私の心象風景しんしょうふうけいとしてのチーズトーストは、焼き上がりを目前にしていながら、滝行たきぎょう的な悲しみに暮れている。


 それは男であることの悲しみなのか。それとも女でないことの悲しみなのか。人間的な悲しみなのだと総括そうかつしてしまえば、どんなに簡単でしょう。それは確かに可能なのです。にもかかわらず、それをすることができずにいるのが、もどかしくて、また、感傷かんしょう的にならざるをないわけです。諸行無常しょぎょうむじょうくみするには私は若すぎるし、なによりも、『終わり良ければすべて良し』の、その極めていい加減な、だけれど、やわらかで親密しんみつ抱擁ほうようを求めている自分自身を、見て見ぬふりすることがどうしてもできない。


 なにか感じるものがあります。肯定こうていの気配を、あるいは、補助輪ほじょりん破壊はかい前触まえぶれを。『あんずるより産むがやすし』、と。しかし、この言説げんせつそのものが盲点もうてん化していることも、また事実なんですよね。とにもかくにも、その全体像のアンチテーゼとして、『果報かほうは寝て待て』ということもある。ここで問題となるのは、その際に、夢を見ているのか言及げんきゅうされていないということ、また、見ているとして、その内容如何いかんによって、話は大きく違ってくるということなんですよね。おそらくはその違いというのは、交差点に陣取じんど選挙せんきょカーと、僻地へきちに打ち捨てられた廃車はいしゃほどのへだたりを有している。いくらそれらが同じ車種だとしても、直接的なネガポジ関係ではしてありない。


 めどない発言、限りない沈黙、これらふたつの行いは、そうであると結論付けてしまいたくもなる。しかし、これらはけっして真っ向から対立するものではない。そうではなく、互いに相手をあおりあう、『ウロボロスの』として現存げんぞんしつづけているのです。といって実際には、両者は相手の尻尾しっぽらい付いているわけではない、だからといって甘噛あまがみをしているのでもない、そうではなくて、彼らは、くちびるが触れそうで触れない、その状態を維持している。そしてそのまま半永久はんえいきゅう的に、互いの存在を関知かんちすることなく、互いをあおりつづけるのです。得体えたいの知れない嫌悪けんお感として、あるいは、心的盲点もうてんひそむ、想像がおよびも付かないもどかしさとして。つまり、なにが言いたいかというと、それらは、それぞれに相手へのアンチテーゼを持ち合わせていないがゆえに、反語はんごとしての、あるいは逆メタファーとしての機能さえ、果たすことが叶わないということ。


 はい、ありがとうございます。私、あなたの向けてくれるその気遣きづかいを感じるたびごとに、嬉しくてたまらなくなってしまうんですよね。


 そうですね。あせらずにあゆみを進めていきましょう、そうまるで、1日分のカルシウムを10年かけて摂取せっしゅするように。

 人生というものは罠にあふれている。厄介やっかいなことにそれらは、一見いっけんしただけでは、見えざるものと見分けがつかない。


 エンゲージリングを指にそっとはめ、そして抜けなくなる。この一連のながれ。それは洗練せんれんされた様式美ようしきびと、無駄のいっさいはぶかれた流動りゅうどう性をね備えている。だけれどこの事象じしょうというのは、当人にとっては重大極まりないことです。小指の先程度とあらわすには、それは長すぎるし、太すぎる。これによってしょうじる手間暇てまひまの裏には、なに犠牲ぎせいにしなにるのかという、深いいがひそんでいます。


 製造せいぞう者への罪悪感に目をつむり、サラダ油を用途ようと以外の用法ようほう、つまり、潤滑じゅんかつとして使用するのか。はたまた一挙両得いっきょりょうとく目論もくろみ、長期的なダイエットに取り組むのか。手っ取り早く、――犠牲ぎせいとなる通貨つうかのその量数りょうすうに、目を見張ることになるだろうということを、心の内でなんとなく予想しつつ――最寄もよりのジュエリーショップや病院にけ込むという手もある。規模きぼの大小の違いはあれど、もはやこれは、タイム・イズ・マネーとしての金閣きんかくというよりほかにないように、私には思える。


 あ。教室を満たしていたチーズの香り、その最後のひとかけらが、風に吹かれていきましたね。


 はい、ええ、そうですね。今日きょうという日は、微風びふう微風びふうにとめどなく流され、なぎの静けさをして許すことがない。しかし、それが好ましく、素敵だ。

 ええ、ええ、……はい? ……もしかして、私をからかっています? と言いつつも、私は、そうでないことを理解している。浸透圧しんとうあつのように、しつ的なものとして、確固かっこたるものとして。


 正直に告白すれば、ただ、恥ずかしいんですね、つまりれているんです。だけど本当は、雪けのようなソリューションを感じています。嬉しさが極まって、『こんなことがあっていいのか』って、そう思ってしまうほどで。みずからのほほを、徹底的に加虐かぎゃくしたい欲求にられさえして。


 ええ、たしかに、ええ、分かりますその気持ち、痛いほど、いっそ激痛すらともなうほどに。


 恋というものは、どうしてこんなにも自明じめいなのでしょうね。


 『恋に恋する』という言葉が瓦解がかいして、花のかおりに変わってゆくのを、私はいま、強く感じました。……ああ、やっぱりそうですか、あなたも感じておられる。それも明日あすの風と共に?


 ……祝福しゅくふくさえわずらわしいほどに、すでに私とあなたは、精神の泉の底で繋がっていたのですね……。


 お料理教室の『先生』と、その『生徒さん』。そこに、『禁断の恋』などという言葉のはいりこむ余地はありません。もし、向こうから分けってくるというなら、私があなたを守ります。

 なまクリームが、ケーキのスポンジを、やわらかくも隙間すきまなくつつみこむように。


 ……あなた、もしかして、泣いているのですか……? ……うれし泣きですって……? そんな、……うれしいのはこちらの方なんですよ……。もとから素直な性格であるあなた、それを差し引いたとしても、……あなたがこんなにも、け放たれた感情を差し出してくれるなんて……。


 ……あけぼのの女神の首領しゅりょうは、私のなかの心象風景しんしょうふうけいとしての計量けいりょうカップを満たし、……そればかりか、……そのふちに、口付けさえ寄せてくれていたのですね……。


 ……さあ、唱えましょう、私たち固有こゆう祝言ほぎごとを……。……はい、……ええ、そうです……その文言もんごんを確認する必要なんて、いまの私たちにはない……。

 ……ひとみが合う、私たちはそれだけで、お互いを開眼供養かいげんくようすることができる……、……それが、とても、うれしくて、この上ない……。……眼前がんぜんほほみながら……体内に宿やどりながら……感情を分け合いながら……。


 ……あ……。……これは……スターターピストルが、これ見よがしに打ち鳴らされる気配…………こんなにも自明じめいな響きが、……この世界には……あらかじめ内包ないほうされていたのですね……。


 はい。それは、いまです。


 ――チーズトースト、とけてとろけて、時の彼方かなたに消えていく――




 fin あるいは 彼方かなたにさきだつ風の追想ついそうとして

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

追想のクオリア 倉井さとり @sasugari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