第14話 終わり無き死の旅路


 気がつくと視界は純粋な白一色に支配されていた。

 彼方まで続く草花生い茂る清廉なる空気が漂う広大な聖域も、静寂を心地よく打ち破る水音を奏でる噴水も、聖域へ入るための光のゲートも。遍く物が瞬きの間に一切合切消えてなくなった。先程まで見ていた景色が、記憶が、全て幻だったと錯覚してしまいそうなほどに。世界は忽然とその姿を消した。


「……どこ……なんだ……、ここは。世界は……消えたっていうのか?」


「そんなことはしていないさ。私にとっても世界という場はまだ必要な物なのでね」


 呆然と白い世界で立ち竦むファウストの鼓膜を先程の白蛇の声が揺らした。

 声の方を見ると、そこには白の世界に埋もれるように、しかしその真逆に王の如く威風堂々と、その血溜まりのような双眸を湛え先の白蛇が君臨していた。

 白蛇は告げる。


「この世界は私の精神世界のようなものだよ」


 「精神世界だと?」、そう発声しようとしたファウストだったが、声は出なかった。

 白蛇は一方的に言葉を続ける。


「君にはこれから無限の死の旅路に出てもらう。

抵抗は無意味だ。この世界は私の物で全ての支配権が我が手中にある」


 最後に、白蛇は何の感情も乗せないフラットな声色でこう告げた。


「さぁ、人生最後の夢の旅路を存分に楽しんでくるといい」


 そう言うと。


 世界はまた。


 一変した。



 ◇



 瞬きの間に世界はまたもや一変しており、ファウストは両手が縛られた状態で十字架に張り付けられていた。それだけではない、足元には枯れ木が積み上げられ、自身を取り囲むように薄ぼんやりとした人影が松明や一斗缶を持って並んでいた。

 その光景はまるで魔女狩り。


「…………ッッ!」


 その異様な光景に白蛇によって発生を封じられているファウストは声にならない声を挙げた。


 薄ぼんやりとした人影は機械的に一斗缶の蓋を開け、ファウストに向かってかけ始めた。


(この臭い……ガソリンかッ!)


 薄ぼんやりとした人影が掛けていたものは前世の地球でも燃料としてよく知られているガソリンだった。

 このままでは拙いと判断したファウストはなんとかして拘束から逃れようとするが、まるで世界のシステムそのものに動かないよう設定されているかのように身体は一切動かなかった。それでもなんとか逃れようと、魔法やスキルを発動しようと何度も何度も何度も試みるが、全く発動しなかった。そもそも魔法に至っては魔力すらどこにいったのか、体内から全く感じられなかった。

 一斗缶の中身をぶちまけきった薄ぼんやりとした人影は愈々いよいよ松明を近づけ、十字架に火をつけた。


「ーーーーッッッッッ!!」


 火が全身に燃え広がり、身体中が焼かれて全神経が悲鳴を挙げる。

 声が発声できないというのは存外、辛いことだ。人は発声、つまり叫ぶことでアドレナリンを分泌し痛みを紛らわすことができる。それを封じられるという事は痛みを紛らわすことは叶わず、全ての苦しみを存分に味わうことになることを意味していた。

 皮膚が爛れ、肉が焼け、骨が焦げる嫌な臭いを感じたのもつい先程まで、今となってはもう全身を焼く猛烈な熱と最早熱か痛みかも区別がつかなくなってしまった激痛以外感じることはできなかった。


しかしそれでもまだ薄ぼんやりとした人影暴虐は止まらない。

次に薄ぼんやりとした人影達は手に持つ松明で燃え盛るファウストを殴打し始めた。身体が燃え盛る中に炎の殴打が加わり、最早火傷と殴打の痛みの区別すら怪しくなってきた。


(お……れは……。こんな……ろで、……死ねーー)


炎により皮膚がグズグズに焼け爛れ、そこに松明の殴打が加わることで身体はまるで泥道を歩く時のような音を立てながら、意識とともに崩れゆく。





「ーーーッッ!!」


 意識が戻ると今度は石製の台座の上で仰向けに寝転んでいた。案の定手足はおろか魔法もスキルも使えなかったが……。その周囲にはまたもや薄ぼんやりとした人影が並び、手にはスプーンやフォーク、卸金、包丁、肉叩きなどを持っていた。


(俺は……死んだはずじゃ……)


 そう思った時、白蛇の言葉が脳裏を過ぎった。


 ーー君にはこれから無限の死の旅路に出てもらう。抵抗は無意味だ。この世界は私の物で全ての支配権が我が手中にある。


(無限の死の旅路……そうか。肉体ではなく、言葉通り無限に死を味合わせることで俺の精神を壊そうって腹積もりか。クソッタレが)


 無残に焼き殺され、疲弊しきった脳で白蛇に悪態を付き、どうすればこの世界から逃れられるかを必死に考えた。


(身体が一切動かない上に魔法もスキルも封じられた状態でできることはなんだ。それを思いつかなければ待つのは精神崩壊だけだ!)


