凍てついた夜の果て

@akamura

凍てついた夜の果て




朝目覚めて何よりも最初にすることは、心を殺すことだ。





何をされても、怒ることなく、動じることなく。何を見ても、憐れむことも、心を痛めることも、悲しむこともなく。死んだように、ただ生きていく。




果たすべきことのために。




自分はまだ、死ぬわけにはいかないのだから。













「起きているか、人形(ドール)」


嘲りを隠しもしない声とノックすらなしに開かれた扉に、人形と呼ばれたそれは顔を上げる。

顔にかかる黒い髪を払うこともせず、青い目をゆっくりと瞬いて、来訪者が歩み寄ってくるのをぼんやりと見つめる。


「おはようございますシルヴィア様。よく眠れましたか?」


わざとらしく慇懃無礼な態度にも、シルヴィアと呼ばれたそれは全く返事を返さない。

だが男はそれを気にすることはない。人形が喋らないのは当たり前のことだからだ。


「さぁ、お召しかえをしましょう」


黒いスーツにくすんだ金の髪をした男は、それこそマネキンでも扱うようにおざなりにシルヴィアを押し倒し、衣服を剥いでいく。

男の左手には、ビデオカメラが持たれていた。無機質なレンズが、下着一枚に剥かれたシルヴィアを見下ろしている。


数分、シルヴィアの半裸を撮影してからようやく、男は持ってきた服をシルヴィアに着せていく。

首元に大きなリボンのついたワインレッドのシャツに、ぴったりと足に張り付いた黒のパンツ。足下には、パンツと同じく黒のピンヒール。

差し出された手を取らずひとりで立ち上がったシルヴィアの腕を、男が掴んだ。


そのまま、引っぱるようにして部屋を出ていく。

向かう先は、いつもと同じ。

この城の、この国の支配者である男の元だ。


「お待たせいたしました」

「ご苦労、ダグラス。おはよう、可愛いシルヴィア」


神経質そうな顔に蛇を思わせる笑みを浮かべ、男はシルヴィアの頬を撫でる。

ダグラスと呼ばれた黒服の男が、ようやくシルヴィアから手を離した。


シルヴィアを抱きしめると、男はその体に指を這わせていく。ひどく熱っぽい、乱れた息が、シルヴィアの髪を揺らした。


「お前は相変わらず細いな。ちゃんとご飯は食べているのか?」


男の問に、シルヴィアは小さく頷く。

その顔を見下ろし、男は憂いげにため息を漏らした。


「お前がここに来てもうすぐ一月になるが、お前は一向に笑わないな。笑えばとても愛らしいだろうに」


甘やかな口説き文句を吐きながらも、男は舐め回すようにシルヴィアの全身に視線を這わせる。

露骨に性的な欲求をはらんだ視線を受けても動じないシルヴィアに、男はつまらなさそうに肩をすくめた。

しかし次の瞬間、男はぱぁっと表情を輝かせて笑った。


「そうだ、良いものを見せてやろう!

昼食の後にでも、連れてきてあげるからな。

あれなら、きっとお前も笑えるはずだ」


猫なで声の言葉にシルヴィアは首をひねったが、すぐにこくりと頷いてみせる。 

満足げに、男はシルヴィアの髪を撫でた。


「さぁ、では行こうか」


シワ一つない真っ白なシャツに覆われた男の手が、シルヴィアの腰を抱く。

それに異を唱えるものは誰もいない。

子供がお気に入りの玩具を肌身離さないのと同じように、男はシルヴィアを連れ回しては、時折戯れにその身体をまさぐる。

シルヴィアも抵抗や恥じらう素振りもなく、男の手を受け入れていた。


けれどあまりにも従順すぎるその態度は、男には些かつまらないものに感じられた。

可愛い顔をしたこの玩具が、もっと恥じらい、抗い、取り乱す様が

見たい。それを無理矢理に捩じ伏せる方が、従順に従われるよりも興奮する。


或いはそれを知っていて、だからこそこんなにも従順なのかもしれない。


だが、それも今日までだ。

『あれ』を見れば、流石にこれも顔色を変えるはずだ。


この少女のような少年は、一体どんな顔で怯え、どんな声で泣くのだろう。楽しみで仕方がない。


硝子のように虚ろな青い瞳を見つめながら、男は生唾を飲んだ。








『おもしろいもの』。

そう称して、家来に命じ連れてこさせたのは、人であった。


否、それを人と呼んで良いものだろうか。

痩せ細った手足に嵌められた枷と鎖、首には犬のように首輪をはめられ、王の家来にそれを引かれて、四つん這いに歩くそれは。猿轡を噛まされ、苦しげな呼吸を漏らすそれは、人と呼ぶにはあまりにも憐れであった。


