【?】Tears in Heaven

 おかしいな。もう何度も来ているはずなのに、緊張している自分がいる。


 俺のうしろには、スマイルフェティバルを最高に盛り上げた、名だたる配信者たち。

 それぞれが思い思いの会話をしているんだけど、その会話の内容は俺の頭には届いて来ない。たまに『アス』さんや『近藤さん』、『ラッキョ』さんの笑い声なんかも上がって、いちばん歳がいってる『ムンクさん』が「おいおい、ここは病院だぞ」なんて注意している。


 真っ白で清潔感しかない病棟の廊下。樹脂の廊下を踏みしめる足取りは重いんだけど、すぐに病室に着いてしまった。


 ひじりは喜んでくれるだろうか。俺はそれが気になって仕方がない。迷惑になったりしないだろうか。元気な彼らを見て、病気の自分と比べたりして、傷ついてしまったりしないだろうか。


 ちょっとした迷い。

 振り払って、意を決してドアをノックする。


「どうぞ~」


 間延びしたか細い返事に、俺はドアを開いた。


「お邪魔します」


「あ、マッちゃん!……と、誰でしょうがいっぱい……」


 ベッドで身体を起こしている彼女の、眩しい笑顔や、きょとんとした素振り。ころころと変わるその表情が、俺にとっては尊く思えてこの上なかった。


 『尊い』という形容詞は俺や聖が作った動画のコメントにも流れる。それは『神曲』と並ぶかなり上位の誉め言葉のネットスラングなんだが、それが自然と出てきた。いや、現実世界だとスラングとはまったく違った、プラトンのイデアにでも存在するかのような意味合いになってくる。可愛くて、美しくて、健気で、魅力的で、もうすぐにでもぎゅっと抱き寄せてしまいたくなるような衝動に駆られ…………


「ふふっ。マッちゃん、どうしたの呆けちゃって。お友達を紹介してくれない?」


「いや、プラトンが……、じゃない。ごめんごめん。こちら……」


「ふ、ふ、『frank』さんっ!いつも『歌ってみた』で楽曲を唄わせてもらってますっ!し、知らないかもしれませんが『ふーる。』ですっ!こっちは動画に絵を付けて編集してる『ラッキョ』です!……は、初めましてっ!」


 黒いジャージ姿の『ふーる。』さんが、俺の言葉を遮ってフライング気味に自己紹介した。なにが面白いって、言葉を重ねれば重ねるほど、黒髪ショートの彼女の顔が真っ赤になっていくところだった。


