第8話(挿絵公開予定)

 正座を崩すときはいつも謎の緊張感がある。長時間座りっぱなしで感覚がなくなった後は特にひどい。


「そろー……」

「やめろ! やめてください! 天河さんやめて!」

「いいですよ。美也孤さん、後輩である私が許可します」

「えい!」

「やめろぁああああぁあぁああああ」


 人差し指で軽くつつかれるだけで、名状しがたい不快感が全身を走り回る。しびれているのは足だけなはずなのに、腰から背中を通って首筋にまで妙な感覚がつきあがる。


「いい気味ですよ、先輩」

「二尾はそんなキャラだったっけ⁉」

「えいっ」

「んなああぁぁああああ」


 二人にもてあそばれる中、なんとか足が復活したので台所へ逃げる。お湯を沸かして自分用のコーヒーを淹れるためだ。

 汐はいつの間にか自室へ帰っていった。大学のレポートが残っているからと飲みかけのコーヒーとともに消えた。

 司としては、さきほど外で出会ったバケモノ犬の話を美也孤に聞きたいので、汐がこの場からいなくなってくれたことはありがたかった。できればひなたにもいなくなってほしいが、どうやってその方向に話を持っていくか。

 コーヒーができるまでゆっくり考えていたが、結局いい案は浮かばなかった。

 こぼさないように慎重にリビングに戻ると、そこでは美也孤と日向が二人でじゃれていた。

 美也孤の尻尾を両腕で抱きしめながらその柔らかさを堪能するひなた。もふられている美也孤もとろけた笑顔でされるがままだ。


「すごいモフモフですね美也孤さん。ずっと触っていられる……」

「えへへー。さっきドライヤーかけたばかりだからいつもよりちょっと温かいかも」

「どうりで。こんな枕があったらすぐに寝ちゃいそうです」

「もっと触っていいよー」

「見えてるのかよ⁉」


 ビクッと驚いて二人が振り返る。だがひなたの両手は美也孤の尻尾から離れない。離れないということは触れるということ、つまりは見えるということだ。

 思わず声を大きくしてしまった司は一言謝って、ソファーに座った。


「え、二尾は見える・・・の?」

「はい。美也孤さんの耳としっぽですよね。ほら、もふもふ」

「ひゃっ⁉ 耳はくすぐったいよぅ」


 ひなたは尻尾から手を放してツンととがった耳に手を伸ばす。「それが何か?」とでも言いたげな顔でさわさわと撫で、美也孤はくすぐったそうに体をよじる。


「いや、耳だぞ。けもみみ」

「あ。いや、あまりにも似合う耳と尻尾でしたのでつい……」

「もふったことじゃなくて……」


 この世界ではケモミミと尻尾は不思議なものではなく、ごく当たり前に存在するものだったのか?  もしかして、おかしいのは俺の方なのか?

 司は自分の感覚を疑いたくなるが、コーヒーを一口飲んで無理やり冷静さを取り戻す。

 大丈夫、この世にケモミミは存在しない。ケモミミはファンタジー。二次元のみに存在する架空のもの。ここは現実、そんなものはあり得ない。

 中指を眉間に当てて、シワを寄せながら呪詛のように自分に語りかける。そういえば、汐もケモミミについては一切触れていなかったことを思い出す。こうも孤立無援だとおかしくなりそうだ。


「ケモミミは……ファンタジー」

「じゃありません!」

「うわっ!?」


 ずいっと美也狐が頭から生えているもふもふなケモミミを見せつけるように顔を近づけてきた。

 間近で迫るピンっと自己主張するケモミミ。存在感に圧倒され、思わずモフりそうになる。

 そう考えるより先に、無意識に司の手は伸びていた。


「ひぃあッ!?」


 ふわふわながら艶のある毛並みに、狐らしいツンとした形。ケモミミフェチな司が抗えるはずがなかった。

 毛の流れに逆らわず指の腹で撫で、耳の先を優しく揉む。くすぐるように耳の根本をこすったら、毛並みを整えるように下から上へゆっくりと指を流す。


「ぃ……ひぃ……あ、ふぁぁ……ぃーー!? ーーッ!?」


 何かをこらえるように体をよじる美也狐などお構いなしに、ひたすら撫でる。

 痛くないように、それでも適度な刺激で。右の耳を撫でたら左の耳へ。司はコーヒーを片手に美也狐の耳をひたすら撫でる。目線はずっと明後日の方へ向けて、「ケモミミはファンタジー」と小声でぶつぶつと唱えている姿は明らかに正気じゃなかった。


