第10話:護衛の少年少女

「ご、護衛ですか? そんな大それたことしていただかなくても……」

「甘い」


 フェイの言葉を遮って、パトリシアははっきりとした口調でそう言った。いつもの糸目が、ほんの僅かほど開眼しており、静かな森のような深緑色の双眸がフェイを見下ろす。


「甘いまう、フェイくん。ここは、いわば犯罪の魔窟。弱い者は搾取され、強い者が甘汁を啜る世界。そういう場所に、弱いのか強いのかはっきりしていない上に、客人扱いのフェイくんを一人出すことは出来ないまう。分かってくれるよね?」


 ね、と更に念押しするような形で、パトリシアはフェイに迫る。フェイは首をがくがくと縦に振って、彼女に同意見であるという意を示した。そんな彼の反応を見て、パトリシアはようやく平生の顔へ戻る。それからぽんぽんと両脇二人の肩を叩く。


「それじゃ、後は三人で親睦を深めて頂戴な。あたし、次の仕事があるんでぇ!」


 じゃあねサリュー、とパトリシアの自国語の言葉で別れを言い、彼女は颯爽とした足取りで書庫から出て行った。取り残されたのは、初対面の三人だけ。


「え、ええと、その……」


 申し訳なさそうに眉間に皺を寄せるフェイ。そんな彼を見て、二人は顔を見合わせてから、フェイへ笑いかける。


「そんな顔しないでください。ここの客人だから、当然の対応ですよー。それに、トリッシュさんは伝え忘れてるけど、拙達夜警の魔術師は、一般の魔術師からは嫌われてますし。それこそ命を取ろうとしてくる輩もたまにいるんで。だから、これくらいの対応は当たり前だよ」

「っす」


 彼らはフェイへそう言って、まず、ダークブラウンの髪色の方が手を差し出した。


「なんで、申し訳なく思う必要ないっすよ。それに、ちゃんと給金手当が出る仕事として請け負ってるんで。ええと、ヴァイオレット・マクスウェルす。去年夜警になったばっかの新人なんで、ま、気軽に接してくださいっす」

「よ、よろしくお願いします、ヴァイオレットさん」

「あー……。俺の名前、いやに長ったらしいんで、ヴィオとかヴァイとか、略して呼んでもらっていいすよ」


 ヴァイオレットはそう言って、フェイの手を取り握手を交わす。そして、面倒臭そうな表情と共に、ちらと横に視線を投げた。


「はーい、ノーマ・シーグローヴといいまーす。拙も、ヴィオくんと同じタイミングで夜警になった新人なんで、お気軽に話しかけてくださいね」


 無表情で淡々としたヴァイオレットとは対照的に、にぱっと人懐こい笑みを浮かべながらノーマは手を差し出す。フェイは一度こくと頷いてから、その手を取った。


「こちらこそよろしくお願いします、ノーマさん」

「はーい。……んじゃ、早速護衛任務に関して軽く説明していきますかー。とは言っても、トリッシュさんが言ってたことそのまま繰り返す感じにはなるんですけどー」


 ノーマはそう前置きをしてから、流暢にフェイへ外出する際の決まり事について説明していく。

 外出する場合は、客人であろうとも事前に外出届をリーンハルトへ提出することがまず第一。その書類が受け取られサインがされれば、決めていた日程に街に出ることが可能となる。

 基本的には、ヴァイオレットとノーマの二名が、外出する際のフェイの護衛として傍に立つ。しかし、二人に夜警としてこなさねばならない仕事が出来た場合は、どちらか一人がフェイの護衛として付き添う形を取る。

 二人との予定を合わせるという意味でも、外出届の提出を忘れずに心がけることが必要だ。


「とまあ、こんな感じですね。質問あったりしますー?」

「いえ、大丈夫です。すみませんけど、よろしくお願いしますね」


 ぺこりとフェイは頭を下げた。ノーマは「いえいえー」と言いつつ、ひらひらと手を振るう。それからノーマは、ぽすっとフェイの横に腰を下ろし、彼の顔を覗き見るように体を傾けた。