洗えばさぞ美しいのであろう髪は泥や血に汚れ、荒れきってまるで枯れ草のようだ。

瞳は虚ろで、どこも、何も見ていない。


恐れるように、シルヴィアは王の腕を掴み、袖を引いた。

その反応に、王は満足げに目を細め、シルヴィアの頬を撫でる。


「怖がらなくても良い。見た目の割には頭も良いし、従順なんだよ」


王が家来に合図すると、家来は青年の前にしゃがみ、猿轡を外した。

苦しげに噎せこむ青年の首輪の鎖を引くと、家来は王に鎖を渡す。


何をするのかと言うように首を傾げるシルヴィアの顎を掴み、王は青年の方へシルヴィアを向かせた。


粘ついた笑みを浮かべ、王は組んだ足を青年の眼前に突出す。

上体を伸び上がらせると、青年は王の靴に舌を這わせ始めた。


シルヴィアの瞳が初めて、動揺したかのように揺れる。見開かれた目は呆然と青年を見つめていた。


王は、愉悦に満ちた顔で青年を見つめている。この場にいる王の家来達も、戸惑うこともなく、笑いながら眺めていた。


不意に、王が傍らのピッチャーを掴む。

爪先で青年の顔を上げさせると、その顔にピッチャーを傾けた。


「零すなよ」


命じておきながら、傾けられたピッチャーから流れる水の量は到底飲みきれるものではない。

案の定、青年は溺れるほどに注がれた水に耐えきれず、蹲って咳き込んだ。


これみよがしに呆れた表情をして、王は青年の頭を踏みつける。


「零すなと言っただろう?」

「もうしわけ、ありません………」

「謝罪など何の役にも立たないな。ほら、お前のせいで床が濡れてしまったぞ」


苛立った様子で、王は足元の水溜りを足で指し示す。

冷たい石床に顔を寄せ、青年は犬のようにその水を啜った。


家来達も王も、愉快で仕方がないというように笑い、聞くに耐えない言葉を青年に浴びせる。

それらに反応することなく、青年は床に溢れた水を舐め続けた。


王の手をそっと払うと、シルヴィアは王の膝から立ち上がり、部屋を出る扉に向かって歩いて行った。


無表情に戻ってはいるが、その肩は震えている。

席を立つと、王はシルヴィアの肩を抱いた。


「楽しくなかったかな」


王を見上げ、シルヴィアはこくりと頷く。


「そうか。…ダグラス」


王の傍らに立っていた男が、笑みを浮かべて青年に歩み寄る。

加虐的な笑みで青年を見下ろしたまま、彼の脇腹を蹴りつけた。


「ぁ゛っ、が……あ゛あ゛っ!」

「声を出すな、聞き苦しい」


苦しげに呻く青年の腹を踏みつけ、男は青年を蹴りつけ、殴りつける。

青年が悲鳴を上げるたび、男はうっとりと微笑み、さらに暴力を浴びせた。

反射的に頭を守ろうとする青年の腕を、咎めるように掴む。


「何の真似だ?」

「っ………」

「答えろ」

「申し訳ありません……ぁぐっ、ぁっ、」

「声を出すなと言っただろう」


あまりにも理不尽で残酷な暴力。しかし王も家来達も、愉快なショーでも見ているかのように、声を上げて笑いながらその光景を見つめている。



何をしているのかと問うように、シルヴィアが王の腕を引き、青年と、彼に暴行を働くダグラスを指した。


「何、気にすることはない。君を楽しませられなかった仕置をしているだけさ。

さ、君は部屋に戻っていなさい」


家来に連れ添われ、シルヴィアは部屋を出ていく。

扉が閉まる直前、部屋を振り返ったシルヴィアの瞳は、赤が滲んでいた。






傷口を包む冷たい感触と、ひどく食欲をそそる香りに、気を失っていた青年は意識を取り戻す。

気絶している間に部屋、否、牢に返されたらしい。粗末なシーツと床の小石が肌を擦る感覚がある。


けれどどうしてか、いつもよりも温かい気がする。

一体どうして。それを確かめるために、青年は目を開いた。




「良かった。目を覚まされましたか」

「っ、君は………」

「静かに。傷に響きます」


叫びかけた青年の口を、人影―シルヴィアは持っていたハンカチでそっと塞ぐ。

ハンカチ越しでも分かるくらいに、彼の唇はひび割れ、乾いて、荒れ、血が滲んでいた。

唇だけではない。昼間の暴行のせいで、青年のほぼ全身にひどい傷が出来ている。

濡らしたタオルでその血を拭い、ガーゼと包帯で傷を塞いだ。


青年は、それを夢でも見るような顔で見つめている。

冷たかったのは、傷を拭われているから。温かいのは、かけられた毛布のお陰だったらしい。

けれど、なぜこんな事をしてくれるのか。困惑する青年に、希は傷の処置を続けながら、潜めた声で告げた。


「あまり騒いで、駄犬を呼んでしまうと厄介です。どうかお静かに」

