第42話 暗転する世界
この回の主な勢力、登場人物 (初登場を除く)
龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る一大国衆 少弐氏に従う
龍造寺
龍造寺
龍造寺
龍造寺
少弐氏 …東肥前の大名 大内氏に滅ぼされたものの、再興を果たす
少弐
馬場
馬場
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そこが静寂に包まれる事は、まず無いだろう。
すぐ傍を流れる嘉瀬川のせせらぎ、野鳥のさえずり、そして神社を囲むの木々の騒めきで満ちているからだ。
しかし天文十四年(1545)一月二十三日深夜、神社周辺に突如響き渡ったのは、自然音ではなく鬨の声だった。
押し寄せてきたのは、馬場政員率いる軍勢三百。
頼周の執念か、剛忠の策か、どちらが相手を凌駕するか、今、分岐点に差し掛かろうとしていた。
「兄上」
「来たか」
家門の呼びかけに家純が応じる。
二人がいた社殿周辺には、他に家臣達と純家(家純次男)が、上半身を起こし、太刀を握ったままで仮眠を取っていた。
彼らもすぐに異変に気付き、社殿の中に駆けつけると、家門は指示を出す。
「南門からだ。兄上はここにいてくれ。わしが様子を見てくる」
「何を言う。そなたは当主、ここに残るべきだ。わしが討って出よう」
家純は告げて立ち上がろうとする。
だが家門は彼の袖を掴んで制止すると、自虐的な笑みを浮かべた。
「わしの体は、もう限界なのだ」
家門の体は悲鳴を上げていた。
六日間にわたる有馬の追撃から必死に逃れ、その後遺症で、満足に動かせる状態では無かった。
加えて味方は四十しかおらず、全滅するかもしれない。
だが逃げるのも難しく、戦っても足手まといの自分より、可能性は僅かだが、兄なら生き残れるかもしれない。
ならばまず自分が盾となろう、と家門は考えたのだ。
「皆の者、行くぞ」
抜刀した家門は、三十の兵を連れて社殿を後にする。
そして南門に向かうと、今まさに侵入しようする敵勢と遭遇した。
「少弐の者共、この和泉守家門、見事討ち取って手柄とせい!」
最前線に立った家門の大音声に、敵勢が一瞬おののく。
数を頼みとしている馬場勢は、それ以上踏み込めないでいた。
好機──
窮鼠と化した水ケ江勢が、馬場勢という猫に襲い掛かる。
門前は数人が斬り合うだけで精一杯、決して広くはない。
数で上回る馬場勢は、己の利点を活かせず、次第に水ヶ江勢に押され始めた。
「ぐずぐずするな、早く囲め! 囲まぬか!」
突然飛び込んでくる政員の怒号。
現状を掴めておらず、家門は思わず苦笑する。
門前に集まってきた兵達は渋滞を起こし、なす術が無いのに。
しかも今は深夜、夜目が効かない者は同士討ちを恐れ、踏み込むのを躊躇うしかないのに、だ。
やがて水ケ江勢は、南門から馬場勢を追い返してゆく。
いける。場の狭さを以てすれば、もしかすると助かるかもしれない。
家門は芽生えてきた希望を胸に、後続の馬場勢と対峙する。
だがその時、凶事が彼の背後から襲ってきた。
「あっ、ぐうっ……」
「殿!」
突然うめき声を上げた家門に、家臣が駆け寄る。
彼の背には一矢が刺さっていた。
たちまち鬨の声が響き渡る。
家門が振り返ってみると、視界に入って来たのは崖を登ってくる敵の姿。
川を渡り、神代勢が東から押し寄せて来たのだ。
「いかん、殿を守れ!」
僅かに家門の周囲にいた者達が立ちはだかるものの、次々に神代勢の刃の餌食となってゆく。
門前はたちまち乱戦となった。家門も懸命に太刀を振るう。
しかし残念なことに、この時の水ケ江勢は皆、直垂姿だった。
もともと出立の名目は、勢福寺城にいる冬尚への謝罪。なので甲冑を身にまとっておらず、これが致命傷を生んでしまう。
やがて混乱に乗じ、馬場勢も反撃。
再び南門は突破され、境内は一方的な修羅場と化した。
