少子化の公害性と社会的共通資本

 少子化は一種の公害であろうと筆者は考えている。この章はあくまで筆者個人の考えであり、まだはっきりとした論拠がないことを前置きしておく。

 公害とは、企業が活動における損失を他に負わせることによって高い利益を獲得することである。例えば、工場から出る廃液を適切に処理することなく、河に垂れ流してしまえば企業の利益は最も多く、販売する商品の価格も安くなる。この時、この河に垂れ流された廃液が下流の村を汚染し、そこに住む人々を汚染した、その結果起こってきたのが学校の社会で習った公害問題である。水俣病やイタイタイ病など、物理的、化学的な公害問題についてはこれまでの歴史からしかるべき法整備がなされ、廃液を垂れ流すような事業には厳格に罰がくだされている。

 振り返って、少子化について見てみよう。すなわち、『結婚における所得と損失』の章で述べた通り、女性は結婚する、あるいは家庭を持つにあたって損失を被る性質を持っており、通常、その損失は企業が女性から労働力という形で利潤を生み出す行為から生じているため、この損失は原則として企業が負担すべきと考えられる。しかしながら、企業側はこれを原則として無視しており、夫となる他所のサラリーマンにこれを負担させ、不足する分は国や保険等から負担させる。また、仮にこの負担を前提としようとしても企業はそのビジネスモデル及び事業体を抜本的に作り直さなければならず、すこぶる困難と思われる。

 公害問題の時にあっても、時代を1900年初頭、田中正造先生の足尾銅山事件までさかのぼると同等の状況が起こっていることがわかる。田中正造先生は、古河鉱業株式会社に陳情をし、国会でも陳情をし、それでもままならないところ明らかとなり、明治天皇に直訴するに至ったと言われている。打首を覚悟の上であった。そういった経緯を経て、はじめて企業に環境保護のための損失を負担させることができるようになったのである。

 企業は利益が生ずるとなれば、山を買い占め太陽光パネルを一面に設置することなどわけもなくやってのける。そしてそのことが今度は我々自身へと向いていることになる。もし、山などの土地から利益がますます生ずるとなれば企業はこれを買い占め、そして庶民は少しずつ土地を失い、そして住むところ、田畑をも失うだろう。現在、そうなっていないのは、土地から利益を取り出す方法がまだ限定されているからに過ぎない。

 そして、利益を取り出す資源として現在、最も活用されているのが人間である。人間の労働力から利益を絞り出す企業は最初に男子を次に女子を買い占め、そこから利益を生み出し、それぞれに小遣いを与えるようになった。

 現在、庶民の間で起こっていることは次のようなものである。男子からすれば女子は多くのお金を必要とする強欲のように見え、女子からすれば男子にあまりに甲斐性がないように見える。これは、企業が男子と女子から同等に労働力を絞り出し、その結果、家庭の中心である存在としての女性存在が高騰してしまったからである。

 たとえ家庭を解体しても、企業は困らない。自分が現在抱えている労働者に持続可能性がなくとも、途上国の人口は増大しており、日本人が少なくなれば外国人を用いるに過ぎない。そして、その間、人口再生産のための負担を負わなくて済むため、企業は非常に儲かる。現代は、人間を労働者として扱うルールにおいて、公害以前の世界と同じであると筆者は個人的に思わざるを得ない。

 1960年代頃の日本の経済学者・宇沢弘文先生は、「社会的共通資本」という考え方を提唱している。社会的共通資本とは、「すべての人びとが、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力のある社会の安定的な維持を可能にする自然環境と社会的装置のこと」で、これを社会共通の財産とするべきであるという結論であった。その点から考えると現代においては家庭を社会共通資本として捉え直さなければいけないのかもしれない。

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