「駄犬……?」

「ダグラス、でしたか。飼いならされた犬ごとき捩じ伏せるのはわけないですが、面倒なので」


棘にまみれた声で吐き捨てるシルヴィアを、青年は信じられないものを見るように見つめていた。


王様のお気に入りの、かわいいシルヴィア。かわいいお人形様。いつもだんまりで、何があっても無表情。

そう噂されているのは知っていたし、実際、さっきだって、眉一つ動かさずに自分を見ていたはずなのに。


「君は、えぇと、あのシルヴィア、なのか?」

「………昼間は申し訳ございませんでした」


青年の前に膝をつき、シルヴィアは深く頭を垂れる。

事情を理解しかねるというように目を瞬く青年を、見上げ、シルヴィアはおもむろに自身の髪を引っ掴んだ。


「貴方様と見えたならば、最早シルヴィアでいる必要もありません」


言い切ると同時に強く髪を引く。

剥ぎ取られた黒髪に代わり現れたのは、ダークブラウン。

ぎょっとする青年に微笑みかけてから、シルヴィアは自身の瞳に手を伸ばした。


青い瞳は、最早そこにはない。

灯火のように、大きな赤い瞳は光を放って見えた。


「改めて、ご挨拶を。

とある組織より、この国の内情を探るべく遣わされました、希と申します。

お初にお目にかかります、王子様」

「!」


久しく呼ばれる呼称に、青年は目を見開く。


「ど、どうして」

「ご説明は勿論させていただきますが、その前に。宜しければ、お召し上がりになりませんか?」


ふわりと微笑んで、希は紅茶を注いだカップを差し出す。

青年がそれで喉を潤しているうちに、背後に置いていたトレイを前に出す。

バケットと、野菜のスープ、一口大に切り分けられたステーキとフルーツポンチ。

久しぶりに見るまともな食事に、青年は思わず唾を飲んだ。


「私の夕食で申し訳ありませんが、全く口はつけておりませんので」

「なら、君も腹が減ってるんじゃ」

「私、あんまり食べなくて平気なので。さ、どうぞ」


笑みを浮かべて食事をすすめる希に、青年は躊躇の表情を向ける。これは何かの罠ではないか。ひとを疑うのは良くないと思っていても、疑わずにはいられない。


青年の視線に気づいた希は、バケットの一片と、ステーキの一部を摘み上げ自身の口へ運んだ。 

毒など入っていないと示すように笑った希に、青年はようやく食事に手を伸ばす。


スープの温かさと野菜の甘みが、食感が。肉の味付けに使われたソースの味が。舌と言わず全身に広がる。

もっと食べたい、腹を満たしたい。欲求に突き動かされ、青年は料理をかきこむ。


青年のために新しく紅茶を注ぎながら、希は口を開いた。


「貴方様のことは、レジスタンスの青年より聞きました」

「レジスタンス……?」

「ええ。アザナという名の青年です」

「!」

「ご存知ですか?」

「勿論だ!」


思わず、青年は声を荒らげる。


この地獄にあっても、彼のことは一時も忘れたことがなかった。

どうか無事であってくれと、毎晩願っていた。


ぶっきらぼうだが、本当はとても優しい友人。自分が王子だと知っても、今までと同じように接してくれた、あの時の喜びは、絶望で凍えそうな胸に灯火のように輝いている。


「アザナは無事なのか!?」

「今は私の友人とともにおります」

「そうか…無事、なんだな?」


頷いてみせた希に、青年は深く息を吐く。

笑顔など忘れたと思っていた顔に、自然に笑みが浮かんだ。


「彼は貴方をとても心配していました。

レジスタンスを立ち上げたのも、貴方を救いたいからだと」

「私を?」

「はい。貴方をここから救い出すために」


笑みを浮かべていた青年の表情が、再び影を帯びる。

唇を引き結び、青年は首を振った。


「希殿。どうか、アザナを守ってやってくれ。

……そして、伝えてくれないか。すまないと」

「王子?」

「俺は、此処を出る事はできない」

「何故ですか?」


詰るでもなく、ただ本当に疑問を尋ねるように、希が問う。


青年は、苦しげに顔を歪め目を伏せた。


「父は殺された。だが、母と妹は、生きている。名を変えて、他の国で生きていると聞いた」

「え、」

「俺がここにいるうちは、母と妹には何もしないと、王位を継げない女には、用はないと。だから、俺が大人しくしていれば二人には、手を出さないと……約束、してくれた」


最早自分に民を、家族を守る力はない。

大事な愛しい家族を守るためにできる事は、隷属することだった。



靴を舐めろ。床を舐めろ。骨を折るが声を出すな、腹を殴るが吐くな。

