人のいない町

かめさん

人のいない街

 私は生まれてこの方、家族以外の人間と会ったことがない。厳密に言えば、画面越しでしか会ったことがない。


 こんな世の中になったのは、病が流行りに流行って人と接触してはいけないと盛んに言われるようになったから。人類はすでにその病を克服している。しかし、どのみち人と関わりあうのはストレスの元になるからと、会わずに済む方へ社会は変わっていったのだろう。


 幼い頃、祖母がそう話してくれたような気がするが、もういない。何十年も前からこんな状態なので、はっきりした原因は分からない。

 ただ、どれだけ時代が変わろうとも、人が最後に死ぬというのは変わらぬ真実であるようだ。


 VRゴーグルをつければまるで傍に人がいるように感じられるし、仕事も遊びもすべてそこで済ますことができる。

 嫌になれば退出するなり、ゴーグルを外すなり、電源を切るなりすれば良い。昔は怒られたというが、今は、そんなの当たり前だ。不自由など何もない。


 買い物だって、注文すればドローンが届けてくれる。医療についても、毎日体温、脈拍、体重、体脂肪率、睡眠時間なんかをコンピュータが管理してくれるし、簡単な治療なら、家に機械が届いて遠隔操作でやってくれる。介護だってほとんどロボット任せだ。


ゴーグル1つあれば、絶叫アトラクションに乗ることも、頭を使うボードゲームで対戦することも、世界中の世界遺産に訪れることもできる。娯楽に飢えることはまずない。


 誰かと一緒に食事をしたければ、ゴーグルをつけて、背景や時間、料理の情報を設定すればいい。だが、人と食べるというのは、専らさみしがり屋か物好きの趣味という感じがする。やはり、食事は一人でゆっくり食べるものだ。食べカスのついた歯を、じろじろ見られるなんて耐えがたい。

 

 忘れていた。実は、一度だけ、たった一度だけ見ず知らずの人を見かけたことがある。


 確か、車を洗おうとしていたのだ。父親が残してくれた、一人乗りの黒い車。モーターがもう駄目になっているのでほとんど動かすことはできない。このまま朽ちていくだけの代物。だけど私はそれを丹念に磨きながら、これが飛び交っていた光景に思いを馳せるのに喜びを見いだしていた。これが幸せというものだと感じていた。


 機械で磨いても十分綺麗になるし、最新の機械では微細な汚れや傷の程度に会わせて磨く強さを自動で変えられるらしい。車を綺麗に保つことを考えれば、機械を買った方が良いのかもしれないが、多少仕上がりが悪くとも、自分の手でボディに触れ、自分の力で洗っていたかったのだ。父親の面影を重ねているのかもしれない。


 とにかく私は珍しく外に出ていた。家の外に立てられている、小さな倉庫の中でドアにワックスをすり込んでいた時のこと。どこかからコツ、コツ、という奇妙な音が聞こえてきた。それが段々大きくなってくる。


 倉庫には小さなモニターがついていて、家に取り付けてある防犯カメラの画像が見られるようになっていた。外についているカメラの映像を見てみる。家の前で人が歩いていた。私は目をこすってもう一度見る。指で画面をなぞり、角度を変えてもみる。間違いなく、人の姿だった。倉庫の中にあるカメラの画像に切り替える。モニターに映った私はゴーグルをかけていなかった。


 心臓の音が大きく鳴り、顔があつくなっているのを感じながら、ドアを五センチだけ開けるように指示を出し、自動ドアの隙間から様子をうかがった。


 真っ先に目がくらんだ。昼間の太陽は、想定以上に強かった。私は倉庫の棚から大慌てで遮光ゴーグルをかける。光で服が熱せられていて、じわりと汗ばんできた。こんな気持ち悪い感覚は何十年ぶりだろう。生身で外に出る機会は滅多にないのだ。冷房入れて、と服についたコントローラーマイクに向かって話しかける。背中から冷たい空気が這い上がってきた。


 外にいる人は、遮光ゴーグルをかけてはいなかったが、つばの長い帽子をかぶっていた。当然マスクもしている上に、帽子の影になっているので、顔が良く見えない。背中が曲がっていて、ふらふらと歩いている。若者ではなさそうだ。顔を上げた相手と、目が合った。足をばたばた早く動かしてこちらへ近づいてくる。


