第17話 乙女の涙は秘すべきもの


 少年がの魔神に討ち勝った頃、この島に存在するもう一柱の魔神ベル=ヴェルク・オールシュ・ヴァイズは日が沈み夜の帳が降りて冷え込む【G・デザート】上空を飛行していた。

 昼からここ【G・デザート】へ鍛錬に出たっきり帰ってこないファウストを心配して探しに来たのだ。

 例のマッパーの凶兆が示したもの10というサインがもし十年後だった場合、今日当てはまってもなんらおかしくない。そう思うと胸がスゥっと薄ら寒くなり泣きそうな気分になるのを気丈に堪え、さっさと見つけて帰ろうと思い地表を探していると、突然地表近くの虚空からまるで魂のような丸っこい薄ぼんやりとした陰が現れた。

 あれはなんだろう?と思っていると、それはこちらに気づいて接近してきた。


『やぁ、久方振りだな。天災の魔神よ』


 その薄ぼんやりとした陰は感情の読み取れないフラットな声音でそう発した。その声には聞き覚えがあった。忘れるはずもない。この声はまだ精神的に未熟だったベルの身体を乗っ取り、自分の目的の為だけに魔神化させた張本人のものなのだから。


「何故貴様がここにいる!」


 ベルは怒りに顔を紅潮させながら詰問した。

 しかし薄ぼんやりとした陰、魔神ラスカルトは平然と返す。


「なに、ここに王鍵レガリアがあると判明したので下見に来て、あわよくば奪取しようと目論んだだけだ。まぁ、結果は見ての通りとある少年によって辛酸を飲まされたわけだが。

魔法の系統、傾向からしてアレは君の弟子といったところだろう?」


 その言葉にベルは驚愕した。この眼前の魔神は自分よりも上格の神格を持っている強大な存在だ。それをいくら強いとはいえ、神格を持たないただの人間が倒した?何かの冗談かと思ったが王鍵レガリアの存在に行き着きほんの少しだけ納得した。


(そうか。王鍵レガリアに選ばれたのじゃな)


 まぁ、だからと言って魔神を倒せるかと言えば可能性が全くの0から小数点第百位以下の可能性になっただけで、普通なら不可能なのだが。ファウストはそんな可能性の中でも僅かな光明を探し出して、これまでにない強敵に討ち勝ったのだと確信し、師として誇らしげに思った。

 だが、それよりも今は目の前のヤツだ。


「答える必要はないと思うが?」


「その言葉が何より雄弁に語っているよ」


 相変わらずやりにくいヤツだと思い睥睨する。


「貴様は一体何が目的なんだ。王鍵レガリアを集めて何をするつもりじゃ」


 その問に対してラスカルトは少しだけ間を開けて答えた。


「……何処にでもありふれた私怨を晴らすためさ」


「私怨じゃと?」


「これ以上の問答は不要だな。また、機会があれば会おう」


 ベルはそう言い残して飛び去ろうとしたラスカルトを掴み、問答無用で握り潰した。


「もう会いたくなどないわ」


 同じ魔神であるベルは誰よりもラスカルトの不死性……というよりは最早存在性や普遍性とでもいえるものの高さを知っているがここにあるラスカルトだけでも滅さなければ自身の気が収まらなかった。

 ベルは再度気を取り直してラスカルトが現れた虚空にファウストの居場所に繋がる何かがあると察して調査を開始した。




 ◇




 その後、ファウストはベルにより無事救出され、治療など出来るはずもない役立たずベルゾレフには大人しくしておくよう命じて、魔術で治療した。


 そして……。一週間後。



 ◇




ベルゾレフの家の今はファウストの部屋となっている一室にて。


「あ〜リア?リゾット食べるくらい自分でできるんだけど……」


「何を言っている。お主は怪我人なのだから大人しくしていろ!ベルからもそう言われているだろう」


「いや、そうだけどさ……」


「分かったらほら、あーん」


「……あーん」


 見ての通り甲斐甲斐しく看病されていた。

 世話をしているのは他でもない。魔神との戦いで共闘した天上の領域への鍵の欠片にして世界を支える支柱の一つでもある王鍵レガリア本人だ。彼女は魔神との戦いの後、傍観者と名乗る何者かより贈り物を頂いたらしく、自身の変形機能に生命体への変形も追加されていたのだとか。

 現に今、彼女はその変形機能を活用して金髪翠眼のファウストと同い年くらいの美少女に変形している。因みに変形と言ってもロボのような変形ではなく、素粒子レベルで変質し、変形するので王鍵レガリアとしての性質を残したまま見た目も中身も普通の人間と丸っきり一緒になっている。その為、というか単純にこれから長い時を共にするパートナーであるため、王鍵レガリアではなくリアという愛称で呼ぶことになったのだ。名前が安直なところは流石はネーミングセンスの無さに定評のあるファウストだと言っておこう。