しゃぶれ。飲め。

どんな苦痛も、屈辱も、心を殺して受け入れてきた。


だって。

自分にできることはもう、それしかないのだから。


「笑ってくれ、詰ってくれ。俺は、惨めな王子だ。こんな形でしか、家族を守れない」


疲れ果て、濁りきった瞳からぽろぽろと、大粒の、澄んだ涙がこぼれる。

ずっと抑えていた感情は、一度溢れてしまうと止められない。

声を殺して、王子はずっと枯れていた涙をあふれさせた。


「顔を上げてください。貴方は立派な王子だ」


伸ばした手で、希は王子の涙を拭う。触れた肌は、まるで砂のようにざらついていた。


微かな明かりがあるとはいえ、地下の牢屋は薄暗い。故に希にはしっかりと、王子の姿が見えている。


荒れ果てた手の、その掌には、爪が食い込んだあとが痣のようにくっきりと刻まれていた。

結ばれた唇にも、噛み締められた傷が残っている。


羞恥も屈辱も苦痛も、絶望も。

ひとりで抱えて、彼は一体幾度の夜を過ごしたのだろう。

死の誘惑を、何度跳ね除けたのだろう。


剣も盾もなければ、銃もなく、言葉すらない。

けれどそれは、紛れもなく戦いだった。


「大事な人を守るために恥辱に耐える貴方を、死を選ぶことなく抗い続ける貴方を、俺は笑ったりしない。

貴方を嗤うものを、私は許さない。

貴方を辱めた者らには必ずや、血と苦痛をもって報いを受けさせてやる」


まるで呪いのようなその言葉。しかしそれを吐く希は、騎士の如き清廉さを纏っていた。

思わず見惚れ、言葉を失う王子の手を、希は両の手で包むように握りしめた。


「バラッド様。今までよく耐えられた」

「っ、………」

「あとは我等にお任せください。

この国は、必ずや取り返す」

「希殿……」

「我らが目指すは、貴方の救出だけではありません。この国丸々、返していただく所存ですとも」

「え……」


それはあまりに危険なのでは。

表情を強張らせる王子に、希はあくまで笑みを向ける。


「我等と、あなたの友を。どうか信じてください、王子」


踏みにじられ、汚れた手に、希はそっと唇を触れさせる。


「いけない。汚いから」

「汚い?どこが」


くすりと笑って、もう一度。癒やすように、労るように。騎士の誓いの真似をして、王子の手に口付ける。


希を見つめる王子の目にはまた、涙の膜が張っていた。

頭を撫でられて、耐えかねたようにそれが頬を伝う。



国が落とされ、囚われてからずっと、心を殺して生きてきた。

嗤われても、痛めつけられても、耐えてきた。

けれど本当はとても、口惜しくて、悲しくて、苦しかった。

己が惨めで仕方がなかった。

でも、彼は。そんな自分を、立派だと言ってくれた。


「ありがとう……希殿……」

「礼を言われるようなことは言っていませんよ。私はただ、思ったままを口にした、本当にそれだけなのです」


微笑んで、希は立ち上がる。

まだ彼と話をしたいが、時間がない。

やることは決まった。ならば、行動は速やかにすべきだ。


「貴方様は、王に即位した際のスピーチでも考えて待っていてください。

またすぐに迎えに来ますので」


恭しく頭を垂れると、希はトレイを手に、踵を返した。







地下牢を出て、灯りもない廊下を、希は音も気配もなく歩いていく。

表情の浮かばない顔の中、瞳だけが爛々と憤怒に揺らめいていた。



母のため、妹のため。大事な人の命を守るため。バラッドは言った。

けれどこちらの調べでは、バラッドの母は。妹は。

バラッドと同じく、捕らえられているはず。城の何処かに幽閉されているはずだ。



初めから破綻した約束。守られることのない約束。否、脅迫。

それを強いて、あの男は笑ったのだろう。愛する者のため我が身を贄にする彼を、ずっと嘲笑っていたのだろう。


「暴君様はご存知かね。嘘つきの舌は抜かれるということを。

良いよ、舌だけじゃなく、首も引っこ抜いてやろう」


引きつったような声を上げて、希は笑う。

狂ったような笑い声を掻き消すように、風がざわりと吹き荒れた。










「アズラエル。起きて」

「……猫?」


夜が空ける前に姿を現した希に、アズラエルは目を覚ます。


反乱分子として指名手配されているアザナを匿うためアズラエルが身を隠したのは、住み込みの娼婦達が働く店の一室だった。ここならば、早朝だろうが夜中だろうが関係なく出入り出来るとアズラエルが判断した故だ。それに、こういうところの女は情に深い。アズラエルの予想通り、事情を話すとすんなり二人を受け入れてくれた。

