幼馴染のことが好きな大人しくて引っ込み思案な女の子が、彼のことが好きな後輩からチャンスを貰ったのに、それを活かすことなくただ彼を奪われて泣き崩れるだけのお話

くろねこどらごん

第1話

その日、僕はいつものように家を出た。


 天気も良く、外の気温もちょうどいい。まさに清々しい朝だ。




「だけど、今日もきっといるんだろうなぁ…」




 こういう時は自然と気分も良くなるものだが、それが長続きすることはないことを僕は知っている。


 早くも憂鬱になりながら門のところまで歩いていくと、案の定いつものように傍の電柱へと隠れるように立っているやつがいることにすぐに気付いた。




「……おはよう」




「ひゃっ!」




 無視するわけにもいかず挨拶するのだが、悲鳴で返事を返される。


 いつもどおりのオーバーリアクションだ。その人物が幼馴染の福原小石であることを改めて確信するとともに、いい加減慣れてくれよという言葉を口にしたい衝動を、グッと喉の奥へと押し込む。




 そのことに触れると、めんどくさいことになるのはわかってるからだ。


 朝から涙目で謝られるのはメンタルに良くない。


 何も聞かなかったことにして、僕は再度彼女に向かって挨拶をすることにした。




「おはよう、小石。今日はいい天気だね」




「ぇ、ぁ、ぅ、ぅん…圭人くん、ぉはよ…」




 今度は小石も挨拶を返してくれるのだけど、その声はひどく小さく聞き取り辛い。


 か細いといえば聞こえはいいけど、僕としてはもっとハッキリ言って欲しいし声量も上げてくれると助かるのだが、これが彼女のデフォルトであることを知っているため、なにも言うことはしなかった。




「待たせたみたいでごめんね。それじゃ行こうか」




「ぁ、ぅん…」




 この場で話すことももうなかったため、さっさと学校へいくことにする。


 僕が歩き出すと、小石は隣に並んだ。彼女の身長は僕より頭一つ分は小さいため、歩幅が狭くスピードも調整しないといけない。それもまた、地味に面倒だ。


 チラリと気付かれないよう小石に視線を送るが、その顔色は長い前髪に遮られていて見ることはできなかった。




(髪、切ればいいのに。結構可愛い顔しているんだからさ)




 目元を覆うくらい髪を伸ばした、この小動物みたいな幼馴染の顔をちゃんと見たことがあるのは、男子ではきっと僕くらいのものだろう。


 整った顔立ちをしているし、髪を切ってイメチェンすれば案外男子から人気が出るのではないかと密かに思っていたりする。少なくとも、ロリコンの気があるやつからはかなりウケがいいに違いない。




 だけどどうせ髪型だけ変えたところで、内面までは変えることはこの子には無理だろうことも長い付き合いでわかっていた。


 結局オドオドしながら僕の隣を歩いているに違いないだろうことは容易に想像できるし、そう考えると割とどうでもいいことだ。


 宝の持ち腐れ。そんな言葉が、ふと脳裏をかすめていた。




(毎朝必ず待ってるから、無視するわけにもいかないしなぁ…)




 本当は待っててなんて言ったことはないし、いなくてもいいんだけど……


 まぁ言ったところどうせ変わらないし、このことに関してはとっくに諦めの境地に突入している。


 今更なにをいったところで、小石はずっとこのままだろうということも、僕はようくわかってた。






 ここまでの流れでもう理解してくれたと思うけど、僕は幼馴染である小石のことが別に好きというわけではない。


 むしろ煩わしいくらいで、できれば距離を置きたいというのが本音だ。


 それができないのは、僕の両親と小石の両親が昔からの親友で、家も隣同士であるという一点につきる。




 生まれたときからずっと家族ぐるみのイベントに付き合わされ、クリスマスや正月、はたまた旅行に至るまで、小石とは毎日のように顔を突き合わすことになったのだ。早い話が、ご近所付き合いが生む弊害というやつである。




