【天界1】

「おい、新刊しんかんだ。ちょうどいい。76番、行ってきてくれ」


 数冊の本を腕に抱えて、レジカウンターに戻ってきたところだ。


 装丁が破れた商品がいくつか見つかったため、つくろい直そうとした。

 他の者にとっては気にするほどではないような、わずかなほころびであっても、どうしても見過ごせないのは、自分の性格上ということもあるが、見栄えの良し悪しは、実際にお客の購買意欲に大きく関わってくる。と思っている。


 味のある旧式のレジスター横に設置された、これまた古びたデスクトップパソコン。カウンターの向こう側にいる同僚は、被った黒いマントの奥から、その画面に一心に視線を注いでいる。呼んでおいて、こちらには目もくれない。


「わたくしですか?」


 スタッフは決して多くはないが、手すきの者は自分以外にもいる。


「俺は、お前の社員番号を言ったつもりだけど」


 同僚は平静を装ってはいるが、口元にいくつも生えた、針のようにピンと張った長いヒゲの先が一斉に前へ向いた。我々の身体の構造からすると、その反応は、性的に興奮したか、機嫌が悪くなったかのどちらかの場合に現れるもので、前者でも困る。

 ため息をつき、腕の中の本をカウンター上に置いた。


「了解しました」


 カウンターのサイズは、我々ではなくお客様仕様になっているため、天板が腰の位置よりかなり上だ。本を重ねる際には、肘を突っ張らねばならない。

 机上に置かれたパソコンの前に立ち、日がな新刊の一報をチェックするのが仕事である同僚も、常に顎を上げている。首が凝ってしかたがない、というのが彼の目下の悩みだそうだ。


「一冊ですか? 複数冊必要ならば、白紙の書の在庫を確認しませんと」


 新刊が出るのはいつでも急なことだから、そこに驚きはしない。

 備品室の在庫状況を思い返す。

 出勤時に確認した際には、まだ充分な予備があった。あれからまだ数時間だが、新刊が出ない日などあり得なく、場合によっては、一回に何冊もの新刊の通達が送られてくることも珍しくない。

 それでも、通常、百冊程度の予備は常に確保されているはずなので、問題ないだろうが、万が一のこともある。複数冊ならば、やはり確認が必要だ。


「心配ねぇよ。一冊だ。記入する内容もあんまりないだろうから、すぐに戻ってこられる。ラッキーだったな」

「あんまりないって、それって」


 人間ならば、眉をひそめる、と言うところなのだろうけども、我々には眉毛がない。と言うより、顔中をびっしりと黒い毛が覆っているので、どこが眉毛にあたるのかはっきりしない。代わりに、ピンク色の小さな鼻の上にぐっとシワを寄せた。


「生涯が短いってことではないですか。新刊は、子供なんですか?」


 ここは、雲の上のそのまたはるか上、天界という場所の「魂管理局」内にある、「記録保管庫」という部署。人間界で一度、社会勉強のためにと公立図書館に訪れてみたことがあるが、広さはそれとだいたい同じだ。


 入ってすぐの場所に、横に長いカウンターがあり、対面に書籍がびっしりと詰まった本棚が整然と並んでいるところも、図書館と変わらない。ただ、ここでは書籍を貸し出さず、販売している。どちらかと言うと、書店に近い。


 人間は、死んだらどこへ行くのか?


「死ぬ」ということは、肉体の生命活動を維持する機能がすべて停止すること。当たり前だが、当人はその後のことなど何も感じないし、わからない。

 知ったところで意味がないというのに、人間は死んだあとのことを知りたがるという。死への恐怖を紛らわせるためなのかもしれないが、我々にとっては理解しがたいことだ。


 突発的な事故、事件、病気、老衰。

 人間に限らず命あるものは、いつか必ず寿命が尽きる。そうして人生をまっとうした人間一人一人の魂は、どこへ行くのか。

 答えは、こうだ。


 一冊の書籍となり、天界にある魂管理局の記録保管庫で管理される。


 ここに並ぶ書籍に記載されているのは、人間の生涯の詳細な記録。言わば、魂の記録書。我々は、魂の管理人なのである。


 そして、新刊とは、ファンが今か今かと待ちわびた、人気作家による叙情豊かに書きつづられた、時代に一石を投じる新しい作品のことではない。

 ここで管理されるべくやってくる、新しい魂。たった今生涯を終えた魂のことだ。

 

