするんだ、お前はっ!」


「おい、ばたばた手足を暴れさせるな、子供かあんたは……。まったく、姫様のくせにお姫様抱っこもされたことがないのか? 耐性がないから、そんなにも焦るんじゃないのか? 

 あんたの経験の無さを意外なところで発見できたな……」


「う、うるさい! いいから降ろせ! 

 自分であそこから抜けることなんてできたっ、今だって自分で立てるんだからな!」


「そうだな――いや、今から外に出るから、少し待て……。

 さっきの無茶を見ているから、あんたの思い通りにさせるのはすごい不安だ。

 ある程度の痛みなら、抑えるよりも激しくさせて、あえて一線を越えて痛覚を麻痺させてしまうそのやり方は、体を壊す――。できるかどうかは別としてな。

 それを進んでやろうとしているあんたに、あんた自身の体を任せるつもりはない」


「っ」

 自分の思考、そのままの事を言われて、

 一瞬、言葉が詰まってしまうが……、黙ってしまうことは防ぐことができた。


「……分かった、もうそんな、自分の体を大事にしないやり方はやめる。だから――だから降ろしてくれ。この体勢はあまり慣れていないから、その……なんと言おうが、ダメなんだ!」


「少し待てと言っただろう。この中は危険だ――危険だと思う。だからとりえず、外に出るまでは俺があんたを安全に運ぶ。とにかく外に出て状況確認――から、これからの行動を決めるために、ミーティングをする」


 なんでもいいから早くしてくれ、と叫ぶが、ホークの足取りは遅く、重そうに見えた。

 メイビーという一人の少女……、決して、重くはない、重くはないと信じたいが……。

 しかし重かろうが軽かろうが、女だろうが、人間一人だ。抱えるのは重いだろう。


 だからなのかもしれない。

 だが、それを考慮したところで、ホークの表情は厳しそうだった。


 考えてみれば分かることだった。

 さっきの落下――、戦車は地面に叩きつけられたはずである。シートベルトで固定されているメイビーは、その場で衝撃を受けてしまっただけで、それでも、もちろん大ダメージではあるが、だが、なににも縛られていない者よりは、いくらかマシである。

 だが逆に、なににも縛られていなかったホークは、メイビーのようにはいかない。


 固定されていないのだから、着地の際に、思い切り体は、壁、天井に叩きつけられたはずである。メイビーなんかよりも桁違いのダメージを受けている。しかし、それでも声に出さずに痛みをがまんし、こうしてメイビーの体を支えてくれている。


 安全を保障してくれている。

 それが分かって、ぽつりと、メイビーが呟いた。


「……バカ野郎……!」


 声として出しただけで、物理的な反応はしなかった――、ばたばたと暴れることもしなかった。もしもすれば、その揺れや動きは、ホークに伝わり、彼の痛みを促進させてしまうかもしれないのだ。それに気づいて、動きを激しくさせる程、メイビーは人でなしではない。


 下手に拒否するよりも、ここはホークに、全面的に従っていた方がいいだろう。彼の体のためだ。彼にされるがままに、自分の体を預けた。きつそうだったが、問い詰めるのはとりあえず体が地についてからにしようと、メイビーはひたすら待つ。


 これ程のダメージを受けるような落下、着地をしたのだから、戦車も横転しているかと思ったが、どうやらいつも通り、真っ直ぐな体勢のままだったようだ。

 二人で戦車の中から出て、外――戦車の天井部分から降りて、地に足をつく。


 ドリューも怪我をしているのではないかと思ったが、中にいるよりも外にいる方がこの場合は安全である。閉じ込められてどうしようもない中とは違って、外は基本的に自由である。

 守られていない代わりに、避けることができる。ドリューにはミクロン糸線という武器があるので、落下を避けることなど簡単だろう――、思った通りに、ドリューは怪我などしておらず、戦車の横でいつも通りの気楽さで、寝転がっていた。


 どうやら、メイビーとホークを待っていたようだ。


「お、やっと起きて来たか」

 と言って、ドリューが体を起こす。


 自分達がこんな目に遭っているというのに、なぜそんなにもテキトーでお気楽でいられるのだ、というドリューからすれば理不尽な苛立ちを覚えたメイビーだったが、そんなことはどうでも良かった。


 やはり女子だから、女の子だから――目を奪われてしまうのかもしれない。


 言葉遣いも性格も人格も、男勝りでも、やはり、女の子だから。


 目の前の、差し込んでいた光が反射して輝いている、大きな湖のような水溜りを見て、


「うわあ……っ」


 と、メイビーは声を漏らした。



 自分がまだお姫様抱っこされているという、恥ずかしい究極的な体勢……、メイビーにとってはそう思ってしまう体勢のままの状態で見ているのだが、湖に目を奪われて、意識を奪われているために、そんなことなど完全に忘れていた。

 目をきらきらと輝かせたまま、無意識に手を伸ばし、そこで――、メイビーは自分がまるで幼い子供のような行動していることに気づいて、はっとなる。


 赤面した顔はあえて隠さなかった。


「…………」


「……ちらちらとぼろが見えてるんだから、今更、本質を隠さなくてもいいとは思うが――」


「本質ってなんだ! 