その代わりにアズラエルは店で働いているが、娼婦としてでなく給仕兼用心棒として、である。その辺りもやはり優しい。


ズレたシーツをアザナにかけ直してやりながら、アズラエルは希を見やる。


「随分長かったな。大丈夫か?」

「大丈夫。それより、ようやく王子さまと会えたよ」

「バル!?」


友人を示す呼称に反応したのか、アザナが飛び起きる。

目を瞬いた希とアズラエルに、アザナは跳ぶようにして勢い良く駆け寄った。


「バル、バルは無事だったか!?病気になってなかったか!?怪我は!?泣いたりしてなかったか!?」

「おちついて、アザナ」

「落ち着いてられるかよ!」

「静かにしろって。姉さんらはまだ寝てんだぞ」


ここは本来、彼女らの、娼婦たちの場所だ。貴重な睡眠を妨げたくはない。


アズラエルの手に口を覆われ、アザナはべしべしとアズラエルの手を叩く。

何とかアズラエルを振り払おうともがくも、アズラエルはびくともしない。やがて疲れたのか、アザナは抵抗を諦めた。

静かにするならそれで良いと、アズラエルはようやくアザナを開放する。


ぜぇぜぇと息をしながら、アザナはじっと希を見つめた。

一刻も早く、友達の無事を確認したいと、瞳は雄弁に訴えていた。



「詳しいことは言えないけど、王子様はご無事だ。怪我はしてらっしゃるけれど病気にはなっていなかったし、気がふれてもいなかった。

君の話をしたら、心配していた」

「心配?俺の?」

「うん」

「っ、馬鹿じゃねぇのか!?俺より自分の心配しろよ!ほんっと馬鹿だなアイツ!」


馬鹿、馬鹿と繰り返すアザナだが、その瞳には涙が浮かんでいた。


バルが、バラッドが生きている。希の言葉を、アザナは何度も反芻した。


バラッドが生きている。あの城に囚われている。

なら、自分がやるべきことは。やりたいことは。


「希、アズラエル。俺は」

「王子様を助けに行く、だろ?」

「ああ。けど、王子だから行くんじゃねぇ。バルは、友達だ」


例え刺し違えることになっても、バラッドだけは助けてみせる。

バラッドが帰ってきてくれたら、王になってくれたら。この国は昔みたいに、バラッドの父親が、ソロネ王が治めていたときのように、善い国に戻るはずだ。


今のように、貧しいものが金持ちや兵士達に虐げられて、遊びで嬲られることもなく。王の気まぐれで、必死に稼いだ金を「寄付」と奪われることもなく。

地位がないからと言って、城仕えの連中や高い地位の男に犯されるのを、感謝したりもしなくて良い。

そんな、ごく当たり前のことが当たり前である国に、懸命に生きるものが報われる国に、戻れるはずだ。

貧しい人もそうでない人も、病気の人も健康な人も、お互いを敬い、助け合う国。それが戻ってくるなら、命なんて惜しくない。



拳を握るアザナを見つめ、希は痛みに耐えるように顔を歪めた。


「本当なら、君達が武器を持つのは嫌だ。城を落すのも腐った王の頭を切り落とすのも、俺とアズラエルだけで終わらせたい」

「……」

「でも、君達は王子を、この国を、自分達で助けたいんだよな」

「ああ」


希の言葉に、アザナは深く頷く。


覚悟を決めているなら、希もこれ以上は何も言わない。

頷いて返すと、アズラエルの方を向いた。


「アズラエル」

「おお」

「レジスタンス達の半数を連れて、王妃と妹君の救出を。阻む奴は殺しても良い」

「お前、だいぶキレてんな」

「お前は怒ってないと?」

「まさかだろ」


アズラエルだって、自分の娯楽のために他人の尊厳を踏みにじる輩は大嫌いだ。

そういう輩は隠しているスキャンダルを暴き―或いは捏造してでも―ばら撒いて社会的に破滅させてやるのがアズラエルのやり方なのだが――――すぐに死ぬ奴等の社会的地位など、落としたところで意味もない。


グロテスクなのも、血も嫌いではあるが。それ以上に、他人を平気で傷つける輩の方が、もっと嫌いだ。


「ああ神よ、救いなどもたらしてはくれぬ神よ。愚か者に裁きの雷を。それさえ出来ぬならせめてせめて、我らが蛮行を許し給え」


嘲るように笑い、アズラエルはベッドに寝転んで早速人員の選択を始める。

戦いに慣れていないもの、戦うのに迷いがあるものはこちらで引き受けよう。


アズラエルの人を見る目は信用している。希も、アザナも口を挟むつもりはない。 


「アザナ。君は俺と来るだろ」

「ああ、勿論だ」


ナイフと銃を握りしめ、アザナは深く頷く。


長かった戦いも、これで終わる。

必ず奪い返す。国も、友人も全て。


迷いのない目で、アザナは窓から見える王宮を睨むように見据える。

その背中を、不意にアズラエルが叩いた。


「ぃっ、」

「アザナ」

「何だよ」

「お前が死んだら、王子さまは悲しいじゃすまねぇぞ」


だから、死ぬなよ。


アザナの荒れた髪を撫で、アズラエルは祈るように告げる。


涙が零れそうになるのを、唇を噛んでこらえて、アザナは頷いた。




「さぁ、じゃあ始めようか」










王のお気に入りの人形の身支度を整えさせ、王の元へ連れて行く。

王の側近であるダグラスの、毎朝の最初の仕事がそれだ。

抵抗するようなら多少痛めつけても構わないと王からは言われていたが、シルヴィアはそれを知っているかのように従順で、歯向かう素振りすら一度も見せたことがない。


こちらとしては、歯向かってくれた方が楽しめるのだが。

そんなことを考えながら、ドアを開いた。


刹那足首に、鋭い痛みが走る。

一体何が原因か、確認するよりも早く、両の足が払われた。

倒れるドギーの視界に、血を流す自身の足と、その足元に屈み込んだ人影が写る。

低く屈み込んだ身を伸ばし、跳ね上がった人影は、正確にドギーの目に自身の踵を、喉に爪先を食い込ませた。


「ぐぁあっ……!」

「おはよう、ダグラス。ドギー(ワンちゃん)って呼んだ方が良いかな?