万事は休した。動きの鈍い家門は格好の的でしかない。
彼の体に一つ、また一つと、神代兵の槍先が刺さってゆく。
そしてついに彼は膝をついた。
「謀るとは……」
太刀を地に突き刺し、声を震わせながら彼は顔を上げる。
「報いを受ける事なり……」
その視線は、勢福寺城のある東の空を向いていた。
「因果は常に車輪の如し! 覚えておけ、冬尚!」
叫び──彼の遺した最期の言葉が、厚い雲に覆われ、星の見えない夜空へと吸い込まれてゆく。
水ヶ江家二代目当主、和泉守家門。
剛忠の才を最も色濃く受け継ぎし者。
遺言を残すことも、辞世の句を読むことも許されず、彼の生涯はここで突然、終わりを迎えたのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
それからしばらくして、社殿の前に残っていた家純と純家の視界にも、敵兵が入って来た。
(叔父上は逝ったか……)
察した純家が思わず目を閉じる。
境内では僅かな味方がなお奮戦しているが、もはや全滅は免れまい。
自分の最期が刻一刻と近づいている事に、彼は思わず武者震いする。
ところが、目を開けてみると異変に気付いた。
隣にいたはずの家純がいない。
慌てて振り返ってみると、家純は唐突に
「父上?」
不審に思い純家は後を追う。
すると家純は扉を閉め、油皿に灯った火をその近くに置くと、短刀を取り出した。
そして──
(え……)
次の瞬間、純家は固まった。
彼の目の前で、小指の先がぽとりと地に落ちる。
それは家純が自分の小指を嚙み切り、吐き捨てたものだった。
小指からおびただしい流血。それを使い、彼は扉へ古詩を書き始めたのだ。
山遠雲埋行客跡 松寒風破旅人夢
(山遠くして雲は行客の跡を埋め 松寒うして風は旅人の夢を破る)
書き終え束の間の沈黙。
だが感慨に更ける家純にとっては、とても長く感じられた。
血書は末永く伝える事だろう。ここで戦があった事と、龍造寺豊後守家純が生きた事を。
そんな父の意図を察した純家は、血書を見ながら声を掛ける。
「父上、来世では是非詩人になられませ」
「うむ?」
「李白杜甫を超える程の。詩歌に造詣が深い父上ならば、造作もござりますまい」
ささやかな冗談、さりげなく純家は語る。
だが家純は、穏やかな笑顔で首を振った。
「来世など当てにしておらん。だがもしあるのならば──」
そして純家の肩に手を置いて向き合った。
「龍造寺剛忠の子であり、家門の兄であり、そなたの父でありたいものだ」
見つめ合い、再び沈黙。
純家は破顔したまま何度も頷いていた。
目を閉じて、それが零れ落ちないようにしながら。
やがて鬨の声が迫り、社殿に次々に矢が刺さってゆく。
もはやこれまで。
家純親子は頷き合って抜刀すると、扉を開けて討って出ていった。
それは戦国乱世を離れ、永遠に安らげる楽園への旅立ちであった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
神社の水ケ江勢全滅をもって、剛忠の目論見は砕け散った。
頼周の執念が上回ったのだ。
そして勢福寺城近くの
「皆、潔く討死されよ!」
周家は叫び、味方に覚悟を促す。
そこは、引き返してきた政員や、馬場家臣、薬王寺
祇園原は水田と荒地が広がるばかりで、視界を遮る物が少ない。
待ち受けられていた水ケ江勢は、包囲を突破しない限り、助かる道は無かったのだ。
降り注ぐ矢を受け、長きに渡り家を支えた福地
名も無き足軽の槍により、他の重臣たちも、次々に戦場の露と消えてゆく。
さらに頼純(家純三男)と家泰(家門長男)は、敵の手に掛からない様、立ち退いた後に切腹して果てた。
そして──
残った周家はなお奮戦を続けていた。
だが、何度も包囲を突破しようと試みるものの、埒が明かないまま。
その最中、突然彼は動きを止めた。と、言うより止めざるを得なくなった。
