04. 突然の口づけ〜どちらにとっても
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レベッカがどんなに反対しても、アンドリューはあくまで土地を買収するつもりだ。しかも、アンドリューはいきなりレベッカにキスしてしまう…。
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翌朝レベッカは、いつものようにミルクティーを手に夜明け前のひとときをむかえた。
いつもの薄闇、濃紺の空が薄紫になって……。
ぱしりっ、落ちた枯れ枝を踏む音に気をとられ、そちらに目をやると、いきなりアンドリューが庭にあらわれた。
大切にしている夜明け前の貴重な時間なのに……。神聖な気分をだいなしにされてむっとした。
アンドリューはレベッカが見ていることに気づきもせず、遠目にもすっきりとした立ち姿であたりを見まわしている。明るさを増していく湖岸の背景が、素晴らしく似合っている。
その姿に一瞬目をうばわれたものの、レベッカは頭を振って現実にもどった。どうにか昨日のことと〈ラミティエ〉の将来は関係ないと、自分に言い聞かせようとしてたのに。
「いやになっちゃう」
レベッカはつぶやくと立ち上がった。気をまぎらわせるために、早めに身じたくをととのえて調理場におり、オーブンに火を入れた。
「さてと、どうしようかな」右手の人差し指を軽く唇にあてて考えこむ。
こういった気分のときには、一品増やしてパンプディングを作ることにしよう。伯母から教わったとおり、たっぷりの干したフルーツを刻み入れて、クルミやパンプキンの種を散らしたリッチなものがいい。
ひたすら手を動かしているうちに、だんだん気持ちが落ち着いて来た。
やはり体を動かして物を作ることは自分に向いている。バニラエッセンスと卵の幸せな香りが満ちてきたキッチンに立って、いつも以上に充実している料理を見ていると、これで大丈夫だという確信がわいてきた。
だが、パンプディングが焼き上がったわずか5分後には、それを後悔することになる。
「すごくいい匂いだな」
なんとお客の一番乗りはアンドリューだった。夜明け前から外をうろついていれば、おなかがすいて当然だ。レベッカは、そんなことにも気づかずせっせとごちそうを作っていた自分を呪った。
「コーヒーはいかがですか」
ポットを手にしてサービスしている自分が、世界一の間抜けに思えた。
「ああ、いただこう。いい香りだな」
あなたのためにいれたわけじゃないけど、という言葉をかみつぶしてレベッカはサービスした。
アンドリューは見事な食欲を見せ、料理をひととおり平らげたあと、さらにパンプディングのおかわりまでした。
「みごとな味だ。もうこれ以上はいらないのが残念だ」
うれしそうにおなかに手をやるアンドリューが、少しだけ可愛く見えた。でも、油断しないのよ、レベッカは自分にいい聞かせた。
数時間後、今度はフロントにいたレベッカに、アンドリューが話しかけてきた。
「ちょっといいかな?」
「はい、何でしょう」レベッカは固い声で返事をして身がまえた。みんなはだまされても、私はニューヨーカーなんかにだまされませんからね。
「よかったら、このあたりに住んでいる人たちのことを教えてほしいんだが」
「といいますと?」
「いや、つまり別荘を建てるからには、近所の人たちのことも知っておきたいと思って」
まあ、ずうずうしい。もう土地を手に入れたつもりなのね。
「まだ土地を売ることになったとは、聞いていませんわ」
レベッカのとげのある口調に、アンドリューはあらためて、フロントの女性に目を向けた。昨日鍵を受け取ったときには、連絡するのに忙しくて見のがしていた。なかなかの美人だ。
「ええと、きみはここに住んでいるのかな?」そういえば、ポーター夫妻の居間のすみにも、昨夜彼女は座っていた。身内だろうか。
「ええ、伯父夫婦と一緒に〈ラミティエ〉を切り盛りしていますから」
「そうか、僕はアンドリュー・ハートだ。これからよろしく」
ポーター夫妻の姪か。笑顔で差し出したアンドリューの手が、レベッカのかたくなな表情に当たって、宙に浮いたまま止まった。
「レベッカ・ポーターです。それは、別荘が建つことが決まったら、ということですよね。たぶん、そういうことにはならないと思いますが」先手必勝だわ。ここではっきり言っておかなくては。
とまどったようにアンドリューは手を下げ、あらためてレベッカに問いかけた。
「レベッカ、きみが土地売買の権限を持っているということかな? 契約について聞いていた話とはちがう」
そこには先ほどの感じのいい笑顔はなく、距離をおいたビジネスライクな顔があった。
レベッカは思わず赤くなった。もちろん土地は伯父と伯母のもので、レベッカに権利があるわけではない。
「いいえ、そういうことではないけれど、伯父たちはこの場所をこよなく愛しているわ」
「それが、土地を売らないということと関係があるのかな」
昨夜のポーター氏は感じが良かった。信頼できる取引相手だと思っていたが――。アンドリューはいぶかしんだ。ひょっとして、土地の値段をつり上げようというのか?