おはよう、そしておやすみなさい。安らかには、とはいかないだろうが」


ヒヒヒ、と引きつるように笑うそれを、ダグラスは左目だけで睨めつける。

焦げ茶色の髪に、小柄な体躯。それだけならば何処にでもいる普通の子供と変わらない。けれど赤い瞳は、長い前髪に覆われてなおその色を隠せていない瞳は、あまりに異様で、奇妙で、おぞましくさえ思えた。


「お前、何者だ?どうやって」

「おや、薄情な。毎日乱暴に腕を引いてエスコートしてくださったのに、分からないか?」


くつくつと笑うその表情にも、血の色の目にも、見覚えはない。

だが、皮肉めいた物言いの内容に微かに引っかかるものを感じ、ダグラスははっと目を見開いた。


「お前、シルヴィアか?」

「今はもう違うけど、まぁそうだとも言えるな。

お前が望む通り歯向かってやったんだが、ご感想は?」

「ふざけるな!」


立ち上がると、ダグラスは腰にさしていた警棒を振り下ろす。

それを右手のナイフで受けると、振り下ろされる力に逆らわずそのまま腕を下げる。

相手の体が勢いを殺しきれず傾いだ隙をついて、希はダグラスの左手の指を3本ほど切り落としてみせた。


「あああああ゛っ!」

「驚いたな。まさか本当に役立たずの駄犬だとは。猫一匹に翻弄されて、情けない」


にゃあ、と戯けて見せる希の明確な嘲りに、ダグラスは怒りと屈辱に身を震わせる。


こいつはズタボロにして屈服させてやらないと気が済まない。相手の反応が悪くなるから「これ」はあまり好きではないが仕方がない。

歯を食いしばり、懐に潜ませた小型の電気銃に手を伸ばした。


「っ、この雌猫、調子に―――」

「……ああ」


す、と目を細め、希はダグラスに歩み寄る。

一気に間合いを詰められ、ダグラスは反応が遅れた。

道端のゴミを見る目でダグラスを見下ろし、希は軽く跳び上がると、再び喉と、鳩尾を蹴りつけた。

蹴り、というよりも最早刺されたような痛みと詰まった呼吸に、ダグラスは蹲り噎せこんだ。

取り落とされた電気銃を、希は明後日の方向へ蹴り飛ばす。


「その呼び方は、アズラエルにしか許してない」

「っが、ア……!」

「というか、アズラエルにも許してはないんだけどなぁ。慣れって怖いね」


蹲る男の頭に、希は全力で足を振り下ろす。

血を吹き出して倒れた男を片足で踏みつけ、喉にナイフを押しつけた。


「普段ならば、首を刈るか心臓を刺して終いなんだが」



ふ、とため息を漏らし、滑らせるように、希はナイフから手を離す。

重力に従ったナイフは、ダグラスの鎖骨の数ミリ下を抉った。


「あ゛あっ!」

「悪いね。お前に情けをかける気にはならない」


誇りある王子を嬲ってくれた分だけ痛みと屈辱を。

辱めた分だけ血をもって贖いを。そして、痛みと後悔に塗れた死を。


王子の前で宣言した言葉を、嘘にするつもりはない。


伊達に本を読んでいるわけではない。一番痛い拷問も苦しい処刑も、殺さない方法も、ちゃんと頭に入っている。

やれといわれれば、凌遅刑だってやってみせる。

ジェロニモが好むような真似だって、厭わない。


流石にこの後アザナ達のもとへ行く手前、そしてその後アズラエルと合流するので、そこまではやらないが―――


「やすやすと死ねると思うな」


手始めに王子を殴った手を奪うか、かの人を笑った口を裂くか。


感情の伴わない笑みを浮かべ、希は見せつけるようにナイフを回した。









前に立ちはだかる兵士の足を撃ち抜き、剣を振り上げる衛兵を斬って、アザナは真っ直ぐに王の元へ向かう。

兵士達を倒した数と同じくらい、アザナも傷を負っている。撃たれた腕からは血が流れ、殴られた額は割れていた。だが、そんなことに気を取られている暇はない。


王を殺す。バルを助ける。それだけを考えて、足を進めた。


「リーダー、危ない!」

「っ、」


