第32話 久我山茜 その8

『へいへい』


 赤鬼はテキトーにそう言う。

 でも、しっかりと仕事はこなしてくれている。


『どうやら、そろそろ着くようだぜ、主様。

 ――見ろよ、そこのビル。あれが、本社じゃねえのか?』


 前を見る。そこには、十階以上もの高さがあるビルが建っていた。

 全面ガラス張りで、会社、って感じを第一印象に押し付けてくる見た目だった。


 会社名は、小さく、謙虚に示していた。

 このビルの全部が、ドロップ・カンパニーのものではないのかもしれない。


 なんにせよ、ここがドロップ・カンパニーだということは確実だ。


 遂に、ここまで来た。


「行くわよ、赤鬼――」


『らっせらー』


 そんな声を上げて、赤鬼はわたしの周りをふわふわと漂っている。


 ぐるぐると周りを回っているのは、やる気の大小を示しているのかもしれない。


 いや、見ているだけだと、それ、やる気がないように見えるんだけど。


 文句は抑え込み、赤鬼から前へ、視線を戻す。このまま――、


「――え?」


 すると、真上で轟音が響き渡る。

 瓦礫が雨のように降り注いできた。


「――赤鬼!」


『分かってる!』


 赤鬼は、咄嗟に、車の速度を上げようとした。

 しかし、これ以上は上がらない。


 思いついた回避の方法は、あっさりと潰されることになった。


『主様――こりゃまずいぜ――』


 そんなこと、言われなくても分かってる! 


 でも、どうすればいいのかなんて、全然、分からない。


 そうこうしている間にも、瓦礫の雨は、もう、すぐそこまで迫ってきている。


 このままじゃ――潰される。

 跡形もなく、骨すらも拾われないくらいに残酷に、潰されて。

 見つからないままに、わたしは――、



 もう駄目だと悟ったその時には、わたしの真上にあった瓦礫は、全て、薙ぎ払われていた。

 見たことがある、白い、布のような形をした、うねうねと動く――式神。

 その持ち主が誰なのか、わたしはよく知っている。そして、声。


「大丈夫――茜!?」


「え……――お母さん!?」


 お母さんは式神から飛び降りて、わたしの胸に飛び込んでくる。

 自分の顔をわたしの胸に押し付け、すりすり、すりすり、と――ちょ、なにしてんの!?


「茜だ……茜だ茜だ茜だ茜だ!」


「ちょっと待って、キャラがぶれてる! ぶれているというか、壊れてる!!」


 今まで、お母さんに抱いていたイメージが全て破壊されていた! 

 どうしちゃったのこれ!? 


 もしかして、お母さんの形をしたまったく違う、


 変化の能力を持った式神なのではないか――。


『いや、こいつはこんなんだぜ、いつも』


 赤鬼が、横から口を出す。


『正真正銘、主様の母親だ。主様は知らないと思うが――こいつは、子離れできてねえ。

 主様に冷たくしながら、いつもいつも、主様のことを考えている。

 まったく、毎日毎日、主様のことを話されているんだぜ、オレ』


 くっくっく、と笑う赤鬼。

 赤鬼の言葉に、なんだか、すごく恥ずかしくなった。


「……聞くけど、なんて話をされたの?」


『「茜が、バレンタインのチョコを手作りでこそこそ作っていたのよ。好きなの男の子でもできたのかな? お母さんはぷんすかぷんすか」って、話は聞いたな。

 確か、中学時代の話だと思うが……』


「ぎゃああああああああああああああああっっ!?」


 この人、式神になんて話をしているのよ!


 しかも、内緒でチョコレートを作ってたのに! しっかりとばれてるし!


「もしかしてそれ以外にも聞いたの!?」

『まあ、色々と。大半は忘れているがな』


 でも、色々と、知られて――。

 ああ、ああ……プライバシーが、無くなってる……。


『別に、そこまで恥ずかしい思い出ではねえだろ』


「そういう問題じゃない!」


『――お、おう。そうか』

 と、赤鬼は怯んで、それ以上はなにも言わなかった。


「はあ……。今は、いい。いや、よくないけど、今は、いいや」


 今は、そんなことに時間を使っている暇はない。

 瓦礫を避けられた。なら、次にすることは決まっている。


「早く、和実を救いに行かないと」


 ドロップ・カンパニー本社、ビル。

 お母さんが瓦礫を薙ぎ払ってくれたおかげで、その時の衝撃がビルにも届いていたらしく、ビルの側面が、壊れていた。破壊行動をしなくとも、ビルの中には侵入できるということだった。


 引っ付いているお母さんを、引き剥がす。


「ちょ、お母さん、離れてってば」


「どこも怪我はしてない? 誰かになにか、されてない?」

「されてないよ、大丈夫だよ」


「そっか、良かった……」

 お母さんは、安堵の息を吐く。

「ごめんね、私のせいで……。私のせいで、茜、危険を背負ってたんだよ」


「え――」

「ごめんね……私が、もっとしっかりしていれば――」


 お母さんは、そこで、泣き崩れてしまった。

 ……こんなお母さん、初めて見た。


 赤鬼が言っていた、子離れできていない――。それは、嘘ではなかったらしい。


 こんなにも、わたしは大事にされていた。お母さんに、大切にされていた。 


 嬉しかった。その事実で、力が、みなぎってくる。


 わたしは、屈んで、膝から崩れたお母さんの肩を、ぽんっ、と叩き、

「大丈夫だよ」と。


「茜……」

「わたしは、これでも久我山一族だよ? それに、お母さんの娘なんだから」


 そう言って、胸を張る。

 頼りない、わたしなんて、殺す。

 けない、わたしを、わたしは殺す。


 そんなわたしは斬り捨て、眠っていたわたしを、わたしとする。


「――危険を背負う? そんなもので、わたしが危険なわけ、ないのよっ!」


 お母さんを安心させるために言った。しかし、嘘じゃない。

 今のわたしには、赤鬼、青鬼――そして、前に進むための気持ちと、足がある。


 手だってある。なんでもある。

 今ならできないことはなさそうなほどだ。危険くらい、吹き飛ばせる。


「だから、わたしは行くよ。友達を助けるために。――見ててよ、お母さん」


 とん、と車から降りて、ビルの中に入って行く。


 赤鬼が、


『ついて行くぜ、主様』


 その言葉にわたしは、「当たり前」と返す。


 すると、後ろから「茜!」と、お母さんの声が聞こえてくる。


 振り向けば、お母さんが手を口元に寄せて、メガホンのような形を作り、


「頑張って、茜!」と言う。


 その言葉は、わたしの胸に、しっかりと届いた。


 うん、と頷き、ビルの中――廊下を進む。

 青鬼から連絡が入ったのは、その時だった。



『主様――和実様、見つけたぞ』

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