「やめなさい」

「ぶッ⁉」


 ひなたに後ろから頭をはたかれ、司はようやく正気を取り戻した。美也孤はその場にぺたんと座り込み、呼吸を整える。ひなたは軽蔑の目で司を見下ろしている。


「な、俺は何を……?」

「先輩はやはりケダモノだったんですね。失望しました」

「いや、違う! 誤解だ!」

「あんなえっちな触り方しといて誤解も何もないでしょう」

「えっちじゃないだろ⁉」


 撫でたのは事実だが、決してえっちな触り方ではなかったはずだ。何より司は無意識だったし、触っていた時の記憶もほとんどない。

 目の前には若干頬を赤らめて呼吸を落ち着けている美也孤が座っているが、えっちな撫で方ではなかったはずだ。


「いえ、司さんの撫で方はその……ちょっとえっちです」

「えぇ⁉」

「ほら!」

「さっきのひなたさんに撫でてもらった時とはちょっと違って、くすぐったいというかゾクゾクするというか……とにかく! 司さんの撫で方はなんだかえっちでした!」

「先輩のケダモノ!」

「そんな――ッ⁉」


 自覚はないがやられた本人がそう言い、第三者もそういうのであればそれが真実なのだろう。司は認めたくなかったが、下唇を噛んで深く反省した。


「美也孤さん、ごめんなさい……」

「あ、いえ、確かにえっちな撫で方でしたけど、ちょっと気持ちよかったし、すごく嫌ってわけじゃないので、ええと……」

「ん?」

「え、いや⁉ 終わりです! この話はもう終わり!」


 両手をぶんぶん振って美也孤は話題を変える。司としては何かごまかされた気がしたが、それに突っ込める雰囲気ではない。なにより、美也孤は気にしていないようだが、ひなたの視線が痛すぎる。大人しておくのが吉だ。


「私の耳の話ですよ。ケモミミはファンタジーじゃありません」

「んー……まぁ信じるしかないのかなぁ」

「煮え切らないですね……さっきの犬のこともありますのに」

「犬? あ、そうだよ! あれは何だったんだ?」


 そうだ、そのバケモノ犬について聞きたいと思っていたのだ。普通の犬より一回りも二回りも大きく、司を襲おうとしたあのバケモノ犬。美也孤は「憑いている」と言っていたが、詳しい説明を聞いていない。


「先輩、犬に襲われたんですか?」

「まぁ、犬といえば犬だけど普通の犬じゃなかったな」

「普通ではない?」

「えーっと、簡単に説明すると……」


 状況を飲み込めていないひなたに簡単に説明した。信じてもらえないだろうと思いながら話したが、ひなたはすんなり受け入れた。


「なるほど、大変でしたね。ケガはなかったですか?」

「え、いや無いよ。ありがとう。……というか、信じるの?」

「先輩が嘘つく理由はありませんからね。美也孤さんも見たようですし」


 そういってコーヒーを飲むひなたはひどく落ち着いていた。超常現象を語ったつもりの司はなんだか肩透かしを食らった気分だ。けもみみ程度で慌てたこともなんだか馬鹿らしくなってきた。