 そして、その傍観者とやらからの贈り物は当然の如くファウストにも与えられていた。

 それは……


 【神の資格】


 ざっくり言うと発動すると一時的に神格を獲得し、神だけが使える異能である“神術”が行使可能になったり、魔神の構築した世界を破壊することができるようになる任意発動型技能アクティブスキルだ。

 神が神たる所以である『神格』には格があるのだが、これは下から順に勇者や賢者などの“亜神”、ラスカルトやベルのような“魔神”、魔神と同等格の龍人やヴァンパイアなどの一部の種族が到れる龍神や神祖、世界論で登場した“現人神”、そして王鍵レガリアを遺跡に安置した張本人である“天上の意思”となっていて、この【神の資格】では魔神相当の神格を得ることができるのだ。


 閑話休題。


 ファウストがリアにあーんしてもらっていると、とてとてとてという軽く可愛らしい音が聞こえてきた。

 そしてガチャァァ!と丁寧かつ大胆に扉は開け放たれた。


「うわああああ!なんでリアがご主人にご飯あげてるの!今日はぼくの番なのにぃ!」


 そう涙目で訴えるのはドラコスライムのプニだ。

 ベルとの修行の末人化を会得して人型になることができるようになったのだ。その容姿は猫っ毛の大空のような肩までの青髪ショートストレートヘアにリアと同じ翠眼のぼくっ子美少女だ。肌色は元がスライムだからと言って青色になるわけではなく、普通に色白肌だった。ちなみに胸部装甲は控え目なリアとは反対に着ているTシャツの上からでも良く分かるほどのお山が形成されていた。


「ふっ、折角ベルが作ってくれたというのにお主が目覚めるのを待っていたら冷めてしまうわ」


「うぐっ、た、確かにそれは嫌だけど……」


「まぁこれに懲りたらちゃんと早起きすることだ。そしたら今度は私の番でも代わってやる」


「ホントに!?リア大好き!」


 リアの優しさに感動したプニは目をキラキラと輝かせてリアに抱きついて頬ずりした。

 その時プニの豊満な胸が肩に当たって少しイラッとくるが、その愛玩動物のような純粋な笑顔を見て毒気を抜かれたリアは左手で優しく撫でてやった。


(こうして見るとホントの姉妹見たいだな)


 プニを撫でながら器用にリゾットを掬ってあーんを継続するリアにオカン力高ぇと思いながらも二人の様子に癒されるファウストであった。


 勿論その視線の意味に感づいたリアはお仕置きとして喉奥に熱々リゾットをダイレクトアタックした。


 ◇


 その後、昼食を食べ終わってリアに食器を片付けに行ってもらい、スライムの姿になって肩の上に乗るプニと一緒にゆっくり魔道書を読んでいると、コンコンとノックの音がした。


「入るぞ」


 その言葉に了承の意を返すと扉を開いてベルが入ってきた。


「どうしたんだ?」


「うむ、実は今から三ヶ月後に大陸の【ローゼンクロイツ】の首都【ディケイド】にある【王立オーラルスクエア学園】の入学試験があるんじゃが……どうじゃ、いってみんか?」


 ベルは袖から【王立オーラルスクエア学園】のパンフレットを出してそういった。受け取って見てみると、そこにはコの字型を描いた校舎や、貴族の屋敷のような豪奢で大きな学生寮、その他外部関連施設などが紹介されていた。


「それは俺としても嬉しいけど……、俺はまだガチムチアイランドここから出られるほど強くないぞ」


「まぁ当然じゃな。いくらラスカルトを倒したといえど、話を聞いた限りではアレは依代が悪かったのも大きかったろうからのう。今のぬしの実力は十分島近海の魔物にも通用するがそれも単体ならばの話。複数体かつ長期連戦などすれば勝ち目はない」


「ならーー」


「だから我が近くまで送っていってやる」


 その以外な申し出にファウストは思わず素っ頓狂な声を出してしまう。誰かにここから出してもらうという選択肢がすっかり抜けていたのだ。


「へ?」


『あ、もしかしてアレ使うの創造主様!』


「うむ、アレなら一瞬で大陸まで跳べるからの」


『ぷ〜、でもあれって大雑把にしか移動できないんじゃなかったっけ?』


「うむ、じゃから三ヶ月前に言ったのじゃ。実力的には合格間違いなしじゃからの」


『むふふ〜創造主様弟子自慢〜?』


「なっ、別にそんなのではないわ!」


 ベルは頬を赤く染めて反論した。

 しかし尚も『カワイイのか〜自慢の弟子がカワエエのんか〜』と煽ってくるプニをむんずと鷲掴んでぐにぐにとこねくり回した。しかし、やってる側としては懲らしめてるつもりだろうが『もっとやって〜』と言ってるところを見るにやられてる本人は寧ろ喜んでいた。

