私の大好きな人

タマゴあたま

私の大好きな人

「ひとりにしちゃうけど待っていてね」


 そう言って彼はドアの向こうへ行ってしまう。毎朝のことだけれど、やっぱりさみしい。

 彼のいなくなった玄関でふと昔のことを思い出す。


 ◇◇◇


 私は雨の中ぼろぼろの姿で歩いていた。道行く人は私のことを同情の目や奇異の目で見ていても、声をかけることはしなかった。

 そんな時、彼は私に手を差し伸べてくれた。彼の笑顔はとても優しく柔らかかった。

 倒れそうになっていた私を抱き上げて、彼は歩き出した。少し恥ずかしかったけれど、それよりも安心感のほうが強かった。

 その安心感のせいで寝てしまっていたのだろう。気がつくと知らない部屋にいた。

 キョロキョロしていると、彼と目が合った。


「あ。気がついた。一時はどうなることかと思ったよ」


 どうやら私は相当危険な状態にあったらしい。

 それもそうか。私は虐待にあっていたから。怪我をさせられた上に外へ放り出されたのだ。

 どれだけドアにすがりついても、いくら謝ってもそのドアが開かれることはなかった。

 もうあいつのところへ戻りたくない。もう痛いのなんて嫌だ。怖いのも嫌だ。

 そんな私の事情を察してくれたのか、彼はこう言ってくれた。


「うちに来なよ」


 そうして、私は彼の家に居候いそうろうすることになった。

 彼はすごく優しいけれど、そんな彼にものすごい剣幕で叱られたことが一度だけある。

 ベランダへ出ようとした時だ。


「外には危険がいっぱいあるんだから絶対に一人で出ちゃだめだ! 悪い人だっていっぱい居る! さらわれるかもしれない! 出るときは僕と一緒の時だけ! 約束できる? 君に何かあったら悲しいよ」


 彼の声は大きかったけれど、私を心配してくれていることが分かった。

 彼との生活は楽しく、とても幸せだ。


 でも、不安になることもあった。私は掃除ができない。洗濯もできない。料理だってできない。

 何もできない私がここにいて良いのだろうか。


「君と一緒にいるだけで僕は幸せだよ」


 彼はそう言ってくれた。

 そんなことを言われたのは生まれて初めてだった。

 私は思わず彼の胸に飛び込んだ。


 ◇◇◇


「ただいまー」


 彼が帰ってきた!

 私は急いで玄関へ向かう。一刻も早く彼に会いたいから。


「にゃー」


 私の大好きな人は私を抱き上げて撫でてくれる。

 彼に拾われて本当に良かった。

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私の大好きな人 タマゴあたま @Tamago-atama

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