 ちなみに小石が実は小さい頃は明るい子だった、なんてことももちろんない。


 昔からこの子はずっとオドオドした引っ込み思案で、事あるごとに僕の背中に隠れるような、実に内気な性格の持ち主だ。


 そんな子の面倒を見るのが苦でないという子ももちろんいるだろうけど、僕はあいにくそういう博愛精神を持ち合わせていたわけじゃない。


 どこかに行こうとすれば必ず追いかけてくる面倒くさいところが、当時の僕にはひどく煩わしく思えたものだった。






 小石は昔から、何故か僕にやたら懐いていた。


 あんな性格だし、僕以外に友達も作れなかったのが大きかったのだろう。


 いっそ執着といっていいほど僕の傍にいようとしてくるのだ。


 同い年というのも拍車をかける要因だった。


 娘の性格を矯正することもなく微笑ましい目で僕らを見つめる小石の両親に、一生好感を抱くことはできないに違いない。ちなみにそれは僕の両親に関しても同様だ。




 親友の娘である小石を彼らは昔から溺愛、もっといえば甘やかしていた。


 悪い箇所には目を瞑り、人形のように猫可愛がり。


 目に入れても痛くないと、本気で思っていたに違いない。


 そんな大人に囲まれて、小石だって成長できるはずもなかったのだ。




 僕の場合、小石をないがしろにしたらどんな制裁が親から下されるのかはその頃には既に身を持って学習済みであったし、今のように小石に関しては当たり障りない態度で接してきた。


 大人たちは盲目だったけど、僕にあったのは面倒なことには極力関わりたくないという、一種の保身が働いた結果だ。


 だけど責められちゃ困る。これに関しては僕は悪くないと断言できるし、責任なんて負わされたらたまったものじゃない。そもそも僕だって被害者の立場なんだ。




 両親の監視さえなければこんな面倒な性格の幼馴染なんてさっさと見捨てて、他の友達と遊んだりあくび混じりに学校への道をひとり歩く生活を送っていたに違いない。


 そう思うと僕自身、かなり遠回りな青春を送っているといえるだろう。


 いや、比嘉圭人の青春は、高校二年になってもまだ始まってすらいないのかもしれない。




「せめて彼女でも欲しいなあ…」




 急に虚しさがこみ上げてきて、思わず天を仰ぎながら自分でもそんな願望を呟いていた。




「ぇ…圭人くん、かの…」




「せんぱーい!おはようございまーす!」




 せめて日々に癒しが欲しい…現実逃避をしていた僕の耳に、やたら響く女の子の声が届いたのは、体に衝撃が走った直後のことだった。




「うぇっ!?」




「元気でしたか?私は元気でしたよ!先輩も元気そうでなによりです!」




 上を向いていたため反応が遅れた僕の体は咄嗟にバランスを取ろうとたたらを踏むが、追い打ちをかけるようになにかに抱きつかれる感触が背中に張り付き、思わず前傾姿勢になってしまう。




「と、突然なに!?」




 なんとか倒れることなく踏みとどまれたが、突然の事態に思わず慌ててしまう。


 横を歩いていた小石もびっくりしたのか、珍しく目を見開いている。


 なにが原因だろうと首を捻り、強引に顔を後ろへ向けると、そこには輝くような満面の笑顔があった。




「あ、目が合いましたね。改めておはようございます!」




「え、ああ。君か…おはよ、千佳ちゃん……」




 そう言って元気よく挨拶をしてくるのは、阿知賀千佳という、僕のひとつ年下の後輩にあたる女の子だった。


 ちょっとした偶然から関わるようになったのが、会えばこうして会話するくらいの仲ではあるのだけど…スキンシップが過剰というか、距離感の近い子だ。


 具体的にいうと当たってるくらいには、物理的に接触なさっておられます、はい。




「あの、ちょっと離れ……」




「ん~先輩ってなんかいい匂いしますよねー。私、先輩の匂い好きですよー」




 気まずいからさっさと離れて欲しいのだけど、この後輩はそんなの知ったことかと何故か僕の制服に顔を擦りつけている。心の底から喜んでいることがわかる顔だった。




「ちょっ、千佳ちゃん…」




「あ、あの!」




 あまりに幸せそうなオーラを発しているものだから、つい面食らって言葉に詰まってしまったところで割って入る声があった。




「わ、びっくりした。いきなり大きな声出してどうしたんです、福原先輩?」




 すぐ近くから聞こえてきたはずなのに、それが誰なのかわからず一瞬困惑するも、千佳ちゃんの一言でようやくそれが小石の発したものだと気付く。




(珍しいな、千佳が声を張り上げるなんて…)




