第3話 辻斬り(2)容疑者

 垣ノ上と文太が満足そうにお茶をすする頃、同じく常連の富田がやって来た。裕福な呉服商の隠居で、もっと高い店でも行けそうなものだが、この店を気に入ってほぼ毎日通って来る。

「やあ」

「ああ、富田のご隠居。いらっしゃいませ」

 富田はニコニコとして、気に入りのいつもの席へと着く。

「おや、垣ノ上様。お疲れ様です」

「うむ」

 垣ノ上は締まりのない顔を取り繕い、頷いた。

「聞きましたよ。また辻斬りが出たそうですなあ」

 それを聞いて、垣ノ上はしかめ面になる。

「辻斬りですか」

 料理の盆を運びながら狭霧が訊き返すと、富田は孫を見るような目をして話し出した。

「左之助も聞いた事はあるだろう?一月ほど前に、日本橋のたもとで夜鷹が斬られて死んでいた事件は。

 今朝見つかったのは芸者で、観音様の近くだよ。前と同じで、着物が片袖持ち去られていた」

 それに、狭霧は目を丸くした。

「観音様の?同じ長屋の中平様がやってる寺子屋の近くだね」

 狭霧がそう言うと、八雲が眉を寄せて、

「まあ、怖いわね。子供達が危ないんじゃないの?」

と言い、疾風は無言のまま、心配そうな表情になった。

「下手人の手がかりはないんですか、垣ノ上の旦那」

 富田が言うと、文太が胸を張る。

「流石は旦那、手掛かりを見付けたんだぜ」

「よさないか、文太」

 言いながら垣ノ上も胸を張ってチラリと八雲を見る。

「現場近くで、根付を見付けてな。まあ、下手人を見付けるのも時間の問題だな。

 ほれ」

 垣ノ上は、懐からそれを取り出した。そして、居合わせた店中の人間がそれに注目する。

「たぬきですかい?それも、少々不格好な……」

 大工らしい風体の客の1人が言う。

「犬じゃねえのか?」

「きつねだろう?」

 次々と声が上がる。

 そのくらい、それは少々不格好だったのだ。

「素人が作ったものだろうな。この通りなかなかない珍しいものだから、見た事のある者が現れるだろう」

 垣ノ上が鼻高々、という風に言う。

 疾風と八雲と狭霧は、素早く目を見交わした。

 そして、忍びの技である読唇術を使い、唇の動きで会話する。

<あれ、もしかして中平様のじゃ>

<やっぱり八雲もそう思うか>

<現場も中平様の寺子屋の近くというしね>

<マズイな>

 疾風が言った時、見ていた本屋が声を上げた。

「これ、見た事ありますよ。時々顔を見せるお侍が持ってましたよ」

 それに、垣ノ上と文太が色めき立つ。

「何、本当か!?」

「へえ。この不細工さは、二つとねえでしょ」

「確かに」

 皆、納得している。

「どこの誰かわかるか」

「化け猫長屋に住んでる浪人ですよ」

 疾風と八雲と狭霧は、内心で、「あちゃあ」と嘆息する。

 しかし垣ノ上と文太は勢い込んで立ち上がると、

「よし!早速行くぜ!」

「へい!」

と、店を飛び出して行った。

「やれやれ。慌ただしいねえ」

 富田は呆れたように言って、アサリ飯を口に入れた。

「ただの落とし物かも知れねえのになあ」

「あの旦那は、ほら、せっかちと言うか、早合点すると言うか」

「だな。

 そうだ。化け猫長屋なら、お前さん達の住んでる所だろ?」

 富田に水を向けられ、八雲が頷いて笑う。

「ええ。中平様も妹の菊江様も、そういう人にはとても思えませんけどねえ」

 すると客達は、

「なんでえ。また早とちりの旦那の勇み足ってとこか」

と笑い合ったのだった。


 しかし疾風達は気が気じゃない。

 昼ご飯の時刻を過ぎて昼の営業を終えると店を閉め、長屋へと急いだ。

 長屋では、住人達が勢揃いして騒がしくしていた。

「拙者の物であるが、ヘタクソとは失礼な。どこを見ても、かわいい馬ではないか」

「馬!?馬じゃねえだろ」

「たぬきだよな」

「犬じゃなかったのかい?」

「猫だと思ってたよ」

「ああ。やはり才能が無かったのだな……」

「兄上。問題はそこではございません」

 菊江が冷静に言い、垣ノ上と文太、騒いでいた住人達は我に返った。

「と、とにかくだ。これが現場近くに落ちていたんだ。辻斬りの下手人と疑われても仕方がねえ」

「拙者はそのような事はせん!その根付は、落としたのだ!」

「それを証明できるんですかい」

「落とした時にわかっておれば、その時に拾っておる!」

「まあ、そうですね」

 垣ノ上も、怒る中平を前に、段々と自信がなくなってきたらしい。

「じゃあ、昨日の夜はどこにいた」

「昨日は私と家におりました」

 菊江が言うと、八雲が手をあげて言う。

「うちは隣ですので、聞こえてましたよ。中平様と菊江様が、裏で稽古をなさっていた声が」

 それで垣ノ上と文太は、渋い顔になったが、

「八重さんが言うなら……。

 まあ、疑いがすっかり晴れたわけじぇねえからな」

と言い捨てて、去って行った。

 長屋の皆は、

「やれやれだねえ」

「早とちりの旦那だから」

などと言いながら、家へと入って行く。

 疾風達も家へ入り、表情をスッと引き締めた。

「これは、まずいぞ」

「ええ。化け猫長屋を張り込むつもりだと思うわ」

「注目を集めれば、その噂が江戸で活動中の里の人間の耳に入るかも知れない」

 3人は真剣な顔で、頷き合った。



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