だって汚いでしょう?




 こんなはずじゃなかったのに。




 始めは、ほんの些細なことだった。


 学校の先生が「よく手を洗いましょう」と言った。

 手には見えない雑菌が沢山いるという話をされて、私はそれ以来よく手を洗うようになった。

 小さい頃は泥遊びが好きだったのに、私は成長するにつれて手が汚れるということに物凄く抵抗を感じるようになっていった。


 体育の時間、いろんな人が触ったり床についたりするボールを触ることができずに、体育は休みがちになった。


 プールは入れなかった。不特定多数が入った水に自分が入ることができない。同様の理由で銭湯にいくこともできなかった。

 他人の垢が混じっている水やお湯に自分が入るなどと考えると吐き気すらしてきた。


 掃除の時間、共同の掃除器具を触ることができずに、常に新品のポリ袋を手袋の代わりにして掴んで掃除をしていた。埃が立ってそれを吸い込むのが嫌で、いつもマスクをつけるようになった。

 自分の机を他の人が運んだときに、触られた箇所を絶対に除菌シートで拭いた。


 給食の時間、周りの人が喋りながら食べているときに唾が飛んでくるのが嫌で、私だけは少し席を離して食べていた。


 教室の扉の取っ手は手で触りたくないから脚で開けるようになった。


 隣の席の人が教科書を忘れた時に「見せて」と言われたときに、私は具合が悪くなったふりをして早退した。


 家に帰ると玄関で服を脱ぎ、すぐにシャワーを浴びる。服はすぐに洗濯する。雑菌が繁殖しないように必ず外干しして日光に当てて乾かす。


 外食に行くのは憂鬱だから嫌いだ。自分の座る場所をいちいち除菌しなければならない。

 寿司屋などはいけない。知らない人が目の前で握っている寿司は食べられない。


 電車などに乗っても席に座ったり、吊り革に掴まったりできない。


 犬や猫は嫌いではないけれど、雑菌の塊のような気がして触ることは出来ないし、猫や犬を触った人が触った物を受け取ることができない。


 スマホやパソコンは1日に3回は除菌している。


 恋人ができたことがあったが、手をつなぐことが苦痛だった。

 2人で手を洗ってから手をつなぐのだが、相手の手洗い現場を監視していた。手洗いが不十分だったらやっぱり手をつなぐのがつらかった。

 ましてキスやセックスは不潔でできないという理由もあり、様々な理由があって別れた。


 食品など外で買ってきたものは、全部一度除菌シートで玄関で拭かないと家の中に入れられなくなった。


 シャワーを浴びる回数が徐々に増えていった。

 最初は1日1回だったけれど、それが2回になり、3回になり、お風呂場から出るのが怖くなっていった。

 湯舟には入らない。1回入った後のお湯に触るのも嫌だから。


 新しいものを買うことが減った。

 ひとつひとつ、部品を分解して中まで除菌してからまた組み立てなければ気が済まなくなってきた。

 それをするのが面倒で、大変で……でも除菌しなければ使うことができないので、必然的に買うという行為が減っていった。


 家から出ることが減った。

 外は雑菌塗れで、自分がそれを吸い込んでいるような気がするし、お金のやり取りで絶対に他人が触ったお金を触らなければならないから。


 仕事先で、いちいち全部除菌していたら「気にしすぎじゃない?」とか「汚くないよ」とか言われたけど、目に見えない雑菌が沢山いるので除菌しないと触れないという説明をした。何を触っているか分からない人が触っているわけだし。

 そう言った次の日から、私は避けられるようになった。

 私は嬉しかった。

 食事に誘われることもなくなったし、仕事でも余計な仕事が回ってこなくなったのでラッキーだと思った。

 けれど、席替えがあって私の隣の席に物凄く不潔な人が来た。

 食べ物のカスはこぼして私の席にカスがとんでくるし、お菓子を食べた後にその手を洗わないまま書類を渡してくるし、お風呂も入ってないようで臭いし、服には猫なのか犬なのか分からないが毛がついていたり……。

 私は机と机の間にダンボールを立てて完全に空間を遮断したが、ときおり風に乗って獣の毛が飛んできて、吐き気が止められずにお手洗いにかけこんで吐いた。

 席を変えてもらえるように上の人に抗議したが、聞き入れてはもらえなかった。

 結果として、会社に行くことができなくなった。


 家から出られなくなり、収入がなくなった。

 引きこもるようになり、お手洗いとシャワー以外は外に出なくなった。主食はカップラーメンが多くなり、それ以外はなかなか食べられなくなっていった。


 食事をする間を惜しんで私はシャワーを浴びた。

 お手洗いに行くたびにシャワーを浴びるようになった。

 お手洗いに行くのが億劫になり、飲み物を飲む回数が目に見えて減った。


 やがて、私はお風呂場から出られなくなった。


 食事もできなくなっていった。


 シャワーを浴びすぎているせいで、皮膚はボロボロになっていった。


 私は何のために生きているか分からなくなった。




 こんなはずじゃなかったのに…………。




 ***




「本日、×××県○○○市のアパートで、女性(24)の遺体が発見されました」


「女性はシャワー室で裸の状態で発見され、死因は衰弱死と思われます。女性は一人暮らしで、数日前から連絡がつかなくなっていたところを家族が警察に通報し、発覚しました」




 END




(※不潔恐怖症、あるいは強迫性障害の症状があって苦しんでいる方は精神科・心療内科の専門医に相談した方がいいと思います。放置して悪化していくと生活ができなくなってしまうケースがあります。医師の診断があれば障碍者手帳を取得できる場合があるので相談してみてください。一人で強迫観念、強迫行動に悩まずに、まずは専門医に相談しましょう。もし、本人に病識がなく、病院に自発的に行くことが困難な場合は、周りの人間が気づいて一緒に病院に連れていってあげてください。本人も「やめたい」と思っていてもやめられない状態になっているかもしれません)



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