最終章 燃える逆襲魂

第43話 一木にて

この回の主な勢力、登場人物  (初登場を除く)


龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る一大国衆。少弐氏に従う

龍造寺剛忠こうちゅう …主人公 俗名家兼 龍造寺分家、水ヶ江みずがえ家の隠居 一族の重鎮

龍造寺家門いえかど …故人 家兼次男 水ヶ江家当主 

龍造寺家純いえずみ …故人 家兼長男

龍造寺孫九郎 …家門次男


少弐氏 …東肥前の大名 大内氏に滅ぼされたものの、再興を果たす

少弐冬尚ふゆひさ …少弐家当主 馬場頼周と共に龍造寺粛清を果たす

馬場頼周よりちか …少弐重臣 綾部城主 

馬場政員まさかず …頼周嫡男 龍造寺家純の娘を娶る

 

大友氏 …本拠は豊後府内、北九州に勢力を持つ有力大名 少弐氏と友好関係にある


神代くましろ勝利かつとし …肥前東部の山間部、山内さんないの豪族達を束ねる盟主



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 一人の老人が首級と対話していた。 



「ん~? どうじゃ、何ぞ答えぬか?」


 首級の頬を平手で叩きながら、彼は蔑む。


「ほれほれ、早く歯向かって参れ」


 甲冑姿の重臣たちが居座る中、陣幕の中央に並べられたのは六つの首台。

 その中で一番大きな台の上に置かれた首級に、眉を「ハ」の字にし、笑みと哀れみの入り混じった表情で語りかけていたのは、頼周だった。


「悔しいのう、家門。早く爺の枕元に立って泣きついてこい。仇を討って下されと」


 場所は勢福寺城近くの陣中である。

 與止日女よどひめ神社及び祇園原ぎおんばるにて、馬場親子と神代勝利の軍勢は、水ヶ江龍造寺一族及び重臣たちを、多数討ち取る事に成功。

 彼らはその首を集め、冬尚の前で首実験に掛けようと、到着を待っていた。


 その間、頼周はずっとそしり続けている。

 だが、討ち取られた者達は、家のために戦って立派に死んだのだ。名誉であり、侮辱されるべきではない。

 度を超えた頼周の振る舞いを見かね、勝利が諫める。


「頼周殿、そこまでにしておかれよ」

「ああ?」

「水ヶ江勢壊滅したとはいえ、爺はまだ健在。いつ再興の兵を挙げるか分からぬ。御油断召されるな」

「爺が再興の兵? はひゃひゃひゃひゃ!」


 何だ、今の笑いは……?

 勝利を含め、その場にいた者達は一様に耳を疑った。

 たがが外れた様な嘲笑。少弐のためなら死すら厭わない、腹の座った物言いで、これまで家中を引っ張って来た彼とは、まるで別人だった。

 

「喜べ、家門! 爺がそなたの仇を討ってくれるそうだ! で、先陣は誰だ? 二陣は? え? 御自慢の一族重臣…… 皆死んだではないか! ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃぁ!」


 頼周は、家門の首級を両手で握り、目を見開いて叫ぶ。


 何をどう笑うかで、人の本性は垣間見えるもの。

 首実験という、懸命に戦って果てた者達への供養の場で、醜い嘲笑を響かせる彼に対し、その場にいた者は呆れ、目を背けるしかなかった。


 だが、当の頼周の視界には、首級しか映っていない。

 彼が罵詈雑言を重ねても、首級は黙ったままだったからだ。

 やがてそれが彼の逆鱗に触れた。


「何か答えぬか! つまらぬ奴め!」

「父上!」

「どうした! 早く歯向かってこい! 先の和平の折みたいに、舐め腐ったつらしてな!」

「お止め下さりませ、父上!」


 後方で控えていた政員が、慌てて頼周を後ろから羽交い絞めにする。

 頼周は、家門の首を地面に置き、踏みつけていたのだ。


 すぐに彼は家門の首級から離される。

 しかし白髪を乱し、肩で息をしながらがらも、なお家門憎しの表情は変えようとしない。


「政員、首実験が終わったら、この六つの首を城まで運べ」

「えっ?」

「城の正門前に埋めて、登城してきた者達に踏みつけさせよ!」


 明らかに常軌を逸した処置。

 仇敵水ヶ江をまんまと滅ぼし、頼周は自分の気性の荒さと、執着の強さに、もはや抑えが効かなくなっていた。

 唖然とした政員は、思わず彼を覗き込む。

 その顔は、皺の出来るあらゆるところをしかめ、その眼は、瞳孔をはっきりと開かせ、狂気を宿らせていた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 一方、所変わって筑後一木ひとつき

