第17話 二人の翌朝

 これは夢だ。

 漠然と、そう感じる。

 机を前にして、考え込んでいるのは今より小さい恵ちゃん。

 その彼女に向かって、あれこれ講釈をたれているのが僕。


「コンピュータって何でも出来るんでしょうか?」


 コンピュータの原理について教えていた時のふとした質問。

 彼女は意図していなかったけど、その質問はとても鋭かった。


「それは凄く難しい問いだね。実は、コンピュータに絶対出来ない事はある」


 これは学問的に証明されていることだ。


「そうなんですか?何でも出来るように思っていました」


 目を丸くして驚いた様子のめぐみちゃん。


「そうじゃないんだ。実は、コンピュータが解けない問題というのはとてもたくさんあってね。たとえば、ウイルス検査ソフトは作れない」

「え。でも、家のパソコンにも、ウイルス検査ソフト入ってますよね」


 彼女は実に教えがいのある生徒だった。即座にそれを思い付ける辺りが。


「ポイントは、ウイルス検査ソフトは絶対に作れないっていうことなんだ。今入っているウイルスソフトは、ウイルスじゃないものをウイルスと判定してしまう事があるし、ウイルスなのを見逃してしまうこともある。そうでなければ、。これは、どうやっても覆しようがない、数学で証明されたことなんだ」


 本当は、ウイルス検査ソフトの定義が必要なんだけど、そこは端折る。


「でも、コンピュータに出来ないことがある、というのを数学的に証明可能というのが不思議な気がします。一体、どういう風にすれば可能なのでしょうか?」

「いいことを言うね。それはね……」


 と、鼻高々に、当時の彼女にそんなマニアックな知識を教えていた僕。

 当時は、半可通だった癖に、よくもこう偉そうにしゃべっていたな。

 昔の僕が恥ずかしくなってくる。


 なんて思っている内に、意識が覚醒してきたのを感じる。


◇◇◇◇


「ふわぁーあ」


 大あくびをして、伸びを一つ。隣を見ると、恵ちゃん。

 すー、すー、と静かな寝息を立てて僕に抱きついたままだ。


(裸、なんだよな)


 昨夜は「運動」を終えた後だから気にならなかったけど。

 こうして、裸で抱き合うというのは妙に気恥ずかしい。


(そーっと、そーっと)


 彼女を起こしてしまわないように、そっと手を外す。

 

 ベッドの下に散らばったパジャマを着て、洗面上に向かう。


 「あー、すっきりした」


 やっぱり、朝の洗顔は気持ちいい。さて、朝食を作らないと。


 といっても、食パンをトースターに二つぶち込んで終わり。

 あとは、コーヒーを……と考えいてると、


「あ、おはようございます。裕二ゆうじ君」


 少し頬を赤らめて恥ずかしそうな恵ちゃん。

 まだパジャマ姿だけど、寝癖は直したらしい。


「もう寝癖直ってるね。可愛かったのに」

「可愛い、は嬉しいんですけど、ちょっと恥ずかしいですよ」


 気になるのか、髪をなでさする彼女。

 そういう仕草が余計可愛いんだけど。


「ところで、作ってるのって朝ご飯ですか?」

「一応、ね。ちゃんとも今淹れてるから」


 ちょっと冗談めかして言ってみる。


「裕二君がそんな冗談言うなんて……でも、実は、ちょっと憧れでした」


 やっぱり。


「だと思った。君はちょっとそういうシーンに感化されるところがあるし」

「別に、憧れてもいいじゃないですか」

「いや、悪いわけじゃないって」


 談笑しながら、机に焼いた食パンとインスタントコーヒーを配膳する。


「なんか、幸せだね……」

「はい。幸せです」


 一線を超えたからといって、何かが変わるわけじゃない。

 でも、こうして、朝日の中で二人でコーヒーを飲めるのが幸せだ。


 そして、向かいで食パンをもそもそとかじる恵ちゃんがとても愛らしい。


「うん?どうかしましたか?」


 首を傾げて問いかけてくる。


「こんな可愛い彼女が居て幸せだなって、そう思っただけ」


 いや、ほんとに。


「裕二君も……カッコよくはないですけど」

「ええ!?そこは嘘でもカッコいいって言って欲しいんだけど」

「冗談です。でも、カッコいいよりも、大切にしてくれるのが嬉しいです」


 やっぱり少し照れながら、でも、昨日と少し違う微笑み。


「なんか、少し、昨日までと心境でも変わった?」

「うん?どうしてです?」

「いや。なんか、落ち着いた感じがするから」


 昨日までは、もっとぐいぐい来る感じで。

 そして、少し不安そうな部分があったけど。


「……そこは言うの恥ずかしいんですけど」

「あ……」


 なんとなく言いたいことがわかってしまった。


「やっぱり手を出してくれないのが、少し不安だったんですよ」

「そっか」

「もちろん、気持ちを疑ってたわけじゃないんです」

「うん。わかってる」

「でも、私たちもいい歳の大人ですから。だから、安心しました」

「ごめんね」

「いいですよ。私も、ぐいぐい迫り過ぎてましたから」

「自覚はあったんだね」

「それは当然ですよ。天然でそんな事できませんから」

「う。これからは、サインを見逃さないように気をつけるよ」

「そうしてください」


 こうして、日曜朝の時間はゆったりと流れていったのだった。

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