第28話 王の手のひら返し


 俺は何事もなかったように、すっと立ち上がる。


「やれやれ」


 俺は嘆息しながら体についた埃を払った。

 クズールは青筋を立てながら叫ぶ。


「き、きざまぁ、なにを、したああああああああっ!」

「よぉく見てみろ」


 俺はクズールの周りの地面を指さす。

 そこには俺が投げた銀のナイフがいくつも落ちているはずだった。

 しかしあったのは【巨大なハサミ】だった。

 そのハサミは血で濡れていた。

 俺の小手から細い縄が伸び、それがハサミへと続き、接着されている。


「な、なぜ……ナイフはどこに」

「変形(メタモルフォーゼ)。金属を変化させる金属魔術の基本だ。おまえは知らないだろうがな。

 俺が感情的になってナイフを投げたとでも思ったのか?」


 俺は躍起になった振りをし、ナイフをクズールに投げた。

 焦燥感からナイフの軌道がズレたという演技をし、クズールの周りにナイフを落としたのだ。

 クズールの火魔術のせいで視界は不明瞭だった。

 その状況を利用し、地面を這うように銀の縄を動かし、銀のナイフを回収して【組み立てた】。

 銀のナイフに見えたそれは、実は巨大なハサミをバラバラにしていたものだ。

 極力刃物に見えるようにはしたが、組み立てるとハサミになる代物だった。


 なぜ、わざわざそんなことをする必要があったのか。

 それは金属魔術の特性によるものだ。

 金属魔術は直接触れたものにしか魔力を流せない。

 そして金属を介して遠くのものに魔力を流す場合、距離によって干渉力と必要魔力量が大きく変わる。

 加えて、大きな質量を動かす場合、それ相応の魔力が必要になる。

 その上、変形したものを動かせば目立つし、縄の先で変形させれば非常に魔力を消費する。

 だから手元で生成した銀のナイフをクズール足元に投げて、それを回収し、組み合わせることで残りの魔力を、クズールの腕を寸断することに使用できた。

 このやり方でなければ、目立って見つかるか、魔力が足りずダメージを与えられないかしただろう。

 不意をつく。

 そこにしか俺の活路はなかった。

 俺はクズールの近くで膝をついた。

 顔を奴に近づけ、


「おまえは自分が有能だと、思い込んでしまったみたいだな?」


 ニヤッと笑う。


「き・さ・まあぁあああぁぁぁぁぁっっーーッッ!!!!!!」


 クズールの顔は見事に醜悪に歪んだ。

 これほどあからさまな殺意と憎悪、敵意と嫌悪は見たことがない。

 爽快だった。

 散々俺を虐げてきたこのクズ野郎を返り討ちにしたことが。

 見下した奴を見下せていることが。

 気持ちよくてたまらない。

 クズにはクズな行動をしても心が痛まないどころか、むしろ心地いい。

 誰がどう思おうが関係ない。

 俺の行動に正義なんてものはない。

 誰の賛同もいらない。

 こんな快感を得たことは人生で初めてだった。

 ああ、今までの鬱屈した人生はなんだったのか。

 価値もなく、意味もなく、馬鹿にされ続けていたあの時間は……。


「クズールッッ!!」


 声が聞こえた。

 鈴の音のような美しい声は、この場には浮いていた。

 わなわなと震えながらクズールは声の主を見た。


「ア、アイリス様……」


 腕の痛みを忘れたのか、ただただ狼狽していた。

 五賢者筆頭、白魔術師のアイリス。

 彼女は弟子たちを率いていた。

 テキパキと弟子たちに何やら指示を出していた。

 すぐに弟子たちはクズールの腕の処置と村の消火を始める。

 即座に対応できる練度と師匠に対する敬意が見えた。

 クズールの弟子とは雲泥の差だった。

 クズールの腕を包帯で縛ると弟子たちは一歩後ろに下がり、警戒態勢を維持していた。

 アイリスがゆっくりと近づいてきた。

 俺は仏頂面を維持していたが、クズールは恐れ慄いていた。

 それはアイリス自身への恐怖ではないことは見て取れた。


「クズール。あなたはなんてことを……まさか村を焼くなどと!」

「ご、誤解ですアイリス様! これは私がしたことでは」

「黙りなさい! わたしが魔力の残滓を感知できないとでも思うのですか!?