仲間の声に、アザナは足を止める。物陰に潜んでいた衛兵が放ったボウガンの矢が、アザナの鼻先を掠めて壁に刺さる。

矢が飛んできた方に向けて銃をうち、アザナは声を張り上げた。


「助かった!ありがとう!」

「アザナ、前!」

「前?」


切羽詰まった声に前を向くと、衛兵がアザナめがけて警棒を振り下ろしているのを目で捉えた。

剣で受けようとするが、恐らく間に合わない。

目を閉じたアザナの背後から、ふたつの人影が飛び出し、衛兵を切った。


「止まるな、行け!」

「雑魚は私達がやる!あんたは進め!」

「任せたぜ、キーリ、マキナ!」

「「任された!」」


快活な笑みを浮かべるふたりに、アザナも笑い、背を向ける。


敵も、味方も血を撒き散らし、肉を飛び散らせて倒れていく。

凄惨な光景に、しかし足を止めることも、目を背けることも出来ない。する気はない。


剣と剣がぶつかる音を、誰かの悲鳴を背中に受けながら、一心不乱に向かう王の部屋。

門番を切り捨て、ドアを蹴開けて。

仇敵に向かって、アザナは剣を振り上げ、咆えた。



「クレイヴ・テュール!死ねぇえええ!」

「――――!!!?」


振り下ろした剣は、近衛兵により防がれる。

胸を狙って放たれた突きをかわし、銃の引き金を引いた。

その弾はクレイヴには当たらなかったが、近衛兵の肩を撃ち抜く。


「退け!テメェらに用はねぇんだよ!」

「黙れ、薄汚れたガキが!」

「ドブネズミども、今日こそまとめて殺してやる!」

「ああ、そうかよ!やれるもんならやってみやがれ!」


兵士から槍を奪うと、アザナはその槍で兵士の喉を貫く。


身を潜めている間、何もしていなかったわけではない。希とアズラエルの―何度も死地を抜けてきたものの訓練を受け、手合わせをして、鍛えられてきた。

娼婦達の与えてくれた、温かくて栄養のある料理のお陰で、体力も有り余るほどに回復している。

弱者を嬲り遊ぶことしかしていなかったなまくらの兵士になど、負けるつもりはない。


兵士と互角、否、優勢に渡り合うアザナに、クレイヴは顔面を蒼白に染め金切り声で叫んだ。


「ダグラス!ダグラース!おい、誰かダグラスを呼んでこい!」

「それが、朝から姿が見えなくて……」

「探せ!早くあのガキを……」

「お探しの方はこちらですか?」


不意に響いたよく通る声に、クレイヴは扉を振り返る。

その瞬間、安堵を滲ませていたクレイヴの表情が凍りついた。

逆に焦りが浮かび、強張ったアザナの表情は、安堵に綻ぶ。


「希!」

「遅くなってごめんね、アザナ」


微笑んでみせると希はナイフを抜き、アザナに向かって武器を振り上げていた男の首へそれを投げた。


「ひっ……ひぇ、あ、あああ………!」


その場にへたりこみ、クレイヴはがたがたと震えだす。

無理もないだろう、血のように赤い目を光らせた子どもが、生首を掲げて、笑顔を湛えてゆっくりと足を進めるその姿は、あまりに恐ろしい。

ランタンのように掲げられた生首が、苦悶の表情を浮かべているから、尚更に。


「重かったので、頭だけですが。必要ならば、他の部品も持って参りましょうか?

使い物には、もうならないけどな」

「なっ―――」

「このガキ、よくも!」

「死ね!」


背後から振り下ろされた刃を、希は飛び退いてかわす。

兵士らの背後に回ると、両手に握ったナイフを躊躇なく振るった。


「お前らが死ね」


首を失った死体が2つ。人形のように崩れて落ちる。 


気がつけば、部屋にはもう希とアザナ、クレイヴしか残っていない。

剣を構えたアザナに、クレイヴは甲高い悲鳴をあげて後退った。

 

「ま、ま、待て!私を殺すと後悔するぞ?」

「あぁ?」

「前王の妻と娘、あれらは表向きには国外追放となっているが、本当はこの城の隠し部屋に監禁している!私を殺したら、隠し部屋は見つからないぞ!前王妃と姫がどうなっても」