「あ…そ、その、ちょっと体、くっ付けすぎなんじゃないかなって…」




 ちょっと感心したけれど、千佳ちゃんに話しかけられ、すぐに尻すぼみになりあっという間に聞き取りづらく小さな、いつもの声量に戻っていた。




「これくらいいいじゃないですか。可愛い後輩と先輩の、愛のスキンシップですよ。ね、先輩?」




「ええ…」




 自分で可愛いとか言っちゃう?まぁ確かに可愛いけどさ…


 パッチリとした大きな瞳に口元から覗く八重歯は見るものを惹きつけるものがある。


 クラスで一番可愛いと言われても、素直に納得してしまいそうだ。




「ぁ、ぁぃって…ぁ、ぅぅぅ…」




「ほらほら、だからもっとくっつきましょうよー。あ、いっそ見せつけるのもありかもしれませんねー」




 千佳ちゃんは小石のほうをチラリと見ると、ますます身体をギュッと僕に押し付けてくる。


 うっ、柔らかいものが当たって…だめだ。これはだめだ!




「や、やめやめ!先輩をからかわないでくれよ!」




 このままだとなんだか変な気分になりそうで、僕は残った理性を総動員し、強引に千佳ちゃんを引き剥がした。




「きゃん!あ、先輩ったら…でもやっぱり真面目ですね。先輩のそういうところ、私やっぱり好きですよ」




「……そりゃどうも。僕は千佳ちゃんの強引なところ、ちょっと苦手だけどね」




「あはは。ならこれから好きにさせますから。覚悟していてくださいね」




 皮肉を言ったつもりなんだけど、彼女はまるで堪えていないようだ。


 明るいけど敏いところもある子だから、気付いてないってころもないだろう。わかっててスルーしてるとなると、それはそれでタチが悪いな…




「はいはい、覚悟しますよ。ほら、もうさっさと学校行こう」




「はーい♪…あれ、福原先輩、どうしたんです?」




 朝から疲れたし、さっさと学校に行って休みたい…そう思い、仕切り直して前に進もうとしたところで、千佳ちゃんが後ろを振り返る。


 僕も釣られて後ろを向くと、何故か小石は僕らから数歩離れたところで固まっているのが見て取れた。




「小石、どうかしたの?」




「ぇ…ぁ、なんでも、ない、です…」




 千佳ちゃん同様、声をかけてみると、小石はいつもどおりの小声で返事をしてようやくこちらに向かって歩いてくる。ただ足取りはなんだかギクシャクしているようで、なんだかロボットのような不自然さだ。




(そういえば途中から会話に入ってこなかったけど、なにか言いたいことがあったのかな)




 小石は性格上、強く自己主張をしてくることのない子だ。


 僕と二人きりであっても深く切り込まない限りは本心をなかなか打ち明けることもしない。まして第三者である千佳ちゃんがいるこの場なら尚更だろう。




(後で一応聞いてみるかな…)




 なにかあっても面倒だ。小石に泣かれたら、また親から責められるに違いない。


 この幼馴染の世話係は、いくら経っても慣れることはないのだろう。




「あーあ、彼女欲しいなぁ…」




 僕はもう一度、さっきと同じ言葉を口にする。


 憂鬱になったときにこぼれ出る口癖になりつつあるのかもしれないそれは、気付けば勝手に出てくるのだから困りものだ。本心であったとしても、出ていい時とそうでない時というものがある。




