06

 因果応報。


 自業自得。


 自分で蒔いた種。


 身から出た錆。


 などといった言葉が一斉に田中に襲いかかり、天誅がくだった。


 ということはなく、今更田中をどういうしたいわけではない。むしろヴァルキュリヤから抜け出す機会を得たのだから、結果的には恩人といったところか。でもまあ、少し脅かすくらいは許されるだろう。


 佐藤も渡辺も、まさかこんな身近に田中の被害者がいたことに驚き、凄いめぐり合わせがあるものだと、一周回って感心していた。


 そしてその日をもって、ついに俺はボッチを脱した。


 これをキッカケに佐藤たちと交友を持てたのだ。


 放課後、田中の奢りでファミレスで豪遊をした。ヴァルキュリヤで行った悪逆非道話。その裏話を面白おかしく語られ、とにかくその日は腹を抱えて笑ったものだ。


 田中は愉快犯で人を弄ぶカスでこそあったが、その牙が身内に向くことはない。謝罪もかねてと、アカウントの売買は丸投げさせて貰えることになった。


 そうしてあっという間に夏休みとなり、その一日目。


 ポン、と渡された封筒の中に入っていたのは、諭吉様が十五人。アカウント自体は十万だったらしいが、プラス五万は俺への迷惑料とのこと。どうせヴァッファルたちから巻き上げたものだという気前の良さは、人が良いのか悪いのか。判断つかぬところである。


「十五万、か……」


 田中と別れた後、その大金を手にしながら、複雑なため息が漏れ出した。


 四年間という人生を捧げて、最後に手元に残ったのがこれである。


 あまりにも虚しいと嘆くべきか、せめてこれだけ取り返せたと安堵するべきか。判断は難しい。


 きっとその答えは、これをどう使うかにかかっている。


 俺の四年の集大成。


 果たしてなにに使えばいいのやら。簡単に浪費するには、この十五万はあまりにも重すぎた。


 家に戻ると玄関で妹と鉢合わせた。


 まるで化け物が現れたとばかりに、妹はギョっとした。


 どうやら引きこもらず、真っ昼間から外出していたことに驚愕したようだ。


 過去を振り返れば、それを失礼だと思うことはない。


 好かれてこそないが、こんな兄が嫌われていないほうがおかしいのだ。クソ雑魚ナメクジ扱いされていないだけマシである。


 なにせ妹は陽キャの鏡だ。


 身なりへの投資を惜しむことはないその様は、まさに俺とは対極的に位置する生き物であった。


 と、そこで閃いた。


 この十五万の使い道を。


 かつて事実として受けた罵倒を思い出したのだ。


 そうしてすぐに動き出した、その日の夕方。


 今までの自分では、恐ろしくて絶対入れないダンジョン。それを二つほど妹の庇護下で攻略し、俺はその成果を手にした。


 母娘揃ってこの有様にニヤニヤとされるも、この先に待ち受けるイベントの前では気にならない。それほどまでに、胸がバクバクとして、落ち着かない気持ちでいた。


 もうそろそろだと、叩き出されるように家を出る。


 数刻ほど、玄関先で待ちぼうけてその者の帰りを待つ。


 夕暮れを正面から浴びるようにした、若菜が帰ってきたのだ。


 いつもであれば出会い頭でも目をくれず、通り過ぎていくところであったのだが。


「どうしたの……その姿」


 若菜は目だけではなく、足まで止めてしまった。


「キャラクリしたんだ」


 昨日までとはまるで違う、俺の姿を見て驚いたのだ。


 頭はボサボサ、眉毛も不細工で、ダサいメガネをかけていたはずの中村栄太。それが今や、ワックスを使ったヘアスタイルに、眉も整えられ、メガネすらかけていなかったのだ。キモイ猫背にもなっていない。


 俺は今日、美容院と眼鏡屋に行ってきた。


 夏休みデビューをするからと、妹に頼んで連れていって貰ったのだ。


 まず一発目は、妹が通っている美容院だった。女性客中心とはいえ、男性客を断るわけでもない。妹に事情を説明された美容師が、ノリノリで俺の人体改造を施してくれた。完全お任せでされるがまま。最後にはワックスでスタイリングされ、人体改造は終了した。鏡に映っていたのは見たこともない、まるで陽キャのような男の姿。髪型と眉だけで、人間ここまで変わるのかと驚嘆した。


