第25話 紅の鶴(2)千客万来

 狭霧はすぐに戻って来た。

「2人共間違いなく本人だったよ」

「そうか」

 疾風はそう言い、やや安堵した。

 八雲も知らず笑みを浮かべた。

 佐倉桐吾は美緒と一緒になり、子供も3人授かった。それを聞くと喜ぶだろう。しかし、土砂崩れで亡くなり、その子供達は抜け忍として追われているというのは、どうだろう。

 ならば、何も言わず、ただこちらだけが知っていればいい。

 それが3人で出した結論だった。

「それで、何をしてる家なの?どこの藩?」

「喜連川だったよ。そこの江戸家老だった。

 もう1人の方は、藩主の実弟だった」

 予想より上の人物だった。

 確かにこれでは、身分違いの娘を武家に縁組させて――とは、おいそれとできない家格だったのだろう。

「まあ、今は夫婦仲良くあの世で暮らしてるさ」

 疾風が言い、八雲も狭霧も、何となく空を見上げた。

 何も言えなくても、もし困った事があったら助けてやろう。そう思った。


 以来、佐倉と狭間は、ねこまんまに通って来るようになった。桐吾に似ているというのは関係なく、疾風の作る料理が気に入ったらしい。

 富田や織本とも話をするようになり、すっかり常連と呼べるようになった頃。思わぬ客が現れた。

「いらっしゃい――」

 八雲は、言葉を途切れさせた。

 入って来たのは旅装の女で、目鼻のはっきりとした美人だ。

 疾風より2つ下の忍び、紅葉だった。

「1名様」

「はいよ」

 そう返事する疾風に、狭霧は目を向けた。

<遅効性の毒でも飲ませる?>

<いや、普通でいい>

 それで普通のお茶を淹れ、定食と一緒に紅葉のところに持って行く。

「お待ちどうさま。どうぞごゆっくり」

 言いながら、視界の端で紅葉を見る。

「美味しそう」

 紅葉は笑顔を浮べ、そっと言った。

<無関係の客をいつでも殺せる。大人しくしていなさい>

 帳場の方へ戻って見れば、紅葉の左手は何かを軽く掴んでいる。

 見えないが、知っている。あれは、毒物を塗った針だ。

<八雲、狭霧、客に危害を加えさせるわけにはいかない>

 疾風がそう言い、八雲も狭霧も、大人しく従う事にした。


 客が帰って行き、とうとう紅葉のみになった。

「そろそろ閉店です」

 狭霧が言うと、紅葉は肩を竦めた。

「昔馴染みに冷たいのね」

「何しに来た」

 疾風が訊くのに、ニイと笑う。

「あら。訊くの?」

「念のためよ」

 八雲が言いながら、指を握って拳を固める。

「客に針を向ける常識知らずな女だもの。わからないじゃない?」

「言ってくれるわね。あなた達を殺しに来た者としては常識的じゃないかしら」

 紅葉も、針を数本指の間に挟んで構える。

 疾風は神経を研ぎ澄ましながら、静かに訊いた。

「ここでやりあうのか」

「投げ込み寺で、夜八つに」

 そう言って、悠々と出て行った。

 投げ込み寺というのは、行き倒れや死んだ遊女など、弔えない人物が死んだ時、言葉通り遺体を門前に放置した寺である。そこに、真夜中。

「今夜は、閉店?」

「いや、仕込みも始めた。いつも通りにしよう。どうだ?」

「わかった」

「ええ、いいわよ」

 3人は何事も無かったかのように、仕事の続きを開始した。


 紅葉は、浄閑寺に来た。投げ込み寺である。

 遊女が埋まっているのか、土饅頭が並ぶのを、眺めた。

(私達が死んだら、埋葬すらされるかどうかわからない。まだここにいる人は、恵まれているのかしら)

 そう考えながら奥へと歩いて行く。

 まだ時間まで半時ほどある。

 紅葉は座り、懐から折り鶴を大事そうに取り出した。里での訓練中は、私物というものをほとんど持てない。特に、里で家庭を持っている夫婦の子以外の者はそうだった。

 紅葉は里の女が誰かとの間に作った子で、母も父も知らない。与えられた最低限の物以外には、何もなかった。

 組み紐1本でも羨ましい。

 そんな紅葉が、たった1つだけ持っていたのが、この赤い折り鶴だ。何で赤なのかと聞けば、紅葉だからという答えが返って来た。

 変なの、と言ったが、大事に大事に、見付からないように、ずっと持っていたのだ。

 大事な時、落ち着かなければいけない時、苦しい時。そういう時には、この紅の鶴を抱いて心を静めて来た。

(助けて。助けて。助けて)

 いつものおまじないを唱えた時、気配が現れたのを感じ、紅葉はそれを懐にしまった。

「来ました」

 紅葉と一緒にこの任務に就いた2人が、音もなく忍び寄る。妹分の楓と弟分の笹葉だ。

 遅れて、疾風達の兄弟が現れた。

「いい趣味だな」

 呆れたような疾風のセリフに、紅葉は笑って応えた。

「私達にはちょうどいいでしょう?」

「それもそうか」

 そしていきなり、殺気をまとってぶつかった。




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