 我々スタッフは人間界に降りて、身体から離れた魂を回収する役割をも担っている。


 回収して管理すると言っても、亡くなる人間の数は、一日分だけでもとてつもない数だ。一箇所のみの保管庫とスタッフでは、とてもではないが管理し切れない。

 実は、こうした施設は、広い天界にいくつもある。ここは、その中の一つだ。


「だったら、なんだって言うんだよ」


 同僚の縦に細い瞳孔が、こちらを向いた。蛍光灯などの明るい光のもとだと、我々の瞳孔は自然と細くなる。暗いところだと、逆にぱっちり黒目がちになる。


「やはり子供ですか」

「そうだな」

「嫌な予感がします」

「はぁ?」

「ちなみに、死因は」


 その質問に、同僚は柔らかい被毛に包まれた黒い手をもふもふと、もとい、ひらひらと振った。


「そんなもん、俺が知るわけねぇだろ。本部から送られてくるデータは、新刊の冊数と享年、それと回収場所だけだ。お前だって知ってるだろ。この仕事長いんだからよ」

「新刊の詳細な情報は、本部では把握しているはずですよね」

「してるんじゃねぇの。知らんけど」


 この言い合いは不毛だと判断したらしい。同僚は再びパソコンに向き直った。


「だとしたら、ただの怠慢ではないですか。情報はすべて開示されるべきです」

「詳しいこと知らなくたって、回収はできるさ」

「そういうことを言っているのではありません。知っているのにわたくしたちには知らせてこないなんて、下層部だからと見下していると言いたいのです」

「別にいいじゃねぇか。その通りなんだから」

「良くありません。仕事というものは、連携が大事です。そのために必要なものは、相手への敬意。お互いに相手を敬う気持ちがあってこそ、信頼関係が生まれ、より良い仕事ができるのです。ひいては、クリーンでストレスの少ない職場環境が実現し」

「あぁもう、いいから行ってこいって」


 同僚は三角耳をマントの上から塞ぐ。


「お前の話を聞いてると、頭が痛くなるよ」

「それは典型的なストレスの表れです」

「あぁ、そうだよ。お前こそが俺に精神的な圧をかけてんだよ!」


 突き刺すようにしてこちらに向けられた指の、先端から尖ったかぎ爪が飛び出た。


「そうやってウダウダしてるのは、どうせあれだろ? またトラブルを引き当てるのが怖いだけだろうが」


 一瞬言いよどんでから、白状する。


「……否めません」

「変なところで後ろ向きだよな、お前はさ」


 ため息をついて、同僚は手を下ろした。呆れているようにも、同情してくれているようにも取れる。


「どういうわけか、お前が担当する魂は、回収に一筋縄でいかないことが多いけど。今回もそうだと限らないだろ?」

「確かにその通りです」


 指示された場所に回収に向かってみれば、危篤状態の新刊はこの世よとあの世を行ったりきたりして、結局その場で一週間も待たされたり、記録する事柄が一冊に収まらず、天界と人間界を二往復したり、なんてことが、そう何回も起こったのではたまらない。


