阿吽新婚夫婦のとある1日

小鳥頼人

阿吽新婚夫婦のとある1日

「おはよー、祐一ゆういち

「おはよう、穂乃果ほのか


 風見かざみ夫婦は新婚ホヤホヤだ。

 風見祐一、風見穂乃果、ともに二十七歳。

「コーヒー用意するね」

 朝。

 俺がリビングの椅子に座ると妻の穂乃果がコーヒーを淹れてくれた。

「はい、どーぞ」

「ありがと」

 穂乃果の愛情がこもったコーヒーを飲む。

「うん、美味しい。俺の好みドンピシャだ」

「ふふっ」

 彼女は俺が最も好む甘さにするために砂糖とミルクの量を調節してくれている。

「祐一の好みは全部分かってるんだから」

「さすがは俺の奥様だ」

 俺が褒めると、穂乃果はフフンと胸を反らす。

「そういう祐一だって私の考えてること分かってるでしょ?」

「おう」

 俺は立ち上がって穂乃果の頭をポンポンする。ロングポニーテールの髪が崩れないように、優しく。

「……えへへ」

 穂乃果は頬を緩めて吐息を漏らした。

「穂乃果はこれ好きだもんな」

「さすがは私の旦那様」

 波長が合うのか、付き合いたてから今に至るまで、一度だって喧嘩をしたことがない。

 お互いの考えが手に取るように分かるので相手が望むことをしてあげられる。

 まるでエスパーみたいだ。以心伝心の域すら越えていると我ながら思うが、悪いことではないと納得している。

「じゃあ、行ってきます」

 俺は平凡な会社員、穂乃果は兼業主婦だ。

 元々穂乃果も会社員だったが、勤め先がブラックで劣悪な労働環境だった。

 そこで結婚を機に専業主婦にならないかと俺が提案したところ、当時は申し訳なさげではあったけど了承してくれた。

 穂乃果は仕事の疲労が全快すると、自身に負担がかからない範囲でPCでできる仕事を在宅でしてくれている。俺としては無理しなくてもいいんだが、穂乃果がやりたいと言って聞かないので意思を尊重した。頑張ってくれる妻に感謝だ。

 だから俺もできるだけ家事を手伝っている。日々のゴミ捨て、トイレや風呂など水回りの掃除は俺が担当している。休日は洗濯もしている。

 穂乃果は料理好きなのでキッチンだけは俺一人で入る権限がないのが切ないところではある。

「待って」

 穂乃果が俺の腕を掴んで制してきた。

「……分かるでしょ」

「あぁ、分かる」

 そう言ってくると分かった上で知らんぷりする演技をした。

 きっと穂乃果もそれを分かっているのだろう。

 俺は身体を反転させて右手で穂乃果の頬に触れて、

「――ちゅっ」

 可愛い唇にキスをした。行ってきますの挨拶だ。

「ふふっ。行ってらっしゃーい」

 唇を離すと穂乃果はうっとりした表情で見送ってくれた。

 よし、今日も穂乃果成分充填じゅうてん完了、これで仕事も頑張れるぞ!

 俺は身体中に力がみなぎるのを感じながら会社へと向かった。

 今の俺には満員電車も重要案件の重圧も怖くないぜ!


