13
朝だというのにギラギラした日の光が差し込む中、洗面所で手を洗っていると、アギンが横に来た。
「なにしてるの?」
「なにって、手を洗ってるんだよ」
わたしは泡立てたハンドソープを洗い流し、爪先をチェックする。
「ずいぶん時間かかってるみたいだったから」
アギンは髪を手櫛で無造作に整えながら言う。
「なんか指が汚れてたの。もう取れたけど」
アギンの表情に変化はない。目はとろんとして、整えきれていない髪がはねて光の中にくっきりと立ち上がっている。
「また手伝ってくれる?」
アギンは言った。
「え? なにを?」
「手伝ってくれたじゃん。死体埋めるの」
「え?」
アギンはどうしてわたしが見た夢の内容を知っているのだろう。寝ぼけて話したのだろうか。
「夜中に急に呼び出しちゃって本当にごめん。今度からはそういうのやめるから」
「あ、うん」
「でもまた俺、人殺しちゃうと思うんだよね。もう癖になっちゃってるから」
アギンはうんざりしたように言った。
「え? どういうこと? え?」
まぶたが痙攣するのがわかった。わたしの口は笑い、まぶたは引きつる。
「でももう本当に疲れちゃって。やめるように頑張るけど、無理だったらまた手伝ってよ」
「なんで? どうして殺すの? 癖ってなに?」
「自分でもよくわからないんだよ。ずっと前からそうなんだ。でも、サヤはそれで俺のこと嫌ったりしないだろ?」
「だから言ったの?」
「うん、まあね」
「どうして言うの? 黙っててよ。なに考えてるの?」
「ごめん」
「ごめんじゃないよ。わたしのこと、どうでもいいの?」
「そんなわけないじゃん」
「わたしのこと傷つけてるじゃん。わたしのことなにも考えてくれてないじゃん」
嫌われないようにしようと誓ったはずなのに、わたしの言葉は感情に任せてほとばしってしまった。
「そんなつもりじゃなかったんだ」
言葉が出ない。呆れ果てた。もううんざりだ。このまま嫌いになれたらどんなにいいだろう。
「じゃあ手伝いはいいよ。本当にごめん」
「いいよってなに? よくないよ」
「え? どっちだよ」
「手伝うよ」
「本当に?」
「うん。なんでもするよ。アギンがいなくなったら嫌だもん」
「ありがとう」
アギンは笑ってわたしの頭をくしゃくしゃとなでた。
「髪乱れちゃうよ」
わたしはむくれてヘアブラシを手に取った。
昼間、燦々と太陽の光が差す中、わたしは帽子とサングラスをして、倉庫や古い住宅がある街を歩き回り、廃工場と空き地に挟まれた廃材置き場を見つけた。
廃材の隙間を通って奥へ行くと、土地の隅の地面が明らかに不自然に踏み固められていた。
わたしはそこにスニーカーの足を載せてみた。ずぼっと靴底が黒い土に埋まったので抜くと、土の中から小さなものが慌てたように出てきた。数匹の蛆だった。
わたしは叫びながら空き地を出て路地を走った。息が苦しくなり、わたしはふらふらと歩いてから立ち止まると、スニーカーを脱いでそこの塀に投げつけた。
靴下だけになり、わたしはそこに通りかかった周回自動タクシーに乗り込んだ。ほとんど無意識に口にしていたのは、あの公園の名前だった。タクシーはわたしの声を聞き取り、モニターに行き先を表示して動き出す。
公園の池の周りを数人の若者がジョギングしていた。わたしは以前座ったベンチに腰掛け、額を手で支えて息をついた。白い靴下のつま先と遊歩道のグレーのレンガ。ここも土のにおいがする。首筋の皮膚が粟立つのがわかる。
これはリアルな白昼夢だろうか。五感情報はとても生々しいけれど、現実感がない。現実感とはなにから生まれるのだろう。慣れとか、現実を感じたいという意志だろうか。もしそういう不確かなものなら、ずっと現実感がないままであってほしい。不確かなものなんていらないから。
ずっと下を向いていたら頭が痛くなってきた。顔を上げたが、目を閉じていた。日陰なのに暑いけれど、動きたくない。
「サヤさん」
目を開けると、フジカゲがいた。帽子もサングラスもしていない。黒いジャージの上下には、メロンのものらしき毛がところどころついている。
彼はジュースの缶を差し出した。
「こんにちは。よかったらどうぞ」
わたしは受け取り、冷たいリンゴジュースを喉に流し込んだ。
彼は微妙な距離を保って立ち、わたしを見ている。
「座りませんか?」
わたしはため息をつくように言った。
フジカゲが隣に腰を下ろすと、わたしはなぜ来たのか尋ねた。
「そこの監視カメラで見えたんです」
フジカゲは近くの木を指差す。よく見ると、枝の間に監視カメラが設置してあった。
「少し様子がおかしく見えたので」
彼の目はわたしの足を見ている。ストーカーか。いや、彼にとってはこれが当たり前だという可能性もある。見ようとして辺りを見ているわけではないらしいし。
わたしはどう説明したものか迷った。すると涙があふれそうになってしまい、慌てて飲み込んだ。黙っていると逆にそのまま泣いてしまいそうだった。
わたしはアギンが人を殺しているらしいことを話した。やはり現実とは思えなくて、自分がとんでもない嘘をついているような気分になってきた。それでも別にいい。フジカゲはわたしにとって、なんでもない他人なのだから。
「警察に通報したほうがいいんじゃないですか?」
フジカゲは、相変わらずの平静さで言った。嘘だと思っているのか、信じたうえで冷静なのか、わからない。
「だめです」
わたしは強く首を振る。フジカゲが通報する可能性をまったく考えていなかったことにその時初めて気づいた。でも、フジカゲは証拠をまったく持ち合わせていないわけだし、わたしが、そんなことは話していないと嘘をつけば済むことだ。
「その、アギンさん、が捕まってほしくないんですね?」
「はい。捕まってほしくないです」
「じゃあ、やめさせないと」
「でも、どうしたら……」
そもそも、なぜそんなことをしているのかわからないのに。
「アギンさんのことを理解しなければいけませんね」
フジカゲは立ち上がった。わたしは慌てる。
「ちょっと待ってください。会わないでください。アギンとは、絶対だめです」
「会いに行くわけではありませんよ」
フジカゲは再び座った。
「すみません。まだジュース飲みかけですよね」
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