第25話 赤いモノ


 深夜。

 荷物を詰めた鞄を背負い、俺は自室を見回した。

 暗い中で月明かりが照らす部屋は、一か月間俺が過ごした場所。

 結局、カタリナの家に住まわせてもらうことになったことを思い出す。

 ベッドとクローゼットだけの小さな部屋だが、一か月も過ごせば僅かばかりに愛着がわくものだ。

 誰にも別れを告げるつもりはない。

 カタリナにも。

 ドアノブに手をかけようとした。

 しかし俺はその手を止めた。


「……カタリナか」


 言うとドアがゆっくりと開かれる。

 寝巻に着替えたカタリナが目の前に立っていた。

 薄布で体のラインが浮かび上がっている様は、扇情的でもあった。

 いつもならばもっとゆったりとした服を着ている。

 つまりは、そういうことなのだろう。


「あ、あはは……先に気づくなんてさすがはグロウ様ですね」

「何の用だ」


 いつも以上にぶっきらぼうに言った。

 突き放すつもりだったのだ。

 しかしカタリナには少しの動揺もなく、俺の目をまっすぐ見つめてきた。


「行くんですか?」

「……北へ行き、国境を超えるつもりだ」

「どうしてですか? この村は気に入りませんでしたか?」

「…………」

「た、確かに都会みたいにおいしいものも、遊べる場所もないし、人だっていない。

 若い人もいないし、周りは森だけだし、楽しいことなんてないかもしれないですけど。

 で、でもみんないい人で、みんなグロウ様が好きなんです。

 だ、だから――」


 俺は無言でカタリナの横を通り過ぎた。

 何かを言っても意味はない。

 それはカタリナに対してではなく、自分への戒めなのかもしれない。

 振り切るように歩を進めた時、俺はわずかに抵抗を感じた。

 カタリナが俺の手を掴んでいた。


「この村は嫌いですか……?」

「……そ」


 何かを言おうとして、俺は口を閉ざした。

 何も言えない。

 言う資格など俺にはない。

 縁を切ろうとしている人間が、何を言うつもりなのか。


「何が……あったんですか?」


 カタリナが俺の手を強く握る。


「グロウ様はとてもお優しいのに、どこか距離を感じます。

 人を寄せ付けないようにしているのは、きっと何か理由があるんじゃないですか?」

「……別に大したことじゃない。ただ、一人の魔術師が自分の馬鹿さ加減に気づいたってだけだ。

 いつか認められると信じて、馬鹿みたいに必死になって。

 金属魔術なんて無能で最底辺の魔術だって言われ続けても、そんなことない、いつかわかってくれるってそう思い込んだ。

 結局、虐げられ、馬鹿にされ続け、あげくの果てには魔術師協会を追放されたってだけのことだ。

 どうだ? 笑えるだろ?」


 我ながら情けない皮肉だった。

 口角を上げてカタリナを見る。

 カタリナは悲しそうな顔をしていた。


「あたしにはグロウ様の悲しみはわかりません……。

 魔術師様のことも、都会のことも知らない。だから軽々しい言葉も言えません。

 でも! これだけは言えます。あたしはグロウ様を裏切るような真似はしません!

 その、酷い人たちとは違います! あたしはグロウ様を支えたい。

 だ、だから……この村で……い、一緒に」


 俺はカタリナの手をそっと掴んだ。

 振り返りカタリナの目をじっと見つめる。

 潤んだ瞳が月光できらきらと輝いていた。

 見つめていると吸い込まれそうになりそうだった。

 俺はやんわりとカタリナの手を放し、そして背を向けた。


「ま、待って……待ってください。お願い……」


 背後から聞こえる声を振り払うように、俺は家を出た。

 心臓が苦しいほどに締め付けられた。

 良心の呵責というやつだろうか。

 それとも恋心なのだろうか。


 俺が?

 まさか。

 そんな感情はもうなくなったはずだ。

 そうでなくてはいけない。

 物心ついた時から魔術に傾倒していた。

 必死で努力し、魔術師として大成することを夢見てきたのだ。

 単純でも簡単でもなかった。

 しかし努力を続けた。

 それが当たり前だと思っていた。

 でももうその当たり前は存在しない。

 これはきっと未練ではない。

 過去のすべてが無駄になったからこそ、過去の自分がなくなってしまったという事実だ。

 そしてその無駄が、同じ過ちを犯すことを許さない。


 他者に運命をゆだねること。

 他者を信頼し幸福を与えられること。

 他者の評価を俺の価値とすること。

 それは俺の道ではない。

 俺の求めるものではない。

 俺は見つけなければならない。

 自分の未来を。自分が成すべきことを。

 カタリナや、村人に依存してはいけない。

 それが幸せな人間もいるだろう。

 だが俺はそうではない。

 でなければ魔術師に憧れることなどなかったのだから。

 森の中を進み、村が見えなくなると俺は逃げるように走り出した。

 走り、走り続け、三時間ほどが経過するとようやく足を止めた。


「はぁ、はぁっ!」


 そこは小山の上だった。

 無意識のうちに山を登っていたらしい。

 息を荒げ、空を見上げる。

 まだ日は昇らない。

 だが。

 視界に明滅する何かが見えた。

 暗闇を照らす大きな光。

 それは間違いなく炎だった。

 見下ろす先には。

 火炎に包まれるあの村があった。

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