 特に隣に距離感の近い後輩がいるとしたら、それはもう最悪のタイミングに違いない。


 しまったと思うのと、彼女が食いついてくるのは同時だった。




「あれ?先輩彼女欲しいんですか?」




「あ、いや、その…」




 マズった。せっかく有耶無耶にできたばかりなのに、一難去ってまた一難とはこのことか。


 自分で蒔いた種とはいえ、すごく返答に困ってしまう。




「なら、私がなってあげましょうか?」




「へ…?」




「いいですよ。私、先輩のことが好きですから」




 そう言って、千佳ちゃんは僕の目を真っ直ぐに見つめてくる。


 真剣な眼差しだ。少なくとも、僕には彼女が嘘をついているようには見えなかった。




「あ、その…」




「ま、待って!」




 返答に困りあぐねていると、またも聞こえてくる制止のかけ声。


 今度は誰かと悩むことはなかった。トテトテと駆け込むように、息を切らして小石が割って入ってきたからだ。そのままたどたどしくも途切れることなく、小石は話始めた。




「ぁ、阿知賀さん…その、圭人くんが彼女欲しいっていうの、ただの口癖だから…真にうけちゃ、ダメだよ…圭人くんは本当に彼女さんが欲しいわけじゃ、ないんだから…」




「え?そうなんですか、先輩?」




 小石の話を聴き終え、千佳ちゃんが問いかけてくる。




「そ、それは…」




 正直、小石に関しては余計なことを言うなという気持ちでいっぱいだった。


 彼女からすれば僕の気持ちを代弁したつもりなのかもしれないけど、本人の目の前でそれを言われたらなにを言っても赤っ恥にしかならないとわからないんだろうか。




 そんなことないと言ったらこの千載一遇のチャンスを逃してしまいそうだし、そうだよと肯定しても小石に僕の気持ちを理解されているように思えてなんだか癪だ。


 思春期の少年はデリケートなんだぞ、もっと気を使ってくれよ…なんて、小石に求めても無駄なんだよな。


 それができてたら、そもそもこんなことにはなっていないだろうし。




「け、圭人くん…」




「その…」




「…………ははぁ。ふむふむ、なるほどです」




 どうしたものかと答えあぐねていると、千佳ちゃんは一度小石のほうをチラリと見て、なにやらひとり納得した後、こんなことを言い出した。




「すみません、先輩。先ほどの告白は、一度なかったことにさせてください」




「え…」




「今回の件は保留ということで。こういうのは人がいるところでするものでもなかったですね。私も配慮が至りませんでした」




 そう言うと、ペコリと頭を下げてくる千佳ちゃん。


 とても綺麗なお世辞だ。同時に僕は気付く。


 彼女は僕に助け舟をだしてくれたのだ。自分の発言を取り下げることで、仕切り直しをしてくれるつもりのようだ。




「えっと、ありがとう…?」




「いえいえ♪」




 小石の前ではハッキリと言いにくいと察してくれたのはとても有難い。


 気の利く子だ。正直僕の中で、千佳ちゃんの好感度はうなぎのぼりである。


 マッチポンプに近いものを感じたが、こういうふうに僕に対して気を遣ってくれる人がそもそもいなかったことが大きな要因だと思う。


 簡単にいえば、僕は自分でも思っていた以上にチョロい人間であるらしかった。




「け、圭人くん…なんで…?」




「あ、福原先輩。後でちょっとお話したいことがあるので、お時間よろしいでしょうか?」




 この場でひとり納得いかない様子を見せていた小石に、千佳ちゃんが話しかける。


 僕もなにか言うべきだろうかと身を乗り出すのだが、千佳ちゃんに目で制された。




 自分に任せろということらしい。


 ここで口を挟むのは野暮な気がして、小石のことは彼女に任せることにした。




(これをきっかけに、小石も少しは変わってくれるといいんだけど…)




 普段僕以外の人間と関わることが少ないために、ああいったことでも平気で口にしてしまう幼馴染に思うことは大いにある。


 これが小石が成長するきっかけのひとつにでもなるなら、それは歓迎すべきことなんだろう。


 ……結果的に僕の羞恥心と引き換えになりそうなのが大いにありそうなのが珠に傷だけど。ふたりの会話は絶対聞かないことにしようと、そう決めた。


























 行きたくない。会いたくない。


 そう思いながら、私は足を止めることなく人気のない道をひとり、目的の場所まで歩いています。


 こういう時、臆病な自分が心の底から嫌だと思うのですが、今はどうにもなりません。


 どれだけ引き返したくても、私にはいかなくてはいけない理由があるからです。




 今日、校舎裏で二人きりで話があると呼び出されたからというのもそのひとつですが、なにより……私を呼び出した人が、私の目の前で私が好きな人に告白したからというのが、逃げることなく足を進める一番の理由です。




