【G①-1】あの日の二人

 これは、今よりちょっと昔の話。


 失われた10年、と呼ばれた期間があっさりと10年を越えてしまった頃。ついでに言えばアメリカの金融危機が、不景気からいつまでも抜け出せない日本の経済に大ダメージを与えていた頃のこと。


「……つまんねえなー」


 アルバイトからの帰り道。車通りの多い交差点の横断歩道で、白い溜息を吐きながら伊達巨人だてきよとは呟いた。

 色の褪せたジーンズが一歩、また一歩と交互に雪を踏みしめる。肩口がハゲた緑色の上着は彼が高校の時から使っているもので、防寒装備を彼はその上着と、幼馴染からもらった愛用の手袋の二つしか持っていない。


 大学に入学してから半年ちょっと。これといって打ち込める物もない。大学の講義が終わっては、その足で近くのコンビニへ向かってバイトをして、アパートに帰ってからは夜通し、昔は買えなかったテレビゲームをプレイしている。

 出会いを求めるような生き方なんて生まれてこのかたしたこともないし、金がかかるからしたいとも思わない。


 ちょっと周りを見渡せば灯りの下、繁華街へでも向かうのか同年代の男女のグループが無垢な笑顔をばら撒きながら、足取り軽くネオンに向かって視界から消えていく。


 思わず、彼は舌打ちをした。


「帰ったらスマ動でも見よー……」


 信号機の色が変わり、巨人は歩を進める。


 スマイル動画。略してスマ動とは、日本で初めての動画投稿サイトのことである。海外の動画投稿サイトに倣って作成されたそれは、スマ動独自の、コメント欄に打った文字が右から左へと一定の速度で流れる機能を有しており、視聴者の反応が動画内にダイレクトに反映、共有される。


 そのコメントによって投稿者=動画製作者と不特定多数の視聴者を繋ぐ、画期的なサービス。


 インターネットに接続されたパソコンを持っている者にとっては、スマイル動画は知る人ぞ知るコンテンツだった。


 そしていつからだろうか。一般の人々が作成した面白い動画にコメントを流すことが、テレビゲームを除けば最近の巨人の家に帰ってからの趣味となっていた。


 そんな生活を思い返して、巨人はまた溜息が出る。


「ムダに過ごしてんなー。このままでいいのかね……」


 俺は、と巨人は言おうとしたが、誰も聞いていない独り言だとしても、なんだかそれが格好悪くて口からは出てこなかった。


「……に、日本は」


 言った瞬間、妙なバツの悪さを吹き飛ばすかのような笑みが出てしまう。


 そうして、つい笑い声を上げそうになった瞬間、彼は思いついてしまった。


(あ。俺も楽しませる側に…………)


 静まり返った真冬の暗がりに、ぽつんと一人暮らしのアパートが見えてくる。六畳1K風呂トイレ付き。シャワーだけで済ませて、しばらく風呂になんて浸かってない。コツンコツン、と思索が積もるように階段を上がる。


(まずは動画の作り方をネットで調べて……、いや、ちょっと待てよ。面白い動画ってなんだ?自分が描いた絵でアニメを作ったり、テレビのバラエティ番組や深夜のアニメをツギハギしたり、それに好きな音楽を付けたりってのはよく見るな。でもそんな技術は俺には……)


 あまりにも何もない、貧しい人生を送っている巨人であった。


「皆無……っ!」


 思わず口から出てしまう。


 鍵を開けてドアノブを回す。春から住んでいるこの狭い部屋にももう慣れてしまった。畳に上着を脱ぎ捨てると、付いていた雪が落ちてシミが広がった。かまわず、天井から下がった四角い室内照明とストーブを点ける。

 必要最低限の家具。ゲームのソフトが並べられた棚と、四角い小さなテーブル。テレビ。テレビ棚の下にはたくさんのゲーム機本体が配線も乱雑に並んでいる。机の上にはデスクトップの大きなパソコン。電源の近くにはネット回線のルータ。それらが、照明に照らされて静かに見返してくる。


 結ったヘアゴムをほどくと、肩まであるボサボサの髪が爆発したかのように解き放たれる。

 それを、彼はもう一度きつくまとめて結んだ。


(あとは、えっと…DTM、だったっけ?よく知らないけど、機械の声で歌うソフトに演奏付けてオリジナル曲を作るとか?いや、ないない。俺には音楽のセンスなんて皆無皆無。あとは……うーん、スクープ投稿とか?3Dの陰陽師に歌って踊らせる?あ、こっちの放送局でやってた旅番組を真似して、原付旅行の様子を流すとか…?しこたま金がかかりそうだな……)


「とりあえずゲーム…………」


 いつものルーチンでテレビを点ける。テレビ番組なんてしばらく見ていない。

 一瞬だけ映った深夜の音楽番組では、楽器を演奏しないバンドが注目アーティストとして紹介されていた。

 あのバンド、ついにテレビで紹介されるようになったのか。ネットじゃけっこう前から動画再生数が伸びて注目されてたけど、と巨人はリモコンの外部入力ボタンを押して、黒い画面を出した。


「やっぱオリジナル曲つくるか……?」


 ゲーム機の本体をテレビの下から取り出し、配線をつなぐ。バイトの給料は家賃と食費光熱費を払って少し余るが、この半年、彼はそれを全て、加えれば奨学金も半分くらい、小さい頃に家が貧しくて買うことができなかったテレビゲームに費やしていた。


 ソフトを挿れて、ゲーム機本体の電源を押そうとした巨人の手が、ぴたり、と止まった。


 身体中に電気が走ったようなひらめき。構築される動画の内容。それは面白いのか?みんな笑ってくれるのか?


