第27話 裏切り同盟 その1

 その返しを思い出したところで、ドリューは血だらけの拳を振り下ろすのをやめた。

 真下には真っ白だったコートを、真っ赤に染めている男――、ガスパンプが苦痛に顔を歪めて痛みに涙を流しながら、ドリューのことを見上げている。


 ドリューは仰向けで寝転がっているガスパンプの上に馬乗りになっていた。


「…………」


「はあ、はあ……お、鬼か、てめえは――てめえは、一体、誰なんだ!?」


 どうしてこんなことになっているのか、記憶が曖昧だった。

 思い出そうとしてももやがかかったように、映像が曇っていて思い出せない――。

 白が赤に染まっていく光景が靄越しに見えているので、なんとなくでは覚えているようだが、はっきりと、鮮明には覚えていない。


 そして、ガスパンプの、ドリューがドリューでないようなことを示すその言葉に、ドリューは懐かしい感覚を思い出した。

 まるで自分が自分でないような感覚――、最近では殺しも定期的におこなっていたので顔を出すことはまったくなくなってきていた、もう一人の自分。殺人衝動が、人格として、久しぶりにドリューを乗っ取ったのだろう。

 もう一人の自分と会話などできないから、実際のところ、本当にそうなのか確認する術はないのだが、感覚的に、自分でそう思ったら、大半はそうだろう。


 殺人衝動が顔を出し――、それにしては軽い。殺人とは言えない攻撃で、ガスパンプをここまでにした。生ぬるい、という評価をしても、ガスパンプの顔は原型がどういうものだったのか判別できない程に歪められて、崩れている。

 これを生ぬるいと言ってしまう程に、今までのが酷く、麻痺しているのだろう。


「おいらはおいらだ――しかし、まあ、悪い……やり過ぎた」


 まともとはとても言えないが、しかし殺人衝動に支配されていた頃と比べれば、全然まともなドリューは、さすがに自分でやったと自覚を持っていなくとも、自分がやったことだと後々に理解してから、きちんと謝った。

 だからどうというわけではないが――ここは人として、謝っておくべきところだろう。


 最低限の礼儀は一応、達成できたところで――ドリューは今にも死にそうな、死にたいと本気で思っているような表情のガスパンプの首根っこを掴んで、引き上げた。

 そして彼のぐしゃぐしゃになっている顔を見ながら、


「――少し、手伝ってほしいことがあるんだよね」


 笑顔で死者に鞭を打つようなことをしながら、そう提案してきた。


 ―― ――


 ガスパンプのマシンは森の中ではなく、森の入口から少し離れた場所――分類するならば、山の陣地の方に置いてあった。

 三輪のバイクだが、巨大で――ホークが乗っていたものと比べれば、三倍はある。巨大なこのバイクならば、乗り込んで森の中を走行したところで、大きさの面から出てくる『木が邪魔になる』という問題があっても、なぎ倒して進めるはずだが……。しかしガスパンプはわざわざバイクを降りて、ドリューの元へ近づいて来た。


 ドリューを殺す――いや、物騒な言い方を避ければ、戦闘不能にするということだが、その目的ならば、マシンから降りて隠密に特化するよりは、力のごり押しで突撃した方が明らかに早いだろう――、その方法にガスパンプが気づけなかった、というわけではないだろうし……。

 だとしたら、考えられることはただ一つ……、ガスパンプとドリューの邂逅は、たまたまで、偶然だった、というわけだ。


 現在一位のドリュー達がこの島にいるということは、運営側の定期連絡で、他の選手に知らされているので、ガスパンプも例外なく知らされているはずである。

 だが、この島にいるという情報だけで、この島のどこにいるかまでは情報として流されていないのだろう。だからこそ、ガスパンプは罠や待ち伏せ――レースなのに待ち伏せの危険性を考えるのもおかしな話ではあるが――を警戒して、攻撃よりも防御を重視させたのだろう。


 マシンを降りているところを見ると、防御よりも機動力、と言ったところか。

 小回りが利く徒歩を選んだのは、まあ、森の中で行動するのならば、良策と言えるか。


 しかし、こうして実際に相手と接触してしまった場合、よほど素手での戦いに自信がなければ、すぐさま逃げるべきだったのだ。

 相手が殺人衝動に支配されているドリューなら、尚更、逃げるべきだった。当然、ガスパンプがそんなことに気づけるわけもなく、もしも気づいたとしても、目の前に姿を見せてしまえば、その時点で手遅れ、ということになる。


