第7話 大矢野島に日は傾き 至る長部田海床路

 上天草物産館さんぱーるは大矢野島の南西に位置した道の駅であり、向かいには島原・天草一揆の総大将を務めた天草四郎時貞の博物館が置かれている。

 江戸期最大の内紛について語ることをここでは差し控えるが、苛烈な徴税の後に起きた反抗という側面は今こそ見詰め直されるべきところであるのかもしれない。


あにさん、そんな辛気臭い事ばっかり言うから、話し相手が僕しかいないんですよ」

「いやいや、こんな時ぐらい感傷に浸ってもいいだろう」


 既に夕方の四時を過ぎており、そろそろ閉館時間を意識しなければならない頃合いであるためか車の姿は少ない。

 この先には天草の海が広がっているのであるが、まるで堤防のように聳えたつ物産館の後ろへと恥ずかしそうに隠れてしまっている。


「じゃあ、ちょっと行ってくるから大人しくしててくれな」

あにさんこそ、急ぎませんとお店の方に迷惑をかけてしまいますよ」


 デミオに急かされて中へ入ったのだが、既に鮮魚売り場に残る品は少なくなっている。

 この「さんぱーる」は、大きくは四つの部分に分かれており、その中でも海産物コーナーににはいけすも併設されているため生きた魚の姿を拝むこともできる。

 ただ、この日は既に鯛釣りを楽しんだ後であり、お目当てはそちらではない。

 浅蜊のパックを眺めながら、最も量の少ない砂抜き済みのものを一つ手に取る。

 量が少ないとはいえ一人暮らしには十分すぎる量であり、酒蒸しを果たして何日味わえることか。

 今回はアクアパッツァという料理に挑戦するため、今回は多めでも良いだろうと高を括って籠に詰める。

 後はあごだしの素と乾燥アオサを求めてから野菜と特産品の並ぶコーナーへと移り、蒲鉾やら天草大王やらを買い込んでいく。

 この天草大王はその名の通りこの地方で肥育される地鶏であり、その豊かな味わいは天草に降り注ぐ陽光を蓄えたようである。


「また随分買いましたね、あにさん」

「いやまあ、まだ鯛よりは軽いからな。さあ、帰る前にケンチキを買ってみようか」

「あ、覚えてたんですね。最近忘れっぽいあにさんが」


 窓を軽く小突いてから国道を戻り、先程見かけた肉屋で一つ買い求めてデミオの元へと戻る。

 中で包みを開けてみると堂々とした手羽が姿を現し、頬張ると肉の旨味とスパイスの香気が口腔を満たす。


「へぇ、よく見たら衣がないのか。それに、よくよく考えるとここって矢部じゃなくて大矢野だったな。なんでこんなところに矢部の看板が」

「そりゃそうですよ、あにさん。元々は山都町にあるお肉屋さんが健康を考えて作った商品ですから。その支店があそこだったんですよ」

「ん、いやに詳しいじゃないか。まさか、元から知っててあそこに」

「ほ、ほら。あにさん、そろそろ行きますよ」


 慌てるデミオに苦笑しつつ、私は再び天門橋を越える。

 島並みに注ぐ光は柔らかく、再びの来訪を待ち頭を垂れているようにも見えた。


 やがて宇土半島を東へと戻っていくのであるが、道すがら休みつつ進んでいく。

 それというのも糸を垂れている時間が殆どであったとはいえ、流石に疲れというものが出てきてしまっており、僅かな眠気を感じてはストレッチをしながら進んでいたためである。


あにさん、今度擦ったら承知しませんからね。七代末まで祟ってやりますよ」

「まあ、このままだと七代も続かないんだけどな」


 笑いながら返しつつ、無理をせぬ運転を心がける。

 それからさらに進んでいったところで、ふと思い出してもう一度休むこととした。


「いいですよ、あにさん。ゆっくりでいいですから安全運転で行きましょ」

「いや、そうじゃない。折角だから長部田ながべた海床路かいしょうろを見ようと思ってね」


 長部田海床路は漁業のために敷かれた道路であるのだが、普段は海に沈んでおり、干潮時のみその姿を現す。

 これは有明海の潮位差を利用したものであり、満潮時には海に続く電柱が幻想的な姿を見せるのであるが、この時は丁度潮が引いておりその道を行くことができた。


「そういえば、いつも電柱を眺めるばかりでしたもんね」

「ああ、たまには道そのものを見てみないとな」


 漁業に携わっていればここを車で進むことも可能なのであろうが、デミオを駐車場に止めてから単身、その幻の道を進む。

 見えぬ斜陽を心に浮かべつつ、一キロほど続くという先を見据えればいかに私が小さなものであるかということを思い知らされる。

 穏やかな潮騒はシオマネキが海を揺らして奏でているのだろうか。

 モーゼに導かれた人々の想いやら海苔養殖の頃の情景やらに思いを馳せながら佇むだけで少し目頭が熱くなってくる。

 年を取ってきたということだろうか、最近はこうしたことが多いなと思っていると吹きすさぶ風が容赦なく体温を奪っていく。

 点々と並ぶ、寄り添い合った人影を認めてから、私は身を震わせつつ堤防へと駆け戻った。

 見れば浮きやら網やらがそこには積まれており、この地がやはり漁撈ぎょろうの民のものであることを私は実感させられた。


あにさん、どうでしたか」

「いや、風が強くて酷く寒かったよ」

「そんな感想がありますか」

「まあ、それは道すがら話すよ。ただ、この道は何たら映えのための看板を立てるよりも、漁民の生活を伝えた方がいいのかもしれないな」


 そんなこと言うのは変わり者ぐらいですよ、と笑ったデミオは再び東に向けて走り始める。

 この日も間もなく終わろうとしていた。

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