結婚における所得と損失

 20~30年ほど前、恋愛至上主義が台頭してくる中でいわゆる昔から行われていたお見合い結婚と恋愛結婚について次のように語られることがあった。恋愛結婚はお互いに好きになった同士が結婚するため、結婚してから色々とお互いの悪い点であったり、うまく行かない点であったりそういう事柄が明らかになってくる。恋愛結婚とはプラスからのスタートである、と。一方、お見合い結婚というのはお互いを知らないところからスタートする訳であるから、結婚後にお互いの良さが、勿論悪さもであるだろうが、除々に明らかになってくるというため、曰く、ゼロからのスタートである、と。

 当時と現代とを比べた時、概ね結婚というのはどちらであってもマイナスからスタートしなければならないようになったと言える。以下はこのことについて述べる。これは主に女性の賃金の上昇と男女の賃金差の縮小によるものである。間違いのないように前置きしておくが、女性は家庭に戻るべきだとか、働くべきではない等と述べているのではない。ここでは現代のこれらの賃金状況からくる結婚の性質について述べるのみである。

 女性が子供を出産するにあたって、あるいは赤子の育児が行われるにあたって、女性は社会的な労働を行うことができない。そのため、ここで損失は次のように計算される。出産する以前の女性の期間あたりの所得 p、出産等によって労働できない期間t、出産に関する損失lとすると

 l = pt

と表される。この損失は女性が自身の生活において受ける損失である。次に女性を雇用する企業においては、その女性が労働することによって生み出す利益b、出産に関する企業の損失lcとすると

lc = bt

と表される。このため、女性の労働が出産によって一時的に停止することによって、女性自身並びに企業は損失を受ける。企業がその女性が労働することによって生み出す利益bは、概ね、勿論例外もあるが、その女性に分配できる収入と相関関係にあるため、支払い所得あたりの利益率 ρ を置くと

 b = ρp

よって

 lc = ρpt

社会における損失は、女性における損失と会社における損失の総和であるから、社会における損失lsは次のように表される。

 ls = l + lc

 ls = pt + ρpt

 ls = pt ( 1 + ρ )

したがって、出産に関する社会的な損失は、ptすなわち女性の損失と相関関係にあり、また女性の所得と相関関係にある。

 このことは、過去女性が労働として働くことがなかった時代には pt = 0 であり、出産における社会的な損失は0であったことを示している。過去には、結婚、出産しても女性に損がない状況を安定的に供給できていた側面があったことを示唆する。

 また、企業は女性から労働を通じて富を取り出すことを行う以上、この損失をどう補填するか考えなければならず、そのため、労働者である女性が結婚すること、出産することを忌避する性向が生じることは想像に難くない。実際、結婚、出産する女性が職場で邪魔者扱いされる事例は事欠かない。

 20年ほど前、女性も働き始めたがお茶くみなどの雑用を中心にし、男女の賃金格差が大きかった時代には次のようにこの系を安定させていただろうということが考えられる。すなわち、この女性の損失を夫たる男性が補填し、会社に生じる損失は会社自身が補填していた。

 まず結婚した家庭における男性による損失の補填について考えてみる。男性の所得をpmと置き、結婚することによる男性の実質所得はpm'とすると

 pm' = pm - p

となる。男性は生死に晒される戦争などにも駆り出されることから損失に強いと考えるとこの段階では特に問題はない。しかし、男性の所得pmに対する女性の所得pの割合が大きくなるにつれて限界が生じてくる。第一の段階は pm > 2p である。すなわち女性の所得の2倍の所得以上を男性が持っている段階である。20年ほど前にはこのような状況が多かったように見受けらられる。すなわち、男性が女性の所得を補填する時、男性の所得の半分を女性に渡せば、女性は損失なく過ごせるということになる。よく言われる男性に求める収入600万円とは、女性の収入が300万円である時、男性には600万円があれば、それを半分に分けることで女性には損失がないことを示している。

この収入2倍ラインから更に下がってくると女性は結婚及び出産するにあたり損失が生じてくることになる。

 仮に男女の所得が同等、pm = p の状況である時、女性が被る損失は、仮に男性の所得を2人で分けた場合、

 l = p - pm / 2

pm = pより

 l = p - p / 2

 l = p / 2

となり、所得の半分が女性の損失となってしまう。このことは生活水準が半減するということであり、年収300万円であった女性は年収150万円の生活を強いられるということになる。個人的にこのことはとても現実的とは思われない。年収150万円の生活をするにはそれ相応の生活スタイルと倹約のノウハウと経験があってはじめて実現しうるもので、結婚という突発的な事象からこの生活を成立させるのは大きな忍耐と労苦を必要とするだろう。

 このアンバランスさを仮に行政に負担させる場合、年収の半分を補填しなければならず、年収300万円の結婚した女性に対して、年額150万円、月額にして約12.5万円を補填すればよいことになる。尚、子供手当ては現在、月に1.5万円である。

 さらに、話を戻して企業における損失の負担を考えるとこれも女性の所得及びそこから企業が取り出す利益が大きければ大きいほど企業の負担は増えることになる。

 現代において、仮に、男性の損失は無視したとしても、結婚によって女性は損失を免れえないのである。そのため、現代の結婚はその多くがマイナスからスタートせざるを得ない。現代における結婚は、損失を十分に補填しうる収入の多いエリート男性によるものか、それを越えた恋愛か、もしくはその他の狂気によらねばならないということになる。

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