「私は反対なの。このあたりに住んでいる人たちは、古くからの住人ばかりだし、この場所を大切にしていて、むやみに開発したりしないわ。そして、私がこのホテルの後を継ぐのだから、そのままにしておきたいのよ」
「僕がむやみに開発すると思っているってことかな」アンドリューがわざとのんびりした声でこたえた。
「いいえ、そうは言っていないわ」
レベッカの瞳に怒りの火花が散った。
「そう言ったも同然だ。だが、きみはこの件については権利が無いという。つまり、僕が何をするにしても、きみには関係がないということだ」
その言葉はレベッカの胸に突き刺さった。
「それに、このホテルだってそのままがいいとは限らないだろう? 現に、昨日一日見ただけでも改善の余地は感じられたし――」
自分らしくないと思いながらも、アンドリューはつい、レベッカをからかいたくなって余計なことを言ってしまった。ホテルの居心地の良さは申し分ないというのに。
やっぱりホテルまで狙っているのね! これまでの我慢がついに爆発して、思わずレベッカはカウンターのドアを押しあけ、アンドリューのまえに奮然と立っていた。
「いい加減にしてもらえませんか? たしかに〈ラミティエ〉はちっぽけなホテルにすぎません。世界中の超一流ホテルに慣れていらっしゃる方には不満な点もあるかもしれませんが、私たちは心からサービスをしていますし、それを気に入ってくださるお客様だって大勢いるんです。ご満足いただけないようでしたら、お帰りいただいて結構です」
伯父に注意されていたにもかかわらず、レベッカはつんけんどころか、けんか腰で啖呵を切ってしまった。
とてつもなくきつい言い方に、アンドリューは面食らった。さっきまでは、おとなしい印象の女性だと思っていたが、目の前に立っている女性は、いまは怒りに頬を染め、感情の高ぶりで瞳の奥に炎が燃え立っている。
「それに、あなたは別荘を建てるんでしょう?〈ラミティエ〉のことまで根ほり葉ほり訊くなんてどういうつもりなの?」
レベッカの瞳の奥で熱い炎が揺れていた。アンドリューは、初めてレベッカを見たように感じた。なぜだろう、彼女から目がはなせない。
アンドリューは返事もせずに、じっとレベッカを見つめている。めったにないことだが、思いきり感情を表に出したことで、レベッカも引っ込みがつかなくなった。
言葉もないまま2人は向き合っていた。
なんだろう、この人から目がはなせない。深くて黒い瞳に吸い込まれそう……。
アンドリューが軽く眉をつり上げると、唇を引きつらせた。レベッカがそんなわずかな変化に気を取られているうちに、彼はレベッカの肩に手をおいた。スローモーションの映像を見ているみたいに、ゆっくりと彼の顔が近づいてきて、唇が重ねられた。
「!」
恋愛経験ゼロに近いレベッカは、最初は驚き、その驚きが消える前に、訳がわからなくなった。膝から力が抜け、思わずアンドリューに抱きついてしまう。逃げなければならない相手にしがみついていたのだ。
一瞬とも永遠とも思える時間が流れ、気がつくとアンドリューが離れていた。我に返ったレベッカは、反射的に彼をひっぱたいた。
「お金のつぎは色仕掛け? やっぱりニューヨーカーね。最低!」
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