    ♀


「さて、と」

 最愛の旦那様を見送った私は自分の仕事を執行する。

 2LDKの部屋を掃除して、洗濯、食材の買い物、合間に在宅作業。

 やること自体は多いけれど、とても楽しい。毎日が充実している。

「これも、祐一が私にプロポーズしてくれたから……」

 社畜環境から私を救い出してくれた旦那様には感謝と愛を忘れない。

 私は広告代理店に勤めていたんだけど、長時間労働だった上に上司からのパワハラ、男性社員からのセクハラと、ストレスの量産には事足らない環境だった。

 正直、心身ともに参っていた。

 それを察した交際相手の祐一はそんな環境、捨ててしまっていいと言ってくれた。無理はしなくていいと言ってくれた。

 結婚しようと言ってくれた。

 だから私は誓った。この人と一緒にたくさん幸せを作っていこうって。

「今日も祐一の喜んだ顔を見なくちゃね」

 祐一は揚げ物が好きだ。作りすぎ注意で腕によりをかけよう。

「よし、引き続きやるぞっ」

 私は両手で頬を叩いて気合いを入れたのだった。


    ♂


「風見主任、今日も愛妻弁当ですか」

 昼休み。

 会社で唯一気が休める貴重なひとときだ。

 最愛の妻が作ってくれた弁当を頬張っていると、部下が声をかけてきた。

「おう」

「いいなぁ~、羨ましいですよ。奥さんめっちゃ綺麗ですし、ラブラブですし!」

「おい、あまり大きな声で話すな。恥ずかしいだろ」

 部下は心底羨ましそうだけど、俺がノロケたわけでもないのに変な注目を浴びてるのは居心地が悪い。俺は穂乃果を愛してるけど、公の場で自慢したいわけじゃないんだよ。

「すみません、声がでかかったです」

「そんなに恋人が欲しいなら紹介しようか?」

 会社の女性や知り合いに多少のあてはある。部下にお節介を焼くのも上司の務め……かもしれない。

「いえ、お気持ちだけいただきますね。女の子は自分の手で探してみます!」

「そうか」

 部下は左手で握り拳を作って高らかに宣言した。その心意気やよし。

 そんな感じで少々騒がしくも楽しい昼休みを過ごしたのだった。


 仕事が終わった。

 穂乃果成分があってもさすがに疲れた。これ、穂乃果がいなかったら俺は仕事できていないのでは?

 主任の立場と現在携わってる案件の重さが俺の心身に多大なストレスを与えてくる。それでも持ちこたえられているのは、ひとえに愛する人がパワーをくれるから。

(って、自分で考えてて恥ずかしくなるな……)