 私たちみたいに高校生で付き合ってる人は珍しくありません。


 というより多いでしょう。付き合うにあたって告白する必要があることだって、わかってます。


 私だって、いつかきっと…そう思っていたことも、否定できませんから。


 できれば圭人くんから、という気持ちのほうがずっと大きかったことも、事実です。




 お母さん達だって私たちの仲を応援してくれているし、今でもお互いの家族はとても仲がいいけど、本当の家族になれたら素敵だねって、いつも口癖のようにいっています。


 私もそうなれたらいいなって、ずっと思ってますし…圭人くんだって、そうだと信じてます。


 いつも一緒にいてくれるし、圭人くんは昔から、私にとても優しくしてくれますから。


 高校生になった今でも、毎朝一緒に登校してますし、これから先もずっとそうだと、私は心のどこかで信じていました。




 だからでしょうか。今日起こった出来事は私にとって、とてもショックなことでした。


 私がずっとできずにいることを、あの子は事も無げにあっさりと口にしたんですから。


 嫉妬からか、普段より大きな声が出てしまったことが自分でも驚きでしたけど…なにより、圭人くんがハッキリと否定してくれなかったことが、悲しかったです。




 正直、とても傷付きました。圭人くんも私たちの間に割り込もうとするあの子のどちらも、今は許せない気持ちが強いです。


 だから本当は顔も見たくないくらいだけど、それでも会わないといけないのは、私のいないところでまた圭人くんにあって告白する可能性を否定できないから。




 ううん、あの口振りだと、きっとします。


 今朝は引いただけ。じゃあ今度は…?


 そう考えるだけで、全身に鳥肌が立つのを感じました。




(やめてって、言わなきゃ)




 私から圭人くんを取らないでって。




 私には圭人くんしかいないんだから、貴女は他の男の人を好きになってと釘を刺すことが、今日の目的です。


 そのためになけなしの勇気を振り絞り、時間はかかったけどなんとか校舎裏までたどり着くことができました。


 そこには案の定、私を呼び出した待ち人の姿があります。私は大きく息を吐くと、覚悟を決めて話しかけることにしました。




「ぁ、ぁの…」




「あ、福原先輩。今日はわざわざ来ていただき、ありがとうございます」




 私が言い終えるより先に、呼び出した相手――阿知賀さんがペコリと頭を下げてきました。


 それはとても綺麗なお辞儀で、私に対する感謝の気持ちが一目で伝わってくるといいますか…いきなり出鼻をくじかれたような気分になりました。




「ぇ、ぃえ、わ、私も話したいことが、あったので…」




「今朝はすみませんでした。先輩が居る前で話すことではなかったと思います。配慮に欠けていましたよね。私、舞い上がると周りが見えなくなるところがあるので…本当にごめんなさいです」




 続けて謝罪。こうも丁寧に謝られては、なにも言えなくなってしまいます。




「あ、う…き、気にしてないから…大丈夫…」




「そうですか、なら良かったです。では早速私から本題に入らせてもらってもいいでしょうか」




「ぁ、う、ぅん」




 つい見栄を張って許してしまうと、顔を上げた阿知賀さんは今度はケロリとした表情で、そんなことを言ってきます。


 この時点で私は、すっかり阿知賀さんのペースに呑まれていました。




(あうう…私のほうが先輩で、主導権握らないといけないのに…)