 九州一の大河である筑後川、その河口付近を肥前から渡った先にある、海沿いの地である。

 剛忠一行は、水ヶ江城を明け渡した後、この地に逃れ着いていた。


 ここは下蒲池かまち家の領内になる。

 蒲池家は大友傘下の国衆で、上妻郡の山下城を本拠とする上蒲池家と、蒲池城(後の柳川城)を本拠とする下蒲池家とに分かれていた。

 長年続けてきた大友家とのよしみと、下蒲池家当主、鑑盛の好意を剛忠は頼ったのである。


 やがて到着から日を重ね、皆、慌ただしい日常を送っていた。

 与えられた屋敷は、長年使われていなかった空き家だったため、生活再建と共に、屋敷の補修もしなければならなかったのだ。


 だが、屋敷内で彼らをまとめ、元気な声を響かせていたのは、主の剛忠ではなく、一人の大柄な女性だった。


 

「これ孫九郎、明日の薪が足らぬ。すぐに割って乾かしておくのじゃ」


 そして──


「納屋の戸の立て付けが悪い。孫九郎、すぐに直して参れ」


 さらに──


「これ孫九郎、なにをぼうっと突っ立っておる! 井戸が枯れたのじゃ!」

「はあ?」

「はあ、ではない。長年使われてない故、仕方無かろう。早く皆と手分けして、川から水を汲んで参れ!」


 そう言って女性は、大きな桶を二つ、裏庭から持って来て手渡す。

 だがその物言いは、見下した上に遠慮が全く窺えないもの。

 ついに孫九郎は苛立った。


御方おかた、そなた、わしの事を何だと思うておるのだ! 下人ではないのだぞ!」

「仕方あるまい。男手が足らんのじゃ! 早くまともな暮らしが出来る様、屋敷の隅々まで、整えていかねばならん。これはそなたのためでもあるのじゃぞ!」


 御方と呼ばれた女性が、膨れっ面で反論する。

 彼女は、周家に嫁いで水ヶ江家にやってきた、村中本家の先々代当主、胤和の娘であり、当時、城の奥を取り仕切って、御方、御方様などと呼ばれていた。


 後に出家して慶誾けいぎんと号した彼女は、この時三十七歳。

 すでに長法師丸(後の隆信)と慶法師丸(後の長信)を生んでいた。


 そんな彼女を前にして、孫九郎は不貞腐れた表情を浮かべると、畳の上でごろんと横になった。


「止めた」

「何じゃと?」

「もっとゆっくりすれば良いではないか。水ヶ江にはどうせ戻れまい」


「そうはいかぬ。我らは佐嘉に生まれ、佐嘉に由緒を持つ一族じゃ。誇りを持て、帰郷を果たさんでどうする!」

「さあてね、住めば都だ。ここでの暮らしもすぐに慣れるであろう」


 足を組んで、御方から顔を背けると、孫九郎は彼女に向けて手を上下に振る。

 しっしっ、向こうに行け、と言う意味だ。

 そんな非協力的な態度に、御方の頬は一層膨らんでゆく。


「本当に良いのか? 帰郷を果たせなかったら、そなたが城主になる話は、水の泡となるのじゃぞ」

「城主……? 何だそれは?」

「気付いておらんのか? 今、大殿の後継に最も相応しいのは、他ならぬそなたではないか」


 孫九郎はむくりと上体を起こす。

 確かに御方の言う通りだ。

 謀殺によって、家純、家門と、彼らの子四人が亡くなったため、自分の立場が激変していたことに、孫九郎は気付いていなかった。

 

 