 そして次は眼鏡屋だ。併設された眼科で検査された後、あっさりとコンタクトレンズが装着された。メガネとコンタクトでは、ここまで映る世界が変わるのかと感動したほどだ。


 かくして、中三の妹任せでキャラクリは完了した。


 家に帰ると出迎えた母親が「うちの息子ってこんなにイケメンだったのね」と手放しに褒め、妹も「まさか自信を持って、おにいを友だちに紹介できる日が来るとは」と嬉しそうにシャメを取り、母娘揃ってずっとニヤニヤとしているのだ。


 照れくさくて居心地の悪さを覚えたが、ここは大人しく玩具にされた。


 母はやっとその日が来たかとばかりに、諭吉をポンと託してくれた。


 妹の活躍は言わずもがな。嫌がることなく連れ回してくれた様は、心の内で眠っていたお兄ちゃんっ子が目覚めたのだ。というわけではない。友だちに知られたくない兄が、ようやくまともな姿に変身せんと決めた。心変わりする前に、この機会を逃すかとばかりに使命感に燃えたのだ。


 なお、服はダサイのしかないので、学校の制服を強要された。例え兄であれ、ダサイ男を隣に置きたくなかったのだ。こうしている今も制服のまま。と言っても白いワイシャツと、学園指定のスラックスなので、そこまでキッチリはしていない。


 すました顔がデフォルトの若菜も、キャラクリ後の俺に驚きを隠せないのだろう。目を見開き、口を半開きにし呆然としていた。


 すう、と息を吸う音。


 ようやく我を取り戻した若菜は、


「引き篭もっていたネットゲームはどうしたの?」


 キャラクリについてではなく、そちらの方を指摘した。


「引退だ。クソゲーにはもう飽きた」


 過去を惜しむことなく、胸を張るようにそう口にした。もうあれに未練はない。そんな清々しさすらある。


 辞めちゃえ辞めちゃえ、って促していた張本人は、信じられないとばかりに目をパチパチとさせた。


「じゃあこれから、どうするの?」


「手持ち無沙汰になったからな。今度はこっちの世界に引きこもるぞ」


 ぷ、と笑いが漏れたような気がした。


 ネットゲームに引きこもっていた男が、今度は現実に引きこもるだなんてのたまうのだ。相反するその言葉の使い方が面白かったのだろう。


「これからの方針は?」


「まずは夏休みデビューってイベントをこなさんとな。でもそのためには相応の装備を必要だろ? なら、まずはイベント攻略のために装備を整える。なにせ現在の装備はクソだからな。ゴミは捨てて全取っ替えだ」


「その後は?」


「装備が揃ったらレベル上げだ。魅力もそうだが、まずは知能優先に振ってきたい。力や体力は追々だな」


 運を上げる必要はない。なにせ初期から運だけは高いのだ。


「他には?」


「フレンドを増やす。マルチプレイを楽しむ世界で、ソロプレイなんて苦行は死んでもごめんだ。ギルドにも加入せんとな。今は底辺でも、絶対に上位ギルドに潜り込むぞ」


 底辺プレイヤーの野望に、若菜はおかしそうにしている。


 ああ、こんなふざけた会話で若菜を笑わせたのはいつ以来か。


 ずっと俺たちはそうやって寄り添い、一緒の道を手を繋いで歩いてきた。いつしか勝手に俺がそれから離れて、別の世界ゲームをやり込んできた。


 その裏で若菜は、この世界で装備を整え、レベルを上げ、フレンドを作り上位ギルドに加入していた。


 クソゲーを捨て、この世界に再びログインしたところで、俺と若菜には大きな格差がある。まさに底辺プレイヤーと、上位ベテランプレイヤーほどの開きがあった。


「まずは最初の一歩として、イベント攻略用の装備を整えたい。でもなにを買えばいいのか全然わからん。どう組み合わせればセット効果が発揮するんだ? それだけじゃない。なにより厄介なのが、装備ショップに湧いてる店員だ。なんでも奴らはタゲを取ってもないのに、すぐにこっちを標的にしてくるらしいじゃないか。底辺プレイヤーがそんな奴らに襲われてみろ。瞬殺だ」