複数の矢傷を負っていた愛馬が、ついに限界を迎えたのだ。
「ふう~っ」
斃れた愛馬に僅かに黙祷を捧げるた後、深呼吸。
そして周囲を見渡す。
視界に入る味方は僅か。
だがこの男の眼は光を失っていなかった。
北東、頼周や冬尚のいる方角を睨むと、駆け出していく。
だが、それは敵兵に読まれ先回りされていた。
「ぬうっ!」
振り下される敵の槍。
周家は太刀で受け止め、上に払うと、勢いのまま斬り下げる。
首元えぐるは太刀の切先。
敵は顔面血塗れになりながら倒れてゆく。
そこで背後を気にすると、頭上から同時に二つの槍が。
一つを何とか避け、もう一つを右手一本の太刀で受け止めると、今度は下に払い落とす。
そして避けた方の槍を踏みつけると、払い落として体勢の崩れた兵の顔面目掛け、太刀を突き刺した。
「ぐあっ!」
こめかみに太刀が刺さった敵兵が卒倒する。
それを見て周家は、今度は踏みつけた槍を拾い、左脇に抱えた。
「ぬおおおおっ!」
周囲の敵兵たちが息を飲む。
何と左腕一本で、周家は槍を握ったままの敵兵を持ち上げたのだ。
「そりゃああ!」
敵兵が空を舞う。
敵味方問わず、周囲からたちまち沸き起こる驚愕の声。
そして投げ落とされた敵兵を先頭に、その場にいた敵の集団は、我先にと逃げ出した。
だが、馬場勢は攻撃の手を緩めない。たちまち後続の兵と入れ替わり、じりじりと間合いを詰めてくる。
苛立った周家は、今度は太刀を投げつけ、槍を持ち直すと、旋回すること三回。大立ち回りしてみせてたのだ。
「どうじゃ! 腕に覚えのある者だけ、掛かって参れ!」
周家の大音声に、
してやったりだ。彼は肩で息をしながら不敵に笑う。
だが、彼の武芸自慢もここまでだった。
「ぐっ……」
不覚──
気付かないうちに、右横腹に槍が食い込んでいた。
驚いて動きを止めた周家は、槍を振り払い何とか凌ぐ。
だが今度は、左の太ももに槍先。
槍で叩き落とすものの、激痛に思わず膝をつく。
彼は死角への注意が疎かになっていた。
槍を振り回す際、直垂の長い袖が邪魔となり、敵の視認が上手く出来なかったのだ。
好機と見た馬場勢が、すぐに群がってくる。
周家の武勇は恐ろしいが、大将首は独り占めしたい。そんな極端な二つの感情で、顔を引きつらせながら。
対し周家はふらつきながら立ち上がる。
不敵な笑みはそのまま。だが体は訴えていた。もはや万事休すなのだと。
彼は死の覚悟を決めた。
すると瞬間、視線の先に空が映る。
その空模様に、思わず周家は見入った。
(曇天か…… まるで今の佐嘉の様だ)
それは連日続く分厚い曇天だった。切れ目が無く、時折雨や雪を降らせて、人々の心を憂鬱にし続けてるもの。
剛忠が、家純、家門が、そして多くの一族重臣が、精魂込めて確立した水ヶ江家の威勢が、幻となろうとしている。
我らはいつまでも、少弐と言う曇天の下にいるしかないのか。
周家は水ヶ江家の今を、空と重ねずにはいられなかった。
だが次の瞬間、彼は反射的に答えていた。
(いや、否だ……!)
僅かに雲の切れ間から陽が差してきたのだ。
幻ではない。次第に周家の二つの眼にも、はっきりと分かるように降り注ぐ。
空は語りかけているではないか。
少弐という一面の曇天の下でも、再興という希望の光は、必ず生まれるのだと。
悟り、思わず破顔。
不敵にではなく、純粋に。
周囲には、もはや固唾を飲んで見守っている敵しかいない。
その中で周家は手足を広げ「大」の字になり、意志を露わにした。
俺は生き切った。さあ、止めを刺しに来い──
察した無慈悲な無数の槍が、彼の体に突き刺さってゆく。
そしてその武骨な手から、槍が零れ落ちた。
龍造寺六郎次郎周家。
歴史書「九州治乱記」が勇気無双の者、と評した隆信の父。
やがて彼の世界は、ゆっくりと、ゆっくりと、暗闇へ包まれていった。
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