 これはあなたの炎です! 人はいないようですが、あなたが村を焼き払ったことは明白です!」


 言い訳も無駄に終わり、クズールはうなだれた。

 先ほどまで俺を殺そうとした男とは思えないほど、情けなく、侘しい姿だった。

 まるで母親に怒られた子供のように。


「魔術師協会にすべて報告します。あなたは査問委員会にかけられるでしょう。

 五賢者であろうとあなたのしたことは許されることではない。

 今までの功績も加味されますが、あなたの横暴な振る舞いはすでに報告に上がっています。

 グロウ様の件然り、今回の件然り、すべて軍議で詳らかになることでしょう。

 覚悟するのですね」


 小刻みに震えているクズール。

 クズールは何を言うでもなく、ただただ地面を見ていた。

 アイリスの物言いは、俺には意外に感じた。

 噂で聞いていた彼女、以前見た彼女、それは清廉潔白で冷静な少女に見えたはずだった。

 しかし今の彼女は平静に努めようとしてはいるが、感情的になっている。

 それほど五賢者の名を汚されたことが許せなかったのか。

 それとも村を焼き払ったことがよほど許せなかったのか。

 アイリスは俺へと向き直り、流麗な所作で首を垂れた。


「お久しぶりです。グロウ様。わたしは五賢者が一人、白魔術師アイリスと申します。

 覚えていらっしゃいますでしょうか?」

「……ああ、一応な」


 忘れるはずもない。

 俺が憧れていた五賢者の一人。

 だが、今となってはその憧れは消失しているが。

 俺の言葉を受け、アイリスは表情を明るくさせた。

 わずかな笑顔、その後になぜかはっとした顔をする。

 俺が怪訝そうな顔をすると、アイリスは小さく咳ばらいをした。


「た、大変失礼いたしました。事情を説明していただけますでしょうか?」


 面倒だな、と思いつつも俺は端的に説明した。

 これは俺だけの問題ではない。

 カタリナや村人も巻き込んでしまっているのだから説明は必要だ。

 俺はクズールがしたこと、村人たちがどうなったかなどをすべて話した。

 俺の話を聞くと、アイリスは険しい顔つきになる。


「申し訳ございません。魔術師の筆頭、模範となるべき五賢者がこのような……。

 グロウ様を丁重にお連れすることは王の命。それに反するのは国家反逆と同義です。

 クズールは必ず法で裁かれることでしょう」


 俺も国家反逆罪と不敬罪に問われるんじゃないかと思ったが、敢えて口にはしなかった。

 クズールやアイリスの口ぶりから想像はついた。

 クズールが言っていた【王の手のひら返し】は事実だったということだろう。

 メタルに有効なのは金属魔術だけということ。

 ……くだらないな。


「村の方々はこちらで捜索し、救助に当たります。きちんと保護しますのでご安心ください」


 アイリスという人間を知らない俺にとっては、完全に信用はできなかった。

 彼女は善人に見える。

 だが人間というのは表面上取り繕っても、腹の底で何を考えているかわからないのだから。

 俺が黙して通すと、アイリスは僅かに眉を下げた。

 不快だったのか、あるいは単純に不可解だったのか。


「グロウ様、申し訳ございませんがご同行願いますか?」

「俺に拒否権はないんだろう」

「……申し訳ございません」


 罪悪感を抱かせるほどの恐縮っぷりだった。

 可憐な少女でありながら、魔術師の頂点に立つ少女。

 正直……俺はこの娘が苦手だ。

 俺とは違いなんでも持っているこの娘が。

 俺は小さく嘆息するとアイリスと共に移動を始めた。

 隣ではアイリスの弟子たちがクズールの腕をつかみ、強引に連れて行こうとしていた。


 くくくくくくく。

 鳥類を思わせる声。

 それが耳朶を震わせると同時に、俺は視線を動かす。


「くががあがあぁああぁーーーッッっ!!」


 クズールが雄たけびを上げ、俺へと手を伸ばした。

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