 思いの外感触が良くてハマったのかベルはそのままプニをぐにぐにと両手で揉み転がしながら続ける。


「とにかく、は用意してやるから気にするな。問題はぬしに行きたいという意思があるかないかじゃ」


 暫く考え……答えを出した。


「行くよ。そこなら俺の見たい景色が見れるかもしれないしな」


「ふふ、そうか。なら怪我が治り次第行くからそのつもりでな」


「分かった」


 ベルは予想通りとばかりに笑い、そう告げてファウストに背を向けて部屋を出ようとしたところで「なぁ、ベル」と彼に呼び止められた。


「なんじゃ?」


「ラスカルトはまだ生きてるんだよな」


 その言葉にドアノブを握る手に一瞬力が入った。

 ベルは静かに告げる。


「……ヤツの魔神としての権能は六つあり、現在判明してるのは【遍在】と【空隙】と【境界】の三つじゃ」



「【遍在】ってことはアイツはこの世界のどこにでもいるってことか?」


「そういうことじゃ。といってもヤツは【境界】の権能を用いて大抵思念体として世界を彩る概念層の裏に篭っとるがな。恐らく自身の目的の為に慎重になっているのじゃろう」


「ヤツの目的って?」


「さぁな。どこにでもありふれた私怨とは言っていたがそれが本当かどうかは分からん」


「……そっか」


「じゃが、これだけははっきりしておる。ヤツは王鍵レガリアを狙っている。つまり、ヤツはこれからもぬしとリアを狙い続けるということじゃ。奴だけではない。世界中の奴クラスの怪物共もじゃ」


 その言葉はちょうど部屋に戻ってきたリアの耳にも届いていた。彼女は自分のせいでこれから先もあんな化物に狙われ続けることは知っていた。しかし出会いが出会いだったため、それを伝えることができないでいた。そして、その覚悟を問うことも……。

 自身の内に不安が募るのを自覚しながら彼女は扉の前で立ち尽くした。


「初っ端からストーカー被害に遭うなんて幸先が悪いな」


 ファウストはそう言ってニヒルな笑みを浮かべた。


「ま、だからと言ってアイツを見捨てる気にはなれないけどな」


 その言葉の覚悟のほどを図るべく、ベルは少し嫌な問いかけをした。


「今ならまだ間に合うぞ。王鍵レガリアの適合者は一人だけではないからの」


 だが、彼の覚悟は揺らがなかった。


「ああ。アイツを見捨てるどうこうっていう段階はとうに過ぎちまってんだ。アイツはもう俺の護りたいものの中に入っちまってるからな。例えどんな目に遭おうと、どんなヤツが相手だろうと、アイツが心の底から望まない限りは見捨てるつもりはない」


 その言葉を聞いてリアは部屋の外で声もなく静かに泣いていた。

 これまでも何度かあの聖域に辿りついたものはいた。しかし、持ち主になるものは一人もいなかった。皆、王鍵レガリアを持っていると世界中の怪物達に狙われ続けることになると知るや否や、踵を返して去っていった。


 だから、心のどこかではまた見捨てられるのではと思っていた。 そんなリスクを犯してでも一緒にいてくれるだなんて思っていなかった。

 ……また、何千年もの間、あの誰もいない静謐で寂しい聖域で独り過ごすのだと思っていた。


 だけど、


 ……だけど。


 彼は見捨てたりはしなかった。

 また、あんな常識が通用しない相手と戦うことになるかもしれないのに。それで今度こそ本当に命を落とすことになるかもしれないのに。

 それでも彼は……見捨てないと言ってくれた。どんな目に遭おうと、誰を相手にしようと、護ると言ってくれた。



 それが……、何よりも嬉しかった。





 ベルは声を押し殺して泣いているリアを本人にさえ気づかれぬようにこの部屋から離れた別の部屋の前に位置を入れ替えてやった。


(乙女の涙は秘すべきもの。涙を晒したくなければ次に会う時はとびっきりの笑顔を見せよ)


 彼女がもう護りたいものの中に入っているのは何もファウストだけの話ではない。ベルも、おそらくプニもベルゾレフも同じ気持ちであった。


「その言葉が聴けて安心したぞ。流石は我が弟子じゃ」


「だろう」


 部屋の外の一幕に気づかぬまま、そう、ファウストは誇らしげに笑って言った。






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