「そのふたりならとっくに連れ出したぜ」

「おや」


えらく不機嫌そうな低い声に、希は小さく首を傾げつつ振り返る。

白い服を一部血に染め、乱れた三つ編みを揺らして歩いてくるアズラエルの表情はやはり露骨に不機嫌だった。


大股で歩いてくるアズラエルから少し遅れて、アザナの仲間達と、彼らに支え守られた王妃と姫も現れる。


「おばさん!ルキア!」

「アザナくん……⁉」

「何が隠し部屋だ。教会の地下礼拝堂なんざ誰でも思いつくだろボケ。この俺を教会なんかに入らせやがって殺すぞ!」

「ああ、だからそんな機嫌悪いのか」


場違いにも、希はくすくすと笑う。

その横でアザナは首をひねった。


「教会?あったかそんなモン?」

「敷地の端の方にな」

「あ?………あー、あのガラス張りの?」

「アレは倉庫だ。あとガラス張りっていうかステンドグラス」

「馬鹿な……」


誰も足を運ぶことなどない、それこそ倉庫よりも使われない、存在自体、殆ど誰も覚えていない教会を、何故見つけられたのか。

王は愕然と、助け出された王妃と姫を見つめる。


仮に教会を見つけられたとしても、地下室への入り口は、その存在を知っているものですら見つけるのが困難なほどにしっかりと隠されていたはず。

それに、入口の下にもう一枚、鍵付きの扉があったはずなのに―――



「か、鍵、そうだ、鍵は、」

「あぁ?………ああ、鍵な」


くつりと笑って、アズラエルは担いでいた槍を床に突き立てる。

石床さえ楽に穿つそれにしなだれかかり、アズラエルは歌うように言った。


「閉める必要のねぇドアなら、壊してもいいだろ?」

「なっ…………」

「ヒヒハハハハ!合理的!でもお前本当は教会破壊したかっただけだろ!」

「違ぇよマジでそうするのが一番早かったからやっただけだ」

「嘘だぁー」


場違いにもけらけら、からからと笑ってから、希は最早死人の顔色をした王を見やる。


「これでこちらの懸念材料は一切なくなったわけだけど、まだ何か言ってみるか?」

「た、た、助け……」


がちがちと震える口を開いて、王は命乞いの言葉を吐こうとする。

その口に手を突っ込み、希は引っ張り出した舌を切り落とした。


「言えるものなら、だけどな」

「ーーーーーー!」

「ああ、うるさいな」

「んぶぅ!」


にこやかに、冷酷に微笑んだままに。希は側にあった死体の足を切り落とし、王の口に捩じ込んだ。

危うく断面を直視してしまいそうになり、アズラエルが無言で目を逸らす。


このまま希に任せておけば、じきにその首は切り落とされることだろう。

だが、希よりももっと、その首を取るのに相応しい人物がいる。


希が王を殺せば、それは王位を簒奪した愚王の粛清となる。だが、果たすべきは粛清ではない、民による革命だ。


アザナに歩み寄ると、アズラエルはそっとその背を押した。

アザナは一瞬驚いた顔をしたが、アズラエルと、希、仲間たちの視線を受けて、キッと表情を引き締めた。


血に濡れた切っ先を払い、床にへたり込んだ王の前で剣を振り上げる。

目を見開き、はくはくと口を震わせることしかできない王に、アザナは吐き捨てるように告げた。


「この国は、俺達のものだ」


怒りと憎しみを込めて、アザナは王の首を切り落とす。


噴き出した血をかわすことはしない。自身に罪を刻むように、真正面から王の血を浴びる。


真っ赤に染まった顔で仲間たちを振り返り、アザナは剣を掲げた。


「俺たちの……勝ちだ……!」


レジスタンスの人々が、歓喜の声を上げアザナに駆け寄る。

王妃と姫は抱き合って涙を流した。


果たされた革命に、アズラエルはふぅっと息を漏らし、世話になった娼館小屋の女性達を思う。彼女らの暮らしも、これで楽になると良いが。


「アズラエル、行こう」

「え?」


行くって、一体どこへ。

目を瞬いたアズラエルに、希は苦笑とともに肩をすくめた。


「王子様を迎えに行くに決まってるだろ」

「あ」

「衣装部屋みたいな無駄極まりない部屋が確かあったはずだ。王子様の召し物を拝借してからいこう」


希としては、全裸だろうが襤褸を纏っていようが彼は立派な王子だと思う。だが、久々の家族や友との再会に、襤褸はあまり相応しくない。

血と肉が撒き散らされた道を足早に進む希に、アズラエルも付き従った。








「バル!」

「アザナぁー!」


王子とレジスタンスの青年が、まるで小さな子どものように抱き合い、くるくると回る。

革命の直後とはおよそ思えない、あまりに長閑な光景に、レジスタンスの面々は表情を綻ばせた。


アザナの顔や体に触れ、バラッドは痛ましげに顔を歪める。


「ああ、アザナ、こんなに怪我をして……それに、皆も」

「ばぁーか。これぐらい、お前のためなら何でもねぇよ。なぁ皆」

「当たり前でしょ。わざわざ聞かないで」

「無事でよかった、バル」

「皆……アザナ………!」


ぎゅう、とアザナに抱きついたバラッドと、笑いながら彼の頭を撫でるアザナを中心に、仲間達はふたりを抱きしめ、口々に労いを告げる。

女性たちは王妃の手を握り、姫を抱きしめて、祝福を口にする。姫は泣きながら笑って、彼女等を抱き返した。



一頻りその光景を眺めていた希とアズラエルは、顔を見合わせ頷くと、腰を上げた。

気付いたバラッドが、慌てて叫ぶ。


「待ってくれ!」


アザナの手を掴んだまま、バラッドは希とアズラエルに駆け寄る。



「貴方方は我等の……この国の恩人だ。どうか、感謝の宴を」

「パス」

「ご遠慮いたします」

「えっ!?」


目を見開いたバラッドに、希はにこにこと笑い、アズラエルは肩をすくめる。


「そんな金があんなら、一刻も早く国立て直せ」


王を討ち取ったからと言って、全てが終わったわけではない。

散財した前王が無駄に使った金の分の財政の見直し、荒らされた民の生活の復興、前王の招いた、或いは自らやってきた、前王同様性根の歪んだ金持ちや商人達への処罰と今後の対応………他にも、やらなければならないことは山程あるはずだ。

希もアズラエルも、そこまでは手を出せない。それは、王の領分だ。

王子もそれはちゃんと理解している。


「それは勿論早急に始める、だが、」

「それに俺達、大したことはしてませんから」

「んなわけねぇだろ!?お前らがいなかったら」

「アザナ」


前のめりになるアザナの額を、アズラエルが軽く指で弾く。仰け反ったアザナを支えながら、バラッドは困惑した顔でふたりを見た。


「俺達がいなくても、君達はきっとやり遂げてたよ」

「そうそう。別にいらなかったと思うぜ、俺等」

「そんなこと……」

「「あるって」」


きっぱりと断言するふたりに、アザナはそれ以上言い募ることもできず、悔しそうに、拗ねたように唇を噛む。


アザナの荒れた髪を撫でてやり、アズラエルはゲリュオン―あるゲームのキャラクターに因んだ名の空飛ぶ馬車を呼ぶと、御者席へ乗り込んだ。


「ああ、そうだアザナ。姉さん等に礼言っといてくれ」

「自分で言えよ」

「俺等は次の任務があるんだよ」

「王子様、アザナ。どうかお元気で」

「ありがとう。本当にありがとう。この恩は生涯忘れない」


片膝をついて、バラッドは深く頭を下げる。 

アザナも、見様見真似に頭を垂れた。

 

「またな」

「またいずれどこかで」


見えない地を駆けるようにして、ゲリュオンが空を駆け上がる。

その姿が見えなくなるまで、バラッドとアザナは手を繋いで、晴天の空を見上げていた。


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凍てついた夜の果て @akamura

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