 是。

 いける。そんな気がする。


 確信的な、予感がする。


 ゆっくりと、両手が動き出す。


 まるでライオンが主人公の子供向け映画の冒頭シーンみたいに、巨人はカセット式のゲーム機本体を眼前に高々と掲げた。本体から伸びた配線がピンと張って、グリグリ回す方向キーが真ん中にあるコントローラーがガチャガチャと音をたてる。


「こ、コレだっ!コレだよコレ!!面白いって言ったらコレしかねーじゃんっ!!」


 興奮して意気揚々と掲げたゲームのセーブデータは、あとで確認したら衝撃でしっかりと消えていた。





「いいかあ?今から俺たちが、日本を元気にしていかなきゃいけないわけだよ?」


 富沢猛虎とみざわもこから見た、彼の幼馴染である伊達巨人の印象は、いま聞いたこの言葉を彼がその口から放つ前までは、昔から一緒に過ごしていた幼馴染の貧乏な男の子、というものだった。


 講義のない土曜の朝に急にメールが届いて、彼のアパートに行ってみてこれである。


 正直、ついに幼馴染の思考回路が断線してしまったのではないか、と疑いたくなる。

 もしくは苦学生の辛さに耐えられなくなって現実逃避を決め込んだ、とか。


「……ごめんなさい、キヨちゃん。もう一回説明してもらえる?」


 孤独で武装を固めた自分に弱点があるとすれば彼なんじゃないか、と猛虎は常々思っている。昔から友達も積極的に作ろうとはせず、一人でゲームばかりしていた小さい頃の猛虎にとって、巨人は本当にかけがえのない、そして唯一の友達、ゲーム仲間だ。


 その大切さが、年頃の女性である自分が簡単に男性である彼を自分のアパートの部屋に踏み入れさせてしまっているのだけれど、自分も相手もそういった男女関係なコトには昔から疎いものだから、もちろん今日も何があるわけでもないだろうし、もしかしたら目の前のネジが飛んじゃったような目をした彼は、自分を女性として認識していないかもしれない。

 いや、絶対に認識してない。その確信が猛虎にはある。


「いやいやいや、モコ。いま絶対、聞こえてたっしょ?なんで長ったらしい説明を二回もしなきゃいけないんだよ。ちゃんと聞いててくれよ」


「ふっ、ふふ、ごめんってば……」


 そして話は変わるのだけれど、猛虎にとって巨人の一言一句はなぜか笑えてしまう。一緒にいて楽しい男の子、とは少し違う。巨人の挙動、表情、声が、猛虎の笑いのツボをいつもくすぐるのだった。


「なに?なんで笑ってんの?こっちは真剣なんだからね。マ、ジ!……なんだからねっ!?」


 畳に座って腕組みをした巨人が、面と向かって猛虎に喰ってかかる。そのマ、ジ!の言い方がモコには可笑しくて仕方がない。なんでマジの二文字の間に変な間をとったのだろうか。猛虎は目の前の幼馴染にバレないように人差し指で目尻を拭く。


「はいはいはい。ふふっ、分かりましたってば……」


「おまっ、お前ぇ……、ハイは一回でいいって小学校で一緒に習ったべ!?」


 巨人が人さし指を立てて小刻みにそれを震わせながら、その指を猛虎に向けた。

 なにその指。なんで震えてるの。そもそも人を指さしちゃいけませんって学校で習わなかったんだろうか、この幼馴染は。


「うんうん、日野先生ね。分かったから、ふふっ。せ、説明してちょうだいってば」


「……なんか納得いかないんだよなぁ。なにが面白いんだよ。手で顔かくすなよ。まあ、説明するけどさぁ」


「はいはい」


「だぁかぁらぁーー!」


 そんな小さい頃から変わらないやり取りを、それこそ小さい頃からずっと繰り返している二人だった。


 巨人が猛虎に説明した内容は、要約すると、


 ひとつ、今から二人で昔のゲームをする。


 ふたつ、ゲームをプレイしている映像を撮り、音声を録音する。


 みっつ、編集した動画を、スマイル動画にアップロードする。


 というものだった。

 熱弁が終わったあとの静寂。すみません、と手を前に出して通りかかるように、おそるおそる猛虎は口を開いた。


「えっと、キヨちゃん。それ、なんの目的でやるの?」


「日本を元気にするんだって、さっき言ったべや。なに聞いてたの、ホントにー。しっかりしてほしいわー」


「あー、それは……、そ、ふふっ、壮大ね。お金を稼ぎたいとか有名になりたいとか、そういうことじゃないんだね」


 お金、と言った瞬間に巨人が目を逸らしたのを猛虎は見逃さなかった。猛虎の眼差しから逃れるようにして、巨人が口を開く。


「そりゃ……、そりゃあ、日本を元気にすることで?俺たちが有名になれば?結果的に?お金が入ってくる結果になるかもしれない、って考えないこともないけどねー……」


 嘘が吐けない奴、と猛虎は逆に感心する。彼の悪いところでもあり、良いところでもある。

 そしてそれは猛虎が巨人と、もはや腐れ縁とも言える昔からの友達である理由のひとつでもあった。猛虎は思わず笑みがこぼれてしまう。


「笑ってる場合じゃないって!金のことなんかどうでもいーじゃんかっ!はやくゲームしようぜ、モコ」


 悩むこともしなかった。それが後に、彼女に、二人の関係にどんな変化をもたらすかなんて、その時は思いを馳せることすらしなかった。


「いいよ。じゃあ、やってみよう」


「よし。そう言ってくれると信じてたっていうか分かっていたよ俺は。そんじゃゲーム実況するにあたって、俺は新撰組の近藤勇を演じるから。お前は名刀虎鉄な?」


「…………は?」

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