第3話 デスレース開始

 少年は立ち止まったまま、だが、一歩も前に進んでいないだけで、意味がある行動を、実はしているのだった。足は固定したまま、器用に手の指先を動かす――、まるでキーボードを操作するような指の動きだが、指はさっきからずっと、空中を叩いている……。

 と言うよりは、いじっていると言った方が正しいだろう。


 黒い革の手袋をはめた少年の指先からは――、きらきらと、微かに光を反射させている『なにか』が見える。少年でさえも視認するのに強く意識しないといけないので、少年ではない誰かが、そこに『なにか』が『ある』と意識しないままに、『なにか』の正体を見つけ、見破ることは不可能だろう。


 だから少年は隠そうともせずに堂々と行動し、作戦を実行している。各所に設置されている中継用のカメラや、リポーターの、ヘリや船を使って移動しながらの撮影にも――、

 そんな彼らよりも過酷な移動をしている他の選手達に、いま自分がしている作戦のことなど、見破られることはないだろうと思った上での、大胆な行動だった。


 まあ――もちろんスタートに出遅れた自分のことなど、もう注目されないだろうという前提条件を作ってからの作業であることを含めて、完全な作戦と言えることだが。


「……少し長過ぎたかな……まあいいか、巻けばいいことだしね」


 少年がぼそりと呟いた後、腰を落として腕に力を入れる。休憩時間が終わり、これから始動するかのような体勢――、心構えのように見える。

 錯覚ではなく誰がどう見てもそう答えるだろう――そして実際に、そういうことだった。


 少年が腰を落として腕に力を入れた数秒後のことだった――、


 ぐんっっ――と。



 少年の体が、前へ飛んで行った。


 いや――正確な表現をするのならば、引っ張られた。


 少年の指先から出ている、見えない程に細く、薄く、しかし強度は最硬の糸――【ミクロン糸線しせん】が、少年の体を思い切り引っ張り、前に進ませた。


 ローラースケートのローラーが上手く回っていないのか、上手く地面と接触していないのか、急ブレーキ音のような高い音がしばらくの間、鳴り響き、少年の存在をこれでもかとアピールしていた。だが、どうやら音のわりに注目している者は少なかった。


 もしかしたら、誰一人として、見ていないのではないかと思う程に、注目がされていなかった。まあ、遅れて出て来た一人が巻き返して来たのを見るよりは、先頭を争う戦いを見ていた方が視聴者的には楽しいし、見応えがあるから納得はできるが。


 それに、見られて過度な期待をされても困ったものだし――、視聴者に向けて気の利いたパフォーマンスなどできる自信は、少年にはなかった。付け加えれば、派手派手しい演出になってしまっている作戦だが、実のところを言えば、この行動は『できれば隠密』なのである。

 糸を辿れば、先端部分には真っ赤でスリムな平べったいスポーツカーがあるはずだ。

 つまり、少年は、そのスポーツカーに引っ張ってもらっている、ということである。


 なので――できれば見つかりたくはない。


 できれば――なので、もちろん、このレースに出ている以上、サバイバルが許されている以上、ずっと他人に頼るというわけにはいかない。自分自身の力で前を進むための策や機能も少年には実装されている。

 いるが――楽をしたいと思うのが人間、サボりたいと思うのがこの少年である。


『風船都市』に複数あるスタート地点から進んで、選手達が一本の道に合流する第一ポイントまでは、自分の力は使わずに引っ張ってもらえたらいいよな――という、ダメ元での作戦だったわけである。

 警戒されないために、ミクロン糸線の射程範囲、最大まで遠慮なく使いたいがために、少年はスタート地点に留まっていた――。

 マシンの速度を考えれば、相当な距離、突き放されていると覚悟はしていたが、だが予想に反して、意外にも距離は離されていなかった。


 あっさりと――すんなりと追いついた。


 拍子抜けである――表情が少しだけ緩んでしまう。


 マシンの速度が速いということは、引っ張る力も強いわけで、だから追いつく時間が早いというのは、意外でもなんでもないかもしれないが――、

 ただ、だとしても早過ぎる。違和感を感じた少年は、緩んだ表情を硬くして警戒をした。

 したからこそ、油断を失くしたからこそ、避けられた。


 避けることができた。


 真っ赤でスリムな平べったいスポーツカーの両側面から出てきた、二機のマシンガン――地面と平行にして降ってくる雨のような銃弾を、避けることができた。



 まったくもって遠慮がなく、確実に殺す気である――、サバイバルと言われているのだから他者を力で叩き潰すことに、禁止事項があるわけではないが、まさかあそこまで人を殺す目的の武器を仕込んでいるとは思っていなかったし、それを、こんなスタートからしばらくも経っていない場所で使うなどとも、同じように思っていなかった。