 ……わかってはいました。私の性格と口下手じゃ、絶対こうなるってことくらいは。


 わかってましたけど、それでもどうにもままならないことに、ひどく歯がゆさを感じてしまいます。




「ど、どうぞお先に…」




「はい。ではですね…」




 せめてできることといえば、先を促すことくらい。


 ……流されているだけとも言えます。だけど、年上としての威厳はちょっと見せたかったんです。




 まぁそんな考えは、彼女の次の一言であっさり吹っ飛んでしまうのですが。




「私、圭人先輩のことが好きなんです。だから、正式に告白をして、お付き合いさせて頂きたいと思っています」




「…………ぇ」




 最初、阿知賀さんがなにを言っているのか、上手く理解できませんでした。




「今回、福原先輩をお呼び出しさせて頂いたのは、今朝のお詫びもありますが、これが主な理由です。まずは福原先輩に話を通すのが筋だと思いましたので」




「ぇ、ぁ…」




「私、こういう性格だから勘違いされやすくて。それで絡まれていたところを、圭人先輩に助けられたんです。その時この人だってピンと来て…気付けば好きになっていました」




 阿知賀さんが圭人くんとの馴れ初めみたいなことを話し始めたけど、それは私にとってどうでもいいことでした。




 好き?告白?お付き合い?なんでそんなことするの?圭人くんは私のなんだよ?


 そんな疑問符が頭の中を駆け巡り、その処理でいっぱいいっぱいになっていたからです。


 だけど、告白なんてさせちゃいけない。それだけは私の中で、確たることになりました。




(やめ、させなきゃ)




 阿知賀さんは敵です。私にとって、許せない敵。


 圭人くんを奪おうとする、仇敵だ。そんなの絶対許せない―――!




「―――その先輩と昔からずっと一緒にいたという福原先輩のこと、正直すごく羨ましいと思ってます。それに―――福原先輩も、圭人先輩のこと、好きなんですよね?」




「…………ふ、ぇ?」




 怒りに染まり始めた思考。そこにいきなり、とんでもない爆弾がまたもや投下されました。




「え、えぇぇ!な、なんで…」




「やっぱり。見てたらわかりますよ。いつも一緒にいますもんね」




 私の圭人くんに対する気持ちが、阿知賀さんには見透かされてた。


 その事実に、肝が冷えました。冷水を浴びせかけられた気持ちになります。




「あ、ぅぅぅ…」




「ですから、お先にどうぞ」




 穴があったら入りたい…そう思っていたところに、またもやかかる阿知賀さんの声。それは今度こそ、意味のわからない言葉でした。




「え……」




「私、今から一週間後に、この場所に圭人先輩を呼び出して告白します。それまで、圭人先輩と関わるつもりはありません。……誰かが先に告白して、圭人先輩がその人と付き合うことになっても、です。止める権利は、私にはありませんから…ここまで言えば、もうわかりますよね?」




 そこまで言うと、阿知賀さんは私のことをじっと見てくる。


 それは、つまり…




「譲って、くれるの…?」




「先の権利だけですよ。先輩のほうが先に好きだったことをわかったうえで、私は告白します。私、付き合うなら誰からも祝福されて付き合いたいんですよ。だから、これが一番恨みっこなしなのかなって」




 阿知賀さんは笑っていました。なんだか寂しそうな、女の私でもドキッとするような儚い笑みを浮かべています。


 それは私に負けを認めているようでもあり…私の心にほの暗い優越感を植え付けるには、十分でした。




(やっ、た)




 これで圭人くんを誰にも渡さないで済む。


 圭人くんと付き合うことができるんだ。


 そう、私が今から一週間以内に、圭人くんに告白すれば―――




(……え、告白?)




 誰が、するの?もしかして、私が……?




 私のほうから、するの?