「おやおやおや、人と会うなんて晴天の霹靂だね。こんな所に住んでいたとは。てっきり空き家ばかりだと思っていたよ」


 高いとも低いともつかない声で、話し始める。頭の中に、空き家の処理、問題になっていますものね。人口減少で住む人が減るばっかりなのだとか。という台詞が頭の中で流れたが、のどの奥が粘ついて声にならなかった。


「まさか一生のうちに人と会うことができるなんてね。まるで、昔の動画みたいだ。動画って分かるかい。今のような立体じゃなくて、簡易モニターみたいにね、人が平面で動き回っているんだよ。あれはなかなか面白くてね、一つの部屋に気持ち悪い位人が集まっているんだ。生身の人間がだよ。手を握ったり、肌を寄せ合ったり、唇と唇をくっつけたりしてね。驚いたよ、アーカイブには『人とのふれあいを大切に』なんて言葉が書かれていたけど、本当にふれあっていたとはね」


「そ、それは凄いですね」


 頭の処理が追いつかない。普段なら、話した内容を録音しておくことも、文字起こししたのを見ながら話すこともできるのに。彼の言葉はたったの一回きりだから、なんとなくしか言いたいことが分からない。多分、昔の動画には、人が沢山いるってことが伝えたいんだと思う。


 よく、偉そうな人が、コミュニケーション能力の低下が著しい、なぜなら人と直接会わなくなったからだ、と盛んに言っていた。ネット上でも人と話し、議論し、交渉する機会なんてごまんとあるのだから、コミュニケーション能力が下がっている訳ないだろうと私は考えていたし、同じ意見の人も多かった。


 あの人達が言いたかったのは、こういうことかもしれない。まあ、今時生身で話す能力があったところで使う機会なんてほとんどない。それこそ偶々外にいて、誰かと会ってしまった時位だ。


「私は昔の映像を分析する仕事をしていてね。そういうのが家に沢山あるんだよ。どうかね、一つ見てみないかい」


「は、はあ」


「私はよく散歩しているからね。今度このルートを通った時に、届けておくよ」


 見てみたいか、と聞かれたら見たいと答えたかった。しかし、見ず知らずの他人から物をもらうというのは気が引ける。何せ、個人番号もIDも分からないのだ。だから断るべきなのか。それとも一生に一度あるかないかのチャンスを掴んでおくべきなのか。私が迷って曖昧に首を傾げている内に彼は、「ではまた」と言ってくるりと回れ右をして、ゆっくり歩いていってしまった。


 暫く経ったある日の仕事中。「不審物を発見しました」という通知が入り、カメラ映像が目に飛び込んできた。映し出されたのは、薄くて四角い容器。もしやと思い、回収して荷物入れまで運んでくるよう指示する。荷物入れを見ると、分厚い十三センチ四方の容器に、厚さ二ミリ程度の円盤が入っていた。


 検索してみると、どの分野にも物好きはいるようで、私が手にしているのはDVDという古い記録媒体であるということ、再生するには専用の機械を購入する必要があるということがすぐに分かった。


 月給の四分の一くらいが吹き飛びそうな値段の再生機械をレンタルし、映像通り手でセットする。

 簡易モニターとよく似た画面に流れるものなので、VRゴーグルをつけるとかえって見られないという助言をもらった。それに従い、ゴーグルを外して再生という部分を押す。


 あの人が言った通りだった。表面だけ写し取ったような画像に写った人間は、降り注ぐ日の下にいた。遮光ゴーグルをかけていない人々が、家族でない多くの人たちと狭い部屋に押し込まれ、マスクもせず倫理規定に引っかかりそうな話をし、そして笑いあっている。今の私にはとても耐えられない環境だが、モニターの向こうにいる人はとても楽しそうだった。


 昔の画面に残された人間は、確かに人間とふれあっていた。もう一度、カメラの映像の履歴を再生する。門の前にDVDの入った容器を置いて去って行くあの人が映っていた。普通、カメラが人を検知すると、映像と一緒に個人番号も出てくるはずなのだが、設置場所から遠かったせいだろうか。番号が表示されていなかった。


 簡単に誰とでも会える世界。だが、自分以外は全て、幻でしかない世界。


 再生機械は返却したけれど、DVDは今でも手元に残っている。相手の名前も、IDも、居住地も分からないせいで、返そうにも返せなかったのだ。

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人のいない町 かめさん @camesam

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