 ガスパンプは弱くない。これまでの道路の状態を見れば、人格に問題はあれど、しかしそれで弱いと判断する者は、彼よりも弱者の中ではいないだろう。

 これは誰にでも言えることで、ドリューにも言えることだが、上には上がいる――。

 ガスパンプよりも上の実力を持つドリューと彼がぶつかり合えば、ガスパンプが負けるのは決定事項なのだ。


 ジャイアントキリングなんて、そうそう起こらない。


 それにガスパンプの慢心は――、身を滅ぼす効果を促進させている。


 そんなわけで、敗北してしまっているガスパンプは、ドリューに逆らうことができなかった。

 ただ、結局は気の持ちようで、逆らうこともできるにはできるが、心が折られてしまっているために、ドリューの言葉に、はいはいと頷き、従うことしか、ガスパンプは行動できなかった。


「へ、へへ……この山を、登って行けばいいんすね――」


「うん、そうそう――無理にとは言わないけど、できるだけ安全運転で頼むよ」


 はい! と元気な返事をして、ガスパンプは運転を続ける。

 ハンドルの位置が高く、背もたれが大きく後ろに倒れている。まるで暴走族のようなバイクと体勢をしているガスパンプの後ろのスペースには、ドリューが座っていた。

 二人乗り用のスペースではなく、言うならば、荷物置き場と言ったスペースだった。


 ガスパンプ自身はそんなところにドリューを乗せることに失礼を感じているようだが、そんなことを思われているドリュー本人は、毛ほども気にしていなかった。


 楽して山を登ることができればそれでいい――、

 片方がしつこく激しく気にしていても、もう片方にとっては所詮、その程度の感想しかない。


 妙なしこりを残して、落ち着く様子のないガスパンプのことは――放っておいた。

 下手に話しかけても、ドリューが声を発しているということが、ガスパンプにとって緊張の種になってしまっていると、ドリューも自覚しているので、積極的に黙っていることにしたのだ。

 しかしそれが逆に、さらに気を遣わせてしまっているのか、ガスパンプが問いかけてくる。とは言え、沈黙が嫌だから、とりあえず話しかけてみた、ということではなく、これから先の計画の再確認という大事な工程だったので、素直に感心した。


「どうか、しましたか――なにか、気に障ったことでも?」


「いやー、君は部下としてなら、良い部下になるだろうなー、って思ってね……まあ、そんなことは今はどうでもいいから、ともかく、そうだねえ……。

 さっきも言った通りのことを繰り返すけど、君には山の中にいる、ある男を攻撃してもらいたい。殺してくれるのならば、それでも助かるけど、きっと無理だろうね。

 相手に決定力のある武器がないとは言え、その武器で相手を確実に仕留められるよう、技術力は持っているような奴だし――だから、足止めする程度のものでいいんだ」


「足止め、ですか……。でも、あなたがそこまで言う人のことをおれっち、……いや、おれが足止めすら、できるかどうか――」


「うーん、さすがに君ならば足止めできるとは思うけど――うん、大丈夫、できなくともやりようはあるよ。足止めできないと思ったら、気を引けばそれでいい――。

 言い過ぎれば自害することで、相手の意識を君に集めさせることもできるし、おいらが欲しいのはその一瞬の隙なんだよ。これはあんまり言いたくないけど、おいらにとって君は囮であって使い捨ての駒みたいなものなんだ……、もちろん、生きていてくれた方が全然良いけどね……。

 生きていてくれれば、役に立つようなこともあるしさ」


「…………」


 ガスパンプはごくりと唾を飲み込んだ。やはり、殺人衝動に支配されなくとも、ドリューはドリューでしかなく、異常者であることに変わりはなかった。

 二重人格と言えば、片方が正常で片方が異常という対になる人格であることが多いが、ドリューの場合は、本質的に同じだった。


 直接、感情的に殺すか、間接的に、冷静に死に追いやるか――。

 方法は違えど結果は似たようなものであり、非情を押し付けることにブレはなかった。


 だから、ガスパンプは惹かれたのかもしれない――徹底的に敵と認識したものを潰すその遠慮のなさに――危ないものに近づくそのスリルを味わおうとしてしまったのかもしれない。


 非情を売りにしているような者の大半が、敵も味方も関係なく行動する。

 こういう人格を持っている者を相手するのにあたって厄介なのが、相手の大事なものを盾にする戦法が使えない、という点になる。損得を考え、斬り捨てるべきものはすぐにでも斬り捨てることができるからこそ、非情なのだから。


 ドリューだって、そういうグループに属する人間だ。


 だからこそガスパンプは、この島にいる選手の三人が手を組んでいることを知っている上で、最終的な奥の手として【あの手】を使うことを、遠慮することはない、と判断したのだった。

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