「だから?」


 疑問符を掲げるそのすました顔。その裏では、今からなにを言わんとしているのかお見通しだろう。


 底辺プレイヤー風情が、ちょっとキャラクリしたくらいで上位ベテランプレイヤーに並べるわけがない。かつての縁を頼って、人生のレベリングをしてもらおうだなんておこがましい。


 だけど、それでも恥知らずな俺はこう願いこう。


「だから……この世界の上級ベテランプレイヤーに、装備を見繕ってもらいたい」


 上位ベテランプレイヤーと並びたいがために、その本人に介護支援を要請したのだ。


 真っ直ぐと恥ずかしげもなく、俺は若菜の目を見据えた。


 散々避け、逃げ回ってきたその瞳。


 勝手に側から離れて別ゲーに走っておきながら、また一緒にやりたい、なんて。あまりにも都合のいい話だ。人が必死に築いてきた地位を利用する、まさに蛮行である。


 それでも俺はこの世界にログインし、再び立ち上がると決めたのだ。


 若菜とまた、この現実ゲームで遊びたい、と。


 沈黙が幾ばくか流れていく。


 すましたその顔からこぼれたのは、


「いいけど、私好みの装備になるよ」


 やっとこの世界に戻ってきたかと、小さな小さな、それでも喜びを含むかのような微笑みだった。


「上級ベテランプレイヤー好み以上の装備はない」 


「底辺プレイヤーなんかに付き合って上げるんだから、お昼はそっちの奢りね」


「寿司でも焼き肉でもイタリアンでもどんとこい。なんならディナーまでつけてやる」


「お、強気だね。まるで成金みたい」


「まさしく今の俺は成金だからな。資金は十五万もある。その日は成金無双だ」


「どうしたのそんな大金?」


「俺の四年を売っぱらってきた。もうクソゲーに後戻りはできん。これを元手にこの世界に引きこもって、上級プレイヤーを目指すぞ」


 かくして俺たちは、格差はあれどかつての距離を取り戻した。


 くだらない会話に乗ってきて、おかしそうにしているその顔が好きだった。


 また俺は、そんな顔を生み出せる機会を得られたのだ。


 これは一つの奇跡である。


 一度失ったからこそ、それがどれだけ大切なものであるか。死ぬほど身にしみた。


 もう同じ間違いは繰り返さない。


 これからまた一緒の道に進んで、


 一緒の景色を見て、


 一緒の体験をして、


 一緒の未来を望んでいきたい。


 だが、いくら縁を取り戻したからとはいえ、俺たちの間には無視できないほどのレベル差がある。


 底辺プレイヤー風情が、上位ベテランプレイヤーとパーティーを組んだ日には、寄生扱いされるに決まってる。


 寄生扱いが嫌なら、クエスト攻略で実績を出すしかない。


 若菜と同じレベルでなくても、同じクエストを攻略できた実績さえあれば、パーティーを組んでも寄生扱いされずに済むはずだ。


 だから俺がこなすべきクエストは決まっていた。


 大学受験という超高難易度クエだ。


 母いわく、若菜は国立を目指しているとのこと。


 同じクエストをこなすのなら、まずは知識全振りのレベル上げを、必死になって行わなければならない。


 楽しいことだけに引き篭もってきた俺には苦行でしかないだろう。だが、目的があるレベル上げはきっと、俺を高みまで連れて行ってくれるはずだ。


 超高難易度クエを攻略したその先で、


「その先でカナとパーティーを組む。それが今の目標だ。必ずその高みに追いつくぞ」


 必ず君が好きだと告げるから。だから待っていてくれと、底辺プレイヤーが偉そうに豪語する。


 その頬が朱に染まっているのは、果たして夕暮れのせいか。


「期待してるよ、エータ」


 いつものすました顔はどうやら、とても機嫌が良さそうだった。


 もうこれは既に、告白が成功していると同じではないか。


 胸が高鳴り、抱きしめたい衝動にかられてくる。キスの前借りも許されるのではと。


 そんなバカな男の下心を見抜いたかのか。調子に乗るなと釘を刺すように、若菜は人差し指を口元に置いた。


「リップサービス」

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ギルドを逆追放された俺は、現実で美少女幼馴染との距離を取り戻す。元ギルメンたちはネカマに騙され内部崩壊したらしいが、今更謝ってきてももう遅い。幼馴染に君が好きだと告げるため、ネトゲを引退し大学を目指す 二上圭@じたこよ発売中 @kei_0120

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