 卸金を持った薄ぼんやりとした人影は先の地獄をリフレインさせるかのように、機械的にファウストの身体を卸し始めた。

 ズリズリズリという皮膚を剃り下ろす音は次第にズチュグチュミチュッという水音を含んだ血肉を剃り下ろす音へと変化していく。


「ーーーーーッッッッ!」


(耐えろ。今は耐えて対抗手段を考えるんだ!)


 続いてタバスコが塗られたスプーンを持った薄ぼんやりとした人影が動き、ファウストの眼球を、より恐怖を、より痛みを与えるようにゆっくりと紅く染まったスプーンで抉り出していく。あまりの激痛に反射的に眼を閉じようとするが何故か瞼は動かなかった。これもまたこの世界のシステムに組み込まれている設定によるものなのだろう。

 しかし、声にならない悲鳴を挙げながらもその思考は止まるどころか加速していく。


(この……世界で、俺に残された唯一の対抗手段は……)


 今度はフォークを持った薄ぼんやりとした人影が動いた。両手に持っているフォークを腕、腹、足と全身に渡って乱雑に突き立てていく。


(クソッ精神世界で何もかもを封じられた今できること……残された道はなんなんだ……)


 次は包丁を持った薄ぼんやりとした人影が動き出した。それはファウストの足を包丁でコの字型に切り開いていく。

 そして捲れ上がった肉を肉叩きを持った薄ぼんやりとした人影がグチャッグチャッという血肉が撥ねる水音を響かせながら容赦無く叩いていく。それだけではない。中の筋肉や骨もドンドン叩いていく。

 身体を内側から直接叩かれて気がおかしくなりそうな痛みに襲われるが意識は飛ばない。おそらく白蛇が死以外での意識の断絶を封じているのだろう。

 薄ぼんやりとした人影の行為はドンドンエスカレートしていく。

 腕を削り続けて骨ごと剃り下ろしていた卸金は締めに香辛料を振り掛けてからそれを切り上げ、包丁が切り開いた所から筋肉を直接卸しにかかり、スプーンは片眼を抉り出したので今度は眼窩に高温の唐辛子スープを流し込んで、スプーンを突っ込んでグチュグチュと掻き回し始め、包丁は腹をカッ捌き、内蔵を取り出してそれを肉叩きが叩き、フォークが突き刺していく。

 ファウストは再び死が近づき、消えかかる意識の中まだ思考を止めてはいなかった。


(……そういや、アイツはこうも言ってたな)


 ーーさぁ、人生最後の夢の旅路を存分に楽しんでくるといい。


(夢の旅路……もしかしたら……)


 そこで意識は耐え、彼は精神世界で二度目の死を迎える。



 ◇



 また、目が覚めると、今度は実験室のような所で実験台の上に寝かされていた。

 周囲を囲む薄ぼんやりとした人影はメスとピンセットを持っていた。

 ファウストは徐に『この世界は俺の物だと』強く念じながら天井の一点を捻じ曲げる想像をした。

 すると彼の読み通り、天井の一点は捻じ曲がった。しかしそれは直ぐに元に戻ってしまった。


(思った通りだ。明晰夢のように自覚を持って想像すればこの世界に干渉できる!

だけど、奴の修正力が働いてるのか直ぐに修復されるな)


 薄ぼんやりとした人影はメスで腕を手首から肩まで大きく切り開いていく。そして切り開いた腕の神経をピンセットで一つ一つ千切り、剥がしていく。

 先程の調理拷問世界のような大雑把な激痛ではなく、針のように鋭い精密な激痛が走る。

 しかし唯一の対抗手段希望を見つけたファウストは激痛に苛まれながらも抵抗をやめる気は最早なかった。


(こっからは根比べだ。俺の想像力がアンタの世界を凌駕するか。アンタの構築した世界が俺を殺しきるか)


 腕の神経を剥がし終えた薄ぼんやりとした人影は今度は腹を裂いてピンセットで血管を啄んでいく。


(俺はもう諦めるつもりは無いがな)


 そこで彼は致死量の血を失い。三度目の死を迎える。




 ◇



 次に気がつくと、今度は真っ暗な闇の中で何か冷たく少しザラついた液体の中浮かんでいた。鼻腔には仄かに洗剤のような香りが燻っている。


(今度の世界がどんなものだろうが関係ない。こんな世界さっさとぶち破ってやる!)