「ちょ、ちょっとコッコちゃん。『イチ』さんが紹介してくれる流れだったでしょ、いま……」


「あっ!ご、ごめんなさいっ!」


 『ラッキョ』さんに注意されて、しゅんと小さくなるところまで面白い。


「えっ!『ふーる。』さん!?初投稿って私の曲だったよね?もちろん知ってるよぉ!いつも私の曲を唄ってくれてありがとぉ!」


「え、は……、あ……、ご存知……、はっ……。ケイちゃん、どうしよう……。嬉しすぎて……」


「ちょっと、コッコちゃん。なんで貴方が泣いてるのよ。ホント、そういうとこ女々しいんだから」


 そういう『ラッキョ』さんもちょっと瞳が輝いているけれど、ほかの配信者さんたちの紹介もあるので二人に任せることにした。


「え、マッちゃん。じゃあもしかしてそのオジサンって……『ムンクさん』!?あ、オジサンって言っちゃった。ご、ごめんなさいっ」


「はいはい、オジサンでいいんです。『frank』さん、初めまして。知っててもらえて光栄です」


 一番うしろにいた『ムンクさん』がメガネを上げながら前に出てきて応じる。そういや、なんで私服がスーツなんだろう、この人。


「すごーいっ!あの戦隊モノのオープニングの『踊ってみた』動画、何回も観ましたよぉ」


「え、ゲーム実況じゃないの!?」


 直したメガネがまたズレたかのような声を『ムンクさん』があげる。


「いえいえ。ホラゲの実況を観てどんな人か気になって。顔が出てる動画があったので観てたらハマっちゃって」


「あー、そういうことか。ご視聴、ありがとうございます」


 慇懃いんぎんな深々としたお礼。まるでサラリーマンの営業のそれである。


「ちょっと『ムンクさん』!肩あたったーっ!折れたーっ!慰謝料ぉーっ!」


 ここぞとばかりに『アス』さんがキンキンとした声をあげながら前に出てこようとする。それを他の『きたぐに』のメンバーが小突いたり引っ張ったりしていた。


「その声って、もしかして『アス』さん!?うわぁっ、美人さん……。どうしよう。『きたぐに』の皆さんですか!?」


「違いまーすっ!アタシは『新選組』でーすっ!」


「ば、バカかお前っ。はいそうです、でいいだろ。なんでここで嘘つくんだよ、バカっ」


「あれ?姫って酒のんでる?」


「のんでない……はず。ね?飲んでないよね?」


「シラフに決まってんだろっ、バカどもぉ!あと姫って呼ぶのはやめろぉ!」


 『kunちゃん』さん、リーダーの『マサ』さん、『Aちゃん』さんが即席コントみたいにテンポよくしゃべりだす。個室とはいえ、そろそろ看護師さんに怒られそうなので俺が四人を聖に紹介した。


「……で、こっちが本当の『新選組』のお二人」


 俺が二人に手を向けると、古着のような深緑の上着を着たポニーテールの『近藤さん』が口を開いた。


「しぇっ、新選組局長でゲーム実況者の、えー、こ、『近藤』と申しますっ。こっちは相棒の名刀『虎徹』。はぇ、初めまして。よろしくお願いいたしますっ」


「『近藤さん』。なんでそんなに緊張してるの?笑っちゃいそうになるからやめてくれる?」


 盛大に噛んだ『近藤さん』に、動画と同じようにツッコミをいれる『虎徹』さん。


「うそうそうそっ!?ホントに『新選組』のお二人ですかっ!?すごいっ!感激です!マッちゃん。どうしてこんなにスマ動の有名配信者さんたちが、なぜ!?どうして!?えぇー!?」


 最後の方はもう言葉になっていなかった。


「みんな、『frank』に……、聖に会いたいって言ってくれてさ。フェスが終わってから、そのまま俺と一緒に来てくれたんだよ」


「そうそう。『イチ』さんに誘っていただいたので」

「『イチ』さんがどうしてもって言うからさぁー!」

「こ、こっちから、お願い、したんです」

「……………………」

「『近藤さん』。ここはなにか言うところ」


 計ったように全員がいっせいに喋りだしたものだから、よく聞き取れなかった。けれど意図するところは聖に伝わったようだ。彼女はおもむろに膝に掛かっていた真っ白の布団を顔まで引き上げる。


「……ちょっと、……待ってくださいね」


「わかるわー。俺もこのメンツにサプライズで会えたら、ぜったい泣くわー」


「『近藤さん』っ!デリカシーってもんがないの!?」


「いてっ!なにか言えって言ったの『虎徹』だべやー。あ……、申し訳ない」


 『近藤さん』が『虎徹』さんに叩かれたけど、正直それはありがたかった。泣き出してしまった聖に、俺はどうしていいか分からなくなっていたからだ。

 ちょいちょい、と袖を誰かに引かれる。


「付き合ってんならアタシらに遠慮しないで、傍に行って背中でも撫でてやんなよ」


 耳元で『アス』さんが、誰にも聞こえないくらいの声で囁く。

 俺はゆっくりと彼女に近寄ってベッド脇の丸イスに座った。おそるおそる彼女の背中に手を伸ばすと、ぴくりと反応した聖が俺の顔を見て、そのまま静かに身を預けてくる。


「ありがと……、マッちゃん……。私、うれしくて…………」


 恥ずかしさもあってか、なんと応じていいか分からなかった。本当に俺は、分からないことだらけだ。年上の俺が、聖をリードしなきゃいけないっていうのに。

 どうしたらいいか分からなくて、俺は配信者たちの方を振り向く。


 それで俺は、やっと理解することができた。


 そっか。


 これでいい。


 このままでいいんだ。


 みんな、いままで見たこともないような笑顔で、俺と聖を静かに見守っていた。

 『ムンクさん』なんか、メガネを外してもらい泣きしてる。


 分からない俺でも分かった。理解した。


 もう、俺は迷ったり、悲しんだり、悩んだりしない。


 限られた時間かもしれない。そんなに長くはないかもしれない。いつまでこうしていられるかなんて、神様にしか分からない。


 でも。


 それでも、俺は聖が好きだ。


 この気持ちはもう、永遠に変わらない。


 だから。


 だから、最後まで好きでいる。


 最期まで、愛してる。

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