第8話 「相談」

 

 思わず、受話器が一瞬左手からボロッとずり落ちた。とりあえず「なっ、は………………えぇぇぇぇぇ!?」という驚愕がまず一番に口から出る。


「はぅっ、やっぱりお、怒る??」


「い、いや怒るとかそういうのじゃなくてさ……!」


 電話向こうの少女は、そういう反応に対してまるで親に急に呼び出されて怒られる直前の子どものように困惑していた。受話器越しにすらそれが分かる。

 奈乃華との付き合いが何年もある涼太だからこそだ。

 

「………うーん」


 回答に、悩む。そうしてふと、周りを確認してみる。人二人分程のスペースの小さな廊下。そこで壁にもたれてかかっていた。

 真後ろにあるドア一枚向こうでは、母親がテレビを観て楽しんでいる。

 どうやら吉本漫才の録画を観ている模様。

 一応、ドアは閉めてあるが会話が聞かれる可能性は無いとは言えないかもしれない。念には念を押すとしよう。


「……奈乃華、少し待っててな」


「え? あ……う、うん」


 そうして涼太は、随分と年季の入った電話機の隣にある子機へ、通話を切り替える。そして、そのまま廊下を渡り二階へと向かう。向かった先は二階にある自分の部屋だった。


 使い古したシングルベットが窓脇にある6畳ほどのスペースの小さな部屋。


 ベットの周辺には畳みっぱなしで仕舞われる事が無いまま放置された衣服やジーンズの数々が床に置かれたクッションと共に転がっている。小さな勉強机は必要最低限、課題等をやる為にスペースは用意されていた。

 だが、それでも机の上の収納棚は整理されることなく、乱雑に教科書が収まっている。

 片付けが苦手な涼太はげんなりとしながらも、それを見て見ぬ振りをしてベッドに背中から転がり込む。

 そうして、右手に握りしめている子機の保留中ボタンをもう一度押してみる。


「もしもし?」


「ふぁっ!? もひもひ? おにいひゃん!? え、もうたいみんふ悪いよぉ!」


「………………………」


 いや知らんがな。

 ……電話向こうの従姉妹はたった2分ほどの間に何やらボリボリとお菓子を食べていた様だった。ポテトチップスか、あるいは咀嚼音そしゃくおん的にマー〇ルか。

 〇ーブルは涼太も好みだ。あれを一気に五、六個口の中に放り込んでボリボリとしたチョコの食感を楽しむのが幼い頃から好きなんだったか。

 っていやそんなことはどうでもいい。

 人が気を遣って別の部屋に移動してる間に何お菓子をボリボリ食ってんだコイツは。何か久しぶりにこんな寂しい気持ちになったような気がする。何故だろうか。

 すると奈乃華はごめんごめん、と慌てて口の中のお菓子を喉に押し込んだ後、会話へと帰ってきた。


「……で、何食べてたんだ」


「え? マーブ〇とポテチの合わせコ・ン・ボ」


 その発想はなかった。実に斬新だ。というか、何故リズミカル。



 原点回帰。そうして二人は本題に戻る。

 そうして涼太は「それで、……そいつはどんな奴なんだ?」と奈乃華に正面から切り込む。

「えぇ!? ……お、お兄ちゃん結構グイグイ聞いてくるね」と奈乃華は何やらたじたじとなりながらそう返す。


「………そりゃまあな」


 奈乃華はどうやら覚えていない様だが、本当に昔、会ったばかりのころに彼女はお兄ちゃんと結婚したいなぁと言っていた過去があった気がする。

 まあ今の奈乃華にそんな話をしたらクリスマスの時にぶん殴られるのは間違いないので彼はそのまま閉口するが。すると。


「………否定、しないんだ?」と彼女は少しだけ不思議がる様に聞いてきた。


「え」


「……ネットの人が好き、っていうまずその事実」


「あぁ」


 窓にもたれていた身体を再びベッドに寝転がす。

 正直に言えば、かなり驚いている。というよりそういった「事実」が存在していたということ自体、実を言うと彼自身も半信半疑だったと言ってもいい。

 涼太はスマートフォンなるものを持っていない。というより、そもそもそのものを持っていないのだ。

 理由として挙げるとするなら、涼太の母親も、何より涼太自身もそういった機械の類に対し極端な苦手意識があったから、である。契約やその他諸々、そういった類のもの全てにおいて。

 苦手故に、今や世間一般的ともいえるのであろうSNS等は彼や彼の母親にとっては全くもって知らぬ存ぜぬ存在。生活にそもそも必要が無かった。

 赤の他人からすればそれは不便極まりないものなのかもしれないと、彼は思う。だがその不便そのものに涼太と母親が慣れてしまっていたからというのもあるのだろう。

 実の所、未だかつて特に不便を感じた事はなかった。

 知らないということは時に幸運。涼太にはそもそもの話、SNS等の会ったことの無い人間と仲良くなるという概念が無い。

 そんな涼太からすれば奈乃華の言ってることは半分実感が無いのも無理はなかった。


「……そういえば、そもそもお兄ちゃんまさか未だに携帯持ってない感じ?」


「そーだよ、悪ぃか」


「いや悪いって言うか……めずらしいなぁと。昭和の人?」


「人を時代遅れの人みたいに言うな。苦手なんだよ、そーゆうの……」


「実際時代遅れ感が半端ないと思うけど……じゃあ、私がその……ネットの中の人好きになっちゃったってのは……お兄ちゃん的にはやっぱり変? というか、ダメ、なのかな」


「いやそれこそダメって言うか……」


 確かにSNS自体に涼太も詳しいわけではない。だが、それをきっかけとして多くの犯罪が起きている、という事実は彼自身も耳にした事はあった。確か、1もまた、それが原因だったように彼は思う。記憶があやふやではあるが、スマートフォンを持ち合わせていない涼太ですら薄らとした危機感は感じてはいた。

 それもまた事実なのだ。

 そういった点で言えば、ダメというよりそれは危険なのではないかとは思う。だが。


「話、聞かせてくれよ。まず」


「!」


 そもそもの話、と彼は思う。そもそも、俺はまだ奈乃華の話すら聞いていない。それなのに、のっけからそれは駄目なことだなんて否定するのは違うだろう。

 奈乃華自身、「やっぱり怒る?」と言った言葉が最初に出るという事は薄々その危険は本人も分かっているということなのだろう。クラスメイトではなく、恐らく顔も知らない人間を好きといっている時点で。

 ならばそれはきっと、なにか奈乃華なりに理由も事情もあるはずだ。


「うん、……わかった」

 

「……何から話そうかな」


「なんでもいいよ、お前の話したいように話せばいい」


 すると、奈乃華は「やっぱり、お兄ちゃんはお兄ちゃんだね」とくすくす笑った。涼太はその言葉の意味をあまり理解はできなかったが、悪く言われてるような気はせずそのまま「? おう」と受け流した。

 

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