 そう決意したファウストは取り敢えず目の前の闇を切り崩そうと想像し始めるが、それと同時に『ゴウン』という機械音のようなものが聞こえてきて彼が浮かんでいた液体が動き出した。次第にその動きは、いや、流れは大きくなっていき、激流に飲み込まれたファウストは想像を強制的に中断された。


(この液体の流れと音からして今度は巨大洗濯機か。ふざけやがって)


 息が続く内に成功を目指して、少なくともなるべく多くの経験値だけでも積もうと考えたファウストは洗濯機の流れに揉まれながらも懸命に想像し続けた。

 しかし、そこでまたも邪魔が入る。左足、右腕、顳顬こめかみに切り裂かれるような鋭い痛みが走ったかと思うと今度は腹部に痛烈な打撃痛が走った。


(……!視界が確保出来ないから推測でしかないが刃物や鉄塊でも混入されてたのか!?)


 ファウストの予測通り、水中には彼の想像を途切れさす為のちょっとしたスパイスとして大量のギロチンや剃刀、刺付き鉄球などが混入されていた。

 それでもなお想像を続けようと奮闘するが、洗濯機の流れに乗ったそれらは凄まじい勢いで彼に猛威を振るい続けた。剃刀が身体中の皮膚や肉を切り裂いていき、ギロチンが骨を断ち、剃刀によってグズグズに切り裂かれた傷口を両断し、刺付き鉄球が骨や臓器を打ち砕いていく。それだけではなく、最初に感じたこの水のザラついた感じはどうやら研磨剤だったようで、激流により加速したそれらにも傷口を削られてた。

 しかし、それらに流されるまま享受するのではなく、気配で位置を推測して想像により歪ませることで回避もするが、如何せん数が多過ぎてその些細な抵抗は多少の時間稼ぎにはなったものの、傷以前も問題として、息が続かなかった。


(……この世界ではこれ以上は続けられないが、俺の精神が壊れるまでこの地獄は終わらない。次こそは必ず……)


 未来にあるのは自身を破壊する無限の地獄ではない。この状況を打開する無限の機会だ。そう思うことで心の奥底にある、もう出口はないんじゃないか。ここから出ることは絶対に叶わないのではないかという弱気な思いを塗り潰して気丈を保った。


 そして、失血と窒息で朦朧とした意識は次第に薄れていった。




 ◇




 その後も死の旅路は延々と続く。

 無数の世界機会で、無数の絶望を味わった。



 どんな傷でも一瞬で癒える世界で四方八方から斬られ続けて失血死。


 自分の身体の部位をオークションに掛けられて落札したものから順に抉り取られて失血死。


 食べ物が本当に何も無い貧困地帯で身動きできないままやせ細った人々に食べられて死亡。


 体内に食人虫を多数入れられて内側から喰い破られて死亡。


 血中に血液を養分に成長し続ける植物の種を注射されて干からびながら身体を植物に破られて死亡。


 馬車に死ぬまで引き摺られて死亡。


 身体にチューブを差し込まれて水を入れられ破裂死。


 巨大ミキサーに入れられミンチになり死亡。


 砂漠で固定され、七日七晩放置され干からびて死亡。


 ウルフの群れに喰い殺されて死亡。


 激痛と共にじわじわと身体が溶けていく病により病死。


 高温の釜で茹でられて死亡。


 美味しそうな料理が並び、楽しげに飲み食いする人々をただ眺め続けさせられて餓死。


 何も無い真っ白な低酸素の部屋で死ぬまで味の無い飲食物を飲食のみして老衰。


 その他、絞殺、格殺、刺殺、斬殺、轢殺、薬殺、呪殺、圧殺、射殺、毒殺、蒸殺、撲殺、爆殺、抉殺、感電、転落、埋葬、放射能汚染、有りとありとあらゆる方法で最早数えるのも億劫になるほど殺され続け、この世界は意思の力で突破できるという攻略法希望に縋っても精神という具体的な形容が不可能なものが摩耗していくのを感じていた。パラ……パラ……と砂で作られた造形物が風によって少しずつ磨り減っていくように、少しずつ……少しずつ……だが確実に磨り減っていっていた。

 一〇〇〇〇を越えた頃には唯一の希望すらも折れかかっていて、心の中にあったこの世界から出ることはもうできないんじゃないかという気持ちが次第に大きく膨れ上がっていっていた。

 そして…………。少なくとも二万は越えているであろう回数の後の世界へと場面は移る。





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