「そ・れ・よ・り、拙はフェイさんに聞きたい話があるんですよね」

「はい?」


 ノーマはにやりと唇を歪め、グイッとフェイの近くに顔を寄せる。


「エルさんのせんせ、なんですよね? あの人の先生とか、出来ます?」

「そ、れはどういった意味で?」

「だって、あの人すごく人見知りなんですよ。拙達もなかなかコミュニケーション取れなくて。だから、大変な思いしてないかなって」

「俺も、気になるっす。どうなんすか」


 ヴァイオレットも小さく頷き、フェイの横へ。彼の場合、座る場所がなかったため、肘置きに軽く腰を掛けた。


「どう、って。その、必要最低限の会話をしている感じ……ですかね?」

「そこ疑問形なんすか?」

「ほんとそう。でも、会話できるんですねぇ。拙なんか、最初は首振りだけ、目も合わせてくんなかったし。でも、一戦交えてからは喋ってくれるようになりましたよ」


 へら、とした笑みで物騒なことを言うノーマ。彼女の発言に、フェイは曖昧な相槌を返すことしか出来なかった。しかし、それとは別にフェイの頭はノーマの言葉を繰り返す。

 エルムが人見知り。もしかしてそのことによって、彼は己とあまり会話をしようとしないのではないか。避けられているのでも、嫌われているのでもなく。

 自分にとって都合の良い考え方だ。それでも、嫌われていると思ってしまうよりはずっと心持ちが軽くなる。


「……あの、フェイさん。エルさんちょっと最初が取っ付き難いだけで、それを乗り越えればめちゃくちゃ良い……拙にとってのお兄ちゃんみたいな人なんですよ」


 ノーマはボソボソとフェイへそう言う。フェイが目を丸くしていると、ヴァイオレットもまた口を開く。


「俺にとっても兄貴みたいな人っすね。色々、鍛錬付き合ってもらったりもしてるんで。だからその、エルさんの先生……途中で投げ出したりとか、しないで欲しいっす」

「………お二人共、エルムさんのことを大切に思ってるんですね」


 ふふ、とフェイが微笑みながらそう言うと、ノーマは唇を尖らせて、ヴァイオレットはふいっと視線を逸らした。二人の耳が少しだけ赤に色づいていたことに気づき、フェイは更に笑みを深める。

 エルムの宿題のノートにも、彼らの名前があったことをぼんやりとフェイは思い出す。どうやらこの組織に属している者達は皆、仲間思いであるらしい。


「……えぇ、任された仕事ですから、よっぽどのことが無ければ途中で投げ出すことはしませんよ。ひと月、きちんとこなします」

「え、一か月で別ンとこに行っちゃうんです?」


 意外、という顔でノーマはこてんと首を傾けた。フェイは少しだけ眉間に皺を寄せて、小さく「えぇ」と声を零す。


「今は一応仮契約状態というか、私が良くても向こうが合わないとか、向こうが良くても私が合わないとかありますからね。エルムさん、私のことが少し苦手なようですし、先生という存在そのものがあまり好きではないみたいですから、多分一か月で終了でしょう」

「……まあ、エルさんが苦手なタイプかもしれないすね、フェイさんって」


 ぼそりと、ヴァイオレットは呟く。ノーマはそんな彼へ「こらっ」と軽く叱りを飛ばし、すぐにフェイの方へ顔を向けた。


「ご、ごめんなさい、ヴィオくんが……」

「全然気にしてないですよ。……私自身もそう思ってますから。私、エルムさんのように活発なタイプではないですし、性格も反対だと思いますね」


 へらへらと笑うフェイの姿は、どこか儚げで。ヴァイオレットとノーマはまたお互いに顔を見合わせ、おずおずとヴァイオレットが口を開く。


「……すみませんした」

「いえいえ。本当に気にしてないんですから、ね? ……じゃあ、話題を変えましょうか。私、紅茶のお店と雑貨屋さんに寄りたいんです。どこかいい場所知りませんか?」


 フェイの柔らかな表情に、ヴァイオレットとノーマはこくこくと頷いた。

 まず、ノーマが店の名前を色々と挙げていく。それは本当に頭の中で思いつく店名を挙げているだけなのだろう、ヴァイオレットが彼女の口にする店について、簡単な意見を差し込んでいた。その店はぼったくり価格であるだとか、ここから行くには少し遠すぎるであるだとか。ぽんぽんとテンポよく交わされている会話は、聞いていて心地が良いと思えるほど。

 恐らく、この二人は相棒の様な関係性なのだろう。先程、煙草を買いに出て行ったシャルルとレオンのように。


「……ほんと、仲がよろしいですねえ」


 しみじみとした声でそう言うと、ヴァイオレットが眉間に眉を寄せて、顔をずいとフェイの方へ近付ける。


「何他人事みたいに言ってるんすか。これから、俺らとも仲良くなるんでショ?」

「え」

「そうそう! 見た感じだけど、拙達きっと年齢としも近いと思うし! それに新入り同士だし! ね、仲良くやりましょ! だから、早く外出届出してくださいよ?」


 フェイがぱちぱちと目を瞬かせていると、にいっとヴァイオレットとノーマは口角を上げる。その言葉を噛み締め、フェイはぱあっと表情を輝かせた。


「は、はいっ!」


 気合の籠もった返答に、二人は満足そうに笑って。それから三人はフェイ主導の紅茶談義に花を咲かせるのだった。

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