第31話 ……いいね。

 5月25日。



「制服というのは、着ているだけで楽しくなるものだな?」


 クロは楽しそうに、その場でくるりと回る。


「そうか? 毎日のように着てる俺からすれば、その感覚は分からないな」


 俺はそんなクロの姿を眺めながら、小さく息を吐く。


「でも制服を着た我が隣を歩いているのは、未白も嬉しいだろう?」


「……どうかな。まあ、よく似合ってるとは思うよ」


「照れておる。照れておる」


「何に照れるんだよ、バカ」


 そんな風に楽しく会話しながら、クロと一緒にゆっくりと歩く。



 紗耶ちゃんを助けた、翌日の放課後。昨日の夜のうちに連絡しておいた汐見さんに会うために、いつもの廃ビルに向かっていた。


「……おっと、忘れてた」


 ふと思い出して、ポケットに入れっぱなしだったあのメモ帳を、落とさないよう鞄にしまう。


 昨日拾った、メモ帳。それは確かに、莉音が紗耶ちゃんにプレゼントしたのと同じメモ帳だった。……けど、中身は全くの別物だった。


「……少し、不気味だな」


「どうかしたのか? 未白」


「いや、こっちの話」


 そう言葉を返して、もう少し思考する。


 中身が違うということは、このメモ帳は莉音が紗耶ちゃんにプレゼントしたものではない。それは、確かだろう。……でもじゃあ偶々同じメモ帳が、紗耶ちゃんがうずくまっていた場所に落ちていたというのだろうか?



「それはちょっと、都合が良すぎるよな」



 だからこのメモ帳には、何かある。そう考えるのが、自然だろう。……でも何度確認しても、メモの内容に特におかしなところはなかった。



 何月何日に、シュークリームを食べた。何月何日に、消しゴムをなくした。何月何日に、寝坊してしまった。



 そんな日記とも言えないようなどうでもいい日常が、無機質な文字で書かれている。それはまるで、心を知らないロボットが書いたような内容で少し不気味だけど、おかしいという程のものではない。



 ……でも強いて言うなら、最後のページ。



 そこには何かを消した跡の上に、真っ赤なペンで『赤』とだけ書かれていた。それがどういう意味なのか、俺には全く分からない。けどそれを見た瞬間、どうしてか背筋に怖気が走った。



 これは何か、よくないものだと。



 だからメモ帳を返すついでにそのことを訊こうと、紗耶ちゃんの教室を訪ねた。……けれど紗耶ちゃんは、体調不良で学校を休んでいた。


 今日──5月25日に、紗耶ちゃんが学校を休む。それも今までになかったことで、少しだけ不安になる。



「おい、未白。考え事はその辺りにしておけ。そろそろ、目的地だぞ?」


 そのクロの言葉で、意識を現実に引き戻す。気づけばいつの間にか、いつもの廃ビルの前までやって来ていた。


「よし、じゃあ行くか。今日は作戦通りに頼むよ? クロ」


「任せろ! 我はこう見えて、演技が得意なのだ!」


 なんて笑うクロと一緒に廃ビルに入り、無機質な階段を登って、屋上へと続くドアを開ける。



「やあ。早かったじゃないか、未白くん。君は……って、クロ様も一緒なのか。……お久しぶりです、クロ様」



 ニヤリとした笑みを浮かべていた汐見さんは、クロの姿が見えた瞬間、真面目な顔で仰々しく頭を下げる。


「久しいの、汐見の娘。息災であったか?」


「はい。クロ様の方もお変わり……ないようで、何よりです」


 クロが俺の高校の制服を着ているのに気がついたのか、汐見さんは少し言葉に詰まる。


「……汐見さん。急にこんな所に呼び出して、すみません。でもどうしても、貴女と話しておきたいことがあるんです」


「構わないよ、未白くん。君の呼び出しなら、ボクはどこへだって行くさ。……でも、汐見さんじゃなくて、奈恵だろ?」


「……そうでしたね、奈恵」


 奈恵。俺がそう呼ぶと、汐見さんは本当に嬉しそうに笑う。……無論その笑みには、いつかの時のような狂気はない。


「…………」


 けれどそれでも、俺が言う言葉は変わらない。



「──奈恵。貴女、俺がループしてるのを知ってますよね?」



 俺のその唐突な言葉を聞いた瞬間、汐見さんの顔から笑みが消える。


「────」


 けれどそれは、本当に一瞬。汐見さんはまたすぐに笑みを浮かべて、いつもと変わらない態度で言葉を返す。


「前回のボクは、そんなことまで君に話したのか。……いや、それとももしかして、あさひから聞いたのかな?」


「貴女から直接、聞いたんですよ。……俺の苦しむ姿を見たいっていう、変わった性癖と一緒にね」


「くふっ。そうか。今の君がどれだけ繰り返した後なのかは知らないけど、随分と苦労したみたいだね? ……目がだいぶ、充血してるよ?」


 まるで他人事のように、汐見さんは言う。


「まあ、奈恵には色々と、苦労させられましたよ」


「そうか。それは申し訳ないことをしたね。……でもじゃあ君がボクをこんな所に呼び出したのは、ボクにお仕置きする為なのかな?」


 汐見さんはまるで誘うように、長い舌で自身の唇を舐める。……けど残念ながら、俺の目的は汐見さんに復讐することでも、八つ当たりすることでもない。


「奈恵。貴女は、あさひ……シロに何か願ったんですよね? それって具体的には、何を願ったんですか?」


「……そんなことまで、知っているんだね。でもそんなの、決まってるじゃないか。ボクはただ未白くんの側にいられるようにと、お願いしただけだよ」


「俺の側に居たいなら、あのマンションに来ればいいだけでしょ? わざわざ神に頼る必要なんて、どこにもない」


「でも君の隣には、クロ様が居る。だからおいそれと、近づくことはできないよ」


「でも前回の貴女は俺の誘いに乗って、あのマンションで同居してくれた。貴女が本当にクロを恐れているなら、そんなことはできない筈だ」


「…………やるね」


 汐見さんは変わらず、楽しそうに笑う。……きっと彼女は、この笑みで本心を隠しているのだろう。前回のループの時の汐見さんのおかしな態度を見て、俺はそれを確信していた。


「…………」


 ……けどだからって、こんな問答で汐見さんの本心が聞けるとは思っていない。きっと俺がいくら理屈をこねても、汐見さんの心には響かないだろう。



 でもだからこそ、俺の隣にはクロが居る。



「奈恵。貴女が何を望んでいるのかなんて、俺には分かりません。けどあのシロとあさひが、本当に貴女の願いを叶えてくれると思いますか?」


「…………」


 汐見さんは、何も答えない。だから俺は、言葉を続ける。


「ねぇ、奈恵。願いがあるなら、うちのクロに願いませんか? 俺の苦しむ姿が見たい程度の願いなら、クロが簡単に叶えてくれますよ?」


「──。いいね、未白くん。まさか君がそんなことを言うとは、思いもしなかったよ。……くふっ。あははははははっ!」


 俺の問いを聞いて、汐見さんは笑う。今まで見たことがないくらい楽しそうに、声を上げて彼女は笑う。


「…………」


 そして一瞬の沈黙の後、どこか冷めた声で彼女はゆっくりとその言葉を口にした。



「クロ様。ボクは未白くんに、殺されたいんです。その願い、叶えて頂けますか?」



「…………」


 その汐見さんの願いを聞いてもクロは何も言わず、ただ色の抜けた瞳で汐見さんの姿を見つめ続けた。


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