 残った水ヶ江一族の男性は、周家の子三人と、孫九郎の計四人。


 周家の子のうち、長法師丸はすでに円月と号して出家し、宝琳院の住職を務めている。剛忠にその才を買われての出家であり、余程の事が無い限り還俗は無い。

 そして残りの子二人はまだ幼かった。


 なので現状、剛忠の後継者は、孫九郎一択になっていたのだ。


 この上ない好機──

 村中本家のお嬢様である、御方が周家に嫁いだことで、家門の後継は彼がなるものだと、孫九郎は考えていた。

 そして自分は、冷飯食いのまま一生を終えるものだと。

 ところが今回、自分にまさかの幸運が巡って来たのだ。逃すわけにはいかない。


 だが問題は剛忠だ。

 帰郷について、どう考えているのであろうか。


 彼はこの地に来て、家純や家門達が討たれた事を知り、ずっと塞ぎ込んだままだった。

 食事も殆ど取らない。日中も縁側で庭と山を眺め、時折読経どきょうするだけ。再興など頭に無いような日々を送っている。


 しかし帰郷については、いずれはっきりと聞いておかねばならないだろう。

 意を決して、孫九郎は裏庭にいる剛忠の元へと向かった。

 


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



「侵掠すること火の如しじゃ」

「え?」


 剛忠の答えに孫九郎は面食らっていた。 


「何だ、そなた孫子を忘れたのか?」 

「存じておりますが、その、水ヶ江に帰る事との繋がりが見えませぬ」


「あのな孫九郎、火の如く攻めるには、大勢の者が魂を燃やし、一丸となる必要がある」

「はあ……」


「そのためには時節という風が吹かねばならぬ。だが今はなぎの時期じゃ。あれこれ動く事は出来ぬ」

「では、その風が吹いた折には、挙兵に及ぶ御覚悟でござりますか?」


 剛忠は深く頷いた。

 その目は、ここに逃れてきた直後、失意に暮れていた時とは違い、乱世を生き抜いた戦国人の鋭さが戻っていた。


 孫九郎は真意が聞けて安堵し、一礼して居間に戻ってくる。

 すると、そこには御方が待っていた。


「良かったな、孫九郎。ここで一生暮らす羽目にならないで」

「何だ、聞いておったのか」


  にやける御方に軽く呆れると、孫九郎は水汲みのための桶、二つを両手で持つ。


「仕方ないのう。城に戻るまでの我慢じゃ。付き合うとするか」

「その意気じゃ。よし、ならば頑張った褒美に、今日は精の付くものを夕餉に出してやろう。これも持って行け」


 そう言うと御方は、肩掛けが出来る紐の付いた、小さな竹籠を渡した。

 

 孫九郎は一瞬、目が点になったが、すぐに察した。

 これは、市に行って干物でも買ってこい、という事なのだろう。ここのところ連日、雑穀交じりの飯に、漬物、味噌汁ばかりなのだから。


 御方も気が利くところがあるではないか。

 そう思った孫九郎の顔が明るくなってゆく。


 だが御方の意図は全く違った。


「川で水を汲んたついでにな、ドジョウを捕ってそれに入れて参れ。五十もあれば、皆三、四匹は食えるであろう。陽が暮れるまでに戻って来るのじゃぞ」


 唖然とした孫九郎の口から、魂が抜けてゆく。

 この世間知らずの村中のお嬢様は……

 ドジョウは川や田んぼに入って、泥ごと手ですくって獲らねばならない。

 そんな姿を下々の民に見られたりでもしたら──


「ねえ、おっかあ、あのお侍様、百姓みたい。何で泥まみれなの~?」

「しーっ、食べ物が無くて困っているのじゃ。近寄ってはならぬぞ!」


 おお、もう……

 肥前にその名が轟いた、未来の水ヶ江当主が何という屈辱。

 しかも褒美とか抜かしておきながら、獲って来るのは俺の仕事ではないか。


 孫九郎は悪態をついてやろうかと思ったが、すでに彼女は居間から姿を消していた。台所に向かったと察し、急いで彼女の後を追おうとする。


 だが、その歩みは外から聞こえてきた声に止められた。



「御免、どなたかおられぬか!」


 取り込み中なのに、間の悪い来客め。

 思わず孫九郎は顔をしかめたが、自分が一番玄関近くにいたため、仕方なく向かう。


 そして戸を開けてみると、目の前に立っていたのは、むさ苦しい甲冑姿の男三人。

 そのうち真ん中にいた者が、頭を下げて名乗った。

 

「それがし、佐嘉より参った、鍋島清久と申す。是非、大殿に会わせていただきたい」

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