相川みお 2

 文化祭も体育祭も終わって、始まるのは怠惰な夏休みだった。終業式も終わって、教室はもう夏休みムードだ。花火とか夏祭りとかかき氷だとか、そんな言葉ばかりが聞こえてくる。

 それはもちろん私も例外ではなく、友人と「カラオケに行こうね」なんて笑い合う。多分行かないだろうけれど。

 そういえば、瑞樹くんはどんな声で歌うのだろう。自らを神様だと言うからには、きっとそれはそれはもう美しい声で歌うのに違いない。常でさえも耳触りのよい声だから、まるで芸術みたいな歌声になりそうな気もする。一度聴いてみたいな、と思った。

 ちらり、と窓の方を窺うと、彼は真っ白で華奢な手を顎に当てながら、今日も空を見ていた。長い睫毛が雲を追っている。この喧騒の中、やっぱり彼は一人きりだ。

 友人との会話が一段落したところで、私はスマホを取り出し、トーク画面に「夏休み、会いたいな」と打ち込んだ。

 すると、ぼーっとつまらなさそうにしていた彼が突然ふっ、と目を見開き、ポケットからスマホを取り出した。文化祭まで、私は彼が携帯とかスマホとかいう電子機器を持っていないものだと思っていた。しかし、最近の神様はそちらの方面にも明るいようで、「持ってるよ」と不思議そうにスマホを取り出したときは大層驚いた。そんなこんなで私は彼と連絡先を交換し、時々文章を送りあったりしていた。

 細い指先で、彼は何かを打ち込んでゆく。こちらからは、彼が何を打っているのか窺い知ることが出来ないので、私は裁判で判決を待つ犯罪者のようにどきどき、わくわく、ぞくぞくとしていた。嫌だ、なんて返ってきたらどうしよう。彼はそんなアウトドアな人では人ではないだろうし、私はただの、昼食を一緒に食べて、文化祭を共に過ごしてみただけの奴だから、一緒に出かける理由もないのだ。

 ぶるぶる、と私のスマホが震えて、恐る恐るスマホの画面を見ると、「いいよ」という文字。胸がぎゅーーーんとなって、私は思わず「いつがいい?」と打ち込んだ。「いつでもいいよ」と、一番困る返答が返ってきたけど、私は満足だっはた。

 ちなみに、彼が登録している連絡先は家の電話番号と、このトークアプリでは私だけだ。それを知ったとき、私の胸がぎゅーーーんとなったのは、言うまでもない。




 美少年の制服の夏服は最高だと思う。半袖カッターシャツの瑞樹くんもそれに違わず素敵で、中学の頃も最高だった。でも、私服を見たのは初めてだった。

 公園に現れた彼は、清潔なシャツに薄手のカーディガン、といった出で立ちで、少し秋っぽい装いだった。肌をさらけ出さないところがまた禁欲的で、こういうことを言っていいのかわからないけれど……そそる。やだ、私ってば変態。

 本当はカラオケに行きたかったのだけど、瑞樹くんがカラオケに行く画がどうしても思い浮かばなかったので、結局ピクニックまがいのことをすることにした。夏休みの間、私たちは一緒にお昼ご飯を食べることができない。それなら、今日1日だけでも、ゆっくりお昼ご飯を食べようと思った。

 毎日会わないのは、私の遠慮のためだった。うちの学校は課題が多くて、かなり全力で取り組まないと終わらない。彼の勉強の邪魔をしたくないし、何より、やっぱり誘いにくい、というのもあった。彼と長いこと一緒にいるのは、なんと言うか……疲れるのだった。

 心地よいけど、沈黙が多いので、その静けさが苦になることも多い。そんな関係ではきっと、私と彼は完全なる友だちにはなれない。もちろん、恋人にも。

 街の中心部から離れたその公園の芝生の上に青色のレジャーシートを広げて、私はお弁当箱を並べた。といっても、中に入っているのはただのサンドイッチだ。簡単に作れるし、何よりこんな晴れた日にぴったりだと思ったのだ。

 座り込んで弁当箱の蓋を開くと、彼は「わぁ」と歓声を挙げた。


「僕、サンドイッチ好きなんだ」

「よかった! 瑞樹くん、いつもパンばっかり食べてるからお昼はパンの方が食べやすいかなって思って。喜んでもらえて嬉しいな」

「家でもパンだよ。それに、このぶどうジュース」


 彼は、弁当箱と一緒に置いた紙パックのぶどうジュースをきらきらとした瞳で見つめている。


「ぶどうジュースは、神様の飲み物なんだ」


 ストローをぶっ刺し、そのぶどうジュースを飲みながら、彼は呟いた。


「大袈裟ね。確か、最後の晩餐だったっけ。昔読んだ聖書に、『ぶどう酒』みたいなものが出てきた気がする」

「聖書? それはどこの宗教の?」

「え、キリスト教に決まってるじゃない」

「嗚呼、世界史で習ったやつね」


 いただきます、とたまごサンドを手に取って、彼は不思議そうに頷く。……普通、聖書といえばキリスト教ではないだろうか。ハンムラビ法典や、コーランだとでも思ったのかな。そっちの方が一般的ではないだろうに。


「美味しい」

「よかった」


 私もサンドイッチを手に取って、口いっぱいに頬張る。うん、美味しい。私が食べたのはカツサンドだった。カツのサイズが大きすぎて、詰め込むのに苦労したのを思い出す。そこら辺はまだまだ研究しなければならないな、と思った。


「……神様の飲み物は、神様が飲むから、神様の飲み物と呼ばれていたんだ」

「……どういうこと?」


 どこの宗教にも無さそうな話だな、と思って、聞き返す。


「神様しか飲んじゃいけなかった。贅沢品で、何より身体を清めるためのものだと言われていたから」

「……それはどこの宗教の聖書に書いてあったの?」

「さあ」


 なにそれ、と笑って、私もぶどうジュースを手に取る。ぎゅぽっ、と差し込んだストローから紫の液体を吸い上げると、その酸味が何故か尊く思えた。彼の話を聞いたせいだろう。


「何言ってるの。ぶどうジュースなんて、スーパーで100円以内で買えちゃうじゃない」

「……そうだったんだね」


 彼は神妙に頷いた。


「そんなことも知らなかったんだよ。あの頃の僕は」


 あ、このサンドイッチも美味しいね。カツサンドを手に取り、頬張った形の良い彼の唇が、言葉を紡ぐ。

 彼は不思議だ、と思う。身に纏う空気、容姿。こうして話してみると、彼は妙なところで世界を知らない。知識はあるのに、年齢がそれに伴っていない。そんなちぐはぐな印象を受けるのだ。

 一体、どんな環境が、彼という人間を生み出したのだろう。

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