 私のなにを知っているんだ!? 勝手に変な誤解をしないでもらおうか!」


 とにかく降ろせ、と今度は力強く言ってみた。

 言葉に宿る強さをさっきよりも数段、強めて言ってみたら、ホークは意外と簡単に頷き、メイビーの体を地面に降ろしてくれた。

 まあ、さっき提示していた『安全に外まで届ける』という条件は達しているのだから、ここで降ろすことは決まっていたようなものだが。


 痛む体は気になるが、それはホークも、もしかしたらドリューも同じだろう。自分だけ痛みを訴えるのもどうかと思う。たとえ彼らがメイビーの体調を誰よりも知りたくて、知っておくべきで、治療をしておきたいと思ってはいても、だがメイビーは言わなかった。


 そこだけは――譲れない部分。

 強がるくらいはしておきたい。


 守られていることは自覚しているし、守られていなければ、きっと自分はこのレースで優勝できないし、ここまで来ることもできない。最初の合流地点のところで、脱落していただろう。

 彼らを味方だと、信用しているわけではないが、まだ、心の中では敵だと認識しているが、それでも、ここまで来れたのは彼らのおかげだと分かっている。


 そしてこれからも、この中途半端な関係は続くだろう――、だから、できるだけ心配はかけたくなかった。痛みを訴えるなど、できるわけがなく、したくなかった。


 だから、平気な顔をして話を進ませる――。

 余計なことを、彼らに聞かせないために。


「この水は、海の水、か? 落下したってことは、ここは地下空間だろう――。

 ということは、壁の外は海の中になる……この水って、もしかして――」


「海の水が侵入している、って考えてるわけね。でも、うーん、水が流れ込んでいる音が聞こえないから、それはどうなんだろね。この水溜りの底の方で、扉が開閉して取り込んでいるのか、それとも、上から持ってきた水を、この窪みに入れているのか、どうか――」


「どうでもいいだろそんなことは。落下したのは、まあ文句を言っても仕方ない――。

 だから仕方のないことだ。とにかく先に進む道を、決める必要がある」


 ホークの言葉に、

「道って、一つしかないわけだけど?」

 と、ドリューが返しながら指で示す。


 確かにこの地下空間、出入口は一つで、湖を見ている彼らのちょうど真後ろのところにあった。そこを進んで行けば、上に向かえるはず――、向かえなくとも、どこかに通じているはずだろう。少なくとも、どんなに時間がかかっても、この場からは離れることができるわけである。


「……道が一つってのも、迷宮にしては不安だな……」


「迷わせる気がないって感じ……いや、ここはなんだか、失敗した者が来るような場所に思えるし、あの道はただの救済措置みたいなものにも思えるけど――、

 でも一つだけに絞られていると、罠って感じもするよね」


「そんなことを考え始めると抜け出せなくなるぞ。……危険を挙げたら、今までの道だって充分に危険だったんだ、今更、躊躇っていても仕方ないだろう」


 ただ、


「姫様が乗り気なら構わないが」

「おいらもお姫様がいいなら別にいいけどね」


「……責任を全部、押し付けられそうで恐いんだが」


 言いながらも、責任は全て取る気ではいたが――、こういうところは世界の上に立つつもりでいた彼女である。責任を取ることに関しては、この三人の中では一番、得意である。

 責任を取ることに、得意も不得意もあるのかどうかは、彼女自身も曖昧で、すっきりはしていなかったが。


「――もたもたしていても仕方ないな、決めたのならさっさと行こう」


 言いながら、戦車の中へ入ろうとしたが、最後に一度だけ見ようと思い、ちらりと湖を見て、そこから、再び目が離せなくなった。

 行く気満々だったところで、こうして見入ってしまうと、さっきと同じく自分で隠していた女の子的なところが見えてしまう。


「――っ、ち、違うぞ!? 別に湖が綺麗だとか、もっと見ていたいとかではなくて! 

 だって反射している光は、言ってしまえばこの空間を照らすための人工的な光だし! 

 電球だし! だから別に神秘的だなとか思ってないから――っっ!」


 語る程にぼろが出ていて、見苦しい言い訳――、もう、こうして取り繕っているくらいならば、本質を晒してしまった方が印象は良く見えるが、やはり強気でいくことを自分自身で縛っている彼女は、分かってはいても、体が先に反応して声が出てしまう。


 苦しい言い訳だとは自分自身でも分かっていたので、彼ら二人も、この素材を見逃すわけはない――、馬鹿にしてくる、なんてことはないにしても、一言二言、呆れたような物言いをしてくると思っていたが、意外にも、そういった返事はなく、メイビーの言い訳が空間に反響するだけで、他にはなにも起こらない。


 返事がない。


 ただそれが、途轍もなく恐かった。


「お、い……? なんで、なにも言わな――」




「――


 と、ホークが言った。

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