「あ、言っておきますけど、福原先輩が告白に成功しても、私もさせてもらいますからね。やっぱりけじめをつけないと私だって先に―――」




「あ、あの」




 背筋に冷たいものが、一筋通り抜けていくのを感じます。


 私は阿知賀さんに話さないといけないことができました。




「?はい、なんでしょうか」




「告白って、一週間後に、本当にするの…?」




「え、そのつもりですが…」




 キョトンとした顔をする阿知賀さん。ですがそれに構っている余裕はありません。


 私は自分の考えを、彼女に伝えることにしました。




「ね、ねぇ…それ、先延ばししてもらえないかな…半年とか、せめて一ヶ月くらい後に…」




「…………は?」




 オズオズとそう申し出ると、今度はあからさまに怪訝な表情を浮かべています。


「なにを言ってるんだ」と、顔にハッキリ書いていました。




「わ、私も覚悟を決める時間が欲しくて…ほら、私の意見も聞き取ってくれないと、フェアじゃないかな、って…」




「……それまで私に我慢しろと。そう言いたいんですか」




 あ、声が怒ってる。そう、だよね…だよね…




「ダメ、かな。やっぱり…」




「ダメです。私は覚悟を決めたんです。先輩も、覚悟を決めてください…言いたいことはそれだけです。それでは」




「あっ、ま、待って阿知賀さん…」




 阿知賀さんは一度深くため息をつくと、なにも言わず去って行きました。


 最後は私に目もくれていなかった…呆れさせてしまったのかもしれません。


 当然といえば、そうなんでしょうけど。




「ど、どうしょう…」




 だけど、これで確定です。


 一週間。その間に、私は圭人くんに告白しなければいけなくなってしまいました。


 そうしないと、圭人くんがあの子に…それだけは、絶対に嫌です。誰にも彼を渡したくない。




「こ、告白なんて…私…」




 そう思っているはずなのに、告白できる勇気が、まるで湧いてこないのはどうしてでしょうか。


 私はただ、時間が経たないで欲しいと切に願っているのです。




 ―――告白なんて嫌だよ。断られるかもしれないし。なにより怖いよ、無理だよぉ…




 思わず私はその場に膝を抱えて蹲ります。


 小さい頃、圭人くんが私を探しにきてくれるまで、ずっとそうしていたように。




「圭人くん…圭人くんから告白してきてよ…私を好きだって言ってよぉ…」




 だけどいつまで蹲っていても、圭人くんが迎えにきてくれることはありませんでした。
























「どうしたの、小石。急に僕の部屋にくるなんて珍しいね」




 その日の夜、私は圭人くんの部屋まできました。


 本当に、心からの勇気を振り絞ったつもりです…チャイムを鳴らせず、玄関に立っていたら彼のお母さんが家に上げてくれたりしましたが、それは言わないほうがいいでしょう。




「う、うん…そうかも…」






「しかもこんな夜遅くに。どうしたの?」






 私が頷くと、圭人くんは心配そうに聞いてきます。


 それを嬉しく思うと同時に、こんな優しい彼をあの子に渡したくないという想いがフツフツと沸き上がってくるのを強く感じました。




(ここしか、ないよね…)




 今なら。


 今ならきっと言えるはず。




 圭人くんが好きだって、そう言えば終わり。


 私たちは付き合うことになって、阿知賀さんが間に入り込んでくることもない。




 時間にすれば5秒もかからないその言葉を口にすれば、この恐怖からもきっと開放されるに違いありません。


 だからほら、言ってしまおう。言って楽になってしまおうよ。


 そうすれば、間違いなく幸せになれるんだから―――




「ね、ねぇ、圭人くん…」




 あ、また詰まっちゃった。


 これじゃダメだよ。私にとって一世一代の、きっと最後の告白になるんだもの。


 こんなカッコ悪い告白とか、記憶に残ったらきっと思い出したら恥ずかしくて死にそうになる。


 だから、ここは一度仕切り直して……




「ん?なに?」




「え、あ、その…」




 そう思ったのに、圭人くんは見逃してくれませんでした。


 私の逃げ道を潰してきます。意地悪です。




(ひどいよ、圭人くん…)




 私がこんなに困って悩んでるのに、なんで察してくれないの?


 なんで私の気持ちを先に言葉にしてくれないのか、わからないです。




 圭人くんから好きだって言ってくれれば、私はすぐに頷くのに。


 それだけで、なにもかもが上手くいくのに、どうして…




「す、すき…」




「ん?」




 私のことをなにも分かってくれないことが、とても辛い。


 なんとか振り絞った好きの二文字も、彼は聞き返してくるだけで、なにを言われたのかもわかっていない様子でした。




 だから―――




「好きな人、いたりするの?」




 だから、今日は言えなくても、仕方ないよね?