 どうせ、穂乃果にはこの気持ちもバレてるだろうけど。

 一時間半程度の残業を終えて帰路につく。

「――そうだ」

 疲れているのは俺だけじゃない。家事に在宅ワークに頑張ってくれている妻だって疲れている。そこに上下はない。

 疲れている妻をねぎらいたい。

「ケーキでも買ってくか」

 穂乃果は無類の甘党で、特にケーキ類には目がない。

 自宅の最寄り駅に到着した俺はケーキ屋に立ち寄った。


    ♂


「ただいまー」

「おかえりなさい。私にする? 私にする!? それとも、わ・た・しぃ?」

「選択肢一個しかないじゃん」

 俺がツッコミを入れると、穂乃果が抱きついてきた。甘い匂いと優しい感触に心が落ち着く。仕事も疲れも一気に吹き飛ぶぜ。

「あははー。奥様としては、毎日でも旦那様と愛し合っていたいんですー。祐一の愛に餓えているんですぅー」

「餓えるペース早くない?」

 ほぼ毎日のペースでしてるってのに。

 しかしこんな美人の奥さんから求められて悪い気はしない。

「んじゃ、遠慮なく穂乃果をいただくとしよう」

「も、もう。それは寝る前にベッドで、ね」

 穂乃果は頬を染めて俺の腹部を人差し指でつんつんしてきた。

 結局情事は予約されたのだった。

 まぁ、俺も今すぐにというのは冗談だったんだけど。

「そうそう、ほれ」

 俺は手に持った袋を穂乃果に手渡す。

「これ、私の大好物のシフォンケーキじゃん!」

「あぁ、穂乃果の好物だから買ってきた。一日お疲れ様のねぎらい代わりだ」

「ありがとぉ~! 祐一、だーいすきっ」

 穂乃果は受け取った袋を持ったまま再度俺に抱きついてきたので、俺は彼女の頭を撫でた。

「俺がこれを買ってくることも分かってたんだろ?」

「へへ、まーね」

 そこは以心伝心の夫婦。俺の行動パターンもお見通しだった。もちろん俺も穂乃果の行動パターンを熟知している。

「そういう穂乃果だって、今日は俺の好物を作ってくれたんだろ?」

「バレてたかー。祐一、今日は疲れて帰ってくるかなぁって思ってたからさ」

「俺は穂乃果の全てを掌握しょうあくしている」

「その言い回し、ちょっと不気味だね……」

 おい、ガチなツッコミはいらないよ。

 その後、二人で晩飯を楽しみ、一緒に皿を洗った。

 穂乃果が作ってくれた揚げ物シリーズはとても美味しかった。これで明日も仕事頑張れるぞ。


    ♀


 私と祐一は会社間での取引相手の関係だった。

 私がベンダーで祐一がユーザー。つまり私の会社が祐一の会社に企画提案をしていた。

 はじめは仕事で関わるだけだったけど、ある日、祐一がふと私にこぼしてきた一言から全てははじまった。


「目の下にクマできてますよ。無理してませんか?」


 祐一の指摘通り、私は無理をしていた。

 日々終電までの業務、休日出勤、上司からの叱責、セクハラパワハラ、後輩の指導、クレーム対応諸々。

 正直言って、もうしんどくて仕方がなかった。

 許されるのならば、全部を投げ出したかった。


「僕でよければ、空いてる時に愚痴でも聞きますよ」


 特別な言葉じゃなかったけど、仕事仕事の毎日だった私の心にとても刺さる言葉だった。

 仕事漬けの毎日で男性とプライベートな会話も久しい私にとって、祐一は特別な存在となった。

 そこから私たちの恋愛がはじまって、ゴールインした。

 もし、祐一と出会っていなかったら、あの時声をかけてくれなかったら私は今頃破綻はたんしていたに違いない。

 だからそこも含めて祐一には感謝してるよ。

 私も、祐一が辛い時は側で支えられる存在であり続けたい。

 末永くね。


    ♂


 阿吽あうんの呼吸。

 それはいい響きかもしれないけど、お互いを分かりきってるがゆえに新鮮味がなく、刺激がないとも言える。

 俺は前に一度穂乃果の裏をかこうと休日デートに普段は行かないボルタリングを提案しようとしたところ、「今日はボルタリングでも行くの?」と先に言われてしまった。

 まぁ、俺自身も心のどこかで穂乃果には予想されてると思ってたんだけど。

 結局裏をかこうが裏の裏をかこうが全部看破かんぱされるのだ。

 だったらお互い自分の気持ちに正直でいようと決めたんだ。

 阿吽あうんの呼吸のラブラブ新婚夫婦。

 ゆえに刺激は少ないけど安心感があって、相手のことをかけがえのない存在だと思える。

 そんな関係が最高に心地いいんだ。


「早く祐一との子供が欲しいなー」

 午前零時過ぎ。

 ひとしきり穂乃果と愛し合い、ベッドで二人寄り添っている。

「ゆっくり頑張っていこうな」

 穂乃果は子供を欲しがっているが、焦りは禁物。

 俺たちは俺たちの波長で毎日を進めば近いうちに実現できる。

 阿吽あうんの呼吸で日々をともに過ごしていれば、何があっても大丈夫だから。

「せーのでお互いが今思ってる気持ちを言ってみようぜ」

「いいよ。どうせ祐一が何言おうとしてるかなんてお見通しだけど」

「おい、下がること言うなよ――せーのっ」


「「愛してる」」


「……やっぱりね」

 お見通しだったのだろうけど、それでも穂乃果は赤い顔を破顔はがんさせた。

「お互い分かってはいても、実際に言葉にしてもらうとより安心するだろ?」

 言葉にしなくとも分かっていても、言葉で表現してもらった方が嬉しいに決まってる。

「ふふっ、確かに」

「明日もお互い頑張ろう」

「うん、頑張りましょー」


 明日もいい一日となることを願って。

 俺たちは抱き合いながら夢の世界へと飛び込んだのだった。

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