 少年が後ろから迫っていることに気づき、射撃をするために速度を落としていたのが、少年が感じた違和感なのだろう。


 とは言え。


 予想していなかったのは、こんな初手から使ってくるということだけであって――人殺しの武器を装備していること、それを使用することに、少年はそれ程、気にしている様子はなかった。


 当たり前か――と。


 ぼそりと、マシンガンの銃弾を避けた過程――、空中を前転し、くるくると踊っているかのような、舞っているかのような状況で、少年はそう呟いていた。


 そして、糸を手繰り寄せて、真っ赤なマシンの真上まで近づく――。

 途中、少年は回転しながらさり気なく、ローラースケートの側面についている、モードを切り替えるためのスイッチを、一段、上へずらした。


 ギアを上げた。

 モードを切り替えた。


 すると、ローラースケートのローラーから――刃が突き出てきた。それが自動的に、チェーンソー以上の回転速度で回り始める。

 触れれば柔らかいものは当たり前、硬いものでも触れ続けていれば、やがては削れて、切れていく。マシンのガワなど、簡単に切り刻まれる――人間の皮膚などもっと簡単に。


 抉る。

 切る。


 命を奪うなと言う方が難しい。


「――おっと」


 少年は思わずを声を出す――余裕を持ったままマシンの屋根を突き破ろうとしたが、運転手の男もこういう事態のために、なのか、たまたま接続部の構造のおかげなのかは知ろうとしなければ知ることはできないが……、

 ともかく、側面のマシンガンが、二機とも真上を向いて、さっきの雨のような銃弾を、今度は真上に向けて発射してきた。


 雨という比喩を使えば――真逆の雨だ。


 下から上へ――雨。


 だからと言って、難易度が上がるというわけではなく、いや、空中にいるのだからさっきよりは随分と難易度が上がっているはずなのだが――、少年は余裕の笑みを崩さずに、全ての銃弾を体を回転させることで避けていた。

 避けられない銃弾は、ローラースケートの刃の回転を使って、弾くことで、避けていた。


「――っ」と息を飲む声は、当然、聞こえないけど、少年は感じた。

 運転手の男は、今の一連の少年の動作、スキル、機能を見て――、真上を見るためのミラーによって確認し、動揺していた。


 そして分かってしまったのだろう――あの、複数撃が決まらないのならば、この少年にはなに一つとして、男の攻撃は通用しないだろうと。


 勝てないだろうと――分かってしまったのだ。


 だからと言って諦めないところは評価できるが、どの道、結果は同じだ。


 少年は回転刃をマシンの屋根に突き刺し、屋根を破壊――、そのまま運転席に侵入し、運転手の肩を抉る。


「ぐ、があああああああああああああああああああああああ!?」

 という耳障りな男の悲鳴が聞こえたところで、少年は攻撃をやめた。


 同情したわけではない――今更、やり過ぎたと思ったわけではない。ハンドルを離した、しかし痛みによって変に力を入れてしまっている足は、思いきりアクセルを踏んでいる。

 そんな男の状態を知った少年は、足で器用にハンドルを思い切り、右に切る。

 あとは、少年が特別、なにかをしなくとも、男の脱落は決定事項である。


 修正ができない軌道を全速力で走るマシンから跳躍し、ミクロン糸線を、さらに前を走る別のマシンに絡ませて、少年は楽々なレースを楽しむことにした。

 モードは元に戻して、丸いローラーで道路を走る。


 真後ろでは、道路の柵を破壊した音と、着水した音――なぜか爆発した音までが聞こえてきたが、少年は気にせず、鼻歌を歌いながらコースを進む。


「さて――目的目的……あんまりのんびりしている暇はないんだよなあ……。

 さっさと合流しないと、ややこしいことになるだろうし――それに」


 少年が真上――空を見る。


 快晴――だ。


「それに――面倒なことになるかもしれないしね」


 おいらは楽に二番になりたいんだよ。


 少年の声は、風に乗って真後ろに流れていく。

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