「なに、急に…別にいないけど」




「あ、そ、そうなんだ…な、ならいいかな…」




 だって、圭人くんが悪いんですし。


 この質問もはぐらかすつもりなのか、本心をまだ言ってくれないみたい。


 ここで答えてくれたら、終わったのに…本当に、なんでわかってくれないんだろう。




「わ、私、帰るね」




「え、うん…気をつけてね」




 悲しさと恥ずかしさがごちゃまぜになり、私は圭人くんの顔が見れないまま、彼の家を後にします。




「だ、大丈夫…まだまだ、時間あるから…」




 そう、あと6日もある。


 それだけあれば、言える。きっと言える。




 明日の私、それがダメなら明後日の私が、きっと自分の気持ちを彼に伝えてくれるはず。




 だから、今日はもう休もう。これでいいんだよ、絶対。


 大丈夫。お願いします、明日の私。どうか勇気を振り絞って、ちゃんと告白してください…!




 そう願うことしか、私にはできませんでした。






 ―――人は急に変わることなんて、できないのに
































 一週間はそれこそ、あっという間に過ぎました。


 その間、私はいったいどれほど悩んだことでしょう。苦しんだことでしょう。


 悩んで悩んで悩んで…そしてようやく出た結論。それを実行に移すことに、決めました。






「…………福原先輩、いったいなんのつもりですか」




 私は約束のその日、ある人物の前で、頭を下げて…いいえ、正確には額を地面へと擦りつけていました。




「お願いします、圭人くんへ告白するのを待ってください…!」




 はっきり言えば、土下座です。


 年上のプライドもなにもかも捨てて、阿知賀さんへ懇願している最中でした。




「お願いです。や、やめてください。告白だけは…私から、圭人くんを取らないで…」




「私、言いましたよね?一週間後に告白するって。先輩、なにもしなかったんですか?」




 頭の上から降ってくるのは、呆れ返ったような声。


 一週間前にあった温かみのある声とはまるで違う、心底侮蔑するような声でした。


 そのことに泣きそうになりながらも、私は答えます。答えなくてはこうしている意味もないのですから。




「……怖くて、できませんでした。断られたらどうしようって思うと、か、身体が動かなくて…だから…」




「そうですか。でもそれって、福原先輩の覚悟が足りなかっただけですよね?私、迷いはありませんから。邪魔なのでどいてくださいよ、先輩待たせちゃってるので」




 声を震わせながら伝えたのに、阿知賀さんは私の本音をあっさりと切って捨てました。


 本当に、興味がないのでしょう。私を無視して行こうとします。その先にいるのは…ダメ、それだけは…!




「や、やめてぇっ!いかないでぇっ!」




 思わず彼女の足に縋りつき、必死に懇願します。


 なりふり構わないというのはきっと、今の私のことを言うのだと、頭の片隅で思いました。




「ちょっ、離してくださいよ!」




「ダメェっ!は、離さない…離したら圭人くんのところに行くんでしょ!行かせないぃぃぃっ」




 本当に必死でした。きっと、人生で一番必死で、そして醜かった瞬間でしょう。


 でも、それも結局…




「しつ、こい…離せぇっ!」




「あ、きゃあっ!」




 私の小さな身体では、結局振りほどかれてしまいました。




「ぅ、ぅぅぅ…」




「そんな諦めの悪さがあるなら、さっさと告白できたでしょ!それができなかったのは先輩が悪くて、私は関係ないじゃないですか!いい加減にしてくださいよ!」




 強かに体を打ち、地面に横たわる私を、阿知賀さんが文字通り見下してきます。


 荒く息を吐きながら制服を正していく姿を、私はただ見ていることしかできません。




「だって、だって…」




「時間、損しました。福原先輩のこと、嫌いじゃなかったのに…今はもう大っ嫌いです。もう関わってこないでください…!」




 両目から涙を流し、泣き始めた私を置いて彼女は先へと進んでいきます。


 動きたくても、足が動かず、私はその場に留まり背中を見送ることしかできませんでした。




「待って、待ってよぉ…私から、圭人くんを取らないでよぉ…!」




 どれだけ言っても。叫んでも。


 私の小さな声では止まらない。止めれられない。




 結局、その場で私は泣き続けるしかできないのです。


 子供のように。彼が迎えに来てくれることだけを、ただ信じて―――






「ぁ、ぁぁぁぁ…ぁぁぁぁぁっっ…」






 いつまでも待っても、もう迎えはこないのに



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