神様の箱

尾八原ジュージ

神様の箱

 その夜、俺は初対面の女の部屋に、ほとんど酩酊状態で転がり込んだ。一晩明けてじっくりと眺めた女は、知り合いの誰かに似ているような、でも思い出せないような妙な顔をしていた。

「私、ちょっと出かけてくるから。部屋にいてもいいけど、この箱の中は見ないでね」

 女はテーブルの上に小さな箱を置いた。色鮮やかな赤い布張りの箱だった。

「なんで?」

「神様が入ってるから」

「何それ。超見たい」

 俺が素直に言うと、女はゲラゲラと笑った。そしてベッドに寝転がっている俺の前にかがみ込むと、かけていたメガネをさっととってしまった。途端に視界がボンヤリして、物の輪郭が定かでなくなってしまう。女はさらにテレビの電源を点け、騒がしいバラエティ番組にチャンネルを合わせた。

「これならまぁ、いいでしょ」

 そう言うと女は、俺のメガネを持ったまま部屋を出て行った。なるほどこの状態なら、何を見てもぼんやりとしか視認できない。したがって箱の中身を「見られない」というわけだ。

 さて玄関の閉まる音が聞こえると、俺は好奇心に従ってさっそくベッドの上に起き上がった。二日酔いで頭がぐわんぐわんと痛むがかまっていられない。手探りでガラステーブルの前に移動し、赤い塊のように見える小箱をとって、掌に載せてみた。この部屋の主の心臓くらいの大きさではなかろうか。想像していたよりも重かった。

 中身が何にせよ、女に「見るな」と言われたものは、結局見てしまうものと神話の時代から決まっている。たとえメガネがなくてほとんど見えないとしてもだ。俺は箱の蓋にそっと手をかけた。

 蓋はなんの抵抗もなく箱から外れ、中から女の体臭のような甘い匂いが漂ってきた。箱と同じような色合いのものが入っているようだが、思い切り顔を近づけてみても何なのか判然としない。音を出さないかと思って耳を澄ましても、テレビの音声が邪魔でよく聞こえなかった。

 俺は箱の中に右手の人差し指をそっと突っ込んでみた。柔らかく、湿っていて暖かいものに指が包まれる。女の膣みたいだと思ったそのとき、俺はひどい痛みを感じた。

 右手が瞬く間に赤く染まっていく。箱が俺の指に噛みつき、そして咀嚼しているのだ。体の芯に堪えるようなゴリゴリという音がする。箱は俺の指を食いながら、だんだん掌の方へと進んでくる。俺は無我夢中で、左手で箱を掴むと右手から思い切り引き剥がした。ブチブチと音をたてて俺の人差し指が千切れた。

 俺は箱を放り出し、その場に蹲った。激痛が絶え間なく襲ってくる。ぼんやりした視界の隅に、俺はふたたび赤いものを捉えた。床に落ちた、蓋のしまっていない箱が、コトン、コトンとこちらに転がってくる。それはさっきよりも少し大きくなったような気がした。

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神様の箱 尾八原ジュージ @zi-yon

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