「それでもよく受け入れられるな。まぁいいや。で、あれは何なんだ?」

「あれはツキモノと呼ばれるものです」

「ツキモノ……?」


 知らない単語が出てきた。司の頭には「憑き物」の字が浮かぶ。人に乗り移って悪さをする幽霊……と辞書的な意味は分かるが、似た意味だろうか。


「文字通り、霊のようなものが取りついたものですね。また、憑く霊のことそのものをツキモノと言ったりします」

「幽霊まで存在するのか」

「あ、いえいえ便宜的に霊といっただけで人の死後の魂とかの類ではありませんよ」


 また超常的なものが増えたなと嘆息する司にすかさず美也孤が訂正を入れる。


「どちらかというと神とか動物例とか妖怪に近いもので、実体はないけどそこにあるといいますか……」

「実体が有るか無いかだけで、本質的には美也孤と同類ってことか?」

「私はちょっと違いますが、そんな感じです」


 美也孤は難しい顔をしながらうなずいた。実体のない妖怪、だけど人の魂ではない。魂のことを突き詰めようとするとさらに哲学的になりそうなので、司はそこで思考を打ち切った。


「じゃああのバケモノ犬はそのツキモノが憑いていたのか」

「はい! 動物にツキモノがつくのはたまにあることですが、人を襲うようになるのは珍しいです」


 続けて美也孤はツキモノについて簡単に話した。基本的にツキモノはひとには見えないが、稀に人に見えるツキモノがいたり、ツキモノが見える人がいるらしい。幽霊や怪異の伝説はツキモノが原因のものも多いとか。


「ツキモノが動物に取り憑いたとき、普通は時間がたてば元の戻るんですけどね」

「あのバケモノ犬はその前に俺を襲ったということか」

「はい。大丈夫でしたか?」

「助けてもらえなかったらケガしてたところだったよ。ありがとう」

「いえいえ、あれくらいお安い御用です! それに、私の実家ではツキモノのトラブルを解決するお仕事をしていたので、慣れたものですよ!」


 胸を張る美也孤にどこか胡散臭さを覚えたが、たぶん本当の話だ。

 そして、昨日今日と会話していて司は美也孤のことを少しわかり始めてきた。

 おそらく、この子は嘘をつかない。

 話すことはトンデモ話が多いが、全部本当だ。


「ケモミミにバケモノにツキモノか……」

「ツキモノと私を一緒にされるのはちょっと違いますが……まぁ良いです」


 司からしたらどちらも超常的なもので同じなのだが、美也孤からすると厳密には別物らしい。


(実体どころか知性もないであろうツキモノと、知性も肉体もありこうして会話をしている美也孤を同じ扱うのは失礼か)


 司はふーッとため息をつき、覚悟を決める。


「わかった。全部信じるよ」

「ホントですか⁉ ありがとうございます!」

「もう何でも信じるよ。じゃあ元狐の天河さんはどうやって人間になれたんだ?」

「やっぱりこの耳としっぽは狐さんだったんですね」


 ここまで来たなら全部聞いてやる。むしろうれしいことじゃないか。ケモミミは本当にあったんだ。常識は捨てていけ。

 いつのまにか美也孤のしっぽを撫でているひなたは放っておく。


「そうですね。簡単に言うと、いわゆる神通力ですね」


 神通力……神さまが使う超常的な力を指す。昔は信じられていたものらしいが、科学の発達した現代でこの単語を聞ことがあろうとは思わなかった。


「ということは天河さんは神様なのか?」

「いえいえ、神にお仕えしていた狐の末裔というだけです」

「それでも狐が人間に化けることができるのか」

「えへへ、これでも何年も修行してがんばりました」

「なるほど、じゃあなんで人間になろうと思ったの?」

「あ、えっと……それは……」


 美也孤は司の質問に縮こまる。うつむきながら人差し指を絡ませ、ちらっと司を見てまたうつむく。司としては答えにくい理由があるのなら答えなくてもよいと思っているが、どうもそうではないらしい。


「……き……だからです……」

「ん? ごめんなさい、聞こえなかったわ」

「司さんのことが好きだからです!」



 叫びにも似た告白。

 家中に響いたかと錯覚するほど。

 言い切った美也孤は一呼吸突くと、みるみると顔が赤くなっていった。

 「はぁー……」とため息をつきながら両手で顔を隠すも、熱を帯びた狐耳までは隠せない。

 司はたまらずバツが悪そうに眼を泳がし、ひなたは目を丸くして両手で口を覆って固まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る