第29話 追手(3)ヤマモモ
疾風は風呂屋を出ると、仕入れ先へ向かった。少し遠いが、疾風の足ならどうと言う事もない。
(ヤマモモがまだこんなに残っていたとは。ついてたな)
ホクホクしながら歩いていたが、その足を止めた。
「気付いたか」
背後から、男が1人現れた。
「隼か」
年は疾風と同じくらいで、目付きが鋭い。かどわかされて来たクチだ。
「元気そうだな、疾風。それに、楽しそうじゃないか」
「まあな。見ろよ。ヤマモモがこんなに残ってた」
和やかな会話をしながらも、お互いに目は笑っていない。
「ヤマモモねえ」
隼は唇を吊り上げるようにして笑い、いきなり、2人は同時に走り出した。
そして、鉄串を投げ、手裏剣を投げる。どちらもわずかな動きで相手の攻撃を避け、隙を見逃すまいと集中している。
「俺はかすかに覚えている。母か誰かに手を引かれて歩いた事を。唯一の、暖かな記憶だ」
「……」
「お前ら兄弟が、羨ましかった。里の、家族のいる奴が妬ましかった。
お前らの親が死んで、お前らが俺達同様、大部屋住みになった時には、嬉しくて嬉しくて涙が出たね」
言いながら、隼は体を地面スレスレにまで低くしていく。
「八雲が里女に決まった時は、どうやって屈辱的に抱いてやろうかと心が躍ったな」
「……」
「狭霧も病で処分する事になった時は、おめでとうって言いそうになったね」
疾風は、安い挑発だとはわかっていたが、聞いていて無心ではいられなかった。
「なあ、何で俺がお前らを追撃するのを志願したかわかるか」
「さあ」
「それはな。お前らの絶望する顔が見たかったからだよ!お前らだけ逃げ切るなんて許さねえ!お前らだけ幸せになんてさせねえ!」
言った次の瞬間には、隠れていた樹の陰から躍り出て、疾風のすぐ眼前で短刀を振り上げていた。
それを疾風は短刀で受け、軽く口笛を鳴らす。
と、上空から鳥が音もなく滑空して来て、掴んでいた何かを隼の襟首にポトリと落とした。
「何――ギャッ!?てめえ、疾風!」
隼は慌てて帯を解き、着物を脱ぎすてるが、その首筋に牙を突き立てたマムシが、首筋から背中にかけて巻き付くようにしてへばりついていた。
毒蛇に噛まれればとにかく痛みが続くので、隼の顔は、痛みと怒りとで歪んでいる。
そして、腫れが始まる。首を噛まれたため、唇も首も腫れあがって行くし、痺れも始まって来たらしい。
「ああえ、おおう」
何を言っているのかわからないし、涎もダラダラとこぼれ、とうとうその場に膝をついた。腫れで気管が圧迫されて、窒息しかけている。
「隼。お前の生い立ちには同情する。でも、俺は妹と弟が大事だ。済まんな」
疾風は静かに、少しずつ距離を取る。
それを見ているのかどうか。隼は片手を伸ばし、地面に倒れ込むと、ピクリとも動かなくなった。
その体からマムシが離れ、するすると移動していくのを、疾風は見送った。
そして、完全に死んだ事を確認すると、ヤマモモを1つ、そっとそばに置いて、その場を立ち去った。
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