「なら、とりあえず行ってこいよ。ハズレを引く確率は二分の一だけど、アタリを引く確率だって同じ二分の一なんだぜ」

「魂をアタリだのハズレだので喩えないでください。不謹慎ですよ」

「あいかわらずクソ面倒くせぇやつだな」


「おや。またもめているのかい? 今回は何が原因なの」


 歌うような声に振り返る。

 しなやかな金色の長髪に、蒼く透き通った瞳を持つ長身の男性が、笑みを浮かべてそこに立っていた。腕には、何冊もの本を積み重ねて抱えている。


「ウリエル様!」


 同僚はその場でぴしっと背筋を伸ばして直立した。なんなら敬礼までしそうな勢いである。


「いらっしゃいませ!」

「いらっしゃいませ。大したことではありません。お客様、本日もまた大量ですね」

「あぁ、前回購入した分を、この前の出張で読み尽くしてしまったものでね。再び仕入れにきたわけさ」

「おい、76番」


 同僚がカウンターから腕を伸ばして、マントのてっぺん、しかも耳の部分を引っ張ってきた。頭が後ろに傾く。


「いつも注意してるだろ。馴れ馴れしいんだよ。相手がどなたなのか、ちゃんとわかってるのか」

「もちろんではないですか。智天使ちてんしのウリエル様です」


 同僚は、顔を真っ赤にした、かどうかはわからないが、鼻息を荒くして怒る。


「お前……それだけじゃないだろ。この天界のNo.2だぞ。大天使様の次に偉いお方なんだ。オレたち記録保管庫のスタッフごときが気軽に話しかけていいお方じゃ」

「はははは。いいんだよ、32番」


 ウリエルは快活に笑いながら、持っていた本のタワーを机上に置いた。淡いラベンダー色のスーツの肘が、目の前でゆるやかに伸縮した。


「しかし」

「僕は、ここに本を購入しに訪れる天使のうちの、一人にすぎない。それに、気軽に話しかけてもらったほうが嬉しいんだ」

「だそうですよ」

「お前は黙ってさっさと出向しゅっこうしろ」


 突き放すようにして、同僚がマントから手を離した。


「これから出向かい」

「ええ」


 パソコンに向かい始めた同僚に睨みをきかせつつ、マントを整える。普段から気を配っていることではあるが、重要な仕事となればなおさら、身なりのきちんと感は大事だ。


「またいろいろとお話を伺いたかったのに、残念です」

「話なら、いつでもできるさ」


 ウリエルの笑みは、いつだって柔らかい。喜んでいるようにも、憂いているようにも見える。その不思議な表情を、不思議と思わない程度には、彼のことを知っていた。


「ウリエル様をダシに担当を代わってもらおうって魂胆だったら、甘いぞ」


 同僚がチクリと言葉で刺してくる。


「違いますよ。もう出向でむく心構えはできています」

「じゃあ、早く行けって。魂が迷子になったら困るだろ」

「……迷子になるだけなら、いいのですが」

「は?」

「いえ」


 同僚に修繕を引き継ぐと、ウリエルに向かい、「すみません。わたくしはこれで失礼致します」と深く一礼する。それから、出入り口のほうへ身体を回転させた。同僚が、少し離れたところにいた別の同僚に、レジを依頼するのを後頭部で聞く。


「気をつけて」

「はい。ありがとうございます」


 ウリエルの気遣いに応えるべく、振り返る。

 カウンターの前に立つ、痩身の背の高い紳士は、穏やかに微笑んでいる。その背中に、膝の後ろまで届く、見事な二つの白い翼が揺れていた。


 ここに保管されている書籍を購入していく、いわゆるお客は、彼のような天使たちだ。彼らは彼らで任されている仕事が別にあり、その作業にここの書籍はなくてはならない。極端に言うと、彼らのためにこの記録保管庫はある、と言ってもいい。


 机上の本の背表紙を、そっと盗み見る。

 すべて子供の本。いつものことだ。ウリエルは、子供の魂の本しか購入しない。





*****


 大きな鉄製の扉の前に立ち、見上げる。


 扉の大きさがどれくらい規格外かを表すなら、ちょっとした倉庫の壁一面ほどもある、と例えるとわかりやすいだろうか。

 赤銅色の扉は、元々は光沢があったのだろうが、今では錆びて見る影もない。代わりに威圧感のようなものを放っていて、天界と人間界を隔てる扉としては、似合いだと思えた。


 視線を横に移せば、木で出来た細長いボックスに、何枚ものタイムカードが突き刺さるようにして並んでいる。記録保管庫のスタッフの分だけでなく、他の部署のスタッフの分もあり、なかなかに壮観だ。

 爪先立ちして、その中から、自分の社員番号が書かれた一枚を抜き取った。


 先程、備品室に寄って、白紙の書を一冊預かってきている。我々の仕事道具だ。左脇には、それを挟んでいた。

 一旦タイムカードを牙でくわえると、ボックスの下に設置されている打刻機を操作する。スライドを「出向(行)」に合わせて、タイムカードを押し込んだ。

 手に引っかかりを感じたあとに、ガシャン、と重い音が鳴る。扉同様に年季が入った打刻機は、それだけでもう、ネジが飛び、バラバラと壊れそうな心もとなさだ。


 タイムカードを元あった場所に戻してから、反対側を向いて、軽く手をあげた。

 扉の上部に届くほどではないが、高い位置に、門番の常駐室がある。出かける合図を受けて、門番が手元で何やら機械を操った。

 ほどなくして、動物が威嚇するかのような、高い金属音を響かせながら、扉がゆっくりと開き始めた。


 徐々に広がる隙間から、まばゆい光とともに、冷たく鉄臭い風が吹き込む。マントがあおられ、とっさに手で押さえた。


 数回の瞬きのあと、開いた視界に果てしなく広がるのは、綿あめに似たミルク色の雲海。表面が、玉虫色のセロファンさながらに光っている。下の世界では今、よく晴れているのだろう。


 快晴のもとでは、新刊が少ない。


 どういう根拠からなのかは、今のところ、この天界の誰も解明できていないが、確かなことだ。逆に、暗い雲が重く垂れ込めた雨の日は、新刊が多い。


 扉に近づけば、足元の雲海にするすると穴が空いた。ちょうどスタッフ一人が通り抜けられる程度の穴だ。そこから、また風が吹き上がり、白いヒゲを揺らす。


 門番に敬礼する。幸運を、とでも言うように、向こうも敬礼を返してくれた。

 